2022年5月29日日曜日

閑話番外 その百三十五

 

 長女が雨女なのはどこかに書いた。同僚の外国人の先生達が認めるのだから(インターナショナル幼稚園の先生だった)半端じゃないのだ。為に長女は屋外行事の担当は一切させて貰えなかった、雨になるからw

 世の中良くしたもんで、次女は半端ない晴れ女だと最近分かった。次女は山を始めてから、あっと言う間にのめり込んだ。あたしの全盛期時代を見る様だ。唯、山行の頻度が違う。あたしはそこそこの山は年に三度か四度、次女は毎月だ。そして晴れる度合いが違う。

 今年を見て見よう。一月が赤岳。二月が上州武尊。三月が西穂高。四月が立山の雷鳥平幕営で大日岳。五月が甲武信から金峰、瑞牆ピストン。そのピストンは今日である。今日も好天だろう。

 武尊以外は皆幕営だ。どの日もあんまり良い天気じゃない。今度だけはガスの中だな、今回は降られただろう、なぞと思っていても山の写真を妻のスマホに送って来る。少なくとも景色が見える瞬間はあった訳だ。

 その度あたしは「奇跡だ」と呟く。東京は降ってるのにどうして、と。あたしも東京が雨続きでもこっちは雲海上の縦走で、真っ黒に日焼けして帰って来た事があるが、そんなのたった一度だけだ。

 今回の奥秩父だって一昨日入山だから、東京は昼迄雨だ。処が次女は登り始めから降ってなかったと。雷鳥平の雪のテント場の周りを白銀の山に囲まれた写真には、唖然とした。全国的に雨の日だったのだ。聞くと、入山日、詰まりその前日の写真との事、翌日は雪だったのでとっとと下山したと。その前日ったって決して全国的に天気は良くなかった。でも景色は見えたんですなあ。

 あたしだったら、これだけの山行の半分は間違いなくガスか降雪だっただろう。それには自信がある(おいおいw)。

 一度位雨又は雪の中でテントを張る経験をする必要があるんじゃ、と変な心配をしています。

2022年5月26日木曜日

閑話 その三百七十九


  今月五日、七十二歳の男性が弁天尾根で見つかったが亡くなっていた。初老の単独行遭難だが、登山計画書を提出していた為に発見が早かったのだ。低山なのに計画書を出すのは立派だと思う。あたしは出した事もない。そんなに心掛けが良くても遭難はする。冥福をお祈り致します。

 上の写真は余り関係がない大山三峰です。

 弁天尾根って何処だろう? 調べて見たら大山東面の尾根だった。昔々何度か歩いた尾根で、「ハイクのお誘い 大山東尾根」で紹介している尾根だった。昔々は路は辛うじてありはしたが、空白地帯で地図には記載がなかった。そして最新の地図にも記載がない。

 16500分の1と言う詳細地図ができて、東丹沢編と西丹沢編があり、合わせて二百八十コースが書き込まれている。マニア向けの傑作と言って良いだろう。あたしは持っていないが、Aが購入して見せてくれた。沢を除いて殆どの顕著な尾根は記載されている。あたしの歩いてない尾根もあるのだ!

 !を付けて驚く事ではないですなあ。自分がどんだけ分かってると思い込んでいるのやら、自意識過剰無根拠な自信とはこの事です。

 天神尾根と名がついた限りは、マニアには(あたしも含めて)魅力的なコースな訳だ。「ハイクのお誘い」を読んで貰えば分かるが結構曲者である。標識や固定ロープは確かにある。そこは昔々とは違う。でも、落っこち易いのは変わらない。

 遭難した男性が、その地図に誘われたかどうかは不明だ。元々そう言う趣味の人(あたしが様な)だったかも知れない。その手の者は登山計画表は提出しないので、何らかの情報を元にしたと考えるのが妥当だろう。単なるあたしの考えだけどね。

 登山道がない尾根でも踏み後はあったり、弁天尾根の様に道標迄あったりする。それを克明に紹介するのも良し悪しです。あたしの「ハイクのお誘い」もダメかなあ。

2022年5月22日日曜日

閑話 その三百七十九


  さて、又弘法山です。本当は高取に行きたかったのだが、蛭が大量に発生する時期なのでつい。塔を目指すべきなのだけど、アレルギー性喘息の恐ろしさが足を止めるだよお。呼吸困難かベタ疲れが見えるでよ。何せ日常生活でも息苦しい時があるんだから(涙)。

 暫くは登山者じゃない。里山ハイカーですな。暫くったって、どれだけ暫くなのかは分からなくて、死ぬ迄暫くなのかも……。

 嘆いていても仕方ないので出掛けた。前回と違って曇り勝ちの日。例に依って小汚い格好にアタックザック、登山口迄に数人のハイカーを抜く。里山では元気ですなあ。

 権現山を越え弘法山の下りで男性に追い付いた。後ろにピタリと付いた、って事は煽り運転? まあそうなんです。普通は気付いて道を譲るが、彼は一寸と歩度を上げてその儘行く。足さばきも確りしている。詰まり、あたしの歩調を聞いて自分の方が速いと判断した訳だ。そしてそれは正解だった。

 六十才位の肩幅の広いガッチリした体形でどんどん行く。あたしと同歩調だが彼の方が余裕があるって事で、こっちは引っ張られて付いて行く事になった。

 善波峠との分岐で三人パーティの一人が聞いて来た。「何とかの里湯はどっちです?」。前を行く彼は答えられない。あたしが「こっちです」。前を行く彼には初めてのルートか。

 その儘吾妻山、あたしは吾妻神社の碑に挨拶して大分離された後を追う。続く下りで追いついて前後して里湯に入る。ふーん、里湯には何度か来てるんだ。裸になったら良い筋肉の中年だ。あ、男の裸には興味ないですよ、成り行きで見ただけですよ。

 途中から付いて行くのが一寸と苦になったけど、負ける訳には行かない。バカじゃないかとお思いでしょうが、バカです。それがあたしの生きる道さ♪ そのお陰で一時間三十五分で歩けた。呼吸困難にならずに良かったw