2012年6月28日木曜日

休題 その九十一



 閑話番外で、グチグチとGEを悪く言って居るのは、我乍ら呆れ返る。何度も何度も未練がましい事此の上無しだ。
 此れが最後です(又みっとも無い愚痴かって?ああ、そうだよ、二度と言わないよ!)。
 大体一眼レフでは無いので、バカチョン(固有名詞、ああ、断るのも面倒くさい!)の機能なのだ。手動でシャッター速度も変えられるが、自動的に絞りも変わっちまうので、結果は同じだ。
 ピントもEGが決める。放っといてくれ!と言っても勝手に奴がやる。う、う、せめて確りやってくれよ……(涙)。
 まあ、レンズがいかれて無限遠が出なかった事を思えば、贅沢は言えないのだが。え、無限遠が出ないってえのが、既に話に成らないって?全くです、反省するです!!
 で、どれだけ違いが有るかを、比べて貰おうと、二つ写真を見て貰いましょう。
 勿論、光線具合が違うので、一概には言えないのだが、何となく傾向が分かってくれたら、位のとこなんです。


 
此れはF2の写真。
 あたしは写し込むのが好きで、結果、暗い写真になる事が多いが、あくまで好みで有る。こんな感じに山は見えるので、そう成る様に絞る。



 此れがGEの写真。
 光線が違うのは分かって居る。でも、あたしの見た景色はこうでは無かった。
 と、思い込んで居るだけであってで、本当はこうなのかも知れない。いや、こうなんだろう。何せバカチョンなんだから。光線は全然違うけど、あたしの好みを差っ引けば、こう成るって事なんだ。
 スッパリと諦めがつきました。さあ、煮るなり焼くなり好きにしやがれ。くどいけど、詰まらない写真しか撮れないが、そんなもんです(え、じゃあ今迄と同じだって?そうねえ(涙))。諦めます!!

2012年6月26日火曜日

ハイクへのお誘い その十三




 山頂を辞すと、即下りだ。145m高度を下げる。此れに114m(経ヶ岳と仏果山の高度差。よって、実際はもっと大きい数字になる)のおまけを付けて登り返すのだと思うと、一寸と悲しくなる処では有る。道が整備され、嫌な所にはロープが有るのが救いだ。
 下り切ると半原越だが、林道になっちまって居る。藪の半原越が林道ねえ、回る回るよ時代は回る、あたしなんざあ目が回るよ。
 林道を横切れば登山道だ。一登りさせられてから、細かいアップダウンが始まる。と言っても登り勝ちなので、そうねえ、10下って16登る、位の感じだろうか。十二の冒頭に書いた如く、環境は素晴らしい。少々のアップダウンなぞ気にならないだろう、多分ね。
 四人連れの初老のパーティ、三十代のカップルと擦れ違った。皆さん梅雨の晴れ間を狙ったのだろう。
 土山峠への分岐を過ぎ、暫く行くと「此の先尾根狭し」と看板が有る。大丈夫だ、実態は「今迄よりは尾根狭し」で、危なそうな所には、ロープや梯子が設置されて居る。一ヶ所岩稜っぽい所が有るが、確り鎖が付いて居るので心配後無用。其処は明るく開け、清清しいのだ。



 地図では仏果山直下に危険のマークが有る。確かに、下りに取ったら下り辛いだろうが、大丈夫、此の案内では其処が登りになるので、何と言う事も無い。嫌な下りも登れば何でも無い、とは山のセオリーで有る。
 登りきれば山頂だが、一寸と手前に左へ高取山への道を分ける。確認しておこう。
 展望台完備の山頂には、四人の中高年パーティと二人の男性パーティが昼食中だった。あたしは仏果山には三度登ったが、此の先の高取山は初めてなのだ。緩く標高を落として目の前に其の高取山が見える。
 


 昼飯は高取山だ、と決めて分岐へ戻り、下りだす。例に依ってロープも完備、心配不用な下り道だ。一寸とアップダウンが有って、三十分も歩けば頂上で有る。此処にも立派な展望台が有る。宮ヶ瀬湖の威力は、斯くも絶大なものかと思わされる。
 流石に仏果山よりは寂しい。単独の男性がお茶かコーヒーを沸かして、昼食中で有るのみだった。(続)

2012年6月24日日曜日

ハイクへのお誘い その十二




 最初にお断りして置くが、成るべくマイナーなコースを紹介するつもりだったが、今回はマイナーでは無い。昔はマイナーな山域だったのだが、今は人気の山の様だ。ご容赦!
 地図上で五時間十分の行程なので、一寸と真面目なハイクで有る。一応縦走なので、アップダウンも結構多い。併し一面の緑の中、左に主脈の山々、右に平野を眺め乍ら歩くのは、魅力充分と言える。唯、梅雨の合間に行ったので、肝心の景色は霞んで居る。済みません(ペコリ)。
 行くのは南山で、経ヶ岳、仏果山、高取山の三峰だ。南山ってなあに?と思う方は、仏果山の章を参照して下さい。
 本厚木駅前、一番の停留所で半原行きのバスに乗り、半僧坊前で下車する。地図で見る通り真直ぐ引き返しても良いし、50m戻った勝楽寺の道標に従って右折、国道をくぐって突き当たったら左折、階段を登って国道に上がっても宜しい。信号を待たないで済む。
 どちらにせよ、国道に出たら歩道に下りる。国道は左にカーブするが、歩道は直進し道標が経ヶ岳を示してくれる。沢沿いに行き二つ堰堤を越え、其のうちに尾根に取り付く。
 此処いら迄が蛭の多い所だ。チクリとしたのでズボンを捲くったら、奴が付いて居た。引き剥がしてもう一方のズボンも捲ったら、一匹がせっせと移動中だったので叩き落した。其れからはズボンを捲くった侭で、地下足袋に付く奴を監視し乍ら歩いたが、此れは効果が有った。付いた奴は落とせば良いのだ。地下足袋の方にお薦めです。え、そんなのお前だけだって?まあね。
 一ヶ所林道に飛び出る。其の侭進むと、100m程で左に登山道が有る。折角山の気分になったのに、何だかなあと思って仕舞うが、あたしの好みで世の中が動く訳では無い。




 道も道標も確りして居るので何等問題無く、やや狭い経ヶ岳山頂に着く。地図上一時間半だ。大山から丹沢山・三ツ峰迄が見通せる。空気の澄んだ季節なら、さぞや見事な景色だろう。此れから行く仏果山も樹越しに見える。仏果山迄地図上で二時間十分、此のコースのハイライトで有る。
 やや狭いと言っても、台とベンチが二組も有る。休憩は充分出来ますよ。(続)

2012年6月21日木曜日

休題 その九十



 里山の古道に入ると、良くお地蔵さんが祀って有る。場合に依っては数体並んで居たりする。
 例えば、蓑毛から蓑毛越へ向かうと五、六体のお地蔵さんが並んで居る。処が其の全てが頭を落とされて居て、首無しなのだ。どうせ、悪ガキか其の類の仕業だろう。
 あたしだって、若い頃は散々悪戯をした覚えは有るので、血相を変えて責めたりはしない。唯、お地蔵さん、ん、此れは愛称だった、正式に地蔵菩薩と呼ばして貰う。地蔵菩薩のお役目を知ったら、頭を落とすなぞと言う行為は、決してしなく(出来なく)なるだろう。
 幼い子供が死ぬと、賽の河原で鬼に虐められ、何時迄も石積みをさせられる、と聞いた事が有ると思う。罪は、親孝行もせずに親を悲しませ、泣かせて居る事、及び仏法を実践せずやって来た事。
 一寸と待ってよ。子供は好きで死んだんじゃ無いし、従って仏法を実践して無いなんて言い掛かりだろう、しかも、親と別れて泣く子供に言う事か、此の鬼!
 実は其れが鬼の役目なのだ。従って、「鬼」なのだ。
 唯泣く子供、いや、恐ろしさの余り怯え切って、泣く事も出来ないかも知れない子供の前に地蔵菩薩が現れるのだ。地蔵菩薩は優しく子供を抱き上げてくれる。子供は母の胎内に抱かれた安心感で、スヤスヤ眠る。鬼は、地蔵菩薩が現れたら、手出しはしない。決まり事なんでしょう。
 そして、地蔵菩薩は目覚めた子供に仏法を優しく教え、彼岸へ運んでくれる。
 だから、何処にでも地蔵菩薩が祀られて居るのだ。其の像の前に、子供を亡くした親が額づいて、死んだ子供の事を頼むのだ。昔は、子供の死亡率は今よりずーっと高かったら。
 でも、今の親でも子供を亡くし、地蔵菩薩の故事を知って居れば、同じく地蔵菩薩の像に涙を流して額づく事だろう。
 万が一、お地蔵さんの頭を棒で叩いて飛ばす趣味の人が此れを読んだら、お願いですからもうしないで下さい。死んだ子供と、其の親が、余りに可哀そうですので。

2012年6月19日火曜日

山の報告です その二十九




 意外とあっけ無く鍋割に着いた。前来た時は赤禿げの山頂だった。今回は緑が戻って居た。鍋割山荘の主、草野氏の長年の努力が実ったと言う事だ。草野氏に敬意を表します。
 小雨の為、景色が見えない。ま、予報通りの曇りでも、見えない事には変わり無いのだから、気象庁を恨むのは止めよう。
 寒いし、粘って居ても濡れるだけなので、早々に頂上を辞して下りに掛かった。キリと緑がマッチして、独特の柔らかさを造り出す。其処にツツジが彩りを添える。思わず「君は何て綺麗なんだ!」と口に出しつつカメラを取り出す。濡らさない様に気を付けシャッターを押す。




 でも、その色は出ないのだ。やっとGEとの付き合い方が分かり掛けて来た。微妙な感じは駄目。ドッピンカンなら全くOK。良い天気の時にご使用下さい。あ、緑が一面に日に照り返して居るのも駄目、白くなる。適当な光量をお選び下さいね(涙)。
 一面緑の中を下るのも素敵なものだ。とっとと下ると後沢乗越、一休みしようかと思ったが、ベンチも無いから下りに掛かる。昔はベンチが有った筈なんだが。
 こうなりゃあ、二股迄下ってやろうじゃ無いか。雨も上がりそうだし。それに二股迄行ってりゃあ大蔵が近い。ひょっとするとO屋で一杯やれるぞ。
 で、二股では雨が上がったのは目出度い。大倉以来、何も食べて居なかったので、チョコレートをバリバリやり、水を飲んで(水も初めて)一服後、勇躍大倉へ向けて歩き出す。
 意外と長く感じるのだ、此の林道は。従って休日は二股へ車で入り、鍋割に登ってから、小丸の尾根を下るか、小草平から二股へ下る人が多い。林道をカット出来るもんね。
 やっと分岐、大倉直前の無人販売所で大根とレタスを買う。合わせて百五十円也。あたしもすっかり所帯染みちまったもんだ。でも、大根に葉っぱが付いて居るのが嬉しい。東京のスーパーでは有り無い。
 お目当てのO屋は、シャッターが閉まって居る……。ガックリ。廃業したのだろうか。ズラーっと並んで居た各山小屋名義のボトルはどうしたのだろう。
 最後は悲しい思いをしたけれど、新緑の雨の鍋割でした。

2012年6月17日日曜日

山の報告です その二十八




 これまた山の報告にはとてもじゃ無いけど値しないのだが、八年振り位に鍋割山へ登ったもんで、つい書いて仕舞った。
 写真は堀山からの三ノ塔、天気が今二つなので、はっきりしなくて、失礼!
 塔の隣の、気楽に立ち寄れる凄く気分の良い山なのに、下ってからの林道歩きが面倒で、疎遠になって居たのだ。五月二十五日、よし、行って見るかと家を出て、大倉が九時一寸と前。山のスタートとしては遅めだ、それでもバスには八人程の登山者が居た。
 観音茶屋上の分岐で左の道に入り、大倉高原を通過したが、テントが二張りも有る。と言う事はもっと有ったのだろう。普通はもう撤収して居る時間だから。
 若いカップルがテントの前でのんびり寛いで居る。ガツガツしない山歩き、最高の贅沢で有る。
 あたしは寛いでは居られない、先は長いのだ。せっせと登って、堀山を越えた頃から小雨が来た。前後の皆さんは雨具を着込み始めて居る。あたしはメンドッチイので濡れて行く事にする。「春雨じゃ、濡れてまいろう」
 此の日出合ったのは多分十四パーティ(単独も一パーティとして)、珍しくも半分が若者だった。平日なのに何故?其れは不明だが、若々しい声で挨拶されると、思わず頬が緩む。あ、中高年のパーティを睨みつけるってんじゃ無いですからね、誤解の無き様に。
 頑張って登って来る年配者は立派だと、顔にも書き、態度にも示してますからね。唯、何度でも書くけど、山に若者が来るのが嬉しいのだ。山が華やぐから。
 花立山荘も閉まって居る。平日の小雨なんて、商売にならないのだろう。でも、天気予報では曇りだってえのにさ、何、此の雨は。
 金冷やしの分岐を左に向かって驚いた。木橋と階段の連続だ。何時の間に造ったんだろう。確かに大分崩れて居たから、県が手を入れたのだろう。大丸の登りもご同様だ。
 鍋割山稜には入ってからは、急に人が居なくなる。静かな道で有る。綺麗な道で有る。これで晴れて居れば最高なのだが、小雨は降り続く。其の癖平野部は見通せて、気分が晴れ晴れする様な山稜歩きだ。




 中高年のパーティ二つと擦れ違う。どちらもご夫婦連れと見た。あたしも、幾つになっても妻を連れて山を歩きたいものだ。(続)

2012年6月15日金曜日

長くてきついアプローチ その四




 前後関係に誤りが有った。随分前から花立は丸ハゲになって居た。従って植生保護ではなく、植生再生の為の木橋が正しい。
 聞いた話なので保証の限りでは無いが、塔の頂上にたった一本残って居たブナの木が消え去った。尊仏山荘の主、山岸氏には環境庁よりお呼び出しが掛かり、たっぷり油を絞られたらしい。何、薪にしたのだ、はっはっはっは。ま、仕方無い。あれだけ人が踏めば、丸ハゲにもなっちまう。
 花立より、大丸の方が僅かに高い。従って西方の展望は遮られるが、新緑、黄葉の頃は、其の大丸から鍋割への稜線が美しい。塔は目前だ。臼も檜洞丸も望める。うーん、良い山で有る。
 前述の通り花立からが山だ。今迄は山に入る為のアプローチだと思えば宜しい。うーん、きついアプローチも有ったもんだ。普通アプローチって、もっと短くてもっと楽な印象が有るのだが、そんなに甘く無いのが、大倉尾根なのだ。
 思えば南アルプスの冬山には、前山越えが付き物だ。ランチにコーヒーが付くなら嬉しい。冬山に前山越えが付くのは嬉しく無い。前山越えだけで冬山になっちまうぜ、丸一日は掛かるんだから、全く。其の前山越えを、アプローチと呼ぶのだ。
 其れを思えば、可愛いもんだ、花立迄のアプローチなんてさ。
 花立から金冷やしへ下る時、雪が付いて居ると変に怖かった。皆さんそうで、其処へ来ると恐る恐る下ったり、アイゼンを出して着けたりして居た。最近はこれまた整備が進み、降り易くなったのはご同慶の至り。
 金冷やしから塔へはほぼ前述の通り。違いは、塔直下が確りした木の階段になった事だろうか。植生保護と崩れ防止の為、木橋、階段は増えた。凄く増えた。
 其の分自然らしさが無くなって行くが、此れも仕方の無い事、嫌なら入山禁止にするしか無いだろう。自然を守る為に自然らしさが無くなる。矛盾だが、何、一筋の路だけです。

2012年6月13日水曜日

閑話 その八十三




 写真は姫次から望んだ蛭ヶ岳です。
 主脈の黍殻山は、1272,8mのなかなか目立つ山だ。縦走路は頂上を巻いて居るので、登った事が無い人も多いだろう。ひどい目大会2に有る通り、五十年前には切り株の山だった。今では樹林の山だ。
 実はあたしもピークを踏んだ事は無かった。唯、西へ延びる尾根は気になって居て、登る機会を窺っては居た。其れが間抜けな事から実現した。間抜けも、悪いばかりじゃ無い。
 青野を通るバスは、朝と夕に一本ずつになって、どうし様も無いとは前に書いた。従って車で青野へ入った。主脈に上がって、袖平へ行くつもりだった。
 例に依ってあたしの地図は古い。一番新しい地図を持って行ったのだが、六年前のものだ。山は全く問題無い。麓が変わるのだ。で、マンマと新しい道に引き込まれ、浄水所(勿論地図には無い)に着いた。
 横から尾根へ取り付けそうだ。何、何処から入っても主脈に登れるさ、と気楽に登り始めた。もう、今更断るのも面倒臭い程の好い加減さは、我乍ら呆れる。
 八丁坂ノ頭への尾根のつもりだったが、何時迄も路に出ない。かろうじて踏み跡らしきものは有る。ひょっとするとひょっとするぞ、と唯々登ると無人雨量計に着いた。黍殻山だった。
 思わぬ遠回りをしたので、袖平は止めて姫次を目標とし、八丁坂を登って居ると初老の夫婦を抜いた。開けて気分の良い姫次でおにぎりを食べて居ると、其の夫婦が現れ、旦那は手を広げて言った。
旦那「おー!此処が」
私「そう、姫次です」
旦那「では、ひょっとしてあれが」
私「蛭ヶ岳ですよ」
 オーバな程驚いたのは、突然景色が開けた事と、僅か三分位の所に、東海道遊歩道最高地点の看板とベンチが有って、其処で休んで仕舞った悔しさが有っての事だそうだ。
 夫婦は蛭に向かった。ピストンして下山するのだ。何と気力の有る事よ!あたしなんざ弁当が終れば、さっさと下山するのだ(恥)。
 で、さっさと下山しました。根性無し!林道に降り着いて暫くいって、単独の中年男性を抜いた。さて、あたしは浄水所の車へ戻らねばならない。青根に入ったが、其の道が分からない。車が来たので止め、道を教わる。
 分岐を行き過ぎて居たのでバックして行くと、単独男性が来て、あたしが戻って来るのを見てギョッとして立ち止まった。
私「青根はこっちで良いですよ。私は別へ行くんで」
男性「そうですか」
 彼はにっこりとした。気持は良く分かる。先行者が引き返して来るのは、間違えたにほぼ決まって居るのだから。ドジのお陰で、気になって居た尾根を登れた話でした。

2012年6月11日月曜日

長くてきついアプローチ その三




 今はナーゲルで無くても滑らない。大階段の威力は凄い。どうか嫌わないで下さい。え、嫌って居ない、嫌って居るのはお前だろうって?ああそうだよ、どうせバレ元よ、フン!
 大人気無い発言、お詫び致しますです。
 昔々、妻と其の赤土急斜面を登って居た。夏の夕暮れ前の頃だった。流石に若かった頃の事、此処迄は順調に来たが、妻は赤土急斜面には手古摺って、ガクっとスピードが落ちた。此処さえ越せば、後は難なく今宵の宿、尊仏山荘に着けるのだ。
 そう言って、励ましつつ登ったが、当時は皆さん赤土急斜面に掛かると、嫌でも応でもガクっとスピードが落ちるものだった。だって、凄く登りにくいの。何たって、赤土の急斜面なんだから(くどい?)。
 妻に聞くと、其の時の大倉尾根の記憶は、其の花立への登りしか無い様だ。妻にはアルツのDNAは無いので、一番印象に残った記憶が強烈で、外は霞んだのだろう。其れ程だったのだ、今大階段になって居る場所の困難さは。今はどうなんだって?ふん、昔を思えば、少しは辛いかな、位さ。
 大階段を上り詰めると花立小屋。例の、夏はかき氷、冬はおしるこの小屋だ。皆さん、此処は群がって休む。矢張り、楽になったとは言え、大階段は効くのだろう。私だけでなくてとても嬉しい。
 前の大倉尾根でも触れたが、昔々は花立小屋から階段を数段登れば、花立のピークだと思って居たが、今では一登りしてやっとピークで有る。人とは僅か数十年で、其れ程迄に衰え果てるものかと、我乍ら感心する事しきりなのだ。ま、数十年経てば、化け物じゃない限りは衰えるか。化け物は極少ないのだ。
 花立の山頂は、今は木橋になって居る。植生保護の為だろう。放っておくと丸ハゲの山頂になるって事だ、塔ヶ岳の様に。塔ヶ岳は昔々の案内書だと、ブナの疎林にバイケイ草となって居る。今では想像すら出来ない。
 (長くてきついアプローチ その四へ続く)

2012年6月9日土曜日

クソ面倒な話 その四十七



 「ダンゴムシに心はあるのか」森山徹著、が話題になって居るらしい。確かに、読んで居るうちにダンゴムシが可愛く感じて来るのが、面白い。
 森山氏は、心を脳の一機能、或いは一部分とは捉えて居ない。心とは、「内なるわたし」と定義し、五感では捉えられず、気配で捉える事が出来るのみ、と言う。
 心は、特定の行動を滑らかに発現させるよう、それ以外の余計な行動の発現を抑制、するものとして居る。
 ダンゴムシを思いも依らない状況に置くと、心は抑制を解き、予想外の行動を発現させると言う実験を、多種行って居る。
 たとえば、通路にターンテーブルを設置して、どっちへ行っても行き止まりにして仕舞う。すると、全てのダンゴムシが壁を登って外に出た。普通ダンゴムシは高い所には登らない。捕食者に容易に発見されるからと、湿度を必要とするダンゴムシに取って、高い所は乾燥した場所で、命にさえ関わるのだ。
 身動きのできない行き止まりという未知の状況が、最後の手段の壁登り行動を自発的に発現させた、と著者は結論付けて居る。
 「貴方の研究は不必要だ」「やってはいけない研究だ」なぞと言われた事も多いらしい。あたしは森山氏を支持する。研究とは、今役立つもののみでは無い。役に立とうが立つまいが、基礎的実験を繰り返し、物事の本質を解明して行く。其れこそが研究員で有る!
 それにダンゴムシを通して心の研究、何かゆったりとして、素敵では無いか。役に立たないと非難する人は、自分が其の分を補って役立つ物を造ってやろう、位の気持が欲しいと、あたしは思う方だ。
 と言っても、あたしと森山氏とは心の定義に於いて少々異なる。
 あたしは、心とは魂の発露だと思って居る。従って、森山氏と同じくダンゴムシにも、或いは石にも心が有っても良いが、元は魂なので有る。一寸の虫にも五分の魂、と言うあれで有る。森羅万象、あらゆるものに魂が有る、と思って居る。
 多分、森山氏も似た感覚では、と勝手に思って居るのです。

2012年6月6日水曜日

長くてきついアプローチ その二




 其の吉沢平だが、今は地図に記載も無いし、私の怪しげな記憶のみで書いて居るので、間違って居たら御免なさい。堀山を越え、一登りして天神尾根を右に分けた直後に飛び出る、小広い平地で有る。下手すると、私だけが使って居る地名なの?
 調べてから書けって?ふん、嫌だね、メンドッチイから。
 冬から春先は霜解けで、何時でも粘土を捏ねくった様な騒ぎなのだ。しかも肌理細かい上質の土だから、うっかり転べば泥んこ塗れで、もう落とせない、お気の毒で有る、はっはっはっは。(失礼!)
 最近は少しずつ手入れが進んで居る。やがて泥んことお別れ出来るかも知れない。一寸と寂しい。(年寄りの意味不明な感傷です)
 此処から登らされ、やがて到達するハイライトが、今なら花立の大階段、昔なら同じ場所の赤土の急斜面だ。大階段は良い。ヒーヒー言っても登れば着く。赤土の急斜面はそうは行かない。油断すればずり落ちる。雨でも降ったら尚滑るので、厄介極まりない話だった。
 私の最初に買った革靴はナーゲル(鋲靴)だったとは、大分前の閑話に書いた。高校生の頃だ。凄く生意気な選択で有ったとは、分かっては居た。ガキが、最早消え行くナーゲルを、敢えて購入する事が変で有る。店員の態度にも、其れがはっきり表れて居た。
 其れは良い。こちとら確信犯の、生意気高校生なのだからさ。店員の疑う様な目付きを跳ね返してナーゲルを買って、履き始めが雨の大蔵尾根ピストンだったのだ。嬉しい、とても嬉しい。
 でも、流石にナーゲル、赤土をガッチリと噛んで滑りもしなかったのには感心した。下りでも全く滑らなかった。やけに重くて、且つ保守に無闇と手間が掛かるだけの事は、確かに有る靴だった。
 (長くてきついアプローチ その三へ続く)

2012年6月3日日曜日

休題 その八十九



 曽野綾子氏の受け売り、失礼!同様の事は前述なので、これまた失礼!
楽天と何処かの会社が、社内の言語は英語に定めた。詰まり、社内では英語しか話せない。
 其れこそ国際人を養成する方法だと思った貴方、賭けても良いが、貴方は国際人では無い!成りたくって成り切れない、其れが悩みの種じゃん♪
 英語を話せば国際人?????
 今の処は、商売上の事。明日は多分ヒンディー語。では、明日は、ヒンディー語を使えれば国際人??
 必要に迫られれば、パンパンだって、あっと言う間にイングリッシュを話す。片言だが全く問題無い。え、酷い例だって?どこがだよ、経済ってそう言うもんだろが!
 詰まり、楽天やどっかの会社は、パンパン社員を造るだけって事さ。
 あ、パンパンって意味不明?大分前に同趣旨の文中で説明したが、終戦後のアメリカ兵相手の売春婦。今流行の言い方をすれば、慰安婦って事。
 言うだけ野暮なのは分かって居るけど、分かって無い人間が多過ぎるので、声を大にして言うけど、戦時中の慰安婦強制連行は無かった!!調べは完全について居る!!
 話が逸れました。え、凄く差別的用語を多用してるって?ふん、知らないね。
 幕末の侍達は尊敬された。英語を話せたから?勿論違う。確りとした自国の文化を持って居たからだ。
 国際人とは言葉を話せる人間を指す言葉では無い。自国の文化に確りと根を下ろし、他国の文化をも理解出来る、そう言う人を指す。
 社内で英語を話すより、正確な日本語と日本の文化を身に付けた方が、余程国際人への早道だ。尤も、目的が商売だけなら其れも有りだろうが、決して大いなる成功を収める事は無いだろう。
 自国を知らず、誇りも持てない人間は、結局尊敬も信頼もされないものなのです。

2012年6月1日金曜日

長くてきついアプローチ その一



 極めて最初の頃に大倉尾根、別称馬鹿尾根について書た。たかだか登り三時間、下り二時間、比高千二百一mの変哲も無い尾根で有る。詰まらない、此れでお別れしたい、とも書いた。
 しかし、地政学上(オーバーな!)どうしても重要な位置に在るので、誰でも登降せざるを得ない。従って、突き放して、はい終わりはあんまりだと思ったから、再度(嫌だけど)取り上げましょう。
 前にも書いたのを、良く覚えて居たなだって?多少はね、ういー、俺を誰だと思ってんだ? え、酔っ払いか? はいです……。
 何処に行くにも(殆どは)、馬鹿尾根を登るか下るかしなくちゃなんねえ。其れを無視する訳にはいかねえ、ういー。
 馬鹿は置いといて、大倉尾根は、塔ヶ岳への最短ルートなので、表尾根、鍋割り、三ッ峰、主脈、主稜、其の外の、入り口且つ出口なのは、皆さんご存知の通り。
 大倉尾根は当然大倉から始まるのだが、私の場合には、窯元から始まる感が有る。左手に登り窯が有る、あそこで有る。で、窯元から観音茶屋にすっと着けば快調、未だかなと思う日は不調だ。其の日のバロメータとなって居る。
 暫くで道は二分するが、多くの皆さんは右へ行く。左へ行くと、思いの外里山らしい良いコースだとは、何かで書いた。大倉高原山の家へ着けば、三叉路はじきだ。
 見晴らし茶屋で聞いた。
「カップルが登って来てね、小屋の裏の登りを見たら、其の侭降りて行っちゃったよ」
私「ははははは」
 無理も無い。裏から始まる登りを見れば、ウンザリするのは当然だ。私もウンザリする。
 写真は、其のウンザリする登りなのだが、下から撮って居るので、全く傾斜が分からない。平らに見えるが実際は三十度の登りなのだ。腕が悪いのでご容赦。
 でも、本当にウンザリするのは、吉沢平からの登りなのは、今も昔も変わらない。
 (長くてきついアプローチ その二へ続く)