2012年6月21日木曜日

休題 その九十



 里山の古道に入ると、良くお地蔵さんが祀って有る。場合に依っては数体並んで居たりする。
 例えば、蓑毛から蓑毛越へ向かうと五、六体のお地蔵さんが並んで居る。処が其の全てが頭を落とされて居て、首無しなのだ。どうせ、悪ガキか其の類の仕業だろう。
 あたしだって、若い頃は散々悪戯をした覚えは有るので、血相を変えて責めたりはしない。唯、お地蔵さん、ん、此れは愛称だった、正式に地蔵菩薩と呼ばして貰う。地蔵菩薩のお役目を知ったら、頭を落とすなぞと言う行為は、決してしなく(出来なく)なるだろう。
 幼い子供が死ぬと、賽の河原で鬼に虐められ、何時迄も石積みをさせられる、と聞いた事が有ると思う。罪は、親孝行もせずに親を悲しませ、泣かせて居る事、及び仏法を実践せずやって来た事。
 一寸と待ってよ。子供は好きで死んだんじゃ無いし、従って仏法を実践して無いなんて言い掛かりだろう、しかも、親と別れて泣く子供に言う事か、此の鬼!
 実は其れが鬼の役目なのだ。従って、「鬼」なのだ。
 唯泣く子供、いや、恐ろしさの余り怯え切って、泣く事も出来ないかも知れない子供の前に地蔵菩薩が現れるのだ。地蔵菩薩は優しく子供を抱き上げてくれる。子供は母の胎内に抱かれた安心感で、スヤスヤ眠る。鬼は、地蔵菩薩が現れたら、手出しはしない。決まり事なんでしょう。
 そして、地蔵菩薩は目覚めた子供に仏法を優しく教え、彼岸へ運んでくれる。
 だから、何処にでも地蔵菩薩が祀られて居るのだ。其の像の前に、子供を亡くした親が額づいて、死んだ子供の事を頼むのだ。昔は、子供の死亡率は今よりずーっと高かったら。
 でも、今の親でも子供を亡くし、地蔵菩薩の故事を知って居れば、同じく地蔵菩薩の像に涙を流して額づく事だろう。
 万が一、お地蔵さんの頭を棒で叩いて飛ばす趣味の人が此れを読んだら、お願いですからもうしないで下さい。死んだ子供と、其の親が、余りに可哀そうですので。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

地蔵菩薩の由来は知ってます。石で作った、お地蔵さんは良い石(例えば花崗岩とか安山岩)ならば100年以上、持ちますが形にするのには難しいから柔らかい石で彫るのでしょうね。
それでも50年や80年は雨ざらしで耐えるでしょう。
足柄山にヒイヒイ言いながら登ったら、お地蔵さんが沢山居る上、赤い服を着て屋根まで付いてました。
登る途中に自然に湧き出る旨い水もあるし、今では車でいけますが矢張り汗をかきかき登る途中の水の味が忘れられません。あの水に旨い焼酎を割れば天国ですね。

   悪戯っ子拝

kenzaburou さんのコメント...

足柄山を下る時、其のお地蔵さんに会って居る筈ですが、覚えて居ません。下で一杯やりたくて急いで居たので(恥)。
従って、其の清水も知らないのです(又恥)。