2012年6月9日土曜日

クソ面倒な話 その四十七



 「ダンゴムシに心はあるのか」森山徹著、が話題になって居るらしい。確かに、読んで居るうちにダンゴムシが可愛く感じて来るのが、面白い。
 森山氏は、心を脳の一機能、或いは一部分とは捉えて居ない。心とは、「内なるわたし」と定義し、五感では捉えられず、気配で捉える事が出来るのみ、と言う。
 心は、特定の行動を滑らかに発現させるよう、それ以外の余計な行動の発現を抑制、するものとして居る。
 ダンゴムシを思いも依らない状況に置くと、心は抑制を解き、予想外の行動を発現させると言う実験を、多種行って居る。
 たとえば、通路にターンテーブルを設置して、どっちへ行っても行き止まりにして仕舞う。すると、全てのダンゴムシが壁を登って外に出た。普通ダンゴムシは高い所には登らない。捕食者に容易に発見されるからと、湿度を必要とするダンゴムシに取って、高い所は乾燥した場所で、命にさえ関わるのだ。
 身動きのできない行き止まりという未知の状況が、最後の手段の壁登り行動を自発的に発現させた、と著者は結論付けて居る。
 「貴方の研究は不必要だ」「やってはいけない研究だ」なぞと言われた事も多いらしい。あたしは森山氏を支持する。研究とは、今役立つもののみでは無い。役に立とうが立つまいが、基礎的実験を繰り返し、物事の本質を解明して行く。其れこそが研究員で有る!
 それにダンゴムシを通して心の研究、何かゆったりとして、素敵では無いか。役に立たないと非難する人は、自分が其の分を補って役立つ物を造ってやろう、位の気持が欲しいと、あたしは思う方だ。
 と言っても、あたしと森山氏とは心の定義に於いて少々異なる。
 あたしは、心とは魂の発露だと思って居る。従って、森山氏と同じくダンゴムシにも、或いは石にも心が有っても良いが、元は魂なので有る。一寸の虫にも五分の魂、と言うあれで有る。森羅万象、あらゆるものに魂が有る、と思って居る。
 多分、森山氏も似た感覚では、と勝手に思って居るのです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「心とは魂の発露」とは素晴らしい。ソウルだな!!! ロックンロールでもありますね!!! 完全にラスターマンですね。
犬は笑い顔をします。馬は鼻を押し付けたり肩を軽くかんだりして人への愛情を表現しますね。でも馬には表情が無いのです。猫もそう。猿は表情が豊かですよね。
悪戯っ子は何故か獣と子供には好かれるのです。何故か野郎は喧嘩を売ってくるのですがね。
中学のときに大きな水槽があり先生に蛇を飼っても良いかと聞いたらOKなので蛇もたくさん飼ってました。でもまさか土を入れて冬眠させるとは思っても居なかったでしょうね。シマヘビに一度かまれました。わずかに毒があるので、その場で切開して血は飲んじゃいました。胃袋には害が無いことが判りましたね。
凶暴な猿を抱きかかえて遊んだこともあります。中仙道のレストランで鎖につながれて退屈そうなので構ってたら嬉しそうにしてたらレストランのマスターが、だ、だ、だ、大丈夫ですか? 
とか。
熊は100m先でチョコマンとたってましたが手を振ってお出でよとしたら帰って行っちゃいました。仲良くしたかったのにね。

虫に心か。考えた事もありませんでしたが、じゃあバクテリアやミトコンドリアにも在るのかな? 石にあるならウイルスにだってありますよね。
話が飛びますが超弦理論は全ての物(光や重力も含めて)は振動だという。最初の提言者は日系米人です。その弦だか紐だかにも心はあるのかな?
退屈なときは単振動、嬉しいときは四拍子、恋をしたらワルツで怒り心頭のときに16ビートとか・・・
あー世界には判らないことばかりですね。

kenzaburou さんのコメント...

芝居でも映画でも、或る人物を表す時、子供や動物に好かれる人物は(見かけや行動に無関係に)良い人物だ、と言うセオリーが有ります。
従って悪戯っ子さんは、どんなに野郎に嫌われても、根が良い人なのです。

>バクテリアやミトコンドリアにも在るのかな? 石にあるならウイルスにだってありますよね。

流石に鋭いご指摘。
無根拠ですが、石や山には有っても、バクテリアやミトコンドリアやウイルスには無いと思います。
それらは霊的には存在し得ないからです。あれ、あたしは変な事言ったかな?
巧く聞いて下さいね。