2010年6月27日日曜日

又もや好事家は行く その三

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 普段は植林を、やれ死の世界だの土を再生産しないだの美しく無いだの山が崩れるだの生き物が住めないだのと罵って居るが、此の時ばかりは植林様々なのは、我乍ら勝手な奴で有る。(私自身としては許容して居る。え、其れが勝手だって?)
 嗅ぎ回って取っ付いた様な斜面を、何の因果か下る事になっちまう事も有る。そうなりゃあビクビクと下る。内緒だが、必死だ。特にSやNには知られたく無い。あ、Iにもだ。ま、絶海の孤島で心配するのが変なんだけど。
 登りは下を見ないで済むが、下りは下を見ないと下れない。するととても怖い。足元は滅茶苦茶悪い上に、手掛かりもろくに無いのだから、臆病者の私は血相を変えて下る。へっへっへ、恥ずかしいですなあ。
 此処で又植林帯の出番だ。植林へ飛び込めば危険は無い。おまけに植林道で下りられる事が保証されるのだ、万歳!泣く程嬉しい。
 で、私のセオリーに従って植林を降りた。Yと一緒に、冬だった。うーん、可哀そうなYよ。何でそんな時に一緒に居たんだ?
 薄っすらと雪を置いた土はガチガチに凍って、靴が引っ掛かからず、コロコロ滑るだけなのだ。スケートリンクを思いっきり傾けたに近い。更に良い事には軽アイゼンも持って行かなかったので、頼るは靴のみだが頼れない。其の上傾斜は相当大きい。やったね、やけに嬉しい状況じゃんかさあ!
 思い出せば、行く前にYは私に聞いた。
Y「アイゼンは必要かな?」
私「いらないよ」
 こうなりゃYも単なる被害者とは思えない。もうとっくに分かって居る筈だ。私がどんなに好い加減な奴かを、だ。自分の身は自分で守るのが基本なのだよ。
 凄く傾けたスケートリングの時に戻る。我々は木に掴まって次の木を決め、其の木へ落ちる様に行って抱き着く。其れを繰り返して下ったが、冬には軽アイゼン、と思い知ったお馬鹿な私。何度思い知れば良いのだろう。
 下れず困る時は、本当に困る。春の清水峠から謙信尾根を下った。二昔前だ。川原を見下ろす所に着いたが、降り口が不明なのだ。何せ雪道の事、ちゃんとルートを辿って来れた訳では無いので、多分違う地点に立ったのだろう。現に降りられないし。
 ウロウロ下降点を探すが、無い。10m程のギャップが、行く手を阻む。どんなに探しても他には無い。覚悟を決めた。此処を降りるしか無い。こうなりゃ、此処を降りてやろうじゃないか。
 70度位の土の斜面だったが、垂直に見える。臆病者の私だからだとは言い切れない。貴方が見ても垂直に見える筈だ。70度とはそう言う傾斜なのだ。救いは真ん中近くに立ち木が有る事だ。取りあえずあそこ迄行こう、行くしか無い!
 どうにか滑りつつ立ち木には抱き着いた。やったー。でも、後は何も無い。土の垂直に見える崖。
 (又もや好事家は行く その四へ続く)

2010年6月26日土曜日

柄でも無い事 その二十

17_p[1]  音楽部に居た事は、出会いの章と他でも書いた。我乍ら、気は確かか?と思う。
 音楽部と言い乍ら、実態はコーラス部だった。あたしがうっかり入部した頃は、此れで良いのか、うちは音楽部で有ってコーラス部では無いのだ、と先輩達は議論をして居た。
 一生懸命、音楽鑑賞の会を催おしたり、試行錯誤を繰り返した挙句、音楽部と言う名前のコーラス部になった。
 Sと一緒に歌った事は前述。Sが去った(Sは本来体操部で、応援に来たのだ)後に残った一年生の男は三人だった。
 二年生の男は一人、三年生の男は二人、都合六人で三十人以上の女声を支えなければならない。至難の技だ。従って怒鳴る様に歌うだけのあたしになっちまった訳で、仕方無いですなあ。違うって?ああそうだよ、あたしにセンスが無いのでした!!
 分かり切った事は置いとこう。
 処でコーラスって映画は単館係だが、わざわざ銀座へ行かせなくとも、メジャーな館で上映すべき映画だとあたしは思うのだが、バイヤーに眼が無いのか配給会社に眼が無いのか(配給会社だろう)、残念な事だ。
 妻と見に行ったが、久方振りにヨーロッパ映画の香りに接して、ハリウッドとは違うなあと喜んだ次第。
 あたしの、うんと若い頃は、ハリウッドよりヨーロッパの方が勢いが有った。代表的スターと言えば、アラン・ドロン。今、ヨーロッパの役者でメジャーなのは、思い浮かぶのはジョン・レノ位で、済みません、分からなくて……。此れは単にあたしの無知なのだが、アンケートを採っても、同じなのでは?
 ほら、話があっちへ行った。コーラス部へ戻そう。柄でも無いんだから。
 都の音楽祭に参加した。トーナメントに勝ち抜いて参加って訳では無い様で、どうでも良いと思っている好い加減なあたしだから、年毎に順番にとか先輩が説明してた覚えが、微かに有る。今で言う談合ですなあ。高校生が談合してたんだ、はっはっは、偉い!!
 で、音楽祭のフィナーレは、夫々(それぞれ)十の高校のブラバンとコーラス合同のフィンランデアだ。ご存知スメタナの名曲、此れについては酔って居ない時に書きましょう。
 コーラスの出番はサビの部分のみ。事前練習はバッチリ、あたしゃあベースなので、其処んとこだけは覚えて居た。
 始まった。流石に十校のブラバンの音量は凄い、圧倒的で有る。来た、サビのコーラス。ブラバンに負けじと叫ぶ。やがてブラバンも加わっての合奏となる。
 やって見ない人に伝えるのは、絶対無理な醍醐味でした。ド下手なあたしでさえそう思ったんだから、おそらく確かでしょう。
第9を歌う皆さんに取っては、当たり前の事だろうけど。踊る阿呆に観る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々、の世界でした。

2010年6月23日水曜日

又もや好事家は行く その二

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 笹やすず竹を掴んで足掻きつつ歩を(手を)進めるのだが、意外と苦労で、大変だ。わたしは振り返り、嬉しそううに言うのが常だ。
私「そーら、始まったぞ」
Y「……」
 おいおいYよ、洒落た文句の一つも返してくれよ。何時でも投げかけられる決まり文句なんだからさあ。返事が返って来た事が無いぞ。え、其れ処じゃ無いって?ご尤も!
 第一岩が当てにならない。力を掛けるとボロボロ崩れる。見た目は一応岩なんだが、実は岩のふりをした砂の集まりなんだろう。
 立ち木も枯れて居る事が多い。頼りは笹かすず竹で、数本を纏めれば立派な手掛かりになる。一本では駄目だ。何本も纏めて掴む(其れも確りと)のだ。
長い時は小一時間も、そんなとこで悪戦奮闘する訳なので、如何にも詰まらない斜面で死に物狂いとは、変な奴と言われても返す言葉は無い。無言で頷き、貴方を連れて登りたい。多分、私はひっぱだかれるでしょうな。
 変に筋肉に負担が掛かり続くので、つりそうになったりする。
Y「あ!」
私「どうした」
Y「腿がピクっとした」
私「休むか」
 と言っても急斜面に張り付いて居るのだから、ザックを下ろしてゆっくりと休憩を取る環境とは思えない。一息入れて、尾根迄は頑張るしか無いのだ。或いは、力尽きて滑り落ちるかだ。
 滑り落ちるのは良い。登り返すのは楽では無いが、登り返せば良い。下手に滑り落ちると真直ぐ落ちそうなので、そうなったらもう蹲ってるしか無い。ひょっとすると骨折してる?
 焼き物の蹲る(うずくまる)は良い。伊賀の売りは忍者だけでは無いのですなあ。でも、山中の蹲るは嬉しく無い。全力を振り絞って尾根迄は行くのだ、其れ以外には始めた限りは、生きる道は無い!(勿論オーバーです)
 尾根に立ってしまえばこっちのもんで、藪が煩いだけだ。丹沢では勿論石楠花漕ぎじゃ無いし、密生した篠竹で無ければガサガサ行けるのだ。密生した篠竹だったらどうするって?泣け!
 何度そんな斜面を登った事だろう。数えるのも面倒だ。そそり立つ岸壁に挑むのでは無い。凍りの大滝を登るのでも無い。土と崩れる岩の急斜面を登るのだ。バーカ、と私なら言うだろう。
 頗る付きの物好きで有る。かつ、辛く危ない。蓼食う虫も好き好き(変換出来た!)って事ですなあ。
 従って余分な危険と苦労を避ける為、取り付きは極力植林帯を利用する。
 (又や好事家は行く その三へ続く)

2010年6月20日日曜日

クソ面倒な話 その十九

0301  高等生物が存在する確率を計算する式は有る。併し尤もらしく見えるが、前章であたしがゴチャゴチャ書いた内容とそう大して差が無いので、無視する(え、偉そうにって?だって、本当にそうなんだよ!)。
 フェルミパラドックスは有名だが、正確な回答は模索中なのだ。
 曰く、ETIは内気なので、コンタクトを取ろうととはしない。有り得なくも無い。
 曰く、コンタクトを取ろうとして居るが、未だ其の信号が届いて居ない。(10億光年離れて居れば、10億年前の信号が今届くから、タイミングが合うかどうかだ)此れは、説得力が有るとあたしには思える。
 曰く、過去にETIはやって来て、今は訪れては居ない。ま、巨大画や遺跡を指して居るのだが、其のETIの文明が滅びたので無ければ、何らかの兆候は現代でも捕えられるのでは?ETIが地球に来れたんだから。
 曰く、ETIは存在しない。此れは明快だが、フェルミパラドックスに反する。ETIは絶対に居るが、何処に居るんだい?と言うパラドックスなんだから。
 曰く、コミュニケーションの手段が異なる為、人類は理解出来ない。無いでは無いだろうけど、矢張り無いなあ。相手に何か伝えたければ、伝わる方法は考えるだろう、普通は。映画のコンタクトでは、素数を信号で送って来たが、良い発想で有る。
 あと山ほど有るけど、代表的なのはこんなとこだろう。
 で、大きなアンテナを空に向け、ETIからの電波をキャッチしようとして居るが、今の処は成果はゼロなのだ。ひょっとして、人類最期の日迄、成果はゼロかも知れない。
 地球を考えよう。強力な電波を発する様になってから、何年経ったのだろう。沈む夕日を幾つ数えただろう、乾杯!!!
 済みません、悪い癖です。
たかだか五十年一寸とだ。地球からのメッセージを受け取って居る他文明は、今は無いと考えるのが妥当だろう。従って、逆も有り得る訳だ。
 通信は良い。大して費用を要さない。でも、訪問するのは全く話が違う。火星に人を送る計画が進行中だが、兆に近い金額が必要だろうから、実現するかどうかは分からない。
 増してや、外の恒星から地球に来るとしたら、全ての国の予算を合わせても足らないのでは?何のメリットが有るのだろう?
 あたしはETIの存在は疑って無いが、UFOがETIの乗り物で有る事は否定せざるを得ない。
 大体、凄い金を掛けて、命懸けのなっがーい旅をして、訳の分からんおっさんを拉致して、色々実験をして去って行くなんて、ナンセンスの一言だ。
 ETIは居るがETIが乗り込むUFOは無い、があたしの結論。UFOについては、分かりません。

2010年6月19日土曜日

又もや好事家は行く その一

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 夜道はなかなか良いもので、私は割りと好きだ。雨で無い限り、休憩の時に町の明かりを楽しめる。月が明るければ、ライトもいらない。
 多く通ったのは、蓑毛から札掛へのコースだが、此れは林道なので何の問題も無い。淡々と夜道を行くのが、何とも楽しい。
 大倉尾根もよく登った。此れまた確りしたコースなので、同じく何の問題も無い。やがて尊仏山荘の灯りが見えて来る喜びは、寒ければ寒い程大きいのだ。熱いお茶が待って居るんだもんねー、ルンルン。
 寒くなくとも喜びは大きいので、夜道を登って居て、ポツンと小屋の灯が見えたら、誰でも嬉しいのだ。でも、其れからが長いんですよねー。登っても登っても着かないの。何せ真っ暗な中だから、遠くの灯(大昔はランプの灯)が近くに感じるのだ。
 昔々々々、尊仏山荘は夜中に登って来る客で、一晩中ざわめいて居たものだ。今なら、こんな時間に何だ、と叱られるかも知れない。時代ですなあ。
 夜道の話を始めた癖に、他には麓の小屋へ向かった数回の経験しか無い。そうか、夜道は札掛と塔が主だったんだ。従って話は変わります。
 え、好い加減だって?もう分かっても良い頃でしょう、私は立派に好い加減なの!其れも半端じゃ無く、とことん好い加減な奴なのだ、えっへん!
 既述の通り、尾根に取り付く時は、彼方此方見て周り、此処いらでよかんべえ、と思われる箇所を探す。其の行為を、「藪を嗅ぐ」と私は言って居る。大変文学的で有る(違うって?違わないもんねー)。
 物好きの章の続きになってしまうが、其の結果Yが常に被害者なのは、お気の毒乍らも運命、或いは定め。はっはっは、偉く酷い運命定めだなあ♪
 私が藪を嗅ぎまわって居るのを。Yは暗澹たる思いで見て居る(多分、いや絶対!)。出来たら私の気が変わって、ちゃんとした普通のルートを取ろう、と言い出す様に祈って居るのかも知れない。其の哀れな祈りが天に通じた事は、今の今迄唯の一度も無い、はっはっはっは。
 相変わらず酷い男で有る。人の不幸を笑い飛ばして居る。何て奴と思われるだろうけど、其れで良いのだ。其の訳は、前の物好きの章の通りなのです。分からない方は、前の物好きの章を参照して下さい。
私「此処だな」
Y「……」
私「行くぞ」
 大概岩交じりの土の斜面で、疎らに立ち木と笹、或いはすず竹が生えて居る場所だ。如何にも登れそうに見える。いざ取り付くと、簡単には登れない。

(又もや好事家は行く その二へ続く)

2010年6月16日水曜日

クソ面倒な話 その十八

02

 

 ETI(ET+インテリジェンス)の存在はほぼ疑い無いと、あたしは思って居る。存在しない、と考える方が無理が有る。
 我々の属する銀河系には幾つ星が有るの?分からない、が正解なのだ。驚いたでしょう、
 一番身近な小宇宙なのに。星間雲に隠れて、直接観測不能な部分が無闇と多い所為の様だ。
 で、千四百億から一兆(!)迄の説が有る訳なので、大方はザックリと2千億から4千億として居る。
 間を取って三千億と、便宜上しよう。例に依ってイージーな発想では有る。恒星の五つに一つは惑星系を持つだろうと思われて居る。あたしじゃなくて、専門家の間でなんで、多分そうなんだろう。一寸と山勘臭いけど(え、お前と違うって?まあね)。
 銀河系だけでも惑星系は6千万存在する訳だ。全部が生命発生の条件を持って居るのでは無いのは、言う迄も無い。どの位の確率で生命を育める惑星系が有るのだろう?
 此れも分からない。と言うより分かり様も(現在は)無い。でも、1%は固いと言われて居る(ま、山勘でしょうな)。
 六十万個の、生命を持つ惑星が有るって事です。其れだけ有れば、一つや二つは高等生物に進んだ星も有るのではないかなあ。え、根拠は何だって?山勘だよ!
 一つじゃ拙い、地球だけになっちまう。え―いこうなりゃあ、一つと決めよう、持ってけ泥棒!銀河系に一つの高等生物。誰も反論出来ない、人類がそうだから。
 其れを広げて見る。銀河系が様な小宇宙は幾つ有るのだろう?これまた分からない。何だよ、結局分かんないのオンパレードじゃないかよ!
 ま、そうなんだけど、分かる筈無いとあたしは理解する。相手が半端じゃ無くでか過ぎるから。宇宙以上大きいものは無いのだ。
 強引に話を持って行く。観測系の天文学者はせっせと小宇宙の数も数えて居る。ご苦労な話だ。大体だが、小宇宙は八百億から八千億存在すると、推定されて居る。何故推定なんだって?説明しよう(ウキウキ)。
 宇宙全天の写真を撮って引き伸ばし、小宇宙を数えよう。仮に八千億として、一秒に一つ数えられれば、飲まず喰わず寝もしないで(トイレにも行かず)二万六千年掛かるのだ。はっはっはっは。
 一人だからだって?良いだろう、一万人で掛かろう。やったー、二年半強で終った!でも、前提は数えるだけしかしないのだから、実際は三倍の七年半は必要だろう。
 全く意味無い。一部を掴んでの上で、推測で充分なのだ。
 小さい数字を取ろう(我乍らフェアーだ)。八百億の小宇宙に夫々一つの高等生物の住む惑星が有る訳だから(前提がそうなんで)、八百億種の高等生物が存在する、となったところで、面倒にも続きます。

2010年6月13日日曜日

閑話 その五十

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 朋友達と毎年旅行に行く事は、前に書いた。確か蕎麦絡みの話だった。今回は山絡みの話なので閑話だが、山嫌いのAN夫婦が居るお陰で殆どネタが無い。どうしてくれんだよ!
 晩秋の那須温泉に行った。勿論、紅葉を愛で乍らだ。ゆっくり湯に浸かり、たらふく喰って翌日、茶臼岳のロープウエイに乗り込み、上の駅に降り立った。
 此処迄登れば山頂は一時間も掛からない。ほんの直ぐ其処だ。其の上天気は良いのだ。あたしは「行こうよ、行こうよ」と皆を口説いた。当然ですよねえ、近いし天気が良いんだから。
 渋って居たAN夫婦も(多分)仕方無く同意して、駅を出た。思いの外に風が強い。とは言っても、八ヶ岳と那須の山は風が名物、当たり前の事だ。現に観光客達も(含、我々)ゾロゾロと登って行く。
 十分間も登ると、地形の変化の所為か、風は唸りを立てる強さとなった。其れで普通なのだ、那須の山はさ。同時に足元は霜柱と薄っすらと雪の道となった。其れで普通なのだ、晩秋の那須の山はさ。
 とたんに踵(きびす)を返してAN夫婦が逃げた。其れは良い、想定内だった。悲しいのは、駅へ逃げるAN夫婦の後を追ってEMも戦線離脱した事だ。頑張ると思って居たのに。今頑張らずに、何時頑張るのだ。
 其れから暫くでKJも、情無くも脱走した。無理は無いかも知れない。足元は霜柱と雪で良く無く、風はよろける程にはなって居て、外の観光客達も皆引き返して行くのだから。其の上、靴は普通のスニーカーか革靴だ。滑るわ寒いわかなわんわ、で有る。
 でも、田舎育ちのKJがそんな根性無しでどうすんだよ!外の五人は都会生まれの都会育ちなんだぞ。AN婦人のNBなんざ浅草っ子だぞ。ま、だから気は荒いけど。
 こうなりゃあ最後の頼りは、男気が売りのYNだけだ。喧嘩と根性、体力勝負のYN、よ、男の中の男!頂上に共に立とう!!
 風は一足ごとに強まりYNのコートは、バタバタとはためく。突然「ご免!」との声を残し、YNが逃げた。そして、誰も居なくなった。アガサ・クリスティの世界ですなあ。
 一人で頂上を踏んだ。二パーティの登山者が休んで居た。白銀の山々が迎えてくれる。
 そうか、矢張り晩秋の那須の山は、登山者の領域だったんだ。短靴でコート姿の朋友達が逃げるのは、極めて当然の行為だったんだ。あたしも同じ姿だが、経験が違うから。
 震え乍ら、神々しい迄の景色を楽しみ、雪と霜柱を蹴立てて駅へ走り下った。駅では朋友達が待って居た。
私「来れば良かったのに、綺麗だったよ!!」
 一同はどっと笑った。
NB「(笑い乍ら)そう言うに決まってるって、話して居た処なのよ」
 良い友人は、宝物だと思います。

2010年6月12日土曜日

閑話番外 その二十九

 

 雨とアキレス腱で、アキレス腱が腫れて痛んだと書いたが、ネットで調べたらアキレス腱炎らしい。ふくらはぎの筋肉を酷使すると起きる様だ。
 確かに、初日は世附峠より入って三国山へ登り、篭坂峠手前迄ピストンし、山伏峠へ降りたのだから、相当急いだのだろう。
 地図を見直したら十一時間超コースだ。それを七時間一寸とで歩いたのだから、背中の30Kgのキスリングを考えれば、走って居るも同然だっただろう。
 アキレス腱炎は痛い。痛さでバランスも崩れて、余分な体力消耗もおまけに付くのだ。とても楽しい障害で有りました(涙)。

2010年6月10日木曜日

休題 その四十一

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 アリス・イン・ワンダーランドは、ジョニー・デップが引き上げて居ましたなあ。
 作品自体はそこそこのもん(フアンの方、失礼!)だと感じるけど、ジョニー・デップが居なけりゃあ、魅力は半減するのでは?
 3Dにする必要を余り感じないのは、あたしの感性の鈍さだろう。唯、ラストの蝶々の場面は、効いて居ました。良いラストだった。
 ん、其のシーンの為に3Dにしたのかな?若しそうなら、其れも有りだ。
 ティム・バートンはジョニー・デップに変な扮装の役を振る偏執狂では、と疑って仕舞う。同意する人も、何人かは居る筈だ。
 でも、其の変な扮装がぴったり嵌って、しかも哀愁が滲み出るのは、ジョニー・デップは只者では無い(判り切った事、失礼!)。あたしが演じりゃあ、赤の女王と同じく道化になっちまう。ティム・バートンは、絶対にあたしに役を振らないのは先刻ご承知だから、ご心配無く。
 ディズニーも進歩したと思ったのは、善人役で有る白の女王をギャグにして居る事で、昔では有り得なかった。
 ジョニー・デップは言う。調べたら昔の帽子屋は、水銀を使ったので水銀中毒になる、だから、落ち着き無く不安定な役造りをしたと。凄い、流石だ!!あたしもせめて、水銀中毒になろうっと。(意味不明だぞ!)
 ラスト寸前に、アリスが現実の世界に帰る時のジョニー・デップには、泣かされちまった。一寸と残念だが、仕方有るまい。何人かは同意してくれるだろうか?
 六月一日に観て来たので、其の日に思わず書いて仕舞ったのです。映画の後飲んで、酔っ払って居るので、詰まんないたわ言はこんなとこにして置きます。従って、いつもより一枚短いのです。え、其れは良かったって?そう言われりゃあ、そうだね……。
 悪く無い映画では有りました。

2010年6月8日火曜日

雨とアキレス腱 その四

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 さて五日目、降ったり止んだりとなる。もう乾いて居る物は何も無い。畦で確り乾かした一切が、水を含んでずっしり重たい。ザックもテントも服も、全てコットンなので濡れ放題、割り箸割り放題♪
 本当は蛭を超えて焼き山から下山が順当なのだが、例のアキレス腱が悲鳴を上げるので、原小屋に泊まる事にした。と言うより、原小屋にたどり着くのが限界だったのだ。相当痛かったのだろう。此処に着く迄の出会いは、後述しましょう。
 今は痕跡すら無い原小屋だが、当時は二階建ての小ぶりな小屋が有ったのだ。御主人は京都出身の女性で、後にRさんの奥さんになる人だ。この時は、花の独身娘盛りだった訳で有る。それなのに、一人で小屋を運営して居たのだから、思えば偉い!
 小屋に入り畳の上にザックを置いて、叱られた。濡れた汚いザックなので、極めて当たり前だ。畳が腐ったらどうすんだよねえ。
 此の天気が悪い中を、大きな荷物を背負って何処から来たのか、と問われて、ルートの説明をしたら偉く感激されてしまった。雨のロングコースを気に入って貰えた訳だ。
 御主人は、いや普段通りに奥さんと呼ばして貰いましょう。奥さんは、いそいそと抹茶を入れてくれ、戸惑って茶碗を手にする私に、引っ張り出して来た琴を弾いて聞かせてくれた。雨の原小屋に琴の音が流れる。
 二十年程たって、蛭の小屋で奥さんと話して居るうち、原小屋の主人だったと知り、驚き且つ喜んで其の時の話をしたら、偉く恥ずかしげな風情で有った。私に琴を弾いてくれた記憶は無いそうだが、きっと多くの登山者に、抹茶と琴を振舞ったのだろう。
 六日目も小雨。良く降り続きますなあ。梅雨と間違えてんじゃん。たまにはそんな五月も有るので、ゴールデンウイークも台無しとは此の事。
 久方振りに布団で休めた私は、相変わらずの濡れたキスリングを背に、原小屋を出発した。今日は下れば良いだけだ。降ろうと痛もうと、何とかならあさ。
 姫次に登れば後は下るだけ。痛むアキレス腱をいたわり騙し、ゆっくりと下山、無事に帰京しました。
 天気が良かったのは初日だけで、後の五日は雨。寒くて痛くて景色は無くて、良いとこ無しの惨め極まる山行と思いきや、驚く程鮮明に各シーンが蘇える。
 初めての、単独での山の長旅だったからだろう。
 殆ど人に会わない山中での六日間の経験は、それからの私のベースを、構成したのかも知れない。山の話しでは無い。生きると言う事のベースで有る(一寸とカッコ良過ぎる表現ですね(汗))。
 でも、きっとそうだろうと、私は確信して居る。
 と言う訳で、其の時の話が彼方此方に出て来るので、あー、あれね、とご理解頂ければ幸いです。

2010年6月6日日曜日

閑話 その四十九

店 053

 

 大分前の閑話で、ゴムがヨレヨレになってずり落ちて、おまけに油断すると直ぐに下を向いちまう豆電球の旧式ボロヘッドライトの話をした。
 仕方なく首にぶら下げて居る、とも書いた。そう言う物は最早ヘッドライトとは呼ばない。
 それがですよ、フッフッフ、去年の春からは新ライトに変わったのだ。
 ダイオードの小型懐中電灯型、光はブルーだが何の不自由も無い。頭には付けられないけれど、ストラップを首に掛ければ、確りくっついてくれるので、これまた不自由は無い。
 仕事先で仕事用に貰ったのだが、こんな良い物を仕事に使うなぞ勿体無いので、勝手に山用装備にして仕舞った。俗に言う処の公私混同で有る。でもあたしゃあ確信犯なので、気にしてない(え、性質(たち)が悪いって?良いのだ、より合った働き場所を与えたのだ)。
 前のライトとは長い付き合いだった。併し前記の欠陥の外に、接触が悪く点灯が手間となっては、簡単に言えばとっくに寿命が尽きて居たと言う事だ。あたしは無慈悲にも、死人に鞭打って働かせる行いを何年も続けて居た訳だ。
 で、静かに休んで貰う事にした。長い間、有り難う……。
 新ライトは押せばパッと点く。此れは助かる(おいおい、当たり前だろう?)。だって、夜中に時間を見る時接触が悪くて、寝呆け乍らゴチャゴチャやるのは面倒なんだもん。
 六十時間電池がもつのも大きいメリットだ。未だ一度も電池交換をして居ない。勿論予備の単三は持って行くけど。
 今標準のヘッドライトの様に、ダイオードと(しかも色は白、進歩ですなあ)ハロゲンを組み合わせて、用途に応じて切り替える便利さは、無い。頭にも付かない。
 でも、使い方だ。光の範囲が比較的に広いので、テントの天井の紐に引っ掛ければ充分なのだ。第一、あたしは夜の登山道はもう歩かない(多分)ので、ヘッドランプは不用になった。
 今回の春山でもダイオードは活躍してくれた。テントの紐に一寸と掛ければ、万事OK。
 処で、アメリカ映画では懐中電灯を担ぐ様に持つが、何か訳が有るのだろうか?警官でも民間人でも皆担いで居る。日本では包丁を持つ様に持つのが普通なのだが。習慣ってもんですかねえ。
 新ライトはあたしも担ぐ様に持つ。映画を気取ってんじゃ無いので有って、押すスイッチがケツ(失礼!)に有るので、親指で押そうとすると自然とそうなるのだ。
 映画の懐中電灯はそんな仕組みでは無さそうなので、不思議なんです。あ、ひょっとするとケツにスイッチが付いてるのかも知れない。だったら分かる。多分そうだろう(?)。
 新ライトの紹介をしました。とは言っても、湯の沸きを見るとか、コーヒーを器に移すとか、一点を照らす以外は、テント内での最高の照明は、ローソクなのは勿論で有るのです。

2010年6月5日土曜日

雨とアキレス腱 その三

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 写真は畦ヶ丸の章で使用済みのもので、失礼しました。
 そんな事(倒木越え)を繰り返して居るうちに、びしょ濡れで体は冷え切った。カッターに半ズボンなんだから当然至極、おまけに雨具も持たない己の愚かさだ。従って文句はごぜえやせん。
 尤も、当時の雨具はポンチョだったので、倒木越を繰り返せば、どっちみちびしょ濡れが運命だったのだろう。天命抗し難しなのですなあ。
 ポンチョを知らない人も居るだろうから、説明しよう。今は消え去った(と思われる)登山用雨具で、元は中南米の衣装の様だ。四角いゴム引き布(もしくはビニール)の真ん中に穴を開け、フードを付けたと言う簡易な物だ。従って這ったりすれば、一発で濡れる。風でも濡れる。
 白峰三山で吹き降りに会った時の雨具がポンチョだった。強風に煽られてはためき、雨避けなんかにゃ、薬にしたくともならなかった。ひたすら濡れてひたすら寒かった。
 話を甲相国境稜線へ戻そう。
 此れもやがて本文で触れるが、段々アキレス腱が痛み出した。其れも左右両方共。最初は小枝でも入って痛むのだろうと思って居たが、違った。純粋にアキレス腱が痛いのだ。初めての症状だが、此処で停滞って訳にも行かずに、畦の避難小屋へ頑張って到着。靴を脱いで見ると、アキレス腱は腫れ上がって居た。
 で、雨とアキレス腱の故障の為、避難小屋で二泊したのは畦ヶ丸の章の通り。唯火を焚いて、炎を見て居る。思えば唯一人、時間の流れに任せる、貴重な二泊だったのだ。(水汲みには行ったですよ)
 四日目、幸いにも雨は降り続き、アキレス腱も腫れた侭、万歳!
 畦ヶ丸の避難小屋に住み着く訳にも行くまい。衣類は折角乾いたのに、何が悲しくてか雨の中へキスリングを背負って出て行く。すぐに濡れそぼっちまう。
 国境稜線の細かいアップダウンは、故障持ちには鬱陶しかった。何も見えないし。故障が無く好天だったら、全然世界が違った事だろう。でも、実際は故障持ちが雨に打たれて冷え切って、ヨロヨロ歩いて居る。偉く楽しいな~。
 何とかアキレス腱を騙し騙し、加入道へ登って大室山を越し、犬越路に下って檜洞丸に登り返し、山頂で四泊目のテントを張る。其の折りの事柄は後の章で詳しく書きましょう。今なら、良く歩いたと思えるのだが、当時の計画では蛭迄行く筈だった。アキレス腱の痛みが耐え難く、予定変更したのだ。う―ん、畦から蛭迄重荷を背負って一日で歩くつもりだったんだ。我乍ら、若いとは素晴らしい。
 (雨とアキレス腱 その四へ続く)

2010年6月3日木曜日

柄でも無い事 その十九

kosumosu10

 

 花見。月見酒。ススキ酒?日本人は自然を肴に酒を酌み交わすを好む。世界にも稀な感性では無いだろうか。
 尤も、飲み始めれば花より団子ならぬ花より酒で、咲き誇る桜も煌々たる満月もわびしさのススキも、どうでも良い、そんなのは口実で酒さえ有れば全てが良いのだ!
 失礼こきました。俗人の戯言なんで、アホよのー、と笑って下さい。多くの人はそうでは無いとは、思っては居ます(本当は一寸と疑ってるけど)。
 とか言い乍ら、矢張り酒は気分が左右するもので、より良い環境が酒を美味しくするとは充分心得て居る。
 ゴミ捨て場や公衆便所やドブ川や腐乱した死体を見乍ら飲む酒より、綺麗な自然を見て飲む方が遥かに美味しい。山に入れば良く分かる。(馬鹿!そんな事は、山に入らなくても分かるよ!)
 瓶の口飲みやアルミのカップや紙コップより、然るべき器が酒を旨くするのと同じ事なのだろう。(違うって、喩えが極端なの!)
 枕が長く、しかも訳が分からなくなっちまった。最早枕では無い。単なる駄文だ。
 其れは良いとしよう、元々あたしが書くのは駄文に決まってんだからさ。(え、うっかり読んだ人に失礼だって?お気の毒としか言い様が無いです……)
 花の話をしたかったので、花見を持って来て、結果、お粗末。
 あたしが花だって?ね、看板に偽り無し、柄でも無いでしょう、えっへん。
 実は樹木や花に弱い。全然覚えられない。幾ら聞いても直ぐ忘れる。今じゃ無い。今なら至極当然だ、ずーっと昔からなのだ。物事には相性ってのが有って、あたしは植物には全く駄目なんです。
 山でも分かるのは、ブナとか唐松とか白樺とか杉や檜位で、後は全て樹なのだ。馬鹿じゃないのかね?
 で、好きな花です。
 春はツツジ、秋ならコスモス。
 あの素朴さが堪らない可愛さなの。ツツジを見ると、春たけなわと思い、あたし迄春になるのだ。あ、パーになるんじゃないですよ(え、なってるって?ああ、そうかよ!)。
 コスモスは夏の終わりを告げる。大糸線で見掛けると、夏が終るんだなあと感じさせられる。大糸線で無くても良いのだが、あの沿線が早く咲くので(多分)、其の印象が有るのだろう。それに、大糸線に似合うし。
 ツツジの群生は見事だ。北烏山にも有るけど、命の息吹其のものの姿だ。
 あたしは、コスモスは群生よりポツポツと咲いて居るのが好きだ。百万本のコスモスは、何と無く見に行く気が起きない。
 これから厳しい冬になりますよ、と告げる花だと無意識に思って居るからだろう。
 両方とも、大好きな花なんです。くどい?