2010年6月8日火曜日

雨とアキレス腱 その四

FH000152

 

 さて五日目、降ったり止んだりとなる。もう乾いて居る物は何も無い。畦で確り乾かした一切が、水を含んでずっしり重たい。ザックもテントも服も、全てコットンなので濡れ放題、割り箸割り放題♪
 本当は蛭を超えて焼き山から下山が順当なのだが、例のアキレス腱が悲鳴を上げるので、原小屋に泊まる事にした。と言うより、原小屋にたどり着くのが限界だったのだ。相当痛かったのだろう。此処に着く迄の出会いは、後述しましょう。
 今は痕跡すら無い原小屋だが、当時は二階建ての小ぶりな小屋が有ったのだ。御主人は京都出身の女性で、後にRさんの奥さんになる人だ。この時は、花の独身娘盛りだった訳で有る。それなのに、一人で小屋を運営して居たのだから、思えば偉い!
 小屋に入り畳の上にザックを置いて、叱られた。濡れた汚いザックなので、極めて当たり前だ。畳が腐ったらどうすんだよねえ。
 此の天気が悪い中を、大きな荷物を背負って何処から来たのか、と問われて、ルートの説明をしたら偉く感激されてしまった。雨のロングコースを気に入って貰えた訳だ。
 御主人は、いや普段通りに奥さんと呼ばして貰いましょう。奥さんは、いそいそと抹茶を入れてくれ、戸惑って茶碗を手にする私に、引っ張り出して来た琴を弾いて聞かせてくれた。雨の原小屋に琴の音が流れる。
 二十年程たって、蛭の小屋で奥さんと話して居るうち、原小屋の主人だったと知り、驚き且つ喜んで其の時の話をしたら、偉く恥ずかしげな風情で有った。私に琴を弾いてくれた記憶は無いそうだが、きっと多くの登山者に、抹茶と琴を振舞ったのだろう。
 六日目も小雨。良く降り続きますなあ。梅雨と間違えてんじゃん。たまにはそんな五月も有るので、ゴールデンウイークも台無しとは此の事。
 久方振りに布団で休めた私は、相変わらずの濡れたキスリングを背に、原小屋を出発した。今日は下れば良いだけだ。降ろうと痛もうと、何とかならあさ。
 姫次に登れば後は下るだけ。痛むアキレス腱をいたわり騙し、ゆっくりと下山、無事に帰京しました。
 天気が良かったのは初日だけで、後の五日は雨。寒くて痛くて景色は無くて、良いとこ無しの惨め極まる山行と思いきや、驚く程鮮明に各シーンが蘇える。
 初めての、単独での山の長旅だったからだろう。
 殆ど人に会わない山中での六日間の経験は、それからの私のベースを、構成したのかも知れない。山の話しでは無い。生きると言う事のベースで有る(一寸とカッコ良過ぎる表現ですね(汗))。
 でも、きっとそうだろうと、私は確信して居る。
 と言う訳で、其の時の話が彼方此方に出て来るので、あー、あれね、とご理解頂ければ幸いです。

4 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

30キロのキスリングで 6日間大雨のなかを 単独で丹沢縦走とは、、、、。アキレス腱の炎症 故障は、重い荷物で、道なき道を 倒木を乗り越えてばかりいて、かかとを無理したんでしょうね。小屋で休んだくらいで治るものではないでしょう。骨折よりも、痛いです。よく、無事で帰られました。
一人で山歩きをしていると、いろんなことを考えますよね。普段分からなかったことや、気が付かなかったことなどが 突然わかったり(悟りの境地?)自分が何なのか 考えます。でもKENZABUROUさんみたいに5万分の1の地図が読めて、天気図が読めて、山の地位が読める人が、本当の単独行が出来る人なのだと思います。

kenzaburou さんのコメント...

本当に、色々考えながら歩くもんですよね。
Doglover Akiko さんは、立派なもんなんです。今でこそ女性の単独行者は珍しくないですが、昔はマレでした。
其の上、地図も大して読めない(らしい)のに、凄い!!
決して褒められた事ではないのですが、其のバイタリティは並では有りません。
傑女、と昔は言いました。

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

あはは、見破られました。
地図が読めません。最初の2年間は、山に行く前に行程表を 中大と日大の先輩が見てくれて、「ここで休むな」とか「ここで水を飲め」とか、「ここで泊まれ」とか、言われた通りにやっていました。それで、白馬岳3山縦走のときなど、「この温泉はいいぞ!」と言うので 言われたように入っってみたのに そしたら、後で「ばかもん 女一人で縦走路にある温泉に入る馬鹿があるか」と叱られました。いま思えば、沢山の人に迷惑をかけながらの山行きでしたー。

kenzaburou さんのコメント...

流石傑女、今で言う女傑です!!

こうなりゃ、山で幾ら人に迷惑を掛けても宜しいのです。

あたしが許可します!