2012年3月30日金曜日

体中がつった! その二



 それでも何とか、丹沢山を越え、つるべ落としを過ぎ、棚沢へ登り返し、鬼ヶ岩に辿り着いた。良くぞ歩いた中学生よ!
 処で何を食べていたのだろう。クラッカー
かお握りか、チョコレートなんて高級品は持っていたのかな?何も覚えていない、一切合財綺麗さっぱり覚えていない。決してアルツではなく、余りに遠い昔過ぎるのだ。(本当にアルツじゃないの?)
 鬼ヶ岩で、突然Oが一寸と寝かせろと言い
出した。え、何故?Oは脂汗だらけで、その侭寝てしまった。と言うより、気を失った。おい、O、と揺すっても無反応なのだ。仕方が無いので、皆でボンヤリと待っていたのだと、思う。
 おいおい君達、やばいぞ、それは(え、俺
の事か?)。子供は分かってない。完全な過労症状じゃんかさー。でも良かった、三十分位でOは気づいた。その後はどうにか大丈夫で、彼は歩き通せた。
 蛭をどう越えたかは全く記憶に御座いませ
ん。姫次を越え、黍殻山に近づいた。当時の黍殻山は、伐採されて、切り株の山だったのだ。それが公園に見えた。私だけじゃなく、全員がだ!
 多分、誰かが公園だ、とか言って、全員が
暗示を受けたのだろう。暗示を受けるには、持って来いの状況でしょう。共同で苦労し、共同の目的(家に帰りたいよ、えーん)を持って居て、極度の疲労で思考力は低下なのだ。
 私には、ブランコで遊んでいる子供達迄見
えた。他の連中も、それぞれに同じように見ていたのだ。でも、路は公園の下を通り過ぎて行く。がっかりした、あそこには、水飲み場が有るだろうに、何で道は公園に寄らないのだろう?水が飲みたいなあ。思えば、脱水症状も出ていたのかも知れない。
 焼山を下り始めると、A(仮)が道端で何
かを探し始め、動かない。おい、どうした?
 (体中がつった! その三へ続く)

2012年3月28日水曜日

柄でも無い事 その三十四


 餃子と言えば宇都宮、だと宇都宮は宣伝に努めて居るが、案外人はそうは思って居ない様だ。あの駅前の餃子の像は、地元の人にも結構不評で、馬鹿なもん造ったな(栃木弁)との声を良く聞く。
 大昔、満州仕込の餃子を知り合いの家で、
良くご馳走になった。キャベツ(白菜だったっけ?)と挽肉を、ペースト状になる迄包丁で叩き続ける。其の具を餃子の皮に一寸と塗り付けて包む。具が殆ど入って居ないのが特徴なのだが、此れが美味しいの!!
 あの手の餃子は、其の後何処でもお目に掛
かれない。独特の餃子だったのですなあ。流石満州流で有る。
 其れと正反対のたっぷり具の餃子で、其れ
は其れは美味しかったのは、意外にも浅草橋の汚いラーメン屋で、丸々と具が入っており、一皿であたしは充分と言う程ボリュームが有った。
 具は野菜中心だったので、あたしのお気に
入りになったのだろう。何せ偏食で、肉だけは駄目と言う弱点が有るので。
 反対に具は殆ど肉だけ、と言うのが北九州
の餃子だ。小倉でそうとは知らず、餃子を2皿注文した。あたしは餃子2皿が出張時代の定番だったのだ。
 其れが、肉餃子、頑張ったが2皿目にはも
う無理、吐き掛けたので、止めました。
 我が家の餃子は平凡な奴で、極(ごく)た
まに妻が造るが、矢張り手造りは美味しい。冷凍と比べるも愚かで有る。皆さん語存知の事です。
 あたしの誕生日には(子供の頃)、母が手造
りの餃子を造ってくれた。今と違って餃子の皮なぞ無い。朝からうどん粉を練って、型で切り取って皮を造る。其れから、餃子作成に入るのだ。母の愛は、海より深いと、今になって分かる大田分(おおたわけ)。。。。。。
 柄でも無く、餃子を語ったりしました。

2012年3月26日月曜日

体中がつった! その一


 好評につき(誰にだ、ぶーぶー!)、ひどい目大会の続編です、お待たせしました。(だから、待ってねーってよ!)
 ああそうかい、でもこの話を外す訳にはい
かないから、文句は一昨日(おととい)伺いましょう。
 中学を卒業した時の事だ。中学の仲間と主
脈縦走を企てた。本当は穂高に行くつもりで、五万図迄買っていたのだが、当然ながら、あらゆる人々(大人)の大反対で、主脈になったのだ。もっとも、行かせる大人がいたら、児童虐待の容疑で逮捕です。
 メンバーは五人だったが、そのうちの一人
が、畦ヶ丸ラーメン事件のOなのだ。Oよ、君は不運の星の下に生まれたのか。
 さて、当時の慣習通り、夜中から馬鹿尾根
を登り始めた。当時は、夜登るものだった。小田急も、前述だが、土曜日には丹沢号という、特別列車(電車)を出していた。土曜に仕事を終え、夜塔ヶ岳迄(或いは別のどこか)入って、朝から一日歩き通し、夕方東京に戻るのだ。勿論翌日から仕事に行く。タフな時代だ!
 と言うより若者はタフなのだ。私は衰えち
まったで、当時の人を思うと驚き呆れるだけで、思えば皆若者だったのだ。
 主脈の話に戻ると、中学生達はド素人、当
然リーダーの私もド素人、夜の大倉尾根でさぞや痛めつけられたのだろう、可哀相に。塔に着いた時は、白々と夜が明け始めて居た。何時間掛けたんだろう?五時間は掛かった計算になる。
 子供は訳が分かってない。どうせ休みなん
だから、無理して大人の真似をせず、塔で泊まれば良いものを。尤も、其れすら分からないのが、ド素人の中学生なのだ。
 あ、これも例のパターンだ。私がドジで、
皆をひどい目に合わす……。御免なさい、当時の皆さん。
 (体中がつった! その二へ続く)

2012年3月23日金曜日

クソ面倒な話 その四十四


 宇宙の果てについて考えなかった人は、極めて稀(まれ)な存在だと思う。殆どの人には、もし果て(宇宙の)が有るとしたら、其の先は何なんだ????と、夜も眠れない程考えた事が有る筈だ(オーバーでしょうか)。
 現にあたしがそうで(一緒にするなって?へん、ごめんなさいねえだよお!)、地下鉄の車両をどうやって地下へ降ろしたと言う疑問より、遥かに難しい。
 取り合えず2つの説が一般的で有る。

1.ビッグバンの結果、宇宙の広がって居る範囲。
 だって、その先は何にも無いんだから。

2.ビッグバンの結果、宇宙が広がって、先端では光速を超えて仕舞ったので、光(情報)は届かないと言う説。

 両方とも何だかなあと思って仕舞う。うん、良く分かったって人居ますか?
 2に到っては相対性理論を真っ向否定して居るとしか思えない。光速を超える座標は許すってえのかい?あらゆる座標で、光速は一定の筈じゃんかさあ。
 でも、光速を超えて去って行く座標からの光はこっちに届かない。やけに当たり前になった。其れが極(ごく)普通の感覚だ。其れを許さないのが相対性理論なんで、許したら当たり前になっちまう。
 え、座標の変換に依って当然有り得るだって?ああそうかい、分からなくて悪かったね!
 あのねえ、確り考えてよ。何処でも、何時でも光速Cは一定だって、そんな馬鹿な事が有るんだろうか?有る筈無い。
 あたしなんかが言っても、誰も信じないだろうけど、そんな馬鹿な事が有る筈が無い!
 光速(寸前)のロケットから発した光が、Cだったら、あたしゃあ怒る。現に有り得ない。
 でも、どんな有名な学者でも、それを否定し得ない。実験出来るんですか、先生???

2012年3月21日水曜日

閑話 その七十九


 写真は笠ヶ岳。槍、穂高を裏から眺める絶好の山で有る。笠ヶ岳から北上すれば、双六小屋で主稜線に合流する。
 あたしは、新穂高からピストンしただけな
ので、主稜線には辿り着いては居ない。双六へは、新穂高から沢沿いに登ったのと、槍から下った事が有るのみだ。
 で、笠ヶ岳へは昔々、石雪崩のBと登った
(意味不明の方は札掛の章を参照願います)。季節は夏、前夜は新穂高のキャンプ場で幕営し、翌朝テントを担いで笠ヶ岳へ登った。これまた急な登り一方。全く地図の通りで有った(え、そんなの当たり前だって?そりゃそうだよね)。
 多少若い頃でも、8時間の幕営装備を背負
っての登りは、結構効いた。幕営地は笠ヶ岳の直下に有った。
 水場が印象的で忘れられず、ま、此れを書
いた様なもんだ。
 其の水場がどんなかってえと、雪渓がどん
と有って、其の雪が解けて落ちる水をトタンで受けて居る。其れでコヘルを満たすの。そんな水場は初めてなので、面白かったのだ。
 山頂は目の前で、夕日の近づいた穂高を大
勢の人達が見て居る。Bは言う。
B「頂上に行こうよ」

私「明日も良い天気だ、朝行けば良い」

B「でも、今見たくないの?」

私「明日の朝。今は飯の仕度だ」

 で、翌朝はガスの中。Bがあたしを責める
のは無理も無い。でもBよ、あたしも悔しかったんだ(言い訳にもなって無い?はい、全くです!)。
 馬鹿なあたしの為、ほんの僅か先のピーク
からの景色を見逃したのは、申し訳無い。併し、テント場からの景色と変わり無いだろうし、ピークはガスの中立ったのだから、目的は達成だ(え、駄目?)。
 いずれにせよ、地味だけど良い山です。

2012年3月18日日曜日

ハイクへのお誘い その五



 さて、岳ノ台迄は展望台の四人プラス一、二人のトレースが有ったのだが、先は一、二人のトレース、いや、足跡のみ。夏道は完全に隠れて、頼るは足跡のみ。
 え、全く案内になんないじゃんさー!其の通りなんです。でも、其れはタマタマ雪が有って、雪が無ければ確りした道で有ろう事は、殆ど疑い有りません。保証するかって?う、う、昔しか知らないんで(汗)。



 下りに掛かると、日に照らされた霧氷がバラバラ落ちる。氷を浴び乍ら下るのだ。追ってる足跡は道が不明な為、恣意に歩みを進めて居る様だ。続くあたしもそうなる。
 一つピークを越え、工事現場に飛び出て林道に着いた。見ると現場の右に登山道が有る。路を外さなければ、其処に降り立つ訳だ。本当かって?多分……。
 ま、雪が無ければ大丈夫(きっとです)、雪が有ってもあの大パーティがトレースを残してくれて居るだろう。新雪が来たら消えるけど、もうあんなには積もらないだろう(勿論無根拠)。
 で、着いた処が菩提峠。此処を左に下る。地図上十五分で左から林道が合流して来、同時に前方は二本に道が分かれる。左の下る道を行く。道標が有り、菩提方面を指して居るので大丈夫。
 後は唯下るのみ。四十分も下ると葛葉ノ泉に出る。此の水は良質なので、水筒に入れて帰れば、美味しいお茶が飲めます。
 泉からは四十五分の下りで菩提のバス停。秦野へのバスはしょっちゅう通るので、もう駅に着いた様なもので有る。目出度い。
 此のコースでは物足りない人は、菩提峠に出たら右に向かい、二ノ塔入り口から二ノ塔、三ノ塔を登り、三ノ塔尾根を大倉へ下ると宜しい。結構良いアルバイトだし、登山だなあと思えるのだ。
 三日のあたしは、菩提峠下の分岐で右へ行き、三ノ塔尾根迄歩いて大倉に下った。地図上では白い道なので、登山道なんかじゃ無い。理由はO屋で一杯やりたくて大遠回りしたのだが、な、何とO屋は暫く休業との事で閉まって居た。ガックリしたが仕方無い。D屋で生中をグーっと飲んで、バスに乗りました。
 肝心の山頂から菩提峠の案内が出来ず、本まにスンマヘン(ペコペコ)。でも、小さいが良い山歩きですよ。

2012年3月16日金曜日

ハイクへのお誘い その四



 ヤビツ峠からは、殆どの人が大山へ向かうか、林道沿いに表尾根へ向かう。ヤビツ峠と二ノ塔を結ぶ稜線には、岳ノ台と言う899mの山が有り、マイナーな存在なのでご案内しようと、三日に行きました。そう、皆さんの通る林道は、岳ノ台を巻いて居るのだ。
 三日は道路凍結の為、バスは蓑毛止まり、どうせ其のつもりだったので問題は無いのだが、蓑毛が人で一杯、皆さんヤビツへ行けず降ろされた訳だ。
 二十人以上の大パーティが居て、リーダーが説明して居る。
「歩いてヤビツに登る事になりましたので、岳ノ台を越えてから、場合に依っては二ノ塔へ登らず、下るかも知れません」
 げ、ちっともマイナーじゃ無い。昔はろくに知る人も無い山だ
ったのに。一瞬此の企画は流そうかと思ったけれど、折角だから(何が?)生かす事にしました。
 蓑毛から車道を右に折れ、春岳沢に沿ってコンクリートの道を登る。暫くで木橋を渡って対岸を左へ向かう。後はうねうね登ると峠で有る。車道に出る直前で、右に登る道を分けるが、大山方面近道なので真直ぐ行く。
 車道を10m程右に行くと、左に岳ノ台入り口の看板が有る。バスで峠に着いた場合は、少し戻ると、右側に有る訳だ。
 積雪の為良く分からなかったが、階段が確り造られて居る様だ。十分一寸と登ると東屋が有り、道は直角に左に曲がる。
 少々下って登り返すと、展望台の建つ岳ノ台頂上だ。大山と二ノ塔の展望が良い。富士も見える筈だが、西はガスって見えなかった。



 冒頭の写真は大山。此の写真は、ガスが一瞬切れた時の二ノ塔で有る。展望台では大山しか見えなかったのだ。
 入り口から山頂迄、地図上で三十五分、実際もそんなもんだった。展望台には三人のおじさんパーティと一人の若者が居た。ふーん、大昔歩いた時は、路は不明瞭で、当然乍ら人っ子一人会わなかったが、時とは流れるものなのですなあ。(続)


2012年3月13日火曜日

休題 その八十七


 反原発を公約にして誕生した世田谷区長をあざ笑うと言う品の無い話なので、嫌な方は絶対にスルー願います。読んでから文句を言われても迷惑ですよ!
 あたしゃあ、我が祖国は大好きだけど、嫌いな部分も有る。良し悪しだが、極端に走り過ぎる。
 あたしは戦前・戦中なら間違い無く左と思われ、牢獄暮らしだろう。今は、右だと思う人も居るが、よーく考えて欲しい。あたしが戦前ならどう発言しただろうかと。
 当然、誰も知りゃあしないだろうし、自分でも多分そうしただろうとしか思えないが、絶対開戦には反対しただろう。あらゆるデーターが敗戦を予想して居るのだから。
 世田谷区民は最近馬鹿になって(失礼!)、原発反対を公約にした人間を区長に選んだ。原発反対は区長の仕事か??世田谷に原発が有るなら話が分かる。だがそんな物は無い!
 区政と関係無い公約を掲げるのも変だが、当選するのはもっと変で有る。
 どうしたんだ世田谷区民。十年以上前は民度の高い区と言われて居たんじゃないかよ。今じゃ唯の情緒に走るミーハーか。前区民としては、非常に悲しい!!
 で、予算が決まった。第一公約の反原発推進費用が2489万……。
 因みに、下北沢再開発費用が17億5100万。住民の反対でモタモタしてる二子玉再開発費用でさえ3億6800万。
 反原発推進費用なんざ、予算(約3916億円)の比率で零に近い。聞いて呆れる。
 それも、太陽電池設置を進める費用と言うのだから、二度呆れる。
 太陽電池は当分環境保護には成り得ないとは、面倒な話四十一に書いたので繰り返さないが、看破した通りに広告塔の役割を立派に果たして居る。アホが其れに群がる。

 そう指摘すると、大概嫌な顔をされます。

2012年3月11日日曜日

一寸と嬉しい その二


 ○ゴミを拾って居る人

 空木岳で、煙草の吸殻を棄てたと誤解されたのは前述だが、誤解は当然で、あたしの根性が悪い。撤収の時片付ければ良いさ、では無く、テントを張る時に片付ければ良かったのだ。現に其処に有るんだし。
 あたしゃあ結局、人のゴミは人の所為、あ
たしは善意で片付ける、とても偉い奴だと自分を思って居た訳だ。
 処が世の中には、本当に頭の下がる人が居
るもので、何気無く小さなゴミ(飴の袋みたいな小さな物)を拾ってポケットに入れる。或いは、ボランティアでゴミを拾い乍ら登って来る諸君。貴方達に出会えるのは幸せです。

 ○勝手に情報をくれる人

 あたしは、前述の通り、山に入ると結構お節介な人間に変わる。やけにヤジ馬にもなる。と言う事は、普段はそんな事は無いと言う訳で、説明すれば内面が外面より良い、割と少数派になる様だ(誰だ、笑ってるのは!)。
 分かり易く言おう。地上ではブスーッ(除
く我が家)として上司の受けも、同僚の受けも悪い。結果、うだつが上がらない(死語なので説明する。出世しないって事)けど、山に入ると他人を横目で観察して喜んで居る。
 上には上が有るもんだ。あたしが小屋で煙
草を吸って居ると、「明日は××かい?」と聞いて来る。あたしは其処迄は踏み込まないが、彼は違う。「そうだけど」と答えると、だーっと情報を流してくれる。
 役に立つ事も有るし、先刻ご承知の事も有
る。でも、其の気持ちが嬉しい。煩い時も有るけど、トイレに行っちまえば良いのさ。

 ○去年の北穂高の登りの様に、ステップを切ってくれたり、方法を考えてくれた方々

 去年(平成二十三年五月の山の報告を参照して下さい)は本当にお世話になりました。
 一寸と嬉しいなんてもんじゃ無く、本当に
感謝です!
 山も里もそうなんだろうが、結局相手の身
になって考え行動する、此れが基本なんでしょう。出来そうで中々難しいもんなんです。粋に、サラっとやってのけたいですなあ。

2012年3月9日金曜日

クソ面倒な話 その四十三


 本来面倒な話でも何でも無い事なんだが、調べない人が多い為、反日的日本人(何なんだ一体、日本を去れば良いのにさ)と中国の言い分を鵜呑みにする傾向が、未だに有る。
 21世紀で有る。戦後の洗脳の呪縛からは、マトモに考えれば解放されるべき時期だ。
 河村名古屋市長が、南京大虐殺は無かったと発言した。至極当然で有る。とっくに検証されて居る。
 勿論、一般人殺害、盗み、強姦、
etcは有っただろう。其れが無かった戦場が有ったら教えて欲しい。肯定して居るのでは無い。有るものは仕方無く有るのだ。
 併し、大虐殺は無い。30万人だったっけ、笑わすんじゃ無い。其れも民間人だって?当時南京には、そんなに人口は無い。
 南京陥落の翌日には、町の商店が開いて居る。普通に人々が行き交う写真が残って居る。普通にプレスが送ったものだ。外国人(欧米の)も多少のトラブルしか書いて居ない。為にした東京裁判で、突然現れた事件だ。証拠なんざ無い。有っても違うものかでっち上げなのは、とっくに検証済みで有る。疑う人はお調べ下さい。
 さて、大村愛知県知事が「個人的見解と歴史認識は切り離すべきだ」と河村市長を非難したそうだが、意味不明な発言だ。歴史的事実なら分かる。歴史認識とは、個人的見解の事なので、言い換えると、個人的見解と個人的見解は切り離すべきだ、となって、馬鹿(失礼!)にしか言えない。
 南京大虐殺記念館々長は「出鱈目な話だ」とコメントしたそうだが、出鱈目を並べた記念館の館長に言われたくは無い。
 あたしは決して中国を毛嫌いして居るのでは無い。中国がどんな出鱈目を言おうと、ヘコヘコするタイプの日本人が嫌いなのだ。
 尤も、何でもヘコヘコする日本人を造ったのはGHQで、中国の所為では無いですなあ。

2012年3月6日火曜日

一寸と嬉しい その一


 山で、一寸と嬉しい時の話。何だか女性誌みたくなっちまったぜ(あ、差別じゃ無いです、勝手に適当な喩えと思ったので、違って居たら御免なさい!)。ま、閑話の一種だと思って下さい。大体、すっごーっく短いので、怒らないで下さいね。

 ○山道で五百円玉を拾った時

あのねえ、下らないにも程ってもんが有る!
 失礼ぶっこきました!今後は真面目にやり
ますです!!

○路を譲って礼を言われ時

登り優先が決まりなので、登って来る人が有れば、適当な場所に避けて通過を待つ。普通は其の状況を察し、急いで登ろうとする。大概は「あ」とか「済みません」とか言う。あたしも余程バテて無ければそうする。急げない程バテて居たら「有り難う御座います」とは呟く(それでもやっとの事)。
 そう言う反応の人には「ゆっくりどうぞ」
と声を掛けるのが常で有る。処が中には、待ってるこっちを全く無視して通って行く人も居る。あたしが「今日は」と声を掛けて居るのにだ。
 まあトコトン、バテて居るのだと思おう。

 ○登って居る道を譲って貰う時

 さっきの逆バージョンだ。決まりを守らない奴(あえて奴と呼ぶ)は何時の時代でも必ず居るので、こっちが登って居る(其れも情無くも、やっとに)のに、どんどん降りて来て、こっちが避けなければならない事も、たまに有る。
 人の身になれない人は、結局誰も貴方の身
になってくれませんよ。
 ちゃんと決まり通り譲ってくれる人、或い
はパーティは、立派な山男か山女です。良い登山をする事でしょう。
 (一寸と嬉しい その二へ続く)

2012年3月4日日曜日

閑話番外 その六十二


 あたしの写真は、見た侭に撮るしか無い。とか言いつつF2時代は絞りやシャッター速度の調整で、見た侭に近づける様にして居た訳だ。
 其れでも碌な写真が無いのは、あたしの腕の所為で、決してF2の責任では無い。
 処がGEになったら、あたしの見た通りには写らない。本当は見た通りなのかも知れないけど、そうは決して思え無い(多分、見た通りなんだろう)。あたしが見た景色は、こんなにボヤーっとしとらん!!(多分、心象風景って事なんだと思う)
 おまけに、直ぐバッテリーが死んじまっうって、何だよ、もう少し頑張れないのか、此の根性無しが!!
 と、GEの所為にしてるけど、買ったのは自分で、しかも、動機は安いから(失敗した……(涙))。だからGEを責める資格は全く無い。馬鹿を晒した訳なのだ。
 これからは、不本意なれど、ぼやけた写真しか撮れないので、失礼します。
 あ、ファイヤーフォックスだけなのだが、写真を直接クリックしないで、写真から外れた左右どっちでも良いから、一寸と横をクリックした方が、大きくて見易い写真になります。バックが黒く無いし大きいし、是非お試し下さい。あ、其の上で写真をじかにクリックすると、又少し大きくなります!
 尚、此の手の繰言は、其のうちに閑話でも書くので、其れを最後にしたいと思っとるです。

2012年3月1日木曜日

休題 その八十六


 写真は、文とは無関係で、済みません。

 ミミズを好きだと言う人は、殆ど居ないと思う。でも人は好き好きなので、ミミズに頬擦りして可愛がる人が居ても、決っして不思議では無い。
 ミミズは酷く下等に思われて居るが、何も無い極めてシンプルな外観の所為が大きいのだろうとは推測出来る。
 実際は、ゴカイの仲間だったミミズが、地中で生活し易くする為に余分な物を取り去った、詰まり俗に言う処の逆進化(変な表現、進化って常に複雑怪奇になるって事かい?)の結果で有る。詰まり、酷く下等では無い!(ま、あたしが力む処では無いんだけど)
 ミミズは土を食べ、含まれる微生物や菌を吸収して土は糞として排出する。其の糞が微球状となって、作物の育成に非常に適した土となる、要するに土を耕す益虫だとは、農家の人ならば、昔よりご承知の事だ。知らぬは街住まいの人間のみ。
 生ゴミも、ミミズを使って良質な堆肥にする事が出来る。やって居る所も有るが、外国だ。日本でも真面目にやってみるべきでは?太陽電池の半分以下の研究費で、良い結果が出るに決まって居る。
 あ、誤解されたかな?あたしは太陽電池を嫌ってんじゃ無い。太陽電池をエコの代表格に祭り上げる風潮をあざ笑ってるんで、非常に科学的態度だと思う。
 ミミズは良質な蛋白質でも有る。一時、其処に着目したマック(マッキントッシュじゃ無くマクドナルド)、外の思惑も有りミミズ牧場が彼方此方に造られた。
 人間ってえのは、馬鹿ですなあ(含むあたし)。ミミズバーガーなんてふざけるな!!と

意味不明の非難の中、ミミズ牧場は皆潰れて仕舞った。マックの偉く体に良く無いハンバーガーより、遥かにましだったのに……。
 何時の日か、血相を変えてミミズを追いかける日が来ない様に祈ります。