2016年12月31日土曜日

閑話 その二百十一




 高取12ℓから八日して又もや塔へ向かった。詰まり、塔に登れたのは嬉しいのだが、本当けえ?と半信半疑の部分も有るし、黄葉が更に中腹から麓へ広がっただろう、との気も有っての事だ。天気も悪く無いし。
 平日なので、バスは半分程の乗客だった。此の日は若者何人かに抜かれただけで、順調に登れた。此れは矢張り、高取山に通い詰めた結果だろう。
 花立近くで初老の男性が「普通一泊のところを二泊だったので、楽でしたな」と外の登山者に話して居た。そう、それが正解! ある程度の歳になったら其れが一番だ。
 するすると塔に着く。勿論、其れなりに苦労はしてんだが、覚悟して居たより順調だったのだ。凄く喜んで良いのだろう。
 頂上は風が冷たく殆ど人は居ない。小屋に逃げ込んで居るのだろう。若者のパーティは風下で頑張って休んで居る。あたしはとっとと下り始める。
 其の時六十代と見える単独女性が登山者に「山小屋で二泊して来たから、楽ちん」と話して居た。花立の男性と同じパターンだ。歳を取って迄何をアクセクって事ですなあ。
 駒止からの紅葉は、思った程では無かった。抜けるような青空をバックで光を受けて居なけりゃ、紅葉も映えないものなのだ。
 今回は意識して一寸と下りは急いで見た。とは言っても急げないんだけどね。なるべく速くと心掛けたって事なんで。お蔭で足の裏が痛くなったのは、チト情け無い。
 大倉に着いて時計を見る。何せ時計は梵天荘に預けて有るので。経過時間は四時間五十分、前回より二十分縮めた。時間を競ってるのでは決してないけど、思ったより歩けた事が嬉しいのだ。
 此の日も里湯へ行って仕舞った。風呂から出て帰ろうとする頃、登山者がどっと押し寄せて来た。梵天荘、又もやお預け。(続)

2016年12月27日火曜日

閑話 その二百十




 塔に二度目に登れて、帰りに梵天荘で入浴して時計を忘れたと、閑話と柄でも無い事で書いた。その後の経緯です。
 梵天荘に時計を取りに行く迄に、一寸と変化が有った。高取山から鶴巻温泉のコースは、手術後に出掛けた頃は、温泉で立ち眩み、帰ってはぐったりとし、横になれば足がつるなぞ、情けない事此の上なしだった。
 其の頃は塔ノ嶽なぞ夢の又夢、一生登る事は出来ないのでは、と思ったものだ。556mの高取山でやっとなんだから。
 通い続けて一年半、継続は力なり、で有る。ダメージは殆ど無くなった。夏に大汗をかいた時以外はつる事も無い。地図上三時間半を二時間半で歩ける様になった。
 そして塔にも立った。では、前から考えて居たリハのレベルアップを図ろう。実際の銘柄は違うのだが、大五郎を三本担ぐのだ。例の極安焼酎4ℓペットだ。高々12Kgの負荷だが、空身とは違うだろう。
 塔に単独で登った五日後に試しました。たった12Kgが応える事応える事。特に稜線へ出る階段がキツい。少々高い段差は身体を持ち上げられない。
 こりゃひどい事になったとヒーヒー言って頂上に着いたが、寒い程なのに汗グシャ、肩で息をする塩梅。筋力の衰えを嫌と言う程実感出来たのは目出度い話だ。
 下りもとっととは行く筈無い。モタモタと下るしかないのだ。これが20Kgならどうなっちまうんだろう。
 擦れ違う人達も、何であんな大きなザックを担いでるの?と不審に思っただろうが、誰にも追求されなかったのは良かった。
 念仏山の一寸とした登りも応える。今迄の速度を体が覚えて居るので、制動を掛け続ける感じでやっと歩き続けられるのだ。
 此の日は平日だったので、つい里湯へ向かって仕舞い、梵天荘はお預けで有る。(続)

2016年12月22日木曜日

柄でも無い事 その五十七




 前に立ち寄った時に爺さんが「やがて女将が来ますから」と言うので、着物姿の女将を想像した。其の時は結局女将は間に合わなかったのだけどね。
 階段を降りて来た女将は足が不自由らしく、やっと降りて来た。爺さんも女将も足が不自由なのに、階段だらけの宿を営業している訳だ。さぞや大変だろう。そして、着物姿の女将なんかじゃ無く、田舎のおばさんそのものなのだ。
 小さな宿だ、考える迄も無くそうであろう筈だが、大和旅館だって女将は着物だったので、つい勝手に思い込んで居たって事です。
 相模弁なの。書き表すのは困難な微妙な言い方とイントネーション、昔聞き覚えがる、多分今は滅びた相模言葉。
女将「此れからパートさんが来るんですよ、夕方に山帰りの宴会が入ってるんで」
 支払いを済ませて駅に向かうと、三十代と見える山姿のカップルと擦れ違った。あっちに向かう限りは梵天荘に違い無い。ふーん、利用客が結構居るんだなぁ。
 駅に着くと人身事故で、途中の駅迄しか電車は行かないとの事。山帰りでは二度目だ。で、腕時計を見ようとすると無い。梵天荘に忘れて来ただね。
 帰宅してから電話すると、次のお客さんがフロントへ届けてくれた、との事。矢張りあのカップルが入浴したんだ。予想が当たって何だか嬉しい。親切に届けてくれて嬉しい。
 取りに行く迄預かってくれると言うので、又訪ねて行く事になった。平日だとどうしても里湯へ行って仕舞う。安いし、近いし、一杯飲めるし、スタンプは溜まるし。十個のスタンプで一回無料なのだ。
 又入浴して時計も戻って来たのだが、其の経緯は山が絡むので、閑話で書いてから続きと致します。

2016年12月19日月曜日

休題 その百八十三




 「海賊と呼ばれた男」を観た。百田氏のベストセラーだが、書評は読んだが本は読んでいない。映画になったので出掛けた訳だ。
 映画は原作より遥かに劣化するのが通例だが、原作を読んでなかったので、其の意味での不満を感じる事がなかった事は目出度い。
 出光の創始者の苦労、と言うより戦いを描いた作品だ。前半は売る苦労、と言うより戦い、後半は仕入れのくろ、……戦い。
 唯一の純粋日本資本の石油会社を、造り守ったのだから、戦いである。石油メジャーの力とあくどさは知る人ぞ知る、だろう。
 へへへ、偉そうにのたもうたが、あたしも落合信彦氏の著書で知ってるだけなんだけどね。メジャーは、場合に依っては政府をも動かす力が有る事だけは、理解してるつもだ。其の欧米のメジャーと真っ向勝負をしたのが凄い。途轍も無く凄い。
 その動機づけこそ百田氏の書きたかった事なのだろう。
 台詞で語っているが、正確に再現は不能なので意訳する。多分外れてはなかろうて。
 石油は国家経済の血液である。其れを絶たれて日本は戦争に追い込まれ敗れた。国家の血液を外国資本に委ねる訳にはいかなない。断じてそうはさせない。
 侠(おとこ)である。日本(にっぽん)男子である。原作が百七十万部売れたってえのは、日本も捨てたもんじゃ無いってこった。
 時代考証は念密だ。戦後の焼け跡や車、船や調度品に至る迄、隙がない。ただ、俳優が当時の発声が出来ない。変に押しつぶした声しか出せない。ガマ蛙じゃあ無いんだから、弁してよねえ。
 当時は号令訓練を受ける。従って遠くへ通る発声が普通だ。アナウンサーの声も甲高いでしょうが。その位の事が分かってる監督も、もう死に絶えたのだろう。
 原作を読み損ねた人には絶対お奨めです。