2013年1月31日木曜日

ハイクへのお誘い その二十四




 閑話九十四と九十五に書いた、忘年キャンプのコースへのお誘いです。
 此処は路が無い(植林道は有るけど)ので、初心者は絶対に行かないで下さい。コースの一部に、四輪駆動(両手両足を使用、詰まり四つん這い)の可能性が有るので、そんな経験の無い方も対象外です。絶対行かないでね。
 堀山西尾根(仮称)を登るのだけれど、わざわざ時間も体力も余分に掛けるので、変わったコースで登りたいと思う変わり者(失礼!)の為の案内なのです。(え、そんな人居ない?)
 それと、雨や雪の日、ガスった日も駄目、視界が利く日のみが対象で、勿論風邪っぴきも駄目なのです!
 そんな大層なコースじゃ無いんだけど、何か有ったら拙いので念を押しました。此処は全然ハイクでは無いってえのが、最早看板に偽り有りなのだが、たまにはこんなのも有りでしょう。何せ「丹沢と共に」なんだから。
 出発は大倉から。バスを降りたら吊り橋を背にして大倉屋の横を、鍋割・二股方面に向かう。暫くで左へ折れるが、道標は確りしてるし地図の通りなので、四十八瀬川沿いの林道には簡単に出られる。其の林道を右に、二股方面へ向かう。
 小一時間で右手に堰堤が現れる。一ノ沢だ。忘年キャンプは此処から取り付いたが、ガレザレに苦しめられるので、セオリー通りに行こう。一ノ沢から一寸とで、ベンチと看板。


 看板を前に振り返ると、踏み跡が有る。


 此の写真を見て、え!と思った方は、行ってはいけない。フン、と思った方は其処を登る。短い距離だし、取り付けば何でも無い。
 それからは植林の中を唯登る。登り易い所を登ろう。ストックが有れば有効だろう。程無く尾根に立てる。


 尾根通しに行くと、直ぐに林道に飛び出る。え、最初から此の道を来れば良いじゃんかさあ!お気持ちは良く分かるけど、林道に入るには林道を更に行く必要が有るの。意味不明だって?良いの、西尾根が目的なんだから!


 忘年キャンプの時は、此の林道に這い登ったのだが、どんなに苦労したか(涙)。今回はそんな苦労はさせて無い!
 文句を言うわずに、林道を右に50m近く行こう。左にかような踏み跡が有る。

 
 見えないって?探せば有る!もし無けりゃあ、適当に取り付くのみなのだ!!(続)

2013年1月29日火曜日

我がロマンチック街道 その七





 山はお天気商売、見渡せれば、何の問題が有るの?の世界なのだけれど、見渡せなけりゃあ、此処は何処?私は誰?今は何時?の世界に突然なっちまうのだが、経験の無い人には、其れが死んでも分からないだろうとは、はっきりと分かる。春山とは、夏山と冬山が隣通しに存在する世界なのだ。
 地蔵の頭で稜線は北へ向かう。後は一直線に北へ向かえば良い。檜倉山(1744,3m)、柄沢山(1900,3m)を越えると巻機山への登りとなり、登り切れば巻機山なのだ。後の章で出て来る天国の様な幕営地は檜倉山だと、新しい地図を見て分かった。詳細は、後のお楽しみです(え、楽しみじゃ無いって?こうなりゃ楽しみにするの!)
 巻機山には三つのピークが有り、自分の位置が分かり辛い。とは言え、道の無い山域だが、巻機山だけには単独に登山道が有り、春スキーの諸君が清水から大勢登って居る。だから下るには全く問題は無いのだ。
 春の清水部落の民宿には、ずらーっとスキーが並んで居て、そりゃあ見事なもんなのだ。皆さん、巻機山がお目当てなんですなあ。
 此の縦走の間、巻機山寸前迄誰も会わなかった。雪上の多数の足跡のみだ。従って、青い青い空と、白い白い雪の山は私の独り占め、こんな贅沢は滅多に出来ない。説明すれば、足跡のお蔭でルートに悩ませられる事は無いし、だったら此の山域に、私一人にしてよ!って願いが叶ったと言う訳です。
 巻機山への登りに掛かろうかと言う時に、一人の登山者が巻機山より降りて来た。清水部落を背にしてから、初めて出会う人だ。それが驚いた事に、其の年の冬山の地蔵岳で会った青年だった。彼は鳳凰三山、私は早川尾根縦走で出会ったのだ。
 彼が私に声を掛けて、正月に会いましたね、と。前述だが、私の背負って居るキスリングが目印だったのだ。当時でももう、キスリングは珍しくなって居たので分かったのだ。彼は付近を歩いて、巻機山へ戻って下山するとの事。滅多に無い邂逅でした。
 さて、残るはあと二区間となった。此処いらでロマンチック街道も、小休止としましょう。
 (我がロマンチック街道 その八へ続く)

2013年1月27日日曜日

柄でも無い事 その四十二




 多分前述だろうが、どうせ誰も覚えちゃ居ない、と言う前に、読んじゃ居ないだろうから、堂々と書けるのだ。(一寸と複雑な気持)
 あたしも彼方此方焼き物を見て来た。何処でも、良い物は良い。当たり前だって?そうなの、世の中ってのはそう言うもんなの!
 色々見て、好き嫌いがはっきりして来るのが、いみじいですなあ。千里の旅をして語るべし、に通じます。(ヘヘヘ、柄でも無いね)
 で、好き嫌いの話だが、結局一番好きなのが美濃になっちまったのは、焼き物に興味を持ち始めた頃には、思いも依らない結果だ。
 当時から、余り磁器の絵物には興味が無く、土物か焼締に魅力を感じた。美濃は確かに土物だが、フン、良く有る奴だな、としか思わなかった。分からなかったんですなあ。
 美濃と言っても、種類は多い。六古窯から始まって、戦国時代の茶の湯、明治・大正のオールドノリタケ、そして江戸期から現代に至る迄の瀬戸物と言うブランド!!
 えーと、種類の話だった。勿論ノリタケやナルミでは無く、古い、本来の美濃焼の種類です。 いみゃあにゃんでもかみゃあんもんだでよお。 一寸と美濃弁で説明しました。
 代表は志野だろう。磁器が焼けなかった頃に、白磁を真似て白い釉を掛けたと言う、訳の分からんのが初めだった様だ。
 其の志野が分化する。無地志野、鼠志野、絵志野、赤志野、織部志野等々。今は紅志野迄有る。
 志野とタメを張るのが織部だ。あたしゃあ織部が、やけに俗に見えて嫌いだった。今は違う。すっごーく良い!年の所為か、数見た所為か、其の両方かは分からんけど、良い!と思う様になったのは、きっと良い事なのだ。
 もう一つが黄瀬戸。此れにも、油揚げ手とかの種類が有るのだが、若い頃は、何だ此の詰まらない焼き物は、としか思えなかった。若いという字は馬鹿いに似てるの~♪
 世にも詰まらないギャグは、止めよう。
 あとは、引き出し黒だが、真っ黒なだけの、極めてマイナーな焼き物なのだが、偉く素敵なんですよ!
 段々気持が変わって来た、色々見るうちに。美濃以外の物を彼方此方で見て、買って、使って、自分なりに分かって来た。其れは自分の好みが分かったって事なんで、良し悪しとは全く無関係なのだ。
 あたしが此の年になって一番好きになったのは、結局相手にもしなかった黄瀬戸なのだ。笑っちゃうね。散々引張って此れじゃあさ。
 でも貴方も確りした黄瀬戸に向かい会えば、きっと納得するでしょう。

2013年1月24日木曜日

我がロマンチック街道 その六





 清水峠には避難小屋が有る。一度泊まったが風が強くてどうしても戸が開いて仕舞う。スコップが有ったので戸にあてがって、事無きを得た。遭難者が来たらと迷ったが、戸を叩く音は聞き逃さないつもりだ。たとえ、やっと叩いた音でもだ。(本当かい?多分……)
 謙信尾根を下るのだが、隣の尾根なのだ。夏道はトラバースして容易に謙信尾根に出れるが、雪が有ると雪のトラバースとなる。向こうの標識が見える程の距離だが、踏み出すと雪がうねって居る。急な登りを迫られて、登ろうとしても雪が非常に締って居て、ピッケルで削ってもラチが開かない。仕方無くアイゼンを着ける。思いがけずに時間を喰うもんなんです。

☆第六区画
 清水峠から巻機山(まきはたやま、1961、6m)迄が六つ目の区切りだ。此れを山中一泊でやったのだから、若い時は速い!!多分、第五区画の翌年だろう。尤も前夜は、越後湯沢駅泊で有る。清水の部落から謙信尾根を登り、又もや雪のトラバースで清水峠に立ったのだ。
 峠から、東へ、やがて南東へ登って行くと、朝日岳の七百m程手前で上越国境稜線は東北東へ分かれて行く。文字通りのジャンクションピークだ。此処からは登山道の無い世界になる。尤も積雪期だから関係無いんだけどね(くどい?)。
 私が其処に立った時は驚いた。モロ雪の急斜面だ。どう見ても主稜線だとは思えない。でも其の時は幸いな事に、トレースが幾つも有った。皆さん踵を思いっ切り打ち込むか、アイゼンを効かせて降りて居る様だ。で、私も降りて行った。更にラッキーだったのは、晴天の日だったので、行き先に迷う事は全く無いの。見えるのだから。
 (我がロマンチック街道 その七へ続く) 

2013年1月22日火曜日

クソ面倒な話 その五十四



 何度でも書こう。太陽発電は、取り合えず迷惑だ。地球的に見れば赤字の装置に、国税と、電気代に上乗せされた負担を、ダブルに負う必要は全く無い!!
 訴訟を起こしても良い位の犯罪行為だと、分かってる人も結構居るだろうけど、長い物には巻かれろ野郎が多いので、皆さん知らずに居るのだ。
 疑うなら、技術関係の人間に聞いて、裏を取れば良い。あ、技術ったって、隧道工事とかICチップとか精密旋盤とか焼き物じゃ無くって、電気に関係有る人ですよ。
 赤字のチップ(今の処はだ)で造った電気を、高額で買い取ると法律で定める。勿論、電気会社には政府が補填をする。さも無きゃ買う筈無いでしょう。
 で、通例どおりに金を注ぐだ!
 例に依って、グルとしか思えない。こんな美味しい話を企業が見逃しっこ無い。既に幾つもの企業が、太陽発電のパネルと其れを広げる為の用地の購入に走って居る。
 繰り返しだが、パネルが生み出す電力より、パネルを造る為の電力の方が大きいと言うのを、赤字と表現して居る。従って、地球規模では話にならないって事だ。
 百歩譲って、代換エネルギー開発と、其の啓蒙に必要な経費としよう。だが、其の経費を、其の企てに何の恩恵も蒙らない人々に、負担させないで欲しい。其の企てに反対の立場の人間にとっては、尚更の事だ。
 太陽パネルの赤字は、やがて解消されるだろう。そして発電の一翼を担う様になるかも知れない。併し、発電量の不安定は致命的なので、或る割合以上には出来ない。したら危険だ。何時突発停電が来るか分からない。そして電気の単位当たりの費用は、大きいのだ。
 何時黒字になるかも分からない太陽発電が、こんなに注目され、国費迄投入されるのは、広告塔としての役割を負って居るからだろう。
 だったら、もっともっと安定性と将来性の有る、地熱発電や海流発電に経費を投入するべきだと、あたしは思う。安定性が全く違うのだ。唯、技術の壁が厚いのだ。
 尤もそうなったら、美味しい汁を吸えない企業やお役人が怒るのでしょうなあ。