2019年3月31日日曜日

閑話 その二百八十一



 何時もなら十分少々で稜線に着くのだが、Yはすっかりまいっている。二度声を掛けて息をつかせる。Yは止まってストックに縋って息をつく。気の毒ですなあ。
 稜線に立った時は、三時間四十分を経過していた。常ならば二時間半で着くのだ。距離的には最短だったのだが、道ではない処を登るのは三倍以上の体力を消耗するので、時間も余分に掛かるのだ。急がば回れです。
 Yの消耗にはもう一つ理由がある。この二十一日は春の嵐の予報だった。それが変わって、曇り一時雨になった。ただ、山中では風は強かった。流石の暑がりYもカッターシャツを着込んだ程だ。あたしはウインドブレーカーを着込んだから良いのだが、カッターで
は風は防げない。強い風に吹かれ続けているだけで、見る見る消耗する。寒くないかと尋ねたが「これで良い」と答える。ウインドブレーカーを着ると汗ビショになるからだそうだ。そりゃそうだね。
 早速テントを張る。道をまたぐが誰も来っこないに決まっている。その日大室山に入っていたのは、多分あたしたちだけだろうから。
 テントに入ると、パラパラと降って来た。結構ラッキーである。風は唸って木々を大きく揺らしているが、上を通り抜けるのでテントは煽られない。此れ又ラッキーである。
 稜線に出た所で張ったと言う事は、過去最低なのだ。挫折した事は何度のあったが、其処から一時間は頑張って登っている。荷物を減らし、缶チューハイも持たずにウイスキーをペットボトルに詰めて、ツェルトの軽装備でリベンジだ、と飲み乍ら言い合った。
 見回せば広いテントで、酒はたっぷり、食い物もたっぷり、水もたっぷり。丸で大名の暮らしだ。オーバーではないのですぞ。山の中でこんな贅沢をしているパーティはまずない。何せ皆担ぎ上げるのだから。
 とっとと寝て、夜中の宴会は常の如し。Yが良く眠る事も常の如し。あたしがロクに眠れないのも常の如し。
 四時半に起床、下りが待っている。(続)

2019年3月27日水曜日

閑話 その二百八十



 例に依って頼る物とてない斜面。時々灌木が生えているが、何とした事か皆茨(いばら)なのだ。うっかり掴むとヒエーーッとなる。
 その上、大き目の奴が立ち塞がって邪魔をする。地形上そこを通らざるを得ないのにだ。シャツやズボン、ザックが棘に擦られ音を立てる。破かれないかと冷や冷やするのだ。
 やっとガレザレを越えて植林帯へ辿り着いた時は、両手に数カ所棘に刺されての出血があった。一ヶ所なんざ棘が刺さった侭だった。凄く嬉しい、泣きたくなる程嬉しい。
 植林帯に入ればしめたもんだと思うのが普通だが、この支尾根は違ってやけに傾斜がキツい。「これじゃあ枝落としも命綱を着けての作業だな」と、Yと語り合う。
 足元が急で滑るのだから、ラフにチェーンソーを扱えば、ずるっと滑って転倒し乍ら自分を切断するだろう。チェーンソーを放せば飛び跳ね乍ら落下して、他人を切断するかも知れない。ジェイソンが金曜日に暴れる様な惨劇になるのですぞ。
 傾斜の強い植林帯をワリワリ登って行く。やがて面白い所に出た。地面が柔らかくて、10cmはもぐるのだ。斜面なのでずるっと滑る事になる。グチャグチャの泥だと思ってくれれば宜しい。無闇と足掻かされて消耗するのだ。なかなか進まないんでね。
 Yはそこですっかり消耗し尽くした様だ。暫く歩いて(もがいて?)振り返ると、随分下にいる。救いは泥がこびりつかない事だ。地下足袋も思いの外綺麗なのだ。普通の泥だったら、見るも無残になっていただろう、お初の地下足袋なのにね。
 やがてグチャグチャも終わり、傾斜も緩んだ。何だか見覚えが有る所だ。一寸と先に登山道が有った。Yに「道に出た」と叫んでも顔も上げない。歩を進めるだけで目一杯ってこってす。此処から稜線は近いが、稜線が今日の終着点だと決めたのでした。(続)

2019年3月23日土曜日

閑話 その二百七十九



 Yと久方振りの大室山を目指した。平成十八年のお盆以来なので、二年半振りとなる。前回は厚い盛りだったのでYの足がつり、変な斜面で幕営になってしまった。今回は三月二十一日、涼しいだでピークを目指すぞ。
 ボロ車で神ノ川ヒュッテ迄入るのは常の如し。もしも大荷物で林道を歩いて来たら、神ノ川ヒュッテで幕営になっちまう。
 さて歩き出して川沿いに行くと、右の小沢に沿ってブルドーザー道ができている。上流で工事なのだろう。その道へ極く自然に入って行った。あたしの面目躍如である。此処で良いのか、なぞと疑問すら持たない。
 バカは学ばないから、幾つになってもバカである。少なくとも地図と見比べてどうするか決めるのがセオリーだが、お馴染みのルートだから方向はこっちさ、と言う安直さには呆れ果てて言葉もない。おいおい、自分のこったよ! はい。。。。
 その上ですよ。その道を登り続けても工事現場に出るだけだから、尾根に取り付こうとか思って右の尾根に取り付いた。詰まり、ブル道を行っても始まらないと分かってたんじゃないか、何で入るんだよお!
 尾根に取り付くのは仕方ない。何で右の尾根なの?地図見りゃ良いでしょう? 何となくなんで、説明できませんです、はい(汗)。
 どっちに転んでも植林帯を詰め上げれば稜線に出る。その判断自体に間違いはない。偉い間違いは、右の尾根の植林が途切れる事を知らなかった事だろう。
 植林帯の登りはまあ順調に行った。大分高度も稼いだ頃、前方の植林が切れた。ガレザレが行く手を阻んでいる。空身になって偵察したが、右に回り込むようにガレザレを突破するの一手の様だ。その先には又植林帯が有るかに見える。
 そしてお馴染みのガレザレ登りが始まったのだ、嗚呼。(続)

2019年3月19日火曜日

閑話番外 その百十


 地下足袋について書こうとして見直したら番外百八を、月をまたいで二度アップしていたと気付いた。実に間抜けですなあ。同じ駄文を二度も晒すとは、バカです。バカは承知してるって? その通り、全くのバカです!
 で、丸五の祭り用地下足袋をネットで注文したのだが、全然送って来ない。丁度冬になったので靴でも良いやと放っておいたのだが、春になるのでキャンセルして注文をし直した。
 支払いは前回と同じくコンビニ払いである。普通はカード払いだろうが、あたしはカードは使わない旧式人間なのだ、えっへん。
 二、三日で着くと思っていたが来ない。念の為支払いを見直すと、ナンバーが記載されており、そのナンバーで支払ったら送る、となっていた。
 前回は品物が届き、その中にコンビニ支払書が入っていたのだ。方法が変わっていたんですなあ。それじゃあ幾ら待っても着く筈がないのだ。
 又もやバカです。バカが煮詰まったと言っても宜しい。慌てて支払いを済ませた。当然乍ら直ぐに品物が届いた。
 今回は27cmにした。前回より5mm小さくしたのだ。下手に大きいと又岩に擦って破くかも知れないので。
 きゅうくつかな、とも思ったが、穿いて見るとそうでもない。これで充分行けそうだ。厚い靴下は穿けないだろうが、そんな状況は殆ど有り得ない。大昔、妻と行った初冬の北八つの天狗岳の時は厚い靴下を穿いたが、もうそんな無茶をする年でもないんでね。
 雪のない丹沢で使うのみ。場合に依ってはアルプスや八ヶ岳でも穿くかも知れないけど、良い季節に限られている。
 丸五の祭り足袋は底が厚くて、石を踏んでギャーっとなりにくいのが嬉しい。凄く嬉しい。あれはやった人しか分からないだろう。痛くて泣けて来るんですぞ。

2019年3月16日土曜日

休題 その二百四十九


 三人の旅行は二月の末だったが、宿は若者だらけ、我々が最年長者だった。それにやけに女性が多い。普通は年配者が一杯で、たまに若者もいるってえのに何事なんだろうか。
 Mがホテルの従業員に尋ねた。そこんとこがMの営業マンとして優れてるとこで、あたしやYはシャイなもんで役にも立たない。卒業旅行の諸君が多いとの事。成程、何と無く華やいで、ジジババが多いより大分宜しい。
 露天風呂は割と広いが、岩の間に隙間が有って、摺り抜けると又露天風呂が有る。我々貸し切りでそこに小一時間入っていました。結構贅沢な話ですなあ。
 食事はバイキング。そうなるとYの独壇場である。満載の皿を平らげて、第二次攻撃隊が出動する。あたしの三倍、Mの倍は軽くこなしただろう。
 食後に部屋で飲み乍ら二十二時近く迄頑張ったが、夜に弱いあたしはダウン、三時間近く寝て目覚めるとYとMは未だ話し込んでいる。あたしも加わって朝の四時迄騒いでいた。
 七時頃起きて朝食へ行くがこれもバイキング。そして又Yが食べまくった訳だ。完全に元は取っているですなあ。
 睡眠不足に極度に弱くなったあたしは、朝食後急に酔いが回ってグロッキー。手術以来、全くだらしない。
 為に、小田原城にも行けずに、計画していた蕎麦も食べに行けない有様になっちまった。ただひたすら小田急に乗って帰って行ったのだ。仕方なくYとMはJRで帰った次第。
 ご苦労さん会も竜頭蛇尾になってしまったが、ひとえにあたしの所為なので、何とも申し訳無い次第であった。
 後で思えば酔いが回ったのではなく、具合が悪くなったって事で、寝なくちゃ駄目なんです、あたしは。山なら十七時には寝るので、夜中の宴会にも耐えられるのだろう。
 YもMも、長い間ご苦労様でした!