翌日は南岳へ登って、槍の肩の小屋迄。楽ちんだなあー♪と思った私は、頗る付きの馬鹿だった。昔々に登った時は確かに、楽ちんだなあー♪でした。時は流れる。意識の外で流れる。貴方が亜光速で運動して居ない限り、等しく時は流れ、気が付けば皺が増え、毛が薄くなって行くのが世の習いで、あがらうのは野暮ってもんです。
グチャグチャ言うのが最早野暮、反省するです。簡単に言うと、南岳へは辛かったの。昔は何でも無かったのに(だからあ、其れを言っちゃあ無限ループなんだって)。
やっと稜線に出て槍へ歩く私を見て、雷鳥が笑って居た。クソ(失礼)、バテたおじさんが面白いのか?(多分そうだ)
どうにか肩の小屋に着いたのは目出度いが、好天は以上を以って終了。自然相手だから、文句は言わない。
翌日は雨の縦走、フン、大好きだもんねー。しかも秋の雨の三千m級、やったぜ!人けの無い双六小屋の前で休憩。寒くて震えるのが休憩とは、ちと情無い。
単独の時の休憩とは、味気無いものだ。疲れるから休むと言うのは同じなのだが、一人で息を吐き、後はキョロキョロして居るだけなのは、何とも詰まらないのだ。だからどうしても直ぐ出発してしまう。そんな事言ってる様じゃ、単独行の資格無しですな。ま、歳だから何ともならないって事で、ご勘弁。
処で、単独の時の話は大体バテバテになって居る。先ず外れが無い。空クジ無しの大盤振舞い、どうしてだろう?
ふっふっふ。思い当たったぜ。
単独の休憩は詰まらないと書いたが、其れも一つ。だから碌に休まない様になる。でも、休まざるを得なくなる(バテて)のだから、回数と言うより時間の長さだろう。
複数なら、ああだこうだと詰まらない事を言い合って喜んで居るうちに結構時間が経って居るものなのだ。一人だと直ぐ発つ。此の差は大きい。
そして最大要因はペースで有る。自分のペースは常に過去のペースだ。二年前だろうと一年前だろうと関係無い、過去は過去。
体の覚えて居るペースに、今の自分が付いて行けないって事なのだ。って事は、一年でガタッと衰えるって事かい?ビンゴ!!!
いやー、歳は取りたいもので、一年一年新たな自分を見出せる、楽しいなあ嬉しいなあ♪
自棄になるのは止そう、いい歳こいて見っとも無いだでよ。実は其の通りなので、去年のペースは今年は無理な訳だ。でも自分は其れが分からない。今年の自分も、去年の自分と同じだと何の疑いも無く、自分も、そして自分の体(此の部分が大きい)も思って居る。或いは十年前のペースが未だに染み付いて居るのかも知れない。当然の結果としてバテる。
複数なら自分の過去のペースを守れないので、バテないで済む。どうです、こんなとこでしょう、きっと。
(色付くダイヤモンド その三へ続く)