2019年12月31日火曜日

閑話 その三百七



 久しぶりに坐骨神経痛が出た。腰が痛むのではなく、腿に変な痛みが出るタイプだ。水道局の下請け企業で働いて居た時に経験済み。その時よっかは大分楽だ。
 運動が一番だろうと高取山へ出掛けた。但し負担はいけないので10Kgはなし、小さなリュックにカメラを入れて、ノンビリを心掛けて行ったのだ。
 二十九日の日曜だが、年末は登山者が少ない。大山行のバスも満員ではない。天気は曇りがち、たまに日が射すってとこであった。
 空身でノンビリなので、殆ど汗もかかずに頂上。若いカップルが登って来て「わー、綺麗!」と大山を見て喜んでいる。
 下っていると若者が三人やって来て元気に挨拶して行く。その後ろから中年男性が丸々着込んで荒い息で登って来た。挨拶したが応えはない。まあ、当然でしょうなあ。やっとこさっとこ登ってるんだから。


 花でも咲いてれば撮りたいのだが、花の無い時期なので、ススキ位しかない。それでも変な写真を撮り乍ら下る。どうせ下手な写真なんで、無駄な行いですなあ。

 
10Kgが無いと偉く楽である。と言う事は僅か10Kgですっかり参るって事です。途轍もなくだらしない話ですよ。
 弘法稜線へ入ると、それでも結構人が来る。親子連れが多いのは冬休みの為だろう。トレイルの諸君が目立つのは何時もの事。危ない所が無いので絶好のトレーニングコースだ。
 里湯に入って出ると、リュックが六つ程並んでいる。その間にもハイカーが入って来る。皆さん暮れのハイクを楽しんでいるのだ。
 一寸と寒かったが、令和元年の山の登り収めはかくして終わった。楽過ぎて良いのかなあと言う塩梅である。でもこれで良いのだ。坐骨神経痛だしね。冬の赤岳にYを連れて行くつもりだったが、Yのアイゼンを新調しなければならないので、又のシーズンです。
 皆さん、良いお年を。

2019年12月27日金曜日

休題 その二百七十五



 前章の第9へ行った日は二十二日の日曜日、原宿からNHKホールへ向かったのだが、歩道橋のあたりから「同行させて下さい」と書いた紙を持った人が続いた。雨模様の中、ず―っと続いている。
 妻は「あれ何かしら?」と問うが分からない。すると「チケットを売って下さい」と書かれた紙が出て来たので、推測が着いた。先には国立競技場が有ってフィギア競技の最中なのだから、絶対にそれだ。
私「あれはフィギアのチケットを売ってっ、て言ってるんだ」
妻「でも、同行して、って変じゃない?」
私「ダフ屋は違法だから、一緒に歩き乍ら隙を見て切符を売るんじゃないかな」
妻「そうかしら」
 いやあ、とんちんかんな推測でした。フィギアのチケットを求めているのは正しい。「同行して下さい」は、連れが来れなくなった人がいたらその切符を回してくれ、と言う事だった。ネットで潜って分かったのだが、今はチケットを買うにも、誰が買ったかチェックが入る場合も有るらしく、転売はやりにくくなったみたいだ。
 妻は最近フィギア好きになり詳しい。競技場の入口で列を造り始めた諸君をみて「十九時からなのにねえ」と驚いていた。その時は十四時十五分位だっただろう。
 第9が終わったらもう真っ暗。丁度冬至の日だった。予報通り雨が本降りになっていた。驚いた事に、未だ結構な数の人達が、雨にうたれて「同行」とか「売って」を持って並んでいる。其れ程に入りたいのか!
 フアン心理とはそんなもんなんでしょうなあ。あたしには理解不能だが、一寸と感動的ではあった。あたしがチケットを持っていればどんどん売って上げるのに。
 結局チケットを手にできた人は少ないだろう。無根拠な推測だけどね。気の毒に。

2019年12月24日火曜日

休題 その二百七十四



 一昨日、N饗の第9を妻と二人で聞いて来た。次女がプレゼントしてくれたので行けたが、自費ではとても無理ですな。何と一生無縁だと思っていたS席を取ってくれたので。
 二階の左側、前から四番目なので直ぐ其処が舞台、楽団員の動きも実に良く見える。音もその侭飛んで来る(?)一等席だった。
 思い返せば次女と長男を連れて同じN饗の第9を聞いたのは平成十七年の暮、三階席だったので一席四千五百円か五千円だっただろう。だから妻も入れて四人で行けたのだ。S席は一万五千円、偉く贅沢をさせて貰った。
 指揮者はシドニー出身の女性。オーケストラの女性指揮者は初めて見た。これが小気味良く曲を仕上げて、流石だと唸らされたです。
 音がシャープで綺麗だ。第一楽章の冒頭の木管が安定した響きを持続する。弦も澄んだ音だ。N饗ですなあ。ティンパニーのおじさんが、切れの良い動きで花を添える。
 さて、コーラス。女声五十五人、男声四十五人、都合百人だが百人とは思えない声量なのだ。ゾクッと来る迫力で、N饗相手に全く引けを取らない。小澤征爾の造った「東京オペラシンガース」と言うグループ。
 極当たり前なのだが、CDで聞いて居るあの第9は何だったんだ?としみじみ思わされてしまった。生の演奏は全く別物なのだ。それにS席だし(くどい?)。
 何とも圧倒されんばかりの状態で曲は終わった。当然、満員の会場からは嵐の様な拍手。誰かが何か叫んでいるが聞き取れない。多分「ブラボー!」なんでしょう。
 結局四回のアンコールとなったが、あの見事な演奏では仕方ない事だろう。掌は少々痛くなったけれどもね。
 開始前のロビーも印象的だった。ワインやシャンパンのグラスを手にした人が大勢たむろっている。如何にも、らしい風景である。
 良い冥土の土産となりました。

2019年12月21日土曜日

閑話 その三百六



 下りは田代の半僧坊へ向かう。SもKも下りに弱い。特に足首が固まったKは弱い。それなのにやや急な下りになる。まあ、どっちに下っても急なんだけどね。足元には愛川町が広がっている。未だ大分下らされそうだ。
 Sに疲労が蓄積されてきたかな、と見るうちに滑って転んだ。転び方は流石に巧く怪我はない。結局二度転んだ。筋肉も相当衰えて来たのだろう。病気をうんとしたから仕方ない事だが、Sの体操部現役時代を知ってるだけに、一寸と寂しくはある。
 積もった落ち葉を踏みつつ下る。と、青年が一人登って来る。時間的にもピストンだろう。今日、山に入って初めて会う人間だ。そして最後の人間でもあった。この山域は意外と穴場かもしれない。人は余り入らないし、結構登降がきつく稜線には鎖場もある。植林もあるが、其れ程多くはない。麓近くは植林だらけだけどね。
 地図上で下りは一時間だが、我々は二時間で下れりゃ良いや、ってな感じである。二人非健常者を抱えているのだから妥当な処だ。
 実際二時間近く掛かって半僧坊のバス停に着いた。御疲れ様!である。バスは九分待てば来る。やったぜ、であります。
 行きは清川村からだった。こちらのバスは一時間に一本。下りは愛川町に下ったが、こちらのバスは一時間に三本。くれはどう見ても愛川町に下るの一手だろう。
 空いたバスに乗り込んだが、途中からどんどん人が乗って来る。厚木近辺はバスしかないのだから当然だ。しかも相当奥地迄住宅地になってしまったのだから、偉い人口増加だろう。鉄道でも欲しいところだ。
 厚木に着いてから王将で一杯やった。割と飲み食いして電車に乗って、S、Kとは町田で別れ、止せば良いのに小腹が減った気がして花丸で子ぎつねを食べた。喰い過ぎになって苦しいの辛いの、胃が縮んじゃったんだろう。情けなかでした。