一月、二月、三月と塔ヶ岳に登って来たが、嫌でも気付かされたのは、六十五歳を過ぎて又もや、体力及び運動能力が、一角曲がったと言う事だ。
登りが駄目になって来たのは、分かって居た。空身でも、地図の時間で登るのが普通になったから。そうねえ、六十歳からだろうか。荷物が重い時に駄目なのは、五十五歳からだったと思う。
其れでも、下りは何とかなった。頑張れば人を抜き捲る事が出来た。
今年になって自覚せざるを得ないのは、下りに切れが無く、モタモタして居るのだ。じゃあ前は切れたのかって?アタ棒よ!
下りは目で下れ、なぞと偉そうにのたもうて、次に足を置く所を見定めて的確に其処に足を置き、如何にも小気味良く下ったのだ(と本人は思って居る)。
其れが出来なくなっちまったのだから、今や唯の爺さんなのだよ(涙)。
又もやと書いた通り、五年毎に曲がり角を迎えた記憶が有る。其れに賛同する人は結構多い。皆さん、同じ思いを(山に限らず)して居る様で有る。
併し、考えて見れば直ぐ分かるのだが、人間が五年毎に体力が落ちる筈が無い。部分的には不規則だろうが、総体的に見れば或るカーブか直線か其の混合を描いて落ちて行く、と考えるのが、きっと妥当だろう。
では多くの人の賛同を得る五年周期とは、一体何だろう?
あたしが思うに(お前が思っても意味無いとかのチャチは置いといて、謹聴です)、人は自分の歳を(特に)意識するのは、区切りの良い時なのは極(ごく)自然な話だ。
偉く簡単に結論を出したが、俺ももう六十か、そう言えばめっきり登りに弱くなったなあ、とか、目が霞む様になったなあ、とか、物忘れがひどくなったなあ、とか色々気付くので、区切りの歳で変化が有るかの様に思える、当たって居るのでは?
まあ、どうでも良い。年相応に衰えて行くのは自然の摂理ってもんで、悲しむには当たらない。何事も、年相応に楽しめば良いのさ♪