2013年3月22日金曜日

山の報告です その三十六





 山の報告とは烏滸がましい(おこがましい)のだけれど、前回訪れたのが平成十六年九月、従って此の愚ログを開始(平成二十年)してから、一度も行って居ない事に気づいた。
 蛭ヶ岳で有る。散々書いて居る癖にあんまりだと思って、三月上旬に行った次第。
 実は、Rさんが山を下り、小屋が県営になってからは、行く気が失せて仕舞ったのだ。Rさんの時代には、年に数回は訪ねて居た。Yと一緒が多かったが、SやKとも行った。
 県の雇った小屋番氏は、Rさんとは比べるべくも無い素人だった。あたしもYも、自分等も素人なのに、すっかり嫌になったのだ。其れだけRさんは魅力が有る山男だった。
 月日は流れ、人同じからず。十二年間蛭ヶ岳に居た小屋番氏は、立派な登山者に変身を遂げて居た。前には余り良くは書いて居なかったのだが、消去する気は無い。そんな頃も有ったのだから。でも、今は全く違う、と明言しておきましょう。
 さて、バスの本数が無くなってからは、道志側から入るのは車になった。東野から入り、ゲート前に車を置く。
 霜解け道を登る。やがて雪が出て来た。此れが一寸と性質(たち)が悪い。氷の上に雪が数センチ乗って居る。従って滑る。小さなトラバースの部分では氷の斜面で、あたしゃあ四つん這いで通過した。だって、滑ると左の斜面に其の儘落ちて行くんだもん。
 其処から上は、ずーっと氷と雪。大苦労させられるが、例に依ってアイゼンを着ければ何てこたあ無いのだ。唯、状況は結構悪いので、 下りは絶対アイゼンとストックだと、心に確りと決めた。(おいおい、だったら今使えよ)
 主脈に出ると、雪も氷もぐっと減る。日当たりの所為だろう。詰まり其れだけ、主脈縦走路は、素敵だって事なのだ。間も無く姫次、突然展望が開け、真ん前が富士山なのは、何度も味わって分かっては居ても、新たな感動を感じるものなのだ。



 此処から蛭へは二時間、あと一息と思った甘さは、嫌と言う程思い知らされたのです。
 続きます。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

わー!!! 雪の蛭が岳を単独行で、行かれたんですね。寒かったでしょう。 二代目の小屋番さんも、良い人でよかったですね。山が人を育てる???
富士が近クて、立派ですね。

kenzaburou さんのコメント...

>山が人を育てる
全く其の通りで、小屋番氏もそう言ってました。
あと、蛭は中々遠い山なので、辿り着く迄に皆さん山の気を吸って善人になる、とも。
尤も、下山すりゃあ悪人に戻っちまうんですけどね。