2018年1月31日水曜日

閑話 その二百五十




 堀山の家の前でしばし休憩。又凍った雪を踏んで登る。普段なら汗が垂れる処だが、寒くて寒くて汗なぞ出ない。珍しくも毛糸の手袋を嵌めてポケットに手を突っ込みっぱなしで行く。三十代と思しき女性が降りて来た。
女性「頂上はマイナス17℃ですよ」
私「えー、そりゃあ寒いや」
 汗をかかないのも道理であるなあ、なぞと思ってるうちに大階段に取り付いた。あとは唯々登るのみ。余計な事を見ず考えず、が鉄則だ。
 花立山荘前も流石に空いている。小屋横の風の当たらないベンチが空いていたので、パンをムシャムシャと昼飯にする。登って来た同年代の男性が立ち止まった。
男性「美味しそうな物を食べてますねえ」
私「いやいや」
男性「私も腹が減ったけど頂上迄我慢します」
 腹ごしらえもできたので、花立のピークを目指す。既述だが、昔々はピークは直ぐ其処で、チョチョイってもんだった。今では一登りなのだ。七十歳ですなあ。
 花立のピークに立つと、中央丹沢の山々も目に入って来る。夏ならここからが山なのだが、冬は雪が有る所からが山なのだ。従って随分前から山だった訳だ。
 写真は花立からの檜洞丸。
 さっき迄風がゴーゴーと響いていて、吹き曝しに出たらひどい目に会うぞ、と覚悟していたが、幸いにも風は収まった様だ。
 塔への最後の登りになるが、思いの外雪は深くない。大体膝迄、一寸と深いと腿迄だ。道標を埋める様な積雪ではない。
それでも降りて来た五人のパーティがあたしに道を譲ろうとして、先頭がトレースを外れたら腿迄潜って横転した。その位の積雪はあるのだ。「済みません」と言い乍ら横を摺り抜けた。気の毒だが仕方無いのです。
 雲量は5といった処だ。スカーッと晴れ上がっていたら最高なんだけどね。(続)

2018年1月28日日曜日

閑話 その二百四十九






 一月二十二日に関東に大雪が降った。あれで大雪って言ったら、東北・新潟・北陸の人に笑われるだろうけどね。
 雪は当然丹沢にも降った。で、二日後に塔へ行って来たです。雪の翌日は未だ交通機関が乱れてるだろうし。
 写真はその日に花立から眺めた塔ノ嶽。
 渋沢の一番バスは、やや余裕のある満員。雪の後の一番バスに乗ろうなんて人は、どう見たって素人衆ではなく手練れな皆さんだ。
 あたしの横に立って居るおばさん達の会話が耳に入る。「昨日は大変だったでしょう?」「雪が滑るので、花立からアイゼンを着けたわ」えー、昨日塔へ登って、今日も又登るのかい! 「昔はトレースが無ければ喜んだけど、今じゃトレースがあると大喜びよ」「分かる分かる」うーん、相当やり込んでるなあ。
 トイレに入ったり、スパッツを着けたりで、ラスト近くでの出発になる。前後するのは二、三人の中高年だ。若い諸君はどーーっと行ってしもうた。
 一本松を過ぎてからの登りは、昨日融けた雪が凍ってツルツルになっている。駒止への階段も氷に覆われて、とうとう横に逸れて雪の上で軽アイゼンを着けた。その横をアイゼン無しで登って行く中年男性。
 今迄に無い事だ、馬鹿尾根の登りにアイゼンなんて。いや、凍った下りだってアイゼン無しでやって来たじゃないか。
 七十歳ですな。氷の上に靴を置いて滑らないのは、瞬間にキュッと靴底を打ち付けていたのだろう。それが出来なくなった。そしてバランス感覚も怪しくなったので、凍った階段を登るのに危険を感じた訳だ。
 詰まり小気味よく体を動かせなくなったって事で、事実の前には謙虚であるべきだ。モタついた爺さんになったって事ですなあ。昔は粋な足さばきなんてえのもあったけどね。
 アイゼンを着けてからは急に安全になったが、一抹の寂しさを感じつつ登ります。(続)

2018年1月25日木曜日

休題 その二百五




 又梵天荘の事。七日は先客が有ってダメだったので、二十一日に再度訪れた。此の日も日曜日だ。七日と違うのは登山者が駅に数人しか見えない事だ。大山行きのバスにも十人位しか並んでない。矢張り七日は新年登山だったのかな。
 写真は、もう咲いて居る聖峰の蝋梅です。
 石段を登ると自動ドアが開いて安心する。営業してるって訳だ。何時潰れるか分からない、と心のどこかで思っているのだろう。
 声をかけると脳梗塞の爺さんが階段を降りて来た。元気そうなので安心する。女将は客が帰った部屋の片づけをしてるそうで、石段を登る。風呂の手前に客間が二部屋有るのだ。泊り客も足腰弱っていては部屋には着けない。
 二部屋共泊まったらしく、女将とパートのおばさんが片付けの最中だった。正直、泊り客も居るんだ、と驚いた。まあ、馴染みの客も居るのでしょう。良い宿なのだから。
 この日こそ一人で悠々入浴である。日が射しこんで湯気に光の筋を描く。梵天荘ならではの贅沢だ。
 欠点は、次の客が来て、女性かカップルだったらあたしが出るのを待たせてしまう。そんな可能性は非常に低いだろうが、思いっ切り長湯は何と無くできない。どうしても適当に切りあげてしまうのだ。
 それでも服を着る時は、未だ汗が垂れるのだから充分に温まってはいる。そして石段を下って行くのだ。うーん、健康で無ければ来れない風呂でありますなあ。
 地下足袋を履き乍ら声をかけると、パートのおばさんが顔を出して挨拶してくれた。見るとフロントからの階段は十段位の普通の階段だった。印象では急で高い階段だったのだ。
 帰り道、誰か梵天荘へ向かわないかと見て歩いたが、誰もいない。そう滅多に人は来ない場所なので、仕方が無い。ずーっと宿を続けて欲しいがそうも行くまい。女将が続けられなくなったら廃業だろう。
 今年の初梵天荘でした。

2018年1月21日日曜日

柄でも無い事 その六十五




 お馴染みのハコ蕎麦(箱根蕎麦)です。あたしの行きつけは町田北口店、定員九人、無理して十人の小さな店とは既述である。
 狭いけど(狭いからかな)昼時は満員、良くぞぶつかって食器を落とす事故が起きないものだと感心する。これはたまに行く小田原店も同じで、こっちは広いだけに行き交う人々も大勢、ぶつからず上手く擦れ違っている。
 北口店で耳に入った話を書こう。
年配男性「××を下さい」
 店員は「お待ちください」と言って仕事を続けている。手が空いたら「○○円です」。
チケットを買わなかったのだ。その場合は現金で売る。一々説明してる暇はないのだろう。
「冷やし狸大盛り二枚」「はい、ダブル大盛りですね」これは麺が倍になると言う事だ。長崎のチャンポンの大盛りは倍で、偉い目に会った。博多ラーメンも確か倍だった筈だ。関東では1.5倍が標準だ。流石にこれは、今迄に一人しか会っていない。
「ネギ大目で」
 しょっちゅう聞く。
「ネギ抜きで」
 これもたまに聞く。で、バランスが取れる。
「ワカメ抜きで」
 たまにある。逆は“ワカメ蕎麦”なるメニューが有るので駄目なのだ。
「よ、××ちゃん、いつものや」「さっき六人分の持ち帰りがあって大変だった」「それはしんどいわ」
 常連の関西の男性と店員のやり取りだ。ハコ蕎麦は一切ご愛想無しなのだが、流石に関西人はEQが高い。持ち帰り六人分ちなると店で六人分出すより手間がかかる。さぞやしんどかった事だろう。それに行列は出来るし。
 セットを頼む人が結構いる。あたしは蕎麦にかき揚げか竹輪で充分なのだが、人間食えるうちが華だ。ハコ蕎麦が有るので、小田急沿線住まいで本当に良かったと思ってます。