2021年11月30日火曜日

休題 その三百九十六

 

 二十年は前の話になるが、祖師谷北口はドラマと言うDVDレンタル店が一手販売だった。ドラマは他に二店舗程の小さなチェーン店だった。店舗は小さくない、何でも揃っていた。

 そこへ全国展開の大手ツタヤが乗り込んで来た。それもドラマの真ん前へ店を出したのだ。そして特別大セールを始めた。ドラマも必死に対抗するが相手は何せ業界最大手、祖師谷店で幾ら赤字を出しても何でもないのだ。結局祖師谷のドラマは廃業に追い込まれた。

 時代は移り変わって令和の御代、DVDレンタルが成り立たなくなってしまった。ネットフリックスを始めとする世界配信業者がのし上がって来た。ドラマの悲哀をツタヤが味あう事になったのは、皮肉ではある。

 町田のツタヤを覗いたら、店の半分はがらんどうになっていた。そこで何かのイベントをやるらしいが、最後の足掻きにも思える。鬼滅の刃見放題なぞと書いてあるが、虚しいだけだ。DVDで見るのは年寄りだけだろう。

 あと一年はもつまいと思った。時代が変われば、新たに起きる業種もあれば消えて行く業種もある。人力車ができれば駕籠かきは消える。量販店ができてカメラ屋や電気屋は消えた。法律が変われば米屋もタバコ屋も消える。世の習いであるのだ。

 こちとら年金生活者なのでツタヤの行く末を考えても無意味なのだけど、一抹の寂しさはある。消え行くものは寂しさを誘う。パチンコが消えても寂しくないけどね、逆に嬉しいだけさw

 配信業やネット動画で好きに面白いものを選べるって事は、テレビの需要が増々なくなると言う事になる。年寄り以外にはだ。とても良い話じゃないですか。必要な情報は流さずにどうでも良い事を煽り立てていたが、あと十年はもたないだろう。

 テレビが政権交代をさせた事もあった。思えばひどい時代でしたなあ。

2021年11月25日木曜日

休題 その三百九十五


  シナの停電騒ぎの情報がなくなった。停電は治まった訳だ。洪水の為に操業できなかった炭鉱が操業再開できたって事だろう。Co2排出を抑える為に停電にしているとシナは言っていたが、嘘も大概にしろよとあたしは笑っていたが、真に受けてそう発言したコメンテーターもいたそうで、そんな人間を使うテレビ局はアホなのか、わざとやってるのかw わざとでしょうなあ。

 シナがCo2削減の為に停電も辞さない、なんて有る筈ないとは素人でも分かる。大体がCo2削減しようなんて気は更々ないのだから。日本のマスコミはシナの宣伝機関になり果てたとの認識が必要ですぞ。

 欧州は天然ガス高騰の為、電気に困っている。再生可能エネルギーの比率を上げたは良いが、不安定な為電力供給の柱にはなり得ない。それは最初から分かっていた事でしょうが。そしてそうなった。

 フランスは原発新設に舵を切った。脱原発なんて言ってられなくなったのだ。脱原発と石炭発電廃止がアラモードだったが、絵に描いた餅だったですなあ。

 ドイツは脱原発を推進してフランスから原発の電気を買っている。これってまやかしだと思うんだけど、ドイツ人は気が付かないのかね。エコエネルギーが頼りにならずに困っているのに、相変わらずCo2削減と唱えている。石炭を天然ガスにすれば40%のCo2削減できる。でも60%は排出するのだ。

 日本の石炭発電は世界一Co2排出が少ない。天然ガスに引けを取らない。堂々と石炭を燃やすべきだ。”化石賞”を貰って揶揄されているが、”化石賞”はヨーロッパ諸国こそが相応しいとあたしは思う。

 Co2が温暖化の原因とされてるが、証拠はない。そうではないと言う科学者も大勢いる。温暖化自体が間違いだと言う説も有力だ。エコが政治問題化した事の方が問題なのです。

2021年11月22日月曜日

休題 その三百九十四

 

 妻はファックスが文字を送ることがどうにも不思議でならないと言う。その癖テレビの画面には疑問を持たないらしい。そんな妻を笑えなくなってしまったですよ。量子コンピューターを分かろうとして玉砕すますた。前に書いたかな? 忘れてもうたから又書こう。ダブってたら御免くんしょう。

 分かろうったって専門書なんざ読めないし、読んでも理解不能だ。あたしが科学知識を仕入れるのは主にブルーバックス。講談社の新版で「科学をあなたのポケットに」が売り文句。売り文句の通り尻ポケットに入るし、そこそこの専門性もある。

 竹内繁樹氏の解説書だが、分かった気にさせるのではなくてある程度分かって貰う、がコンセプトだった。うーん、明らかに選択を間違えた訳だ。若く柔らかい頭だったら、多少理解できなくとも丸ごと吸収するものだが、老いて固い頭では一つ理解できないとその周りから離れられず、結局何もわからなくなっちまうだよお(涙)。

 ”重ね合わせ”が根本原理とは承知しているが、その先に進めず討ち死にであった。リサ・ランドールの超弦理論でも玉砕したが(これは記述の覚えあり)、今回もである。

 新しい物に興味は持つべきだ。興味を失えば化石人間になるだけなのでね。唯、新理論を理解する事はできなくなったってこった。そう言うもんが実用化したんだな、量子論がコンピューターにも活用される時代になったんだ、ってえのが限界なのだろう。

 それで充分生きていける訳だ。妻だって、ファックスを不思議がり乍らも何不自由なく暮らしているでしょうが。

 一寸と量子力学には変に興味があったので、玉砕する羽目になった。あたしに理解可能なのはクオーク迄なのだろう。それ以上は立ち入れない領域らしい。今度は分かった気にさせてくれる本にします。