2009年3月29日日曜日

休題 その六

店 011

 お断りしておくけど、汚い話なので汚い話が嫌いな方はパスして下さい。
 酒を呑み過ぎての結果としての反吐の話なので、偽り無く汚い話なので有ります。 外国人から見ると日本人は驚く程無警戒に暮らしているらしく、俗に言う平和呆け、その危険については此の休題でも取り上げたが、それ程深刻では無い無警戒な人の話から始めよう。
 十一時過ぎの電車内、割と空いていて座っていたら、フラフラとサラリーマン風のおじさんがやって来た。それは構わない、フラフラだろうとブブラだろうと文句を付ける気は更々無いが、気を付けるべきは其のおじさんが反吐塗れのグチャグチャで、上着からネクタイからズボン迄綺麗(?)に反吐がベッタリ、二昔前だからよく有った光景なのだ。
 お、やばいと誰でも思うでしょう?勿論あたしゃあ何時でも逃げる体勢を整えて警戒してたけど、向こうに全く気付かず新聞を広げている上等な背広の男性が居た。
 件の反吐男(失礼!でも事実なので)はよろめいて、選りによって上等背広の男に覆い被さった。上等背広は何が何だか分からず、わー、とか言って足掻いていたが、べったりと反吐男が被さっているんだから堪らない、自分もたっぷり反吐男になってしまって、元祖反吐男は足下に崩れ落ちた。
 わっはっはっはっは、……失礼しました。
 で、駅に着き扉が開いたら元祖反吐男は這って降りようとし、扉が閉まり挟まれてしまい、放って置けないのであたし外有志二人が足を引っ張り、車内に引き摺り込んだ。ニュー反吐男は、自分に付いた反吐をハンカチで拭きながら叫んだ。
「そんな奴は放っておきゃあ良いんだ!」
 はっはっはっは、気持ちは分かるけどね。
 別の話、友人二人と遅い電車の扉の前に立って居た。友人達は扉の左右に、あたしは一寸と扉から離れた位置に居たと思いなさい。
 そこへ例に依って酔ったサラリーマンがつかつかとやって来て、突然扉に向かって勢い良く吐いたのだ。水っぽい反吐だったので左右の友人はモロに飛沫を浴び、あなや!と叫ぶ間も無く扉が開き件の男は下車、扉が閉まって残されたのは反吐を浴びて呆然とする友人達と、笑いを必死にこらえるあたしだったのだ。はっはっはっはっは。
 ま、此の件については、あたしの立ち位置の運が良かっただけなんだけど、何時どんな災難が襲って来るかは誰にも分からないので、お互い自分の身は自分で守る心掛けが必要と愚考する次第です。
 本文で山と酒の章が始まるので、汚い前触れ、失礼しました。

2009年3月28日土曜日

閑話 その十八

 

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 山に登る人にはそれぞれきっかけが有る様で、元々山好きのタイプも勿論存在するが、多くは誰かに誘われて行った山で虜になるパターン。
 従って初めて行った山で、山が好きか嫌いか決まる事が多いと思われる。
 本文には、妻と次女、長男には触れているが長女は登場しない。不幸な長女は初めて行った山で懲りたので、あたしのせいとも言えますなあ。
 長女が中学生の時、二月末にユーシンへ車で入り、塔へ登って蛭で一泊、弁当沢の頭の尾根を下ってユーシンへ戻るという山行へ連れて行った。
 当日は小雨、最早此れがいけないのだが、天気ばかりは仕方が無い。それに長女は筋金入りの雨女なのだ。塔からは雪を踏んで歩くのだけど、小雨は降り続き景色なんざあ有りゃしない、唯々ガス、それも風が吹き渡って腰を下ろして休む気もしない状況、あたしには極普通の環境だが長女には途轍もない苦労だったのだろう。
私「小屋に着くと薪ストーブがゴーゴーと燃えて、暑い位なんだぞ。だから頑張って歩くんだよ」
長女「えー本当、パラダイスだね」
 長女は目を輝かせて喜んだが、寒かったのだ。ま、二月の雪の中で風に吹かれて小雨に打たれれば当然過ぎる程当然な帰着で有る。

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 小屋に着いたら、客が居なく(当たり前?)薪ストーブはお預けで石油ストーブが燃えていて、暑いは反故、長女には寒い環境だった様だ。
長女「寒いよ」
私「濡れた服を脱いでセーターを着込むんだ」
 Rさんの小屋のせいでは無い。初めての人間(それも寒がり)を二月の悪天候の日に連れ出したあたしが悪いのです。Rさんの名誉の為此処ははっきりさせておきます。
 で、長女は寒い夜を過ごした。一寸と可哀そうだが、山とは元来そういうものなのだ!
 翌日は幸いにも雨は上がったが、ガスと風は相変わらずで、雪の上で寒がる長女も相変わらずで有る。下りの尾根は軽アイゼンを着けさせ、車に戻ったと思いなさい。
 止めはカーブを責めるあたしの悪癖で長女は完全に酔ってしまった事で
長女「山なんて、もう行かない!」
 となって仕舞ったのは、取り返しのつかない失敗(それ程でも無いか)で有った。
 四月頃の爽やかな晴れた日だったら、景色と新緑の美しさに、きっと長女も歓声を上げた事だろう。富士山でも姿を見せていたら尚更の事だ。それに寒くないし(此れが大きいと気付いた)。覆水盆に戻らず、仕方無いとは此の事。
 どなたか初めて山に連れて行こうとしている方、どうぞあたしの踏んだドジを踏みません様に。(え、当たり前?失礼しました)

2009年3月25日水曜日

四と目の峰は? その四

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 先程、夕暮れは秋だ、と書いたけれど、そうなんです。秋は午後に入るとすぐ日が傾き、夕方の感じが漂って来て、二時頃には夏の五時位の感じとなる。一人でススキの中なぞ歩いていると、とても寂しい。それが大好きなのだ。きっと同好の方もおいででしょう。マイナーな山が、特に良い。
 でも、秋の夕方に道の無い尾根なぞを下っていると、非常にマズイ。風情を楽しむどころでなく、明るいうちに降りなきゃ、と焦ってしまうが、そういう時こそ落ち着きが肝心、間違ったら目も当てられない。首尾良く下れれば、足元に里が見えて、ぽつりぽつりと灯りが点され始める。つい立ち止まって最後の景色を楽しみます。暮れ行く山々と、暮れ行く山里を。だって、もう着いたようなものだから。
 三ツ峰の章なのに、秋の話になってしまった。三ツ峰には、前述の通り秋に行く事が多いからなんです。
 三ツ峰南方は塩水川、北方は早戸川が流れている。どちらも蛭の多い流域である。早戸川流域は勿の論、ワサビ沢、弁天沢でも蛭にやられた。ひどかったのは、高畑山から青藤沢への廃道(今は地図には路が復活した)を下った時だ。
 最後は、沢添いの藪こぎが続いた。林道に這い出て、やれやれと見ると、捲くった両腕にびっしり蛭がついている。わー!首筋にも!脚にも、地下足袋にも!軍足を脱ぐとそこにもびっしり……。
 車で帰ったのだが、シートとハンドルが、止まらない血でヌルヌルになってしまった。おまけに蛭を連れて帰ったらしく、風呂場にいました。ゲンナリ……。
 前住んでいた家の周りには、女郎蜘蛛がやけに繁殖していたが、あれも私が連れて帰ったものだろう。流石にカモシカやサンショウウオはついて来た事はない。ろくでもない物ばかりがついて来るとは、世の習いなのだろう。嫌な渡世だなあ。
 東丹沢なら、どこからでも三ツ峰が見える。物見峠から見た話はしたが、何処から見ても三ツ峰はスターである。特徴ある姿が堪らなく良いのだ。ヤビツ峠付近からの姿も絶品で、全く綺麗に揃った三ツ峰なのだ。
 歩けば、(運良く泣き叫ぶ家族連れがいなければ)静かな山旅を楽しめる。最後は宮ヶ瀬湖に向かって降りていく。私の未だ見ぬシロヤシオツツジが咲く頃は、新緑と相まって、さぞや美しかろうと思われるので、秋ばかりでなく、是非五月にも行こうと思っているのです。

2009年3月22日日曜日

閑話 その十七

店 010

 

 十六の用語説明の続きです。え、詰まらない?気のせいです!
★アイゼン。雪上で使用する爪が有って滑らない為の道具で、昔は鉄だったが今は合金かアルミで軽くなった。あたしゃあ鉄に拘って重さに泣いている間抜けさは相変わらず見事で有る(?)。
 8本爪だったが何時の間にか12本爪ばかりになって、前に突き出した2本が邪魔で仕様が無い。皆が氷滝を登る訳では無いのにと不思議なのです。
★巻く。滝や崩壊地点を避けて通る事。滝は横の小沢か斜面を登り、落ち口へ下り、崩壊地点は多くの場合は其の上方を通過して路に戻る。
 割とヒヤヒヤさせられる行為で、あたしの様な高所恐怖症には鬼門です。
★グリセード。ピッケルを支えとし、登山靴の踵で雪渓を滑り下る技術。スキーの靴バージョンと思って頂ければ、ほぼ正解。非常にカッコ良い姿で、靴を捻ってストップする時なぞは、おー、と見とれてしまう。残念ながらあたしゃ次の奴しか出来ません。
★尻セード。ピッケルを支えとし、尻で雪面を滑り下る技術(?)。グリセードと異なり雪渓に限らず雪面なら全て応用可能という強みが有るが、カッコ良くないのが悲しい。
★スカブラ。雪面に風が描く模様。良い物ですよ。
★トラバース。斜面を横切る行為。意外と危険を伴う事も有る。上越の清水峠から謙信尾根を下るには、隣の尾根へトラバースしなければならないが、夏なら道を行くだけなので何でも無い。積雪期は大苦労となり、雪の凸凹(それも小山の様な)を越えながらトラバースするので、いっそピークに登って隣の尾根へ取っ付いた方が楽な位だ。
★停滞。悪天候の為予定の行動を止め、天気の回復を待つ事。これが単独で幕営の時は、一日の長いの長くないのって、やって見なくちゃ分からんでしょう。
★ピストン。同じ道を行き戻って来る事。
★アタック。テント(或いは小屋)から軽装で出発し目的のピークを踏む事。殆どが前記のピストン行動となる。
★火器。ウエポンではなく、山中で使用する炊事用具。昔々はホエブスと言う白ガソリン(オクタン価ゼロのガソリン)を燃やす物が流だったが、今は博物館物で、ガスコンロ全盛となった。それもあたしが後生大事に使っている二十年物と違い、カロリーが馬鹿高く、お湯なぞあっと言う間に沸く。
 其のコンロの口を変えて、照明にも使用する。いやあ、贅沢な時代になりました。
★カブラ徳利。備前独特(多分)のカブラの形状の徳利で一升以上の酒が入り、姿はほれぼれするのだが、注ぐにはとても重いという欠点が有る。
 上のは冗談です。説明しなけりゃならない冗談ってのも何だかなあ。以上で山用語説明を終ります。

2009年3月20日金曜日

四つ目の峰は? その三

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 本間ノ頭に突き上げる尾根を登った時の事。秋だった、所々に赤い紅葉(変な表現でしょうが、丹沢は黄葉が多いのだ)が印象的で、文字通りの静かな秋の山歩き、贅沢三昧を味わいました。あ、くどいだろうけど、馴れない方は行っては駄目ですよ!馴れた人には気持ちの良い尾根だ。ブナや楢やクヌギの疎林が続く。登り一方だが、ボサに飛び込む事は、そうは無いのだ。
 処で、前にも触れたが、山が死ねば海が死ぬ。もう植林は止められないのだろうか?手入れする人手にも困っているというのに。東日本の国土を造っているのは落葉樹林帯なのだ。それは、縄文時代から決まっている事なのだ。因みに、縄文時代の人口比は、落葉樹林帯の東日本を二十五とすると、常緑樹林帯の西日本は一、恐るべし落葉樹林帯の威力!豊富な木の実、豊かな水、様々な生き物。春の丹沢を歩いても(植林帯じゃないですよ)枯葉を踏みながら歩く。その枯葉はやがて消える。土に変わるのだ。針葉樹じゃそうはいかない。土の再生産が出来ない。だから土が痩せる。茸も生えない。動物も生きられない。(人間も動物なんですぞ)
 東北のどこかでは、漁師達がお金を出し合って、ブナや楢やクヌギを植林していると聞いた。さもないと魚が姿を消すそうだ。まあ、私にはどうする事もできないんだけど、ブナや楢やクヌギ(ブナ林帯という)を減らすどころか、増やす方向で考えて頂きたいのです。(誰が?私以外の誰かだ!)
 御殿森ノ頭付近に、唐松が有る。標高の低い所なので、植えたのだろうか。(えーん、ブナを植えてよ)別の秋の日、さらさらと唐松の葉が散り落ちる下を歩いた。深山を歩く思いであったが(前記と矛盾してる?うーん、そう……)、バス停はじきなんですよ、そして飲み屋も。
 お馴染みのYと下っていると、初老の男性が佇んでいた。
私「どうしました?」
男性「鹿がいてさ」
 成る程大きな鹿が登山道を塞いでいる。
私「どかしましょう」
男性「大丈夫かい」
 ほいほい、と鹿をどかせたが、其の男性がチャキチャキの江戸弁だったのだ。歯切れが良いというが、全く歯切れが良く、私には絶対真似出来ない。歯を閉じた侭発声するあの感じ、もう殆ど話せる人は居なくなってしまった。きっと勝海舟もそんな話し方だったのだろう、と思わされる。江戸弁は標準語では無いのですなあ。
 山本夏彦氏の文章に、都心も正月になれば車の往来が絶え、何処からともなく子供達が道路に出て来て遊ぶ。それが皆チャキチャキの江戸弁だ、というのが有ったが、それすら今や昔話だろう。江戸弁を話す人達は散り散りとなり、江戸弁は滅びるのです……。

 (四つ目の峰は? その四へ続く)

2009年3月18日水曜日

休題 その五

店 009

 

 国が滅びるのは外敵の為で無く、内部から崩壊するというセオリーは常識だろう。改めてローマ帝国や中国諸王朝を語る迄も無い。
 内部から崩壊するという事は国民のモラルが崩壊する事で、自分だけ良ければ良い人間が多数を占めた時の事で、最近の(古代ローマの話は現代とは余りに遠い)例を引けば、新幹線の中で女性が暴行されたという信じがたい話、泣きながら通路を引っ張って行かれる女性を誰も助けず、車掌に通報もせず目を伏せていた人達は、一人残らず同罪だ!(同罪はきつ過ぎかな?)一人一人調べ上げ裁判に掛けるべきではないだろうか。映画に有ったな、似た話が。ジョディ・フォスターの若い頃の作品だったと思う。告発の時だったっけ?忘れてしまった。
 もう貴方(もしくは私)は街中で強盗に襲われ、叫んで助けを求めても誰もが目を逸らせ去って行く、貴方はとことん、人だらけの街中で孤独に強盗と向かい合うしか無い。最早国家としての機能は失われかけて居る。
 喧嘩をしていても我関せず、誰かが倒れていても我関せず、誰かが助けを求めていても。勿論全員では無いが、そうなって来ているではないだろうか。
 其の癖文句だけは確りつける輩は増大している。モンスターペアレンツ等々。
 中には立派に人として行動する方も居る。表には出ないけど大勢居る。だからこそやっと日本が崩壊せず居られるのだとは理解して居るが、悪い部分も確実に増大しつつ有ると思えてこれが杞憂ならこんな嬉しい事は無い。
 そこで頭が粗雑なあたしゃあ粗雑な正義感(失礼!)に拍手を送ってしまう訳で、前に同僚達を褒めて書いたのです。
 昔からの朋友にYAという男が居て、見た目はヤクザ其の物だが、チッチッチ(外人調)どっこい良い男なのだ。
 電車内で脚を組んで突き出している若者が結構居るが、YAは其の脚を蹴飛ばして歩く。
「何すんだ、こら!」
 と凄む奴も当然居るが、YAが覆い被さり「あ?」と睨むと脚を引っ込め沈黙するそうだ。
 YAが嬉しそうに言う。
「今日良い事したよ。駅の階段をやっと下りてる年寄りを突き飛ばして行く若い野郎を、後ろから思いっきり蹴っ飛ばしたら 落っこちやがってさ」
私「乱暴な、そいつ怪我しなかったか」
YA「知らねえよ、俺は言ってやったぜ、てめえ年寄りは大切にしろよ」
私「何て答えた」
YA「必死に頷いてた、はっはっは」
 万事その調子で、あたしゃあ真似も出来ない。YAの町内は不良が一掃されたそうで、不良の親は先ず不良なので、YAはPTAの役員として其の家へ土足で上がり込み、「てめえ、調子こいてんじゃねえぞ!」とやって町の平和を取り戻した。褒めて良いかなあ?
 平和は口で百万遍唱えても達成不能で有る事の一例として書きました。疑う方は百万遍唱えて下さい。はっはっはっは、ご苦労様!又もや乱暴話、失礼致しました!

2009年3月16日月曜日

四つ目の峰は? その二

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私「カップルがどうしました」
A「貴方、会ったんですか?」
私「変な奴らでしたよ」
A「変ならそうだ。バテちゃっててね」
B「堂平から来て、間違えて三ツ峰を下ったみたいだな。金冷やし(大倉尾根にも同名の場所有り)の下で会ったから、もう 下って林道を登るしかないよな」
私「え、堂平へ下る積もりだったの」
C「あそこ迄来たら、もう登り返せないよ」
A「堂平に車を置いてあるんだって」
C「懐中電灯は持ってっこないな、でも林道 だから、夜通し歩いても大丈夫だろう」
私「そう、林道だからね」
 詰まり、彼等がへばっていた金冷やしから一時間半下って此処に着き、四時間近く林道を登らなければ、馬鹿ップル(失礼)の車が置いてある堂平に着けないって事。下る尾根を間違えたのだ。(林道で間違えない事を祈ります)
 おいおい、気づけよ、三ツ峰の登りで変だと思うだろ、普通は!堂平からは登るだけなんだから、帰りは、そう、下るだけですよね。その有りえない登りで私と出会ったのだ。
 その時、挨拶が返されれば、私も、これから長い下りですね、とか言うでしょう。そうすりゃ彼等だって、え、と思って聞くですよ。堂平はこっちですよね?とか。それだけで悲劇は避けられたのだ。
 馬鹿が山に来るのは、気の毒!あ、不適切な文章、忘れて下さい!書かなかった事にしますから。
 これを読んでいる方に言うのは、釈迦に説法とは存じていますが、山では、挨拶をしましょう。大倉尾根とか、表尾根とか、人がうじゃうじゃいる所は別です。かえって迷惑の場合もあるので。少なくとも、余り人に会わないところでは、必要です。余分な説法、失礼しました。
 馬鹿ップルは無事です。気になってニュースはチェックしていました。どっかに泊まって翌日堂平へ戻ったのだろう。夜通し歩けるとは思えない。ひょっとすると、タクシーを使ったかな?ま、無事で何よりでした。
 金冷やし、大倉尾根と同名だがこちらの方が一寸と痩せ尾根っぽく、巻き道が連続し桟道も結構造られて小さな梯子も有る。雪が付いていると嫌な所だろうが、軽アイゼンが有れば問題無いだろう。冬場は気を付けて通過しましょう。
 堂平といえば、妻と次女(当時小学生)、長男(同低学年)を連れて車で入った事がある。堂平から道を行かず、真直ぐ瀬戸沢ノ頭(ばらせばこれが三ツ峰の、幻の四峰目なのだ、えっへん)を目指した。アザミが咲いていた。道ではないので当然ひどく歩きにくい。長男は、アザミが痛い、滑って歩けないと泣き叫ぶ。妻が叱りつける。小さな蛙がいて、次女が蛙だー!と叫びまくる。(次女は虫や蛙を異常に怖がった)家族の怒鳴り声泣き声が、静寂な山に響き渡っていた。とても情無い……。 (四つ目の峰は? その三へ続く)

2009年3月14日土曜日

閑話 その十六

イラスト7

 

 本文の元になった原稿は、編集者の指摘で山用語に注釈を入れさせられたが、アップしている文章には、煩雑なのと此処に来る人には分かり切った事だと判断し除いて有る。
 併し山登りをしない人も来るので、簡単に説明をしておきましょう。
 草鞋、地下足袋、キスリング、ナーゲルについては章を設けて説明済みだからOK。
★ガレ。石や小石が斜面を構成している場所で、沢の詰め上げはほぼガレとなる。落石が起きやすく、のんびりしてはいけない場所。
★ザレ。ガレより細かい砂や土砂で構成された斜面で、とても嫌な場所。イラストの如くヤモリの様に張り付いて、場合によっては指をザレに突き込んで己を確保する。
★詰める。良く出て来るが、沢を登り稜線へ上がる行為を詰めると言う。非正規ルートの尾根を登る場合にも使用する。
★こぐ。藪を通過する行為と書いたが、バリエーションとして、這松こぎ。這松の上を通過する事だが足を取られて這う様に進まざるを得ず、キツイ、普段は無いが(這松を踏むなんて駄目です!彼等は1m成長するのに三十年も掛かるのだ)積雪期には嫌でも出会う。
 石楠花こぎ。石楠花を掻き分けて前進するのだが、粘り強い石楠花の抵抗でキツイ。
★ツェルト。非常用簡易テント。薄いナイロンかテトロン製で木に紐で掛けて使用するが、テント代わりにポールを立てて使用する事も有る。保温力は極めて弱いが有ると無いでは大違い、ローソクを立てれば其の温度だけでも天国と思える。
★ビバーク。不時露営の事で、予定以外の山中の宿泊。テントやツェルトが有れば上等だが、無い時は着るもの全てを身に着け、ザックに足を突っ込んで蹲って朝を待つ。
 夏だっから良かったが、新聞紙を敷いて其の上にゴロンと横になり寝た事が有ったが(ビバークした訳です)、明け方の寒さは耐えがたく、真ん丸くなってしまった。
★ラッセル。ラッセルカーと言えばお分かりでしょう。雪を掻いて進む行為。膝迄なら鬱陶しいだけだが、腰を超える積雪だと殆ど進めない。足元を固めて膝で前の雪を固め其処に足を置いて固め、と延々と続ける。
 正月の遠見尾根で一晩に1m以上降られてテントも埋められ、雪洞に入っていた単独行者は一晩中雪掻きをして騒いでいたが、お気の毒です。
 翌朝は快晴、他のパーティが出掛けるので付いて行ったが、各パーティが集まり二十人程の列になって全然進まない。白岳の急登で先頭はスコップを振るって悪戦苦闘、併し急斜面の為雪は胸を越えしかもフカフカの新雪なので前進不能、諦めた。
 関連用語にラッセル泥棒と言うのが有るが、ま、あたしの事で、人様のラッセルを利用させて貰うチャッカリ者。
★トレース。雪面に出来た人の通った跡。詰まり大小のラッセルの跡。
 長くなったので、続きは閑話十八で。

2009年3月13日金曜日

四つ目の峰は? その一

FH000159

 

 丹沢山から北東に伸びる、丹沢三ツ峰は七、八度歩いたが、下るばかりで、登った事がない。登りに取ると、さぞ辛かろうと思う。たまに登る人とすれ違うと、息も絶え絶えで、ああ気の毒にと、心から思える。きっと、登ったら本当に長い尾根だろう。
 五月には、シロヤシオツツジが綺麗だと、本では読んでいるのだが、残念ながら一度も咲いている時期に当たっていない。何故か秋に行く事が多い。
 三ツ峰というが、四つ峰なのだ。さて、これで三っつ目だと思うと、もう一つ有る。結構ショックである。同じ思いは、大勢している筈だけど、ひょっとして、貴方もそうじゃないですか?不思議な事に、何処から見ても綺麗な三ツ峰なのだ。四っつ目の峰は何処に行ってしまったのでしょうか?
 勿論日帰りは可能だが、若い人以外にはお薦めしない。大体忙しいし、とても勿体ない。走り抜けるには惜しい尾根なのだ。塔にでも丹沢山にでも泊まって朝を迎え、すがすがしく歩くところですよ。
 私事です。若い頃は日帰りで行って来て、お疲れ様で、終わりだった。五十過ぎて日帰りをこころみた、と思って下さい。結局やった訳なんですが……。
 前にも触れた通り、とことんふしだらに暮らしている男なので、私には似合わぬ気合を入れた。よし、久し振りに日帰り三ツ峰だ、頑張るぞ!
 大倉尾根も飛ばし(本人の感覚ですよ、人から見れば、飛ばすってなーに、の水準です)、丹沢山へも急ぎ(だから、ちっとも速くないんですから)、三ツ峰へかかった頃から膝が痛みだした。登りは良い。下りが、変に痛い。お馴染みのやつです。
 円山木ノ頭で若いカップルが休んでいた。「こんにちは」と声をかけたが、全く無視された。何だ変な奴らだ、と思って痛い膝をいたわり、ゆっくり下った。
 宮ヶ瀬間近になった時には、殆ど夕暮れが迫っていた。ところで、夕暮れといえば秋ですなあ。それは後程。
 今は宮ヶ瀬まで歩かなくても、三叉路というバス停が有り、しかもその前に飲み屋が有る(当時はなので、今は不明)、何たる幸せ。勿論一杯やりました。飲んだ後バス停で居合わしたパーティの話。
A「大丈夫かあの二人、未だ来ないが」
B「大丈夫だろう。どうしようもないさ」
C「日が暮れるな」
B「自業自得だよ、死にやしないって」
 あの二人?それはあの二人に決まってる。どうした?どうでも良いけど、袖すりあうのも他生(多少じゃなく他生、他の世界、詰まり前世の縁)の縁。 (四つ目の峰は? その二へ続く)

2009年3月10日火曜日

柄でも無い事 その一

店 008

 

 前の仕事は出張が多く、主に西に毎週の様に出掛けていた。名古屋の丸栄で何気無く陶器売り場を覗いたら、黄瀬戸のぐい飲みが手招きしており、其処から離れられなくなって、(あたしに取ってはだが)高価な其のぐい飲みを買ってしまった。其れが始まりで、焼き物の話です。
 其の前から陶器に興味は持ち始めていたのだが、本で見るか地方の店か美術館で見るだけで、自分で持つ積もりは無かった。好きなのは志野、備前で、黄瀬戸は何かなあ、と其の良さが分からなかったのだが、それが丸栄の出会いで変わったのだ。
 幸いで有る、西日本は焼き物の宝庫、瀬戸、多治見、常滑、京都、三重、金沢、越前、出石、丹波、布志名、備前、砥部、大谷、萩、唐津、有田、薩摩、小代、と近くに行った時は足を伸ばし、現地で焼き物を漁る事が出来るので、ラッキー此の上無し。
 何にでも目を配っていたら限が無いので徳利とぐい飲みに絞り(酒飲みなので)、一寸とコーヒーカップも視界に入れる。
 作者には拘らない、と言えば格好が良いが、正確には拘れない(高価なので)、自分が気に入った物が良い物なのだ。併しですよ、世の中は巧く出来ていると思ったのは、此れは良いと思える物はまず高価。とほほほ……。彼方此方で結構買い込んで無造作に並べ、普段使いしている。
 前の家では玄関に徳利を十ヶ以上並べ、ガチャガチャと装飾とは思えない有様。しかも場所が場所故、人や荷物が触れて三つ程が落下して死んだ。何、焼き物は割れるが故に果かない美が有るのだ、と強がっては見るが矢張り悲しい。今の家では五つだけ飾って有る。
 使う為に買ったのだから使うので、箱は捨てる。箱書きなんぞはどうでも良い。今は無名でも将来有名になりそうな作者も居るが、誰が焼こうが美味い酒が飲めれば其れで必要充分なので、満足で有る。
 白状いたしやす。実は特に気に入った物は梱包して段ボールに詰めて有る。地震で壊さない為で、思い切り良い振りをしても所詮は凡人、何とも見っとも無い振る舞い、一寸と恥ずかしいです……。
 酒やコーヒーは嗜好品なので、味が気分に左右される部分が大きい。気に入った器を使う事で味も良くなる。良い店が器に凝るのは当然なのだ。
 偉そうにのたまいました。実際は、酒は飲めれば幸せというあたしなのでガラスのコップでグイグイやっていて、ぐい飲みの出番は滅多に無いのです。いや、どうも。
 でも好きな酒器に囲まれているだけで、心豊かに飲めるのは幸せです。
 酒好きの貴方、もし酒器が無ければ安い物で良いので、気に入った物を探して見ては?一つの徳利、一つのぐい飲みから新しい世界が始まるかも、知れません。(え、皆さんとっくにやってるって?)

2009年3月9日月曜日

閑話 その十五

FH000042

 

 此処も写真で失礼。しかもでかくしちゃって。
 本文にしょっちゅう登場するSは、高校時代奇しくも三年とも同じクラスに居た男で、ギッチョの体操部員、滅法腕力が強く気が強く、若い頃は何かと意見が合わず、喧嘩ばかりして居た覚えが有る。
 それでも一緒に山岳会を造ったりしている訳だから、何処か気が合ったのだろう。
 山岳会は山浪(やまなみ)と称していたが、会を立ち上げる以前の山行を思い出すと、殆どがS及びKと一緒で有ったと気が付いた。
 初めての雪の丹沢もそうで、大倉尾根を登って居るうちに極めて嬉しい事に曇天から快晴に変わり、花立からは30cmを越える雪となって我々高校生達は眩しさに眼を細め、周りは真っ白に装った山々、今と違ってビールで乾杯もせず、ただただ圧倒的なパノラマを眺めて居た。

 

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表尾根を下ったのだが、膝を没する雪なので、尻をつき滑り降りたのが爽快で、やけに面白かった。これは誰がやっても面白く無い筈が無く、あたしも又やりたいなあ♪
 夕方から大倉尾根を登った時もSと一緒だった。あとはDとUだったと思う。偶然同期生で山岳部員のUTと大倉で出会い、共に夜道を登る事になった。UTは主脈だったけど、あたしたちゃあ何処へ行くんだったけ?駄目だ、思い出せない、情無い。
 花立の手前の赤土の斜面でSが動けなくなった。お、何だ?簡単な話で腹が減って脂汗、エネルギー切れって奴ですな。パクパク弁当を食べたら元気なSに戻ったというお粗末。
 この日は塔の尊仏山荘泊まりで、小屋の灯りが見えた時は嬉しいものなのです。小屋に入り、土間でホエブスに白ガソリンを入れていて、うっかりSの足に掛けてしまい、Sに離れて貰ってから点火したら、火が見事にさーっと走ってSの足がカチカチ山状態、皆で叩いて消したというお粗末。誰がSにガソリンを掛けたかって?済みません、あっしがやりやした……。
 で、翌日はUTと別れ、我々は何処へ行ったんでしょうね?最早完璧な惚けです(涙)。
 Sは頑丈な男だが、本文で書いた通り、指先の寒さに弱いという欠点が有り、もう一つ、大汗かきなので水を無闇と必要とする。だから小屋の前を通ると、ビールを買ってはグビグビやる訳なのだ。決してアル中では無いので、Sの名誉の為にハッキリさせておきます。
 Sはプロカメラマンをリタイアし、蕎麦打ちや太鼓を通じて地域で活躍する傍ら、マラソンや自転車を趣味として、昔からの友人から見ると偉く健全な男になってしまって、比べると自分が情無くなってしまうが、SはSあたしゃあたし、と割り切ってと言おうか開き直って言おうか、どっちにしろ山を未だに四十代(と同等)の歩き方が出来るのは、立派としか言い様が無い。爪の垢を下さい。(しまった、貰って飲んだら下痢しちまったぜ)
 因みにSの奥さんも四十代の山登りをSと共に出来るのだから、ま、似た者夫婦、目出度い限りです。(羨ましい限りが正しいです)

2009年3月7日土曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その四

FH000048

 

 あれから、何年たったのだろう、沈む夕日を幾つ数え……。著作権に引っかかるから、止めます。
 詰まり、今はカーブをきつく責める事は、しないので、安心して乗って下さい。はい、当たってます。しない、でなくて、できなくなった!その通りです、畜生!!気持ちだけは若いというのも、冷静になれば馬鹿みたいで、はい、その通りです。
 当時の話。林道をスプリンター(今有る?)で、隣にYを乗せ、跳ねるように走っていた。突如、ガン!!と音と衝撃。車を止め、恐る恐る見ると、な、何と、尖った石が底に刺さっている。それだけなら良い。笑って済まそう。まずいのは、オイルがジャーっとこぼれている事なのだ。
 やばい?当たり前だ!狭い林道で方向転換、切り返しを繰り返しても、気が気じゃない。エンジンが焼きつく前にエンジンを切って、しっかりした所に着かないと、邪魔になる事夥しい。ブルで谷に落とされて、スプリンターとはお別れになっちまう。
 方向転換完了、後は惰性で下って戻る。ブレーキが効かなくなる。サイドブレーキを引きながら制動をかけ、平坦な所は車を押して何とか玄倉へ戻れた。山田モーターへ連絡して後は任せ、歩いて進み、山上峠から伊勢沢ノ頭へ登り、秦野峠から廃道で玄倉に戻った。少々の事故ではへこたれない、若いって素晴らしい~♪
 後日、山田モーター(お世話になりました。湯元平にある)から直ったと連絡あり、車を取りに、新松田からバスに乗り、行った時だった。その日、天気がメッチャ良かった。山に登るつもりはなかったのだが、地下足袋が、何故か助手席に有った。それで丹沢湖から、番ヶ平に登る事になったのだった。
 取り付いた尾根が伐採地で、篠竹の切り口が鋭く、地下足袋を貫かれそうでビクビクしたのを、変に鮮明に覚えている。
 峰坂峠からの廃道は、藪が茂り、崩壊が進んで廃道寸前(?)の有様、川原に下りてからの渡渉にも苦労したと思う。老婆心ながら、要らぬ説明をしよう。私の廃道の定義は多分間違っているのだろうが、「もはや通行不能とこれを認む」の事なのだ。だから、ぶら下がったり、ヒーヒーいって這いずったりしてこそ、初めて廃道と認識するので、ご了承下さい。
 三国山周辺は、余り歩かれていない山域だが、まったりした風情があって、悪くないですよ。西丹沢なのだが、外の西丹沢の山とは一寸と違う。土が火山性を帯びているからだろうか。特に、富士を見たい人には良い山。でも、全然見えない場所もあるので、下調べにはご注意。矢張り、富士山の純白に装った冬がお薦めですが、良い風が吹くからご用心を。

2009年3月5日木曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その三

 

FH000071

 今ならそんな弾んだ感じは、薬にしたくともない。今なら、二人でぶすーと、引き返えしながら。
妻「道、間違えないでよ、ただでさえ疲れるんだから」
私「今の、でかい猪だったな」
妻「売れば幾らになる?」
私「売った事ないから、分からん」
妻「全く、猪一つ売れないんだから」
私「……一つじゃなく、一匹なんだよ」
妻「どうでも良いでしょ、甲斐性なし」
私「……」
 まあ、こんなとこでしょう。
 里道を間違えた話。SとKと、滅茶苦茶なN、は高校時代の同期生で、外の同期生メンバー(I、T、H、E、W)も加え、我々で山岳会を造っていた事がある。Sの奥さん(当時は結婚前)Wも同期生のメンバーで、彼女の勤務先のF銀行(今は合併した)の女性達も参加し、総勢十四、五人程の零細山岳会だった。
 同期生と、その友人達の集まりだから、民主的(?)で、リーダーは持ち回りだった。ま、団地の塵集積所掃除当番みたいなものと思って下さい。
 ルールは、リーダーに従え。(民主的だ)持ち回りだから、リーダーに余り適さない者もリーダーになる。道を間違えるリーダーは、不思議にも決まっていた。Kである。いつでも、何故か、Kである!
 奥多摩で(どの山だか忘れた!)登りにかかった。言うまでもなく、リーダーはK。里道が一気に急登になり、ぐんぐん登る。Kはピッチが速い(脚に障害が有っても速い奴だから、健常の頃は尚更だった、迷惑千万な奴)から皆必死に着いて行く。突如、先頭のKが止まる。皆止まる。
K「おう!(Kの口癖)引き返す」
 何かの作業場に着いたのだった。Kを先頭に無言で引き返す。昔の仲間を自慢する訳だが、(こういう書き方は、良くないとは知っています、済みません)誰も文句を言わない。無言だけど……。何年か経って、あの時はお前、とか話が出る。でも、当日はルールに従い、何も言わない。ね、なかなか出来る事じゃないでしょう?
 あの時はお前、と言われたKは、平然と
K「おう、良い思い出になっただろう」
 駄目だ、責めるだけ野暮だ……。
 丹沢湖から、番ヶ平に尾根を詰め、不老山を越え、峰坂峠から廃道を、世附川へ下った事があった。
 峠道が廃道になっていたのだから、二昔前。そうだ、迷惑なYと車でユーシンへ走っていた時の出来事が発端だ。当時はユーシンへ車で入れた。前の遭難話で触れましたね。
 私事だが、どういう訳か車は何時でもボロイが、腕はピカピカ。但し、曲がりくねった道。そう、道志川沿いの413号線とか、林道とかは、お任せあれ。うっかり乗った貴方は、吊り具に掴まった侭、口も利けない。喋ると舌を噛む事になる。 (冬山のツェルトで三人暮らし その四へ続く)

2009年3月3日火曜日

休題 その四

店 007

 

 「ビルマ戦線に居ると思え」
 よく家族に言う言葉だ。皆、又始まったと思っているのが顔に出ている。
 やれ暑いの寒いの、飯が美味いの不味いの、着るものがカッコ良いの悪いのとワーワーやってると、つい「ビルマ戦線に居ると思え」とやってしまう。
 勿論ビルマ戦線に居た事は無い。何冊かの本で得た知識しか無い。北ビルマでの「菊」と「竜」の悪戦苦闘、インパールの白骨街道、ペグー山地の悲惨な撤退戦。何処も圧倒的に強力な米支軍、英印軍相手に押しまくられ、弾に当たって死ぬより飢えと病で命を落とすパターンで、作戦指導部の無能ぶりには唖然とせざるを得ないが、何より可哀そうなのが現場の将兵なのだ。
 常に補給の無い戦なので飢えるし弾薬も欠乏し、防御陣地を造るにも資材も無いのだから土を掘るしか無い。前線では常時砲爆撃に曝されている訳で、露出していたら即戦死、穴を掘って身を縮めているしか無く、半年続く雨季には水の中に入っているのだから、足の皮は剥け落ち、皮膚はブヨブヨ、其の上食料も無いのに敵が現れたら(滅多に現れない)戦うのだから、想像するだに偉い苦労だ。
 負傷したり病に罹ったら、撤退に同行不能、置いていかれるが責められない。誰もが飢えて半病人なのだから自分一人を運ぶので精一杯、責められるべきは軍参謀部、方面軍、南方総軍或いは大本営。
 敵は滅多に現れないと書いたが、現れる時は猛烈な砲撃の後、戦車を先頭にやって来る。処が有効な対戦車兵器が殆ど無いので、酸鼻極まる虐殺が繰り広げられる。
 撤退路には先行した部隊の行動不能となった兵が白骨となり、或いは腐乱死体となって点々と倒れており、死体を辿って行けば道を失う事は無い。嗚呼……。
 と、古本を漁って手に入れた戦記、それも下級将校か下士官兵の物に限り、何故なら死ぬ思いをしてやっと生還した人達の生の体験だからで、高級将校が分かった様に書く文章なんざ読む気もしない訳なのだ(偏見?そうじゃ無いと思う)。所詮其の本で得た知識に過ぎないが、比べれば日本で暮らす生活は天国だと痛感したのです。其れなりの下地が有って本文でも書いてるが(未だアップしてない)、冬山から帰って来た時の気持ちは、ビルマ戦線から生還した気持ちの百万分の一か千万文の一位のものが有るのではないかなあ。日常生活が途轍もなく素晴らしいものに感じられ、何の文句も無い気持ちになれるのだが、神では無い出来の悪い我が心故、数日で薄れて行くのが残念だ。
 でも、其の気持ちだけは何処かには残っているので、家人が贅沢を並べると「ビルマ戦線に居ると思え」と思わずやってしまうのだ。
 ビルマ戦線生き残りの方、怒らないで下さい。本当は、一番自分自身に言い続けるべき言葉なのだろうとは、自覚しています。