2009年3月7日土曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その四

FH000048

 

 あれから、何年たったのだろう、沈む夕日を幾つ数え……。著作権に引っかかるから、止めます。
 詰まり、今はカーブをきつく責める事は、しないので、安心して乗って下さい。はい、当たってます。しない、でなくて、できなくなった!その通りです、畜生!!気持ちだけは若いというのも、冷静になれば馬鹿みたいで、はい、その通りです。
 当時の話。林道をスプリンター(今有る?)で、隣にYを乗せ、跳ねるように走っていた。突如、ガン!!と音と衝撃。車を止め、恐る恐る見ると、な、何と、尖った石が底に刺さっている。それだけなら良い。笑って済まそう。まずいのは、オイルがジャーっとこぼれている事なのだ。
 やばい?当たり前だ!狭い林道で方向転換、切り返しを繰り返しても、気が気じゃない。エンジンが焼きつく前にエンジンを切って、しっかりした所に着かないと、邪魔になる事夥しい。ブルで谷に落とされて、スプリンターとはお別れになっちまう。
 方向転換完了、後は惰性で下って戻る。ブレーキが効かなくなる。サイドブレーキを引きながら制動をかけ、平坦な所は車を押して何とか玄倉へ戻れた。山田モーターへ連絡して後は任せ、歩いて進み、山上峠から伊勢沢ノ頭へ登り、秦野峠から廃道で玄倉に戻った。少々の事故ではへこたれない、若いって素晴らしい~♪
 後日、山田モーター(お世話になりました。湯元平にある)から直ったと連絡あり、車を取りに、新松田からバスに乗り、行った時だった。その日、天気がメッチャ良かった。山に登るつもりはなかったのだが、地下足袋が、何故か助手席に有った。それで丹沢湖から、番ヶ平に登る事になったのだった。
 取り付いた尾根が伐採地で、篠竹の切り口が鋭く、地下足袋を貫かれそうでビクビクしたのを、変に鮮明に覚えている。
 峰坂峠からの廃道は、藪が茂り、崩壊が進んで廃道寸前(?)の有様、川原に下りてからの渡渉にも苦労したと思う。老婆心ながら、要らぬ説明をしよう。私の廃道の定義は多分間違っているのだろうが、「もはや通行不能とこれを認む」の事なのだ。だから、ぶら下がったり、ヒーヒーいって這いずったりしてこそ、初めて廃道と認識するので、ご了承下さい。
 三国山周辺は、余り歩かれていない山域だが、まったりした風情があって、悪くないですよ。西丹沢なのだが、外の西丹沢の山とは一寸と違う。土が火山性を帯びているからだろうか。特に、富士を見たい人には良い山。でも、全然見えない場所もあるので、下調べにはご注意。矢張り、富士山の純白に装った冬がお薦めですが、良い風が吹くからご用心を。

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