2009年3月5日木曜日

冬山のツェルトで三人暮らし その三

 

FH000071

 今ならそんな弾んだ感じは、薬にしたくともない。今なら、二人でぶすーと、引き返えしながら。
妻「道、間違えないでよ、ただでさえ疲れるんだから」
私「今の、でかい猪だったな」
妻「売れば幾らになる?」
私「売った事ないから、分からん」
妻「全く、猪一つ売れないんだから」
私「……一つじゃなく、一匹なんだよ」
妻「どうでも良いでしょ、甲斐性なし」
私「……」
 まあ、こんなとこでしょう。
 里道を間違えた話。SとKと、滅茶苦茶なN、は高校時代の同期生で、外の同期生メンバー(I、T、H、E、W)も加え、我々で山岳会を造っていた事がある。Sの奥さん(当時は結婚前)Wも同期生のメンバーで、彼女の勤務先のF銀行(今は合併した)の女性達も参加し、総勢十四、五人程の零細山岳会だった。
 同期生と、その友人達の集まりだから、民主的(?)で、リーダーは持ち回りだった。ま、団地の塵集積所掃除当番みたいなものと思って下さい。
 ルールは、リーダーに従え。(民主的だ)持ち回りだから、リーダーに余り適さない者もリーダーになる。道を間違えるリーダーは、不思議にも決まっていた。Kである。いつでも、何故か、Kである!
 奥多摩で(どの山だか忘れた!)登りにかかった。言うまでもなく、リーダーはK。里道が一気に急登になり、ぐんぐん登る。Kはピッチが速い(脚に障害が有っても速い奴だから、健常の頃は尚更だった、迷惑千万な奴)から皆必死に着いて行く。突如、先頭のKが止まる。皆止まる。
K「おう!(Kの口癖)引き返す」
 何かの作業場に着いたのだった。Kを先頭に無言で引き返す。昔の仲間を自慢する訳だが、(こういう書き方は、良くないとは知っています、済みません)誰も文句を言わない。無言だけど……。何年か経って、あの時はお前、とか話が出る。でも、当日はルールに従い、何も言わない。ね、なかなか出来る事じゃないでしょう?
 あの時はお前、と言われたKは、平然と
K「おう、良い思い出になっただろう」
 駄目だ、責めるだけ野暮だ……。
 丹沢湖から、番ヶ平に尾根を詰め、不老山を越え、峰坂峠から廃道を、世附川へ下った事があった。
 峠道が廃道になっていたのだから、二昔前。そうだ、迷惑なYと車でユーシンへ走っていた時の出来事が発端だ。当時はユーシンへ車で入れた。前の遭難話で触れましたね。
 私事だが、どういう訳か車は何時でもボロイが、腕はピカピカ。但し、曲がりくねった道。そう、道志川沿いの413号線とか、林道とかは、お任せあれ。うっかり乗った貴方は、吊り具に掴まった侭、口も利けない。喋ると舌を噛む事になる。 (冬山のツェルトで三人暮らし その四へ続く)

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