2009年3月3日火曜日

休題 その四

店 007

 

 「ビルマ戦線に居ると思え」
 よく家族に言う言葉だ。皆、又始まったと思っているのが顔に出ている。
 やれ暑いの寒いの、飯が美味いの不味いの、着るものがカッコ良いの悪いのとワーワーやってると、つい「ビルマ戦線に居ると思え」とやってしまう。
 勿論ビルマ戦線に居た事は無い。何冊かの本で得た知識しか無い。北ビルマでの「菊」と「竜」の悪戦苦闘、インパールの白骨街道、ペグー山地の悲惨な撤退戦。何処も圧倒的に強力な米支軍、英印軍相手に押しまくられ、弾に当たって死ぬより飢えと病で命を落とすパターンで、作戦指導部の無能ぶりには唖然とせざるを得ないが、何より可哀そうなのが現場の将兵なのだ。
 常に補給の無い戦なので飢えるし弾薬も欠乏し、防御陣地を造るにも資材も無いのだから土を掘るしか無い。前線では常時砲爆撃に曝されている訳で、露出していたら即戦死、穴を掘って身を縮めているしか無く、半年続く雨季には水の中に入っているのだから、足の皮は剥け落ち、皮膚はブヨブヨ、其の上食料も無いのに敵が現れたら(滅多に現れない)戦うのだから、想像するだに偉い苦労だ。
 負傷したり病に罹ったら、撤退に同行不能、置いていかれるが責められない。誰もが飢えて半病人なのだから自分一人を運ぶので精一杯、責められるべきは軍参謀部、方面軍、南方総軍或いは大本営。
 敵は滅多に現れないと書いたが、現れる時は猛烈な砲撃の後、戦車を先頭にやって来る。処が有効な対戦車兵器が殆ど無いので、酸鼻極まる虐殺が繰り広げられる。
 撤退路には先行した部隊の行動不能となった兵が白骨となり、或いは腐乱死体となって点々と倒れており、死体を辿って行けば道を失う事は無い。嗚呼……。
 と、古本を漁って手に入れた戦記、それも下級将校か下士官兵の物に限り、何故なら死ぬ思いをしてやっと生還した人達の生の体験だからで、高級将校が分かった様に書く文章なんざ読む気もしない訳なのだ(偏見?そうじゃ無いと思う)。所詮其の本で得た知識に過ぎないが、比べれば日本で暮らす生活は天国だと痛感したのです。其れなりの下地が有って本文でも書いてるが(未だアップしてない)、冬山から帰って来た時の気持ちは、ビルマ戦線から生還した気持ちの百万分の一か千万文の一位のものが有るのではないかなあ。日常生活が途轍もなく素晴らしいものに感じられ、何の文句も無い気持ちになれるのだが、神では無い出来の悪い我が心故、数日で薄れて行くのが残念だ。
 でも、其の気持ちだけは何処かには残っているので、家人が贅沢を並べると「ビルマ戦線に居ると思え」と思わずやってしまうのだ。
 ビルマ戦線生き残りの方、怒らないで下さい。本当は、一番自分自身に言い続けるべき言葉なのだろうとは、自覚しています。

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