閑話百五、百六の補足で有る。
八月も二十日、酷暑とは言っても、何か秋の気配が有るもんだ、昔はだが。で、探したが無い。カマドも色付かない。唯、名も知らぬ葉っぱが、一部赤くなって居ただけだ。
毎年の様に暑さの記録を更新して居る。確実に温暖化は進んで居る訳だ。するってえと、カマドも九月にならなきゃ色付かないのかも知れない。
大暑の中を登って居ると、ミンミン蝉と油蝉の大合唱だ。聞いて居るだけで暑さが増す。でも、堀山を越えたら、ぱたっと声が止んだ。蝉の生息高度を越えたのだろう。
前章で、山女(山ガール)に触れたが、此の暑さの中でも、めげずに登って居た。擦れ違った一人は、明らかに六十過ぎで有った。綺麗な色のザックを背負い、赤いストックを手に、元気に降りて来る。
もうこうなりゃあ歳なぞ関係無い。山女と言う女性達なのだろう。是非頑張って下さい!日本の山の為に。(意味不明な方は、前章を参照下さい)
日の出小屋の残骸が、綺麗に撤去されて仕舞った。小屋を閉じてから三十年近くにもなろうか。最近は残骸と化して居たが、幾十度もの嵐に耐えて、立って居た。塔への最後の登りで、青い日の出小屋(の残骸)が見えると、ああ、着いた、と心底嬉しかった。写真は、其の最後の登りで有る。
此れはあたし一人では有るまい。多くの人が日の出小屋を目標にして居たのだ。其れがもう無いのだ。
無理も無い。今度の嵐で吹き飛ぶかも知れないから。
冬は日の出小屋で風を避け、夏は日陰を求めたものだ。本文で触れたが、一度だけ泊まった事が有る。便所が無い小屋だった。
古い人間には、又一つ懐かしい物が消えた訳です。