2013年8月7日水曜日

閑話 その百四




 そうねえ、どの位前だっただろう、二昔は前だった筈だ。初夏に、白馬から五竜へ縦走した。勿論幕営山行で有る。
 写真が有れば良いのだが、ネガが全滅した為に、データー化不能になったのは、前述。山中三泊だったと記憶して居るが、見事な雲海の山旅だったのだ。毎日毎日雲海の上で、高山のみ頭を出して居る、夢の世界で有った。
 夜も雲海。下は一面の雲、頭上は満天の星空で、贅沢極まり無い生活だった。唯、昼間は太陽に照らされ、雲海の反射で下からも照らされて、真っ赤に日焼けして仕舞った。雪上を行くのと大差は無い。積雪期との違いは、太陽光がより強烈な事で、モロに焼ける。
 白馬、唐松、五竜への稜線は雲の上だ。勿論、鹿島槍、爺、針の木の稜線もだ。其れから雲に沈み、野口五郎から雲上に出て、穂高連邦へうねうねと続いて行く。
 右手には、剣、立山から薬師、黒部五郎を経て三俣蓮華への稜線が、雲から頭を出して居る。遠く富士山が見える。其の手前には南アルプスの山々、其の左には八ヶ岳。御岳、乗鞍の向こうには、中央アルプスで有る。
 豪華絢爛金襴緞子、贅沢三昧とは此の事、真っ青な空と真っ白な雲、連なる高嶺、毎日そうなのだから、鼻歌の一つも出なければ嘘だ。里は全く見えないが、其れが何さ、って事で有る。
 最終日、流石の雲海も薄くなって居た。とっと下って(当時だから、今ならやっと下る)薄くなった雲に入って行く。で、滅茶苦茶日焼けして帰京したのだ。
 玄関先で妻が言う。
妻「大変だったでしょう、毎日雨で」
私「え、雨?」
妻「全国的に雨だったのよ、降らなかった?」
私「此の焼け方を見てよ」
 こんな事も有るのだ。あたしと、多分数十人(雲上の登山者すべてを数えた訳では無い)の登山者が、雨を知らなかったのだ。
 何時でもそうあって欲しいが、其れは無理。此の時が、非常にラッキーだったのです。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

まさに山屋さんならではの、幸せの骨頂ですね!!!

kenzaburou さんのコメント...

それも滅多に味わえない幸せなんです!