2020年3月31日火曜日

閑話 その三百十六



 次女曰く、頂上の気温は-2℃でとっとと降りて来たそうだ。「Yさんはずっと上、地獄階段の下で有った」と言う。大階段の事を地獄階段と呼んでいるのだな。悪く無い命名だ。
 と事は言う事はYは七時四十分のバスに乗ったのだ。一時間差である。待たしちゃいけないと思っても、主導権を失っているので急げない。トホホ。
 頂上に着くとYが待って居た。ダウンジャケットを着込んで悠々である。四十分待ったそうだ。Yはぼんやりりと待つことが苦にならない。景色は良いし、ダウンは暖かいし。
 下りに掛かる。暫く下ると途中であたしが抜いた太ったおじさんが登って来た。Yと同じバスだったそうだ。太っているのに良くぞ登って来たと二人で驚いた。立派な頑張りだ。
 花立ピークの下で高校生のグループと擦れ違った。荷物は何も持たず勢いで登っている。「もう頂上ですか」と聞くので「あと少し」と答える。若さの強さだが、天気が急変でもしたら悲惨な事になるのだ。
 堀山山の家で休む。普段は休まないのだが、Yは三時間二十分で塔に登ったのだから相当頑張ったのだろう。疲労が出て来た様だ。あたしも変に疲れる。ベンチに座ったら太腿の内側がつった。いかんですなあ。
 そこからはピッチもがっくり落ちて、唯々抜かされるのみ。Yも完全に主導権を失っている訳だ。馬鹿尾根の下りでは遅れるYをひたすら待つのが決まりだが、今回はあたしもそうは急げない。
 「トボトボと歩くだけ」とはYのしょっちゅう口にする台詞だが、Yは文字通りトボトボで、二本のストックを頼りに下っている。大倉に着くとあの太ったおじさんも降りて来た。結局Yと行きも帰りも同じバスになった訳だ。でもそのおじさん、下りが速い。
 二人とも結構疲れている。Yは登りが好調だったので仕方ない。あたしは二日酔いのお蔭です。

2020年3月27日金曜日

閑話 その三百十五



 Yと塔に登った。以前から塔ピストンの時には、我々は時間差で登る事にしている。Yが先行してあたしがバス一台、約三十分程遅れて出て、山中で追いつこうと言うやり方だ。登りの時間差が三十分強だったので生まれた習慣である。
 その前日に次女が泊まりに来た。明日塔に登ると言う。我々も登るがそのグータラペースには付いて来れないだろうと説明すると、次女は一番バス(六時四十八分)で登る事になった。最初に頂きに立つ次女は、Yそしてあたしと下りで擦れ違う訳だ。
 前夜、次女を相手に山の話や本の話をしていて飲み過ぎた。よって翌朝はプンプンと酒臭い状況で、あたしはだるい。六年前はアルコールを振り撒く様な二日酔い(と言うより酔っていた)でも平気で登降できたのだが、六十代と七十代は違うってこってす。
 八時四十分のバスに乗る。Yは八時十二分のバスに乗った筈だから二十八分遅れだ。平日なので中高年だらけってえのが普通なのだが、若者と一寸と前迄若者だった諸君が中心である。旅行と同じく年寄りは動かないのか。
 二日酔いでもボチボチと行く。まあ、歩けるもんだと思っていたら、堀山の家を越したあたりから主導権を失った。
 主導権を失うとは何? 極めて当然な質問です、説明しましょう。一寸と抑えるかな、一寸とピッチを上げ様かな、と自分でペースを決めてそう実行できる状況を主導権を握っている、と定義している。その逆の状況を主導権を失う、と定義するのだ。詰まり、やっと歩いてるって事ですなあ。情けんなかぁよ。
 前を二組の中年から初老のグループが歩いて居た。「お父さん」と声が聞こえる。そのグループに夫婦がいて、奥さんが夫を呼んでるかと思ったら又「お父さん」と呼ぶ。見たら次女がいた。十二時には頂上だから、其処で合って不思議は無い。でも速いなあ。(続)

2020年3月23日月曜日

休題 その二百九十四


 人間国宝美術館とは言え、それ以外の作品も多い。ピカソを初めとした海外の作品も増えた。結構見応えがありますぞ。
 人間国宝の茶碗を選んで抹茶を飲ませてくれるサービスもある。あたしは志野の鈴木蔵、妻は備前の山本陶秀を選んだ。美味しいんですよ。因みにあたしの志野は二百万円、妻の備前は四十五万円の値段が付いていた。どうでも良いんだけどねw
 駅に戻ってバスに乗る。旅客は若い女性のグループのみだ。ホテルは結構古い。入口の看板には十二組の名前が書かれている。ふーん、今日は十二組かと思ったが、広い風呂では一人しか会わず、貸し切りだ。妻に聞くと親子連れが四人来たが、立ち寄り湯の客だったそうだ。
 食堂に行くと三組分しかセットされていない。詰まり泊り客は三組なのだ。各部屋には名前が貼って有る。しかし人のいる気配はない。妻はこの状況だからドタキャンだろうと言うが、あたしは景気づけだと思う。客より従業員の方が多いのだから、せめて名札位は並べて置きたいのだろう。
 そう思うと哀れである。あたしに哀れがられるのはさぞや不快だろうが、古くなったホテルの行く末が感じられてね。風呂は原泉で80℃、良い風呂なのだ。昔は客が押し寄せた事だろう。でも今は、である。
 妻は古い部屋を嫌う。あたしは全く気にならない。そのホテルは古いなりに手入れが良く、妻も文句はなかったけど。
 出来たら古くて客を呼べなくなって来た宿に泊まりたい。あたしが止まったって何の助けにもならないのは承知だが、それでもそうしたいのだ。人が押し寄せる宿には、人が来るんだから。
 此の件に関しては妻と意見が合う事は決して無い。そして二泊の旅は終わったのでした。旅の終わりは寂しいものであります。

2020年3月20日金曜日

休題 その二百九十二



 武漢肺炎で自粛ムード一色になった。感染予防には必要だろうが、過度になると経済が回らない。ウイルスは湿気と高音を嫌うので温泉は安全な筈だ。温泉で感染したと聞いた覚えもないし。
 では温泉にでも行こうと、妻と出掛けた。どうせ行くならと、伊豆長岡と湯河原に一泊ずつ、二泊の豪華旅行(?)にしたのだ。普段は一泊で帰るので結構せわしない。世の中が動かない今こそ動いて見よう、ってえのがあたしの好みなんです。
 小田原で箱根蕎麦が初日の決まりごとなのだが、旅行客が殆どいない。いつもなら、ガラガラを引っ張ったりリュックを担いだ旅行客がコンコースに群れている。そのうちの多くが外国人なのだ。その諸君がいないので、ガラーンとした感じがする。
 外国人が来ないのは分かるし。来て欲しくもないが、日本人迄来なくてはどもならん。何時もは元気に騒いでいるおばちゃんグループはどうしたんだ?何処へ行っちまった?若者達は春休みの旅行だろう。此の肺炎は年配者に死亡例が多いので、自粛したんですな。
 東海道線にも旅行客は疎らだ。若者のグループが幾つか見えるのみ。伊豆箱根鉄道も同じくである。伊豆長岡で下車してホテルのバスで運んで貰ったが、珍しくも中級の宿だったので客は結構いた。矢張り年寄りは少ないんだけどね。
 翌日は湯河原へ行く。何時もならドーッと降りる乗客も少ない。十年程前に朋友達との旅行で訪れた「人間国宝美術館」へ行って見た。ガラガラで我々の貸し切りである。
良い美術館なのだが場所が悪い。温泉場と逆方向なのだ。おまけに歩くしかない。二十分位歩く。バスもあるのだが、一時間に一本あるかどうかだろう。年寄りには無理だ。
 温泉場にあれば人気になるだろうに、拙い所に建てたものだ。(続)