2011年8月31日水曜日

休題 その七十二


 新撰組は不思議とフアンが多い。因みに撰の字は作るとの意味で有る。知ってるって?失礼しました!
 あたしも新撰組のフアンだ。それも、結構行っちゃってる口だ。
 大体からして、新撰組とは官製のテロ組織(警察組織では有るが、己の判断で人を斬る事が許されて居るのだから、警察とは言い難い)で有り、且つ反体制派と同じ位同士を粛清(えーと、オーバーです)して居る。
 ま、簡単に言えば、機動隊が短機関銃や小銃、手榴弾で武装し、反体制と見なした奴を殺しまくると言う恐ろしい世界で、しかもビビッたり変な動きをする仲間は、遠慮無くぶち殺す、あー恐ろしい。
 なのに何故=、歯を食いしばりー、君は行くのか~♪
 下手な冗談は置いておいて、何故あたしが新撰組が好きかと問われれば、負けると分かった幕府に殉じた、其の男の意地に尽きるだろう。巧く立ち回った連中の多い中でだ。
 で、本題です。大昔、TBSか日テレかで「新撰組血風録」を上映して居た。時代劇役者を評論した本が有ったが、番外として栗塚旭を取り上げて居た。彼は土方歳三を演じる為に俳優になった、最高の土方歳三で有る、と評して居たが、全く同感!!
 沖田総司の嶋田順二、斉藤一の左右田一平、此の二人も滅茶苦茶に良い。
 疑う方は是非見て欲しい。DVDになって貸し出しも始まったのだ。
 映画作りの白黒なので、昔のフアンは年に一度フイルムを借りて集い、「新撰組血風録」を鑑賞する会を開いて居たえお、何かで読んだ、今はDVD、お気楽で有る。
 従って我が家では、週末ともなると新撰組血風録の主題歌が何度も流れる。歌うは春日八郎、流石に巧い。
 「新撰組血風録」、絶対のお薦めです。

2011年8月28日日曜日

山の困ったちゃん その二


 鼾が迷惑な場合も有る事は前述だが、鼾、歯軋りは生理的現象なので、仕方無い。万が一出くわした時は、我が身の不運を嘆くのみしか無い。
 とは言うものの、Yの鼾で出発出来なかっ
た北関東の二人は、嘆く前に怒った事だろう、はっはっはっは、あ、失礼。
 Yの鼾の話は、主脈の章に書いた。随分前
になるので、ご知無い方は、主脈をご覧下さい。どうせ、下らないんだけど。
 適度で無く、過度に酔っ払う人。此れが中
々迷惑なのだ。里でも山でも同じですなあ。
 山と酒の章で、菰釣山避難小屋の宴会を書
いたが、あの時の大阪のおっつぁんは、ヘベレケになって騒いで、大変迷惑で有った。とか言って、一緒になって遅く迄騒いで居た我々も同罪だ。
 神戸から来た初老の二人には触れたが、実
はもう一パーティが寝て居たのだ。暗くなってから小屋に着いた五人(だったと思う)の学生だ。メットを持ち、沢登の装備で有った。
私「何処をやったの?」

学生「水ノ木沢です」

私「藪が酷かったでしょうが」

学生「ええ」

 此の時点でもう、私の舌は縺れて居たのだ
った。学生の諸君は軽く行動食を食べ、シェラフへ入って仕舞った。だが、我々の宴会は続く。大阪のおっつぁんは騒ぐ。我々も騒ぐ。迷惑をお掛けしました(ペコリ)。
 結局、迷惑な登山者が自分になっちまった
ぜ。やばいやばい。他の酔っ払いの話にしよう。
 尊仏山荘に冬泊まった。季節には珍しく一
杯で、自炊組は別棟に集められた。十人程も居た。此れも珍しい。普通は自炊客は殆ど居ない事が多い。
 お陰で暖かかったのは良いのだが(一人だ
ったら、深々と冷える)、過度の酔っ払いの被害を受ける羽目になった。今回は被害者で有る、えっへん(おいおい)。
 (山の困ったちゃん その三へ続く)


2011年8月27日土曜日

柄でも無い事 その三十二


 三国志と言えば皆さん御存知に決まって居る。あたしは(も、と言っても良い位かな)好きで、色々読んだ。誰と誰のをだって?そんなの忘れた。
 一番面白かったのは、岩波の三国志演義、文庫で十冊だが、割と薄いので、そうは嵩張らない。
 原文直訳なので、表現は荒く、細かい描写なぞ無い。人の心の襞なぞ全く表さない。其の癖読んで居る者に、登場人物が実際に現れて来る感覚を与える。簡単な表現がかえって効果を上げて居るのだろう。多分、もう絶版になった筈だ。
 原文なので当然だが、孔明を神格化し過ぎて居るのと、劉備をすっかり善人にして居るのが、一寸と気に食わない。でも、そう言う物語なのだから、仕方無い。
 赤壁の勝利は周ゆ(変換不能)の作戦が功を奏した訳だが、何とか無理して孔明の力として居る。それでも、一番面白い。
 次に面白いのは柴田錬三郎だ。文庫では前半と後半に分かれており、前半は講談社で「英雄ここにあり」、後半は集英社で「英雄・生きるべきか死すべきか」、おのおの三冊なので計六冊、それも厚い。
 流石にストーリー造りの王者、巧くアレンジしつつも、しっかり其の世界と人物を描いて居る。それに、孔明が死ぬと、後は端折ってさっさと終る物が大部分だが、柴田作品は、蜀の滅亡までを(比較的)丹念に描いて居るのは流石で有る。
 併し、孔明が死ぬと後は余り面白く無くなるのは不思議なもので、矢張り孔明がスターなんですなあ。

 小説が読めなくなった、とは前に書いた。
しかし此れを書いていると、三国志なら読めそうな気がして来た。
 あたしが、誰の作品が良いの悪いのと、
柄でも無いですなあ。

2011年8月24日水曜日

山の困ったちゃん その一


 十年程前に読んだのだが、X軸を社会的規範として、+が大きくなると其れを守り、-が大きくなると無視する。Y軸を人生に対する積極性とし、+が大きくなると積極性が増し、-が大きくなると減る。アンケートの結果を其の変わったグラフで表して居た。
 X軸Y軸共に+の上の方、詰まり人生に積
極的で、社会的規範を守ると言うタイプの人の趣味の代表は、登山で有った。ランニングや音楽や読書や、様々有ったが、一番右上は登山だった。
 分かる様な気がする。大体からして、スト
イックな趣の有る趣味だ。やる気でやらなきゃ出来ない。何と無く、気が向いたから、と出掛ける訳には行かない。ま、高尾山は別にしてだけど。
 相手が大自然だから、其の規範には逆らえ
ない。逆らえば、遭難の二文字が待って居る。従って、決め事(嵐の中を行動するなとか)は嫌でも守る様になる。
 因みに対極の、X軸Y軸共に--の人の趣
味のトップはギャンブルだった。
 此れは山のブログだから、臆面も無くしゃ
ーしゃーとして言っちまおう。詰まり、登山は高尚な趣味なのだ(と言っても間違いでは無いでしょう)。
 とは言っても、山に登る人全てが立派な人
と言う訳では無い事は、私を見ても(知ってる人は)良く分かるだろう。
 と言う訳(どんな訳?)で、迷惑な登山者
を取り上げて見よう。勿論ゴミを捨てて行く様な奴や、ルートの柵を無視して植物を踏み荒らす奴や、人を崖に突き落とす奴や、人のリュックから物をかっぱらう奴や、道標の向きを変えて喜ぶ奴や、人の入って居る雪洞を突然埋める奴や、小屋に火を点ける奴や、金を出せと登山ナイフで脅す奴や、吸殻をポイ捨てする奴は論外で、犯罪者として扱うべきなので対象外とする。
 (山の困ったちゃん その二へ続く)


2011年8月21日日曜日

休題 その七十二


 映画音楽については、何度か書いた、と思うけど、覚えて居ない。此れは単なる加齢現象に加え、遺伝も物を言って居る筈だ。
 ブログを調べれば良いのだが(しかもてめえのブログだ)、不精の上に酔っ払い、調べっ
こ無いのだ。
 大体、良い映画(含むB級)には不思議と
良い音楽が付いて来る。悪くても邪魔にならない音楽で有る。
 音楽のお陰で良い映画になる場合も有る。例えば「禁じられた遊び」。あんな悲惨な作
品が名作とされて居るのは、音楽の力も有ると思う。ま、確かに駄作では無いのだが。
 似た時期の「太陽がいっぱい」。リメークされたが(マット・デーモンの出世作だったっけ?)、そこ
そこ受けた様だが、初代には遥かに及ばない。
 アラン・ドロンとマット・デーモンの差?
当然有り得るオーラが違う。でも、音楽の差も大きいとあたしゃあ思って居る。
 当時の映画音楽の大御所、「エデンの東」なんざ、映画としては(あたし的には)詰ま
らないだけだが、音楽が効いて居る。
 一方、ターミネーターやスターウォーズは、
音楽も素晴らしい。前にも書いただろうけど、凄く出来が良い。
 元々良い作品でも、音楽で駄目にした例を挙げよう。

 吉村昭の「漂流」が映画になったが、馬鹿みたいなフォークソングが流れて、あの名作
を滅茶苦茶にしちまった。死ね、プロジューサーと音楽担当者!!!君達は偉い。名作を馬鹿作品にする技術が有る。此れは一種の天才だ。若しばったりと出会ったら、殺してやりい。。。
 前述だけど、「点の記」の音楽は、もろには
まりで、あたしでもこうやるだろうと思える使い方だった。
 映画とは、総合芸術なのです。芝居も同じ
だ。音楽は偉大です。




2011年8月20日土曜日

閑話番外 その五十三


 下りは辛いよ四で、小倉山で幕営したと書いた。其の訳は本文の通りで、若ければ一気に下る事は、言う迄も無い。
 1378mなので、中ノ岳と比べると雪が
汚い。綺麗な雪を探して少しずつ集める。と、ブヨがワンワンと寄って来て刺そうとする。あたしは雪を取る為のコッヘルの蓋を振り回し、防御しつつ雪を取る。結構大変で有る。
 写真は其の時の物では無く、朝日岳への稜線だが、先行パーティが二つ程居て、似た様
な状況も有ったので、載せました。

 どうです、見るからに気持ち良さそうな雪稜でしょう!


2011年8月17日水曜日

閑話 その七十一


 積雪期に行きたい山域を、山と渓谷や岳人のバックナンバーを神保町で漁って調べると、書いた。今はネットで検索出来るので凄く楽だとも書いた。
 従って我が家には古い山岳雑誌が結構有る。
引越しの時相当処分したが、未だ有る。
 昔々の山と渓谷は、山の怪談を連載して居
た。読者の投稿となって居たが、作り物も有るかも知れない。当時の編集者に聞けば分かるだろうが、面倒なんでやらない。
 或るパーティが谷川岳の小屋に着くと、中
に以前遭難死した仲間が座って居る。
「直ぐ降りろ。嵐になる」

 其の言葉を残して彼は消える。パーティは
一気に下山し、入れ違いに数日に亘る大嵐がやって来た。
 と言った話で有る。本当でも嘘でも、読ん
で居て楽しかったのだから、全く文句は無い。今なら、そんな企画は潰されるだろう。大体定番の四谷怪談が、テレビで上映されなくなった。理由はオカルトチックだからだそうだ。
 ふーん、普段ご立派な番組を造ってるからね。

 話を戻す。怖かったのは、確か高校生の三
人連れが奥多摩を下り始めた(何処だか忘れた)。幾ら下っても麓に着かない。何故だ?何時間も時間が空転してる様なもんだ。
 其のうち日が暮れた。と、突然路が分から
なくなったそうだ。広いしっかりした路なので、普通日が暮れたって分かるのだ。
 で、一人が路を探しに進むと、絶壁の上に
出たそうな。ぎょっとした彼が前を見ると、真っ青な顔の女性が数メートル前に立って居る。勿論浮かんで居る訳だ。
 悲鳴も上げられなかった。必死に走ろうと
しても脚が動かない。そうでしょうとも。這って仲間の所へ戻っても、後ろを指差すのみで、説明も出来なかったらしい。
 それからはすっきりと路に出て、直ぐ麓に
着いた。失われた時間は?
 一寸と夏らしい話をしました。

2011年8月14日日曜日

下りは辛いよ その四


 今は皆さん歩かないだろう。車を使うに決まって居る。登山口の駐車場も完備されてるだろうし。え、縦走して来たらどうするって?決まってだろが、TAXIを呼ぶよ!
 そう思うとあの時、嫌になり乍らも歩いて
置いて本当に良かった。今となったら再現不可能なのだから。それも、体力的にも気力的にもだから、絶対無理って事だ。
 下りの章だった。ダラダラ下る章では無い
のだ。
 空と雲の章で、北穂高を尻セードで降り掛
けた話をした。Iは下り始めの時の余りの急斜に危険を察知して、ストップが効いて止まり、暫く下ってから再度尻セードを開始したのだ。
 ま、グリセードじゃ無いので、格好は悪い
ですよ。でも、私じゃ無くR大学の所為ですからね、此処ははっきりして置きます。
 尻で滑るスキーと同じなんだが、違いは抵
抗が大きいのでスキー程の速度は出ないだろうと言う事。もう一つの違いは角度で、下手すると四十五度を越えて居る。通常に見れば絶壁状態なんだが、経験の無い人には分からないでしょうねえ。
 其処を脚を上げ(アイゼンが雪面に引っ掛
かるのを防ぐ)、ピッケルで方向の修正をし乍ら滑り降りて行く訳だが、あっと言う間に涸沢へ降り立った。あんなに苦労して登ったのが嘘の様だった。
 何処でも使えれば楽なのだが、相当の斜面
で無ければ滑らないので、余り尻セードを使用する機会が無いのが残念で有る。下手な所でやったら、どっかへ落っこちて、即お葬式なのだ。
 以上はあくまで大昔の事で。今はそうは行
かないとは、山の報告の通り。
 春にYと、上越の中ノ岳から越後駒へ抜け
た事が有る。十年も経ったかなあ。
 中ノ岳の少し下で幕営し、翌日は越後駒を
超えて、小倉山に着いたのが丁度昼の十二時だった。うん、此処で幕営だ。するとYが
Y「未だ昼だよ。下っちゃおうよ」

 知らないとは恐ろしい。此処からは息も吐
かせぬ下りが続くのだ。早く小倉山に着いたのは早く出発したからで、もう充分に歩いて居る。とてもじゃ無いが、下り切れっこ無い。
私「先は長い。此処で幕営だよ」

 翌日に其の判断の正しさが証明された。下
り疲れたYは、膝が笑い出した。それもモロに大笑いだ。脚を思う所に置けず苦労して居る。此れが昨日だったら、行動不能だ。
 幕営可能な地点なぞ何処にも無い、下りっ
ぱなしの尾根なので、テントを被って一晩を明かすの、一手だった。桑原桑原。
 下りは馬鹿にならない。詰まらない事故も
圧倒的に下りに多い。普通は、登った分は下らなきゃならないのだ。お互い、下りの余力は取って置きましょうね。

2011年8月13日土曜日

クソ面倒な話 その三十六


 日本は脱核発電で有るべきだとの意見が七割強で有った。当然で有る。下手すると八割に達すると思って居た。
 脱化石燃料の為に、核発電を推進すべき、と検討の末決定した事は、当然忘れ去られて居る。
 ソ連のフルシュコフが、政権末期に最期の賭けに出た。西ドイツと関係を修復しようとし、ほぼ話は纏り、後は発表すれば良いだけになった。
 フルシュコフの政敵はドイツ人の性質を知り抜いて居た。西ドイツの大使館職員に毒を注射した。幸い一命は取り留めたが、ほぼ廃人となって仕舞った。
 ドイツ国民は怒った。当然和解の話はパーになって、フルシュコフは退陣した。
 何を言ってるかってえと、一つの出来事で全てパーにするのは、日独、似た処が有る、と言う事。
 福島では確かにドジった。半端で無くドジった。それでも、地震にも津波にも耐えた発電所も有る。同じ福島の女川核発電所だ。こちらは東北電力なので、地震、津波共に大きく想定して居た。うーん、想定外と政府と東電は言うが、東北電力は想定して居たんだ。
 何度でも繰り返す。日本中の人間が核発電を否定しても、あたしだけは推進すべきだと言う。
 タフで安全な核発電所を造れない筈が無い。やれば絶対出来る筈だ。一度で懲りて全否定すると言う考え方を、あたしは取らない。良い教訓として、次の技術に生かすべきだ。
 良い教訓なんて甘いもんじゃ無いって?其の位は分かって居る。それでも、なのだ。日本の技術だから出来るのだ。幾ら嫌がっても、中国製の(多分)粗悪な核発は、どんどん出来上がって行くのだから。

2011年8月11日木曜日

下りは辛いよ その三


 零細山岳部の頃、私もリーダーになった時は(交代制だったので)、ラストから腕組みして下って居た(荷物の大小は状況に依る)。但し、赤岩尾根のリーダーとは重みが全く異なるので、唯の腕組みした若造だったのが情無いのです。
 夏で有る。剣に登って剣御前小舎に泊まり、
翌日雄山を越えて一ノ越へ下り、其の侭黒部湖へ下った。一昔前の事だ。
 かのアルペンルートなのだから、歩かずに
下れる(勿論、駅迄は下る必要が有る)が、お盆だったので混雑が嫌で、久し振りに歩いて下ったのだ。
 前にも書いた(閑話に)けど、三昔前にも
黒部湖へ下って居る。チョロかった覚えが有るのだ。
 二十年経つとこう変わる、と言う見本で有
った。チョロいって、何処が?剣御前小舎からやって来たとのハンデは有るにしろ、こんなに下ったっけ?と自問自答しつつ下ったので、仕舞いには嫌になって来た。
 もう下らない、乗り物を利用する。膝が笑
う様な下りでは無いのだが、横をロープウエイやら何やらが通って居ると思うと、せっせと下って居るのが馬鹿らしく思えるのだ。
 路線バスに追い抜かれ乍ら、道を歩いて居
ると思いなさい。それも、大きい荷物を背負ってだ。文句無く馬鹿で有る。
 八ヶ岳の権現山を下ると、編笠山との鞍部
に青年小屋が有る。此れは秋の初め。夏沢峠から縦走して来て、青年小屋に泊まった。二昔半前。
 のんびりした、良い小屋だったとの記憶が
有る。さて翌朝、お蔭様で吹き降りで有る。やったー、万歳……。青年小屋で暮らす訳にもいかないので出発したが、小屋の主人が心配してくれた。風が強いので気を付けるように、下るに従い風は無くなる、と。
 登る時は、風に良い様に揺す振られた。雨
は小雨なのだが、風の為威力を増して、ビシビシと当る。眼も開けて居られない騒ぎだ。
 小屋の主人の言う通りに、編笠山を越えて
下るにつれ風は収まって、同時に雨も上がって行った。編笠山の向こうからが雨なのだろう。現に、八ヶ岳は黒い雲に覆われて姿を表さない。
 さて、此処からが本番の下りなのだ。ご承
知の通り、八ヶ岳は長い裾野を引いて居る。其の裾野をダラダラと下らねばならないのだ。ご苦労な話だが、仕方無い。目的地は小淵沢駅、嫌でもおうでも歩くしか無いのだ。
 と、力む程のものじゃ無いんだけど、三千
メートル近くの縦走から其の侭JR(当時の国鉄)の駅へ歩くのは、私の知る限りは此のルート(詰まり編笠山から小淵沢)のみなので、力が入っちまったぜ。
 確かに長い。きつくは無いが長い。遠くに
小淵沢らしきものが見えるが一向に近づかない。スケールが大きいのだ。其れは其れで本当に嫌になるもので、何時になったら着くんだよ!と思って仕舞う俗人の私。救いは雨が上がった位だ。
 (下りは辛いよ その四へ続く)

2011年8月8日月曜日

休題 その七十一


 あたしの次女はジブリが命、悪口でも言おうもんなら、凄まじい反撃を受ける。其の手の人は結構多いらしい。
 其のジブリ命の次女が「コクリコ坂から」を観て来た。勿論どうだった、と訊く。

次女「観る必要無し。『耳を澄ませば』が、どんなに名作か分かったよ」

 クッソー、観に行くつもりだったのに。でもそうなんだろう。何せジブリ気違いの言う
事なんだから。
 それで、「耳を澄ませば」を借りて来て、観
たのだ。大体からして、「耳を澄ませば」は、出張中に何と無く観て、こりゃあ凄い、今年一番名作だと、家に帰ってから叫んで、結局全員観た作品だ。当然、全員最高評価。
 あれは何なんだろう。どうって事も無い、話が有ると言えば有るかも知れないなあ、っ
て思うんだけど、結局其れがどう?って事なんだけど、良い物ほ良いって証明なんだなあ、きっと。
 観ていると、淡々と話は進むが、やがて涙
がこぼれて来る。何で?あたしゃあ無理にでも自分をタフな男にしたくて、ゲロをを吐いているおっさんの前でゲロを見乍らおにぎりを食べて見たり、わざと真冬に素足で下駄で歩いたりしたんだけれどもど、無駄だった訳で有る。
 こんなおっさんが「耳を澄ませば」のエンドロールで涙を流して居るのは、恥で有る。
妻は泣いて居る。でも。俺は男だ、泣いて、泣いて堪るかよ~♪
 歌では無かった。けども此の歌、知ってます?トラさんシリーズの元になったTV番組
なんだけど、大昔だなあ。
 真直ぐな心を描いて、しかも、諸々の要素
を入れ込んで、観る人に納得させ、同感させる技術(或いはセンス)は普通では無い。
 て事は今回の「コクリコ坂から」は、残念の一言です。観てないんだけど。。。。

2011年8月6日土曜日

下りは辛いよ その二


 だって、槍を越えて遥々と燕に着いて、そっから一気に下るんだから、楽な筈は無い。特に中高年にとっては、だ。最早昔では無いのだから、私も立派に苦しんで膝も笑うに決まって居る、エッヘン。
 ん、S夫婦みたいな化け物(失礼)は、一
昨年に合戦尾根を一気に登って、常念小屋迄行っちまったそうだから、中高年だからと一括りにゃあ出来ない。強い中高年は強い、弱い中高年は弱い、と言うだけなんだよね。
 しかし物には程度ってもんが有る。S夫婦
よ、君達は明らかにやり過ぎだ。そんな事してたら、比喩では無く、本当の化け物になっちまうからね。もっと中高年らしく登りましょうよ。とてもじゃ無いが、話を聞いただけでもついて行けないんだもん(涙)。
 今迄で一番辛かった下りは、やがてアップ
するけど、八海山(お酒じゃ無いですよ)の後に下った中ノ岳で、少し下れば脚がつり、休んで直ったと思って下れば又脚がつり、一体何時になったら降りれんだろう、トホホホの世界になったが、あれだ。乞うご期待(え、嫌?)。
 下りで苦しむのはKだ。何たって山から落
ちて死に掛けて障害者となって、しかも健常者より達者に山に登るんだから、障害者って何なんだよ!と思うのだが、それでも下りは辛いと言って居た。
 足首を折ると、登りは良いけど下りは駄目
だそうで、特に還暦を過ぎてからは、登りも下りも思うに任さなくなって、山には中々登れなくなって仕舞ったそうなんで、無理からぬ事だとは思うのだが、此れは本人が一番残念だろう。
 仕方が無い、Kよ。あの遭難の時に死んで
居たかも知れないのだから、思うように山登りが出来なくなった位は、あきらめよう。せめて、温泉にでも行こうじゃないかい。露天風呂から新緑を眺めて、湯から出たら、一杯やろうよ!
 冬の赤岩尾根を登る時が有った。大昔だ。
あ、赤岩尾根とは鹿島槍への最短尾根だ。え、知ってるよって?はい、我慢して下さい、知らない人も居るかも知れないので。
 擦れ違った十数人のパーティが有った。一
目で分かる大学のパーティだ。勿論全員でかいキスリング(当時なんで)、先頭はサブリーダーとは、今に至る迄の決まりで、ラストがリーダーなのだ。
 其のリーダーが大きいキスリングを背に、
雪を蹴立て乍ら腕組みして降りて来る。頼もしい。山は経験だ、と無言で示して居た。う―ん、絵になる姿だ。
 薬師岳のパーティにも、経験者が居たらな
と思って仕舞うのは無理からぬ事だ。でも、居なかった。仕方無いのだ。
 あ、突然出てきた薬師岳とは、前にも触れ
た愛知大の冬季十三人全滅の惨事を指す。全員が一年生と二年生だったので、同日、アタックに成功して無事帰還したパーティとの違いは、経験と言う事だったのだ。
 (下りは辛いよ その三へ続く)