此れは私が捻くれて居るからだろうが、山を下って居る時、登りの諸君と擦れ違う時に、変な優越感に似た感情が起きる事が有る。横に避けて、「ゆっくりどうぞ」なぞと声を掛け乍らも、「俺はもう頂上は踏んだんだぜ」と心の何処かで思って居るのだ。
我乍ら性質(たち)が悪い奴ですなあ。私程じゃ無くても、似た感情を抱く人は多いんじゃないかと見て居るのだが、自分を人に投影して居るだけだろうか?蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘るってさ。
尤も常に其の感情が湧く訳では無く、頂上を下り始めて暫くの間が、該当部分だ。其処を越せば、唯の一生懸命下るおじさんになって仕舞うのだ。まあ、許せる範囲の性質の悪さだろう。外にも大勢同じ思いの人も居る事だし(え、話が違うって?さっきは善人振っただけなの、其の位見抜いてよ!)。
で、今回は下りの章です(変なのー)。
山の話となると、殆どが登る話になる。当然だ、苦労の殆どは登りに有ると言っても、過言では有るまい。
処が思い返して見れば、下りと言っても決して侮れないのだと、気がつく。下手をすると、登りより苦労する場合も有った。
迷った話のZの苦労なぞ、其の最たるものだろう。下りになると泣き叫ぶMも、間違い無く典型例だろう。両方とも説明済みなので、此処では触れずに置くとしましょう。
前述で失礼こきますが、ブナ立尾根の下りは凄い。偉く急な上に息を吐く間が無い。一歩一歩の段差も大きく、下手をしなくとも膝が笑い出す状況だ。そんなのお前だけだって?ま、確かにそうなんだけど。
天下の裏銀座の下山路なのだ。多くの人が下って居る訳だが、調べた訳では無いけど、確かに皆さん泣き言なんて言ってないなあ。無理してんじゃないのかな。(違う?)
裏銀座を歩き通した喜びで、下りの辛さは吹っ飛んだ。うーん、有り得るな。或いは、登りの方が、或いは縦走の間の方が辛くて、下りは意識に残らない。結局、其のどっちかでしょう。
世にも哀れなのは、何をトチ狂ったか、ブナ立尾根を登りに選んだ諸君で、生ける屍の様相を呈するに到るとは、これまた前述なのだが、明けない夜は無い、何時か稜線に辿り着く事を信じて登るのみだ。
表銀座なら下山道は、あー、合戦尾根だ。嫌だなあ、あそこは登るのも下るのも。尤も合戦尾根から入る人の方が多いかも知れない。そうなれば下山道は槍沢だ。長くて嫌だけど、其れ程は苦しめられないので、逆コースで合戦尾根を下山道としよう。
と決めたは良いが、合戦尾根の下りで苦しんだ覚えが無いのだ。何だそりゃあ!
お怒りはご尤もです。昔に下ったからで、今下ったらと考えたので、嫌だなあと書いたのです。
(下りは辛いよ その二へ続く)
2011年8月2日火曜日
下りは辛いよ その一
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3 件のコメント:
上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下るって何が嬉しいんだろうや
無謀にも八方の第三ケルン(其処から先はアイゼンがないと危ない)までスキー靴で登る事を常としていた悪戯っ子は苦労して上がったのに、たったの15分でゴンドラの下でビーフストロガノフを注文していた。
アホは阿呆なりに楽しめるのです。あー、先ほどミソ豚骨ツケ麺食べました。旨かったです。
クソ面倒な話で平さんが「職業人別の平均寿命というのを調べた時、医師はかなり 他の職業より平均寿命が短かく、とくに外科医は5年くらい短かったものでした」とか。
ふーむ外科医か。感染症もあるしミスを犯してマフィアに殺される可能性も否定できない。多分、オペで人を何人殺したかで閻魔様が早めにお呼びなさるに違いないと思います。
事実としてあるのは介護している人は早死にするケースが多いのです。人を元気にするために気苦労やストレスが増えるのでしょうか。それでも笑顔でやらねばいけない過酷な仕事ですね。
>上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下る、上がって下るって何が嬉しいんだろうや
嬉しいと言うより、楽しい????
ま、やらんと分からん世界です。
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