2010年4月29日木曜日

閑話 その四十七

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 例の通りネガが無いので、冬の大正池の写真で失礼。
 思い出したくも無いの章で、奥穂高で落石を起こした話をしたが、其の時の山行です。
 当時は沢渡から延々と歩き、釜トンネルを越えて大正池に着くのだが、其の日はラッキ―にも快晴、キスリングはズッシリと肩に食い込み、汗が流れる事流れる事、幕営地の横尾へ着けるか、不安を感じる有様。
 あたしの大分先と大分後ろに単独の男性が、矢張り暑さに痛めつけられながら歩いて居た。
 釜トンネルを越えて一寸と行くと、前を行く男性が、遠くで大きく手を振り何か叫んで居る。彼の横に軽トラックが止まって居る。
 乗せてくれるんだ!と咄嗟に判断、人間とは面白いもので火事場の馬鹿力、やっと歩いて居たあたしが走り出した。うーん、必死とは凄いものだなあ。
 ハアハアと車に着くと、荷台に乗って居た件の男性が引き上げてくれ、即車は走り出した。小屋の荷揚げ車だった。上高地迄乗せて貰えたのだが、可哀そうなのは後を歩いて居た男性で、我々が車で去った事も知らずに、汗を垂らして歩き続けた訳で有る。
 視界の範囲に居たからだが、あたしを呼んでくれた前を歩いた男性には、感謝の一言で有る。車に乗れなければ横尾には着けなかっただろう。本当に暑かったのだ。
 礼を言って車を降りたのは、河童橋近く。後は梓川や白い明神岳を楽しみ乍ら、横尾へ無事到着。テントを張って、一丁上がり。
 翌朝、薄暗いうちからサブザックを背に飛び出し、涸沢へ向かう。何せ若かったので、難なく雪上一面色取り取りのテントが咲き乱れる涸沢へ着いた。
 あたしが横尾の幕営に拘るのは、雪が無いからと、混まないからだ。涸沢は吹けば雪が舞い上がり丸で吹雪、おまけに偉い混雑なので、景色は夢の様だが、敬遠して仕舞う。
 ザイテンには見事にトレースが付いて居る。皆さん涸沢から出発するからで、もうとっくに奥穂直前で有る。横尾から来る奴は殆ど居ない。あたしの他は数人だった。
 従って人気(ひとけ)の無いザイテンを、ひたすら登る。そして、頂上を踏んでから、落石騒ぎになったのだ。
 下りはガックリし乍らも尻セードで下る。クソッ、あの落石さえ無ければ、最高の気分だっただろうに。ドジな野郎は所詮そんなもんさ、ふふんでい。
 横尾への下りで、車に乗り損ねた男性と擦れ違った。可哀そうにやっと涸沢に着くのだ。
 テントに戻ってビールをグーッとやったら、嫌な事はすっかり忘れて、高曇りの山々が思い出され、すっかり気分が良くなっちまったのは、能天気で有る。山を登って帰ったテントは素敵なの。たとえドジを踏んでもだ。
 雪の穂高は良いなあ。どの位良いかっと言うと、モグラで表現すりゃあ、3m位の大きさだ。分かり易い説明でしょう?
 死ぬ迄に、もう一度登って見たいなあ。

2010年4月27日火曜日

柄でも無い事 その十七

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 JRはあじさいなので触れない。味災と言う人も結構居る。駅蕎麦の恥で有る。
 京王線は、ご存知深大寺蕎麦。入って見ました。うーん、味災よりは遙か増し。箱根蕎麦と比べるのは酷。以上。
 外の駅蕎麦は?御免なさい!!!調べてませーん……。
 何で書き始めたかと言うと、駅蕎麦でもチェーン店じゃ無いやつを、一寸とだけ書きたかったからなのだ。駅蕎麦は小田急箱根蕎麦で止めを刺された。あ、余計な説明だけど、宣伝じゃ無い、小田急からは一銭も貰って無いどころか、散々高い(比東急)運賃を払って居るんですからね。
 先ずは松本。駅に有る二つの蕎麦は美味い!と書き乍ら、気付くのは普通の駅蕎麦の水準じゃん。そうなんだよね。違うのは状況、山帰りに列車が入って来る間に啜る蕎麦は、全く別物なのは、お分かり頂けるでしょう。或いは、此れから登る山を前にして啜る蕎麦は同じく、全く別物なので、そう言う話です。
 越後湯沢の蕎麦は流石だ。松本とそう違いは無いのだが、山菜の量が(山菜蕎麦の場合)凄い。唯、始まる時間が早く、終る時間が早い。其の部分だけは、味災を見習って欲しい。うっかりしって味を見習ったら、飛んでも無い間違いですぞ。
 上諏訪の蕎麦も美味い。処で何で岡谷に駅蕎麦が無いのだろう?あそこに無けりゃあ、戦略的失敗だ。聞いてますすか、JRさん?け、聞いてねえや!
 あたしを駅蕎麦担当にすりゃあさ、客は殺到する、間違い無い、絶対の自信有りと認めます!でも、多分経営は赤字(上納金が多額だろうからなんで、きっと、天下りが居たりして、はっはっはっは!)、駄目だこりゃあ、止めた!
 新前橋の夜中の駅蕎麦は、結構感動的に美味しい。二十分程停車するので、腹が減った奴等が殺到する、無情にも発車のベルが鳴る。良くしたもんで、当時は紙(?)の器で渡してくれる。アチアチと言い乍ら車内に駆け込むと、列車が動き出す。思うと、素晴らしい時代だった……。
 信濃大町の蕎麦を何度食べたか、神城の蕎麦を何度食べたか!美味いかって?当たり前で、絶対美味しい状況なのだ。
 甲府の駅蕎麦があじさいになった話は書いた。其れ以前はバスの時刻を睨んで、天玉蕎麦をかっ込むのが決まりだった。あ、大抵は天玉蕎麦があたしの定番です。前記の越後湯沢の山菜蕎麦は例外で、何せ、山帰りか入山日の事、カロリーを取ろうとするのだ。
 列車かバスを待つ間の駅蕎麦、これから山の時は緊張感、帰京の時は開放感、何れも蕎麦を素敵に味付けしてくれるので、あたしゃあ駅蕎麦万歳!とことん幸せな奴です。

2010年4月25日日曜日

閑話番外 その二十五

 

 迷惑者の章の、クラス会でヤビツ峠と菩提峠は歩かせたと書いた。あたしが行きたかったから、と言ったけど、当時はちゃんとしたコースだったのだ。
 昭和三十五年版山渓社丹沢の山と谷では、案内が確りと載って居る。
 蓑毛からヤビツ峠へ登り、菩提峠を越えて菩提に下るコースは、早春か初冬の頃に歩くによいコースである。(略)茶店があり、その先の山肌にバンガローが点在するのが見られる。
 と、記述されて居る。茶店は今の富士見山荘だろう。ふーん、バンガローが有ったんだ、全く覚えて無い。で、此処からは山道となって居る。
 良かった、自動車道を歩かせたんじゃ無かった。そんな訳(一般ルートとして)で、あたしも一度はやりたいと思って居たんです。

2010年4月24日土曜日

休題 その三十八

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 スタートレックは、一応見ては居たが、B級SF映画として見て居ただけで、現に全く其の通りだったのだ。
 処がですよ、去年(平成21年)のスタートレックは違った。へっへっへ、裏切られちまったぜ、勿論良い意味で(こういう時って、あたしゃあ変に嬉しい!)。
どうせスタートレックさ、と映画館へ行ったのだが、じゃあ行かなきゃ良いのにさあ、と我乍ら思うのだけど、付き合いってもんが有るですよ。(え、誰に?何の?)
 テレビ版スタートレックの前段階の話。詰まり、カーク艦長とエッポク、外の主要クルーとの出会いなのだが、ちゃんとサイドストーリーとして成立する出来事(事件問題闘い)を展開し、しかも良い出来でハラハラさせ、テーマ(あたしの解釈だけど)の出会いは、確りと押さえて居る。
 此れは出来そうで出来ない部類だと、思うのです。バランスが良いんだなあ。
 話題にもならない映画だったので、知ってる人は少ないと思う。アカデミー賞の何かの部門は取ったんだっけ?
 色々話は盛りだくさんだが、エポックとの出会いがメインで、見て居て納得させられるのは、本と監督の良さだろう。俳優も実に、らしかった。
 悪役としてはエリック・バナがでて居るが、魅力の有る俳優だ。ブラックホーク・ダウンでも、印象に残ったもんね。
 ま、定石通り、最初は偶然隣り合ったり、敵対したり、たまたま一緒になったり、愛したり振られたり、結局エンタープライズのメインクルーが集まって来る訳なのだが、言うなれば桃太郎の宇宙版で新味は無いけど、相当に楽しめる。本と監督……、あ、さっき書いたんだ、失礼。
 久し振りに映画館で大笑いしたシーン。
 どう言う訳か艦長(カーク以前の艦長)がナビゲーターのチェコフに艦内放送係りを命ずる。此のチェコフが滅茶苦茶なロシア訛り。あたしでさえ分かるモロにロシア訛りの放送が流れる中、カークが敵の罠を見抜くのだ。処が、カークの具合が悪い。で、友人の船医が首筋にどんどん注射を打つ。其の副作用で、手や舌が晴れ上がり、ろくに口も利けなくなるのだが、一瞬を争う緊迫した瞬間なのだ。
 其の緊迫感のバックの大訛りの放送、でかくなった手を見て驚く仲間、突然首筋に注射する医者。
 良いセンスだ。大笑いの緊迫状況、俗に言うドタバタなのだが、良く出来たドタバタなのだ。あたしゃあ程度の高いドタバタって、だーい好き!
 万が一レンタル店でDVDを見かけたら、借りて見る事をお薦めします。多分、ご満足頂けるでしょう。
 B級SFが嫌いな人は、別です。

2010年4月21日水曜日

迷惑でしたか? その三

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 従って札掛の宴会は殆ど中止状態、皆さん疲れて飲む気分ではない。此れでは、一体何しに来たんだか分からん。此の時は明らかに飲みに来たんだから。
 悪い事に翌日は小雨、それでも私は物見峠を目指すつもりだったが(だって、小雨の物見峠越えは凄く良いんだんもん)、一斉のブーイング、結局又林道をヤビツ峠へ歩き、蓑毛へ下ったので、何だかなあ、と思ってしまったのは無理からぬ事。
 今思うと正解でした。私には楽しい雨の札掛、一ノ沢峠と物見峠を越えるのは最高なのだが、慣れない人には唯の苦痛、何の因果で雨の中、登ったり下ったりしなくちゃなんないんだよー!と思うのが普通だ。
 歳を取って初めて気が付く事も有る。此れは文字通り其の事で有る。
 でも、思い出すと蓑毛で濡れて居た皆さんの姿はしょぼくれて居て、気の毒やら可笑しいやらで、笑ってしまうのです。笑っちゃって御免なさい、同学の皆さん!
 高校を卒業して二年目位の時、クラス会をやろうと話が出、ホイ来た任せろ、と皆さんをヤビツ峠と菩提峠を越えるコースへ連れ込んだのだ。
 何せ昔の事だから、今の様な完全な林道ではなかったが、不整備な車道の様な道を歩かせた訳で、何が有ると言う事もない単調なコース、唯々登って下らされ、景色も大して見えない車道を歩かされた諸君は、何でこんなとこを歩くんだ、とさぞや疑問に思った事だろう。
 今同じコースを歩けば、完璧な林道歩きで、面白くない事夥しい。ま、菩提峠からは多少展望が利くか。
 何でそんなとこを選んだかと言うと、単に私が行って見たかっただけで、もっと良いコースは山程有るのだ。弘法山とか鐘ヶ岳とか、楽で尚且つ山らしいとこだったら、きっと喜んで貰えただろう。
 あの節は皆さん気の毒しましたね。け、誰も読んでねえや。うっかり読んでも覚えてっこないので安心なのだ。何たって大昔だもんねー♪
 私の所為ではない話だが、大倉尾根ではしょっちゅう如何にも初心者、を見かける。大概若者達だ。バッグを下げ、ペースは滅茶苦茶なので、飛ばしてはバテ、休んでは飛ばす。汗まみれのやり取りが面白い。
「未だかよー」
「分かんない」
「じきじゃないか、多分」
「もう疲れたよー」
 はっはっはっは、未だ尾根は半ばなんだ。花立の大階段ともなると、もう限界に達し、階段に座り込む。人は彼らを避けて登る。
「な、俺達メッチャ邪魔なんじゃないか」
「お、そうだな」
 はっはっはっは、良くぞ気付いた。確り登れよ若者達。塔迄はあと三十分なんだ。
 面白い事は思い出すべきだ。此れで前章の頸木からは脱けられました。

2010年4月18日日曜日

閑話番外 その二十四

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 無関係な写真を出して、済みません。詰まらない文章のみよりは増しかなっと思ったもんで、枯れ木も山の賑わいの一種です。
 迷惑でしたか?二の写真は前出で失礼こきました。大山からの写真が無いのが驚きなんだけど、大山を撮った写真も極少ないので、そんな事になっちまったんです。
 大山からの展望は、塔からの展望と重なる部分が多く、どうしても塔からの写真になってしまうって事です。
 尤も、写真センスの有る人なららば、大山ならではの写真を、立派に撮るのは分かってんだけど、あたしゃあノットセンスなんで、駄目なんですよね。
 A君なら、きっと良い写真を撮ると思うし、当たり前だけどプロのSなら、ちゃんと写真にしちゃうんだよね。でもSは仕事以外ではカメラは持ちたくないと言って居たけど(気持ちは推測出来る)、もうリタイアしたんだから、山の写真を撮っても良いんじゃないかな。

2010年4月17日土曜日

迷惑でしたか? その二

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 で、可哀そうだが牛追い宜しく、YGさんとSTさんを追い立てて歩いて貰う。確かに二人とも恰幅は極良いので(詰まりメタボなので)辛いだろうが、僅か一時間半のコースに三時間近く掛けて居るのだ。追い立てても罰は当たるまい。
 さっき抜かされた自転車を担いだ若者が降りて来る。え、登りも下りも担ぐ自転車、何なの其れって?変わった趣味だなあ。そんな素朴な疑問を感じて居る暇も無い。さっきの高齢者パーティも、頂上での休憩を終えて降りて来る。はっはっはっは、我々がひょっとすると、大山登山史上一番遅いパーティだったのでは無いか、と思う有様。上には上が有るのが世の習い。でも、きっとベストテンには入れるだろう。えっへん!
 従って下った時は最早暗くて、売り文句の豆腐料理は残念乍ら無しとして、唯々バス停へ急いだと言うお粗末でした。流石に、豆腐料理をどうしてくれる、との非難は無かった。
 いやー、山慣れない人は本当に山慣れないんですなあ。びっくりしちまったし、笑ってしまったのだ。だって、病人連れが追い付くんだから、はっはっはっは。
 でも、追い立てたYGさんとSTさん、御免なさい!山なんか来たくも無いのに、唯一の楽しみの豆腐も無くなっちゃあ、あんまりだ。ま、追い立てなきゃ、帰れなかったかも知れないんだけどね、はっはっはっは。
 思えば若い時から、山慣れない諸君を山に連れ込んでは、酷い目に合わせて居たです。其れは良い、若いんだから。来る奴も興味が有って来た訳なのだ。
 実はIもNもそうなのだ。S、K、Tは元々山好きだったので置いておく。で、IもNも山好きになって、零細山岳会を共に立ち上げたのだから、文句は有るまい。
 其の上、Iは大学山岳部で学び、Nは民間山岳会(我々の様な零細山岳会では無く、広く名の轟いた山岳会)で修行し、其の二人から積雪期の山や岩を教わる事になるのだから、世の中は楽しいし面白いのだ。そう言うもんなんですなあ。
  唯、若く無い場合は気を付けねば、意外とヤバイ。あ、前の話もそうだったか。一寸と外国語を齧った時、クラスの諸君を山に連れ込んだ。と言っても、札掛の丹沢ホームに泊まって、物見峠越えをするってえ、極軽いハイキング。私だって気は確かなんだから、無理はさせっこ無い。勿論メインは札掛での宴会だ。
 処が夜道を二時間半歩くのが、大変だったらしく、其の辺が認識不足だったのが、既に私の不明の行ったり来たり(え、前にも出た詰まらない親父ギャグだって?ああ、其の通りだよ!)。
 慣れない人には夜道は疲れるんですなあ。実際そうなんですよ。私だって、初めて夜の大倉尾根を登った時は悲惨だったので、其の顛末は又今度。
 (迷惑でしたか? その三へ続く)

2010年4月15日木曜日

休題 その三十七

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 音楽の授業で習った三大Bとは、言うまでも無く、バッハ、ブラームス、ベートーヴェンだ。
 では五大Bとなると、ビゼーとベルリオーズの二人を加える。此処迄は皆さんご承知の事だろう。
 戯れに、七大Bと言うのが有った。さて、加えるのは誰?
 詰まらない引っ張りは止めよう。ビートルズとバート・バカラックだ。ビートルズは分かる。五大Bの偉人達に負けない存在だろう。ビートルズ以降は、音楽が全く変わってしまったのだから。そして今でも其の影響下に在るので、特別な存在で有る事は疑い無い。
 で、バート・バカラックって何だったっけ?
 四十年近く前、一世を風靡しましたなあ。代表作はサンホセへの道かな。当時は偉く素敵に感じたものだが、今聞くと古色蒼然、何だこりゃー、と仰け反るのだ。
 其の点ビートルズは凄い。今でも新しい。決して仰け反ったりさせられない。やがて、古典として残って行くのではないだろうか。
 従って七大Bは無しなのだ。ま、六大Bってとこですか。
 観測系の天文学者は、夜の商売だ。一晩中お仕事で有る。八割近い人はバッハを流して観測をして居ると、何かで読んだ。そうでしょうとも、夜空とバッハの相性は滅法良いのだ。
 あたしは夜の高速道路では、バッハだ。其れも小フーガが抜群に合う。勿論、外の曲でも良い。うーん、一寸と天文学者と似た感性だと、無意味に嬉しい。
 どうでも良い事なのだが、ベルリオーズは亥年で射手座、あたしと同じだ、エッヘン。それがどうしたって?どうもしません……。
 幻想交響曲が余りに有名なのだが、外にも作品は有る。大胆な試みが多い人だった様で、彼の指揮する楽団に大砲迄並んで居る、ポンチ絵(当時はそうは言わなかっただろうけど)が有る程なのだ。(見た訳では無く、聞いた話です)
 ビートルズ以前の曲も懐かしい。ポール・アンカーやニール・セダカ、あたしの小学生から中学生の頃に相当する。たまに聞くと、偉く単純で明快な曲で、郷愁を誘われる。
 高校に入ってからは、文字通りビートルズ一色と言っても過言では無い時代に突入し、思えば、社会現象に近い。
 音楽も映画も、偉大な先人が創り尽くした感が有るので、此れからチャレンジする人は、さぞや大変だろうと、同情してしまう。
 それでも才能溢れる若者は、何らかの新境地を開拓するのだろう。加油阿!

2010年4月11日日曜日

迷惑でしたか? その一

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 知り合いの皆さんを、好きでも無い山へ連れ込んで、酷い目に会わせた話でもしよう。大笑いでもしなくっちゃ、前章を引き摺っちまうでよ。どらーきつくてかんわ。
 え、人の不幸を笑おうってか?済みません、私は何度も白状してる通り、山での人の軽い不幸は、大好きなんです。詰まり、人で無しです……。ま、良いさ、皆そうなんだ、きっとそうさ、絶対そうさ♪
 知り合いの皆さんは私と同年輩か一寸と上。気の毒にも、山なんざ行った事が無い人達だが、私の勧めに乗って大山に登る事になったのだ。勿論売りは、降りてからの豆腐料理で一杯で有る。
 私と妻を含めて十人、一寸と不安だったので閑話二十一の大魔神KS(私より八つ若い)にも、サポートとして参加して貰った。彼はボーイスカウト(だったけ?)の出身なので、こういう時には頼りになる。
 二昔前の秋の日、天気は突き抜けた青空だった。やったぜ!こう来りゃあ、今度の企ては成功したも同然。普通はね。普通じゃ無かったんですなあ。
 ケーブルカーを降り、登山道に掛かったとたん、YG婦人は四つん這いになった。え?此処は這う場所じゃ無い、こりゃあ先が大変だぞと一瞬心をよぎったが、先どころか即座に大変になったのだ。
 KBさん(女性)が歩けないと言う。聞くと朝飯を食べて無いので、お腹が空いて目が回るとの事。え、食べるしか無い、KSに本隊の引率を頼んで進んで貰い、私はKBさんに付き添って、彼女が弁当を食べるのを待った。サポートでKSに来て貰って(早速)良かった!
 KBさんは弁当を食べ終わり、どうにか歩けそうになったので、ゆっくりと行く事にした。快晴の秋の大山、人が来ない筈が無い。ゆっくり登る私達を、人々が抜く抜く抜く、抜きまくる!!
 高齢者パーティが抜いて行く。自転車を担いだ若者が抜いて行く。本調子では無いKBさんは、自分の所為でと焦るが、無理は禁物、休ませ休ませ行く。本隊には頂上で追い付くから、全く大丈夫なのだ、と説明し乍ら。
 わーっ!半病人連れであらゆる人達に抜かれまくった我々が、何と本隊に追い付いてしまった。何の冗談なの?
KS「駄目なんですよ。YGさんとSTさんのご主人が、曲がり角に来ると、良い景色だと言って座り込んじゃうんだ」
私「はっはっは、何時頂上に着くんだろう」
KS「笑い事じゃ無いでしょう」
私「いやいや、驚いたよ、まさか追い付くとはね」
KS「何とかしてよ!」
 (迷惑でしたか? その二へ続く)

2010年4月10日土曜日

クソ面倒な話 その十六

 

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 此の面倒シリーズは、恐れ多くもビッグバンに異議を唱えたのが、発端だった筈だ。其の続きで有る。
 浅はかな素人考えだとは百も承知だが、何としても納得不能で、結局計算上はそう成らざるを得ないのだろうが、何か前提か観測結果を間違えてんじゃんか?と疑うのだ。
 宇宙ってどれ程広いんだろう?果ては有るんだろうか?有るとしたら果ての先はどうなってんの?はて?
 あたしだけではなく、殆どの人が考えた事が有る筈だ。詰まり、宙(そら)は広いな大きいなー、月が昇るし日が沈む♪
 そんなスケールでは無い、断じて無い!前に書いた通りに、銀河系内の星との通信でさえ意味を成さない程で、増してや外の銀河との交流なんざ考えるだに愚かしい、と言うのが現実で、人間の活動スケールから見ると無限の広がりと称して間違い無いのが、宇宙だ。
 地球上の全ての海岸の砂粒と星の数は、どちらが多い?勿論星の数だ。砂粒の数の百万倍と見積もられる。数えた人が居る訳では無い。大体数えられっこ無い。計算上で有る。
 じゃあ、計算上で宇宙は昔1fm(1兆分の1m)より遥かに小さな存在だったと言っても良いじゃないかだって?
 (人差し指を振り)チッチッチ、そうは行かない。大きさだけなら良い。1載(10の44乗)分の1でも1不可思議(10の64乗)分の1でも構わない。こうなりゃ宇宙の大きさなんざ相対的で、其れが全てで有ったなら、其れが全てだ。外に考える術も無い。
 大きかろうと、小さかろうと、関係は全く無い。誰が其れを俯瞰して大小を決定出来るのだろうか?少なくともあたしには出来ない。そして、アインシュタインだろうとボーアだろうとプラトンだろうと老子だろうとシーザスだろうと、絶対出来ない。出来るとしたら、ゴータマ・シダッタ(釈迦)のみだろう。
 だって、釈迦如来は宇宙の真理を解いて、悟りを開かれたのだから。
 問題は大小では無く、其の滅茶苦茶小さい宇宙は、時間も無く物質も無く空(くう)も無く、唯存在して居た。勿論其れが全てなので、其の周りは存在し得ない。
 ド素人尚且つ凡人のあたしには、其処が全く理解出来ない。あたしの想像力が貧困な所為も有るだろう。現実とは人の想像力なぞ遥か及ばない事も有るのだろう。
 電子顕微鏡でも見えない宇宙が、突如膨張を始め、僅か二百億年で(ほぼ)無限の宇宙となった。現存する無限(と言っても過言では無い筈だ。元と比べれば)の物質はそんな小さなとこに収まってたのかい?無限の空間もそんな小さなとこに収まってたのかい?
 ド素人尚且つ凡人のあたしには、其処も全く理解出来ない。何かが間違って居るのだ。
 今の処、現状を一番上手く説明出来る仮説だとは認めるが、眉に唾を付けるのです。

2010年4月8日木曜日

閑話 その四十六

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 朋友連のうち、メタボの王者AN夫婦を除いた(昔はメタボでは決して無かった、山を嫌った結果、メタボになったと思って居る。現に外の朋友達はメタボと縁が無い)皆さんは、山に連れ込まれて、と前に書いた。KJ、YN、EMの事だ。新婚旅行とキリギリスの章の時の、キリギリス騒ぎに居合わしたのも、其の人達。
 で、其の翌日ですよ。目指すは檜洞丸、天気は上々、多少の寝不足なんざ何でも無い年頃、勇躍出発をしたのだ。
 青ヶ岳山荘泊の予定だが、水は無いので、10lのポリ容器をザックに入れて、あたしが担いで居た。休憩の時、無造作にザックを負った侭仰向けになったら、バキッと小さな音がした、はて?
 はて?じゃ無いだろうが、馬鹿!
 ザックから水が漏れ出した。慌てて見るとポリ容器にひびが入って、水が流れ出して居るのだ。あ、どうしよう!!
 ふっふっふ、物を言うのは咄嗟の知恵だ。皆にビニール袋を出して貰って其れに水を入れ、鍋に詰める。大きい鍋が有って良かった。5lほどの水は確保出来た。外にポリタンが一本有るので、どうにか間に合うだろう。
 粗忽です、何も考えて居ない。体重を掛けてひっくり返れば、ポリ容器がどうなるか位、気付け、馬鹿!何が咄嗟の知恵だ、そう言うのを苦し紛れの行為と言うんだ! ……はい。
 ご迷惑をお掛けしました。でも、何とかなったんだから、許してちょーね。
 此の夜はガスが深く、幽玄で面白かったのです。ま、例に依って碌な物は食べさせなかったのだろうけど。
 同じメンバーを加入道へ連れ込んで、幕営した事が有った。あたしが通販で買ったフランスのテント。大きい、六人用だ。従って悠々暮らせ、立っても一寸と頭がつかえるだけで、着替えも立って出来ると言う優れ物、其の上軽いのだ。
 普通テントの中で着替える時は、座ってするか、中腰でするしか無い。でも、おフランスは違う。欠点は軽くする為、張り綱はビニール、テントはペラペラ、直ぐに駄目になる事で、現に直ぐに廃品になっちまった(涙)。
 此の時は食事は避難小屋で取った。単独のおじさんが居て、焼肉を焼いて居る。うーん、贅沢な山登りだ。うちの諸君はアルファー米にボンカレー、しかも紙皿に盛り付けると言う酷さなのだ。何、洗わないで済むからで、不精なあたしらしいメニューなの。
 こらこら、羨ましそうにチラチラ見るんじゃ無い、見っとも無いだろが!鼻をヒクヒクさせるのも、止めろ!!
 あたしは肉が嫌いなので何とも無いが、皆さんには刺激が強過ぎたのだろう。気の毒だったねー♪
 そんなあたしに何度もお付き合い頂いて有り難いのです。又機会がったら、え、嫌?

2010年4月4日日曜日

休題 その三十六

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 まあ、経験有る人は、何処も同じだなあ、と思われるでしょう。
 失見当識はとっくのとう、夜も昼も分からなくなり、夜中でも叩き起こされれる様になった。
父「大変だ、仕事は何時からだったっけ、トチッっちゃったよ、あー、どうしよう!」
私「お父さん、夜中だよ、勘弁してよ」
父「其れどころじゃ無いんだよ!」私「もう仕事は無いんだから、安心して良いんですよ」
父「(笑い)馬鹿な事言いなさんな」
 で、仕事場に電話を掛けるのと言う騒ぎになる。医師に相談しても、安定剤を処方してくれるのみだ。
 其のうち段々体が弱って来た。食欲は有るのだが、機能が低下して来たのだろうか。九十を越えたのだから。
 其れまでは一人で散歩にも行った。何か食べたの、と聞くと大概食べたと言う。あそこだ、と近くのイタリアンの店で聞くと、代金は払って居る。たまに払って無い事も有る。
 良く、散髪してさっぱりして帰って来る。家人が急いで床屋へ行き、代金を払う。
 仕事に行くと言い張るので、どうせ行けないだろうと、送り出したら、案の定、隣の駅の交番から電話で、引き取りに行く。前は其の町に住んで居たのだ。
 思えば、手間が掛かると言い乍ら、其の頃が花でした。体が弱ると、一気に弱った。立つのもやっとになった。あれよあれよの間で有る。結局、家の中で車椅子に座って居るのが常態となり、気付けば食欲も衰えて居た。
 其の頃は、ベッドへ座らしてくれと言うのでベッドに移すと、ソファーに座らせろと言う。ソファーに座らせるとベッドに座らせろと言う。無限ループの時期で有った。靴下を脱ぐ、履くの無限ループも有った。
 次の時期は、不調を訴える時期だった。ひょっとすると、安定剤の副作用も有ったのかも知れない。苦しがり、交代で背中を擦ると楽な様だ。始まりは、目を見開き、両手で上体を支えて、固まる。始まるぞ、と覚悟すると、「苦しい」と言う。色々と薬を試したから、矢張り副作用だっただろうと、家族は思って居る。
 そして、入院と老健を繰り返す日々となった。妻は立川の先迄、週に二、三度は通って父の世話をしてくれた。帰りに立川駅で食べる駅蕎麦(それもカケ蕎麦)が楽しみだと、言って居た。
 会いに行っても段々話は出来なくなって行った。初めの頃はしきりに帰りたがって居たが、やがて其れも分からなくなってしまった。
 亡くなって、やっと我が家へ帰る事が出来た。妻は、生きて居るうちに退院させてうちに帰せば良かったのに、と泣いた。
 何も出来なかったと後悔ばかりの話でした。

2010年4月3日土曜日

あー、思い出したくない! その四

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 (平べったいスキャン写真、失礼)
私「大丈夫ですか、御免なさい!」
其の人「うー、大丈夫」
私「本当に済みません」
其の人「(立ち上がり)大丈夫だよ」
 で、ほっとしてバスに乗って去ってしまった私。酷いなあ。滅茶苦茶痛かっただろうに我慢してくれた其の方、改めて御免なさい!
 いやあ、我乍ら実に駄目な奴だと、書くにつれ思えて、落ち込むのだ。真実だから仕方無い。まあ、救いは次の話がもっと罪の軽い事なので、取り合えず行っちまおう。
 春の表銀座は結構大変で、幕営可能なのは西岳のみ、外は雪の岩稜が続き、たまに下の方に梯子が見えて、あー、あそこが夏道なんだ、と思うのみ。とは言っても、北鎌尾根と比べれば天国なんだろう、行った事は無いんですがね、第一行けないし。
 兎に角槍の肩には着いた。臆病高所恐怖症の私としては良くやった。でも三十代だったので、当然では有る。
 ラッキーにも快晴の春山。表銀座は私の外は、一パーティがやって来ただけだが、槍沢からの登山者が数パーティ有って、槍の穂先は満員だった。ま、狭いので。
 ざっと景色を見て、即下りに掛かった。何と勿体無い事を当時の私はやってたんだろう。どんなに混んで居ても、雪の槍ヶ岳に登って来る人間は、多寡が知れて居る。百人も来っこ無いじゃんかさー!
 今なら、矢張り下るしか無いか、次のパーティが鎖につかまって待ってるんだから。
 下りも先行パーティに続いて行く。鎖便りの下りだから進みも遅い。槍の穂先が鋭くて良かった、さも無ければ鎖は雪に埋もれてしまう。
 私は急いで居る、横尾迄行く予定なのだ。焦って下って、人の頭を踏んだ、其れもアイゼンで……。
 「痛てー!」「あ、御免なさい!」は余りに例題通りなので割愛しよう。でも、滑落する程の打撃で無くて本当に良かった。もし滑落したら下に居る人達も皆落ちただろうから。
 何かと相当幸運でした。一つ間違えれば、と思うとぞっとするけど、皆さんも同じ様な思いは、散々して居ると思ってます(多分)。
 もっと軽い奴、しかも山仲間なので気楽なのだ。こうなりゃあほっとしたいので、許してチョーよ。
 零細山岳会が奥武蔵のどっかで飯盒水産をやった。男は竈造りと薪拾いに散り、女はカレーの準備に掛かる。
 私は竈を造って、何かを取りに行こうと歩き出したら、女性の叫び声。はっとして見ると、並べて在る缶から出したコンビーフを、私の汚いキャラバンシューズが踏んづけて居た。あ、と足を上げても手遅れとは此の事。
 でもですよ、流石我が同期生、まあどうって事無いので、確り其のコンビーフでカレーを作って食べたが、美味しかったのだ。皆美味しいと言って居たし。カレーに土が入って居て何だってんだろう。
 明るみに出せば楽になる?本当かい、ちっとも楽になって無いんだけど。飲み潰れる事にしようっと(涙)。

2010年4月1日木曜日

閑話番外 その二十三

 

 柄でも無い事十六で、「人間なんて」のチラシが載って居るが、其の前の「日はまた沈む」のチラシより貧弱に見えるが、訳が有るのだ。
 両方とも出演者のHRがデザインしたので、一度目は印刷屋に頼んで創った。二度目は朋友の(ヤクザじゃ無い)YNに相談した。
私「チラシを安く済ましたいんだよ」
YN「KJにやって貰えば良いよ。ただでやるさ」
私「え、そうは行かないよ」
YN「良いんだよ、どうせ金は取らないさ」
 朋友仲間のKJは、編集印刷会社に勤めて居た。で、結局KJに頼んだらただでやってくれた。但し、HRの版下には色使いが指定されて居たが、出来たのは単色。
 勿論、拘らないあたしゃあ文句無くOK。可哀そうなのはHRで、出来上がりを見たら「あー……」と絶句した。単色になっては、別物だったのだろう。気の毒で有る。
 でも、チラシ代が浮いてHRの嘆きを気にもしないあたしは、もの造りの資格無し?ま、分野が違うって事で諦めて貰いましょう。
 KJよ、あの時はお世話になりました。