2010年4月10日土曜日

クソ面倒な話 その十六

 

eso1007a 

 

 此の面倒シリーズは、恐れ多くもビッグバンに異議を唱えたのが、発端だった筈だ。其の続きで有る。
 浅はかな素人考えだとは百も承知だが、何としても納得不能で、結局計算上はそう成らざるを得ないのだろうが、何か前提か観測結果を間違えてんじゃんか?と疑うのだ。
 宇宙ってどれ程広いんだろう?果ては有るんだろうか?有るとしたら果ての先はどうなってんの?はて?
 あたしだけではなく、殆どの人が考えた事が有る筈だ。詰まり、宙(そら)は広いな大きいなー、月が昇るし日が沈む♪
 そんなスケールでは無い、断じて無い!前に書いた通りに、銀河系内の星との通信でさえ意味を成さない程で、増してや外の銀河との交流なんざ考えるだに愚かしい、と言うのが現実で、人間の活動スケールから見ると無限の広がりと称して間違い無いのが、宇宙だ。
 地球上の全ての海岸の砂粒と星の数は、どちらが多い?勿論星の数だ。砂粒の数の百万倍と見積もられる。数えた人が居る訳では無い。大体数えられっこ無い。計算上で有る。
 じゃあ、計算上で宇宙は昔1fm(1兆分の1m)より遥かに小さな存在だったと言っても良いじゃないかだって?
 (人差し指を振り)チッチッチ、そうは行かない。大きさだけなら良い。1載(10の44乗)分の1でも1不可思議(10の64乗)分の1でも構わない。こうなりゃ宇宙の大きさなんざ相対的で、其れが全てで有ったなら、其れが全てだ。外に考える術も無い。
 大きかろうと、小さかろうと、関係は全く無い。誰が其れを俯瞰して大小を決定出来るのだろうか?少なくともあたしには出来ない。そして、アインシュタインだろうとボーアだろうとプラトンだろうと老子だろうとシーザスだろうと、絶対出来ない。出来るとしたら、ゴータマ・シダッタ(釈迦)のみだろう。
 だって、釈迦如来は宇宙の真理を解いて、悟りを開かれたのだから。
 問題は大小では無く、其の滅茶苦茶小さい宇宙は、時間も無く物質も無く空(くう)も無く、唯存在して居た。勿論其れが全てなので、其の周りは存在し得ない。
 ド素人尚且つ凡人のあたしには、其処が全く理解出来ない。あたしの想像力が貧困な所為も有るだろう。現実とは人の想像力なぞ遥か及ばない事も有るのだろう。
 電子顕微鏡でも見えない宇宙が、突如膨張を始め、僅か二百億年で(ほぼ)無限の宇宙となった。現存する無限(と言っても過言では無い筈だ。元と比べれば)の物質はそんな小さなとこに収まってたのかい?無限の空間もそんな小さなとこに収まってたのかい?
 ド素人尚且つ凡人のあたしには、其処も全く理解出来ない。何かが間違って居るのだ。
 今の処、現状を一番上手く説明出来る仮説だとは認めるが、眉に唾を付けるのです。

2 件のコメント:

ショートホープ さんのコメント...

昨日見たNHKの番組で、数式と物理学で宇宙の始まりを究めようとする東大の研究者の話として、その始まりは極小の点で、次に長い暗黒があり、さらに水素とヘリウム、暗黒物質が融合変化して超大型、超高温の星=ファーストスターが誕生し…てな話がされていた。

もうひとつそれと平行してハッブル望遠鏡からの最新観測結果とかね。

いつものように飲み散らかしてたんで内容定かじゃないけど、何だかこういうことで少年のように胸ときめかさないというか、ときめかなくなっちゃた自分を今更ながらに自覚。

もはや感動を失っちまった更年期障害のおじさんです。よろよろ~~

kenzaburou さんのコメント...

ときめかなくて、良いんじゃないんですか、此の件については。
あくまで計算上の事なので、本当かどうかは、誰も何にも分からんのですから。