2009年4月29日水曜日

閑話番外 その二

 

 何やらブログがゴチャゴチャして来たので、殆ど居ないで有ろうと思われる新しく訪れてくれた人(貴方は幸せな方です!多分……)に構成を説明します。
 柱は本文と呼んで居る文章で、○○ その二、とか題名を打ち出し、ラベルは山の名前か其の関係となっており、最初から最後迄通った部分。
 面倒なのは其の合間に入る、閑話と休題なのだが、何簡単な話で、閑話は山の無駄話、休題は山と関係の無い無駄話で、ラベルは明快に、閑話、休題。従って山以外の話はラベルの休題をクリックすれば並んで出て来る訳なんです。え、誰もそんなもん読まないって?いっさそれでもー、生きてさーえいれば、何時か幸せーに、ってさ。ふん、こちとらご承知でえ。
 連休はYと上越に入るので、連休中は休載です。(どっちにしろ開店休業でえ!)
 あ、忘れてた。知らない人は居ないだろうけど、上の投稿程新しく、もっと前に戻るには、一番下の右の「前の投稿」をクリックすれば、古いものが出て来、後は同手順でどんどん遡るのです。

休題 その十

店 018

 

 あたしゃあ音痴だった(家族に言わせれば今でも音痴だそうだ、フン、あたしの昔を知らないからさ、もっと凄かったんだ)。 本文に有る様に音楽部に居て、音痴が何で音楽部に入ったのかと言うと、入学式の時に音楽部が校歌を歌った(山田耕作の曲ですぞ)のに変に感動し、毎日下校する時にコーラスが聞こえる。音楽室が校門の前に有ったのだ。曲は美しく青きドナウ。
 天文部に入る事は決めて居たが、美しく青きドナウの歌声がやけに魅力的だったのだ。で、音楽室に見学に行ったのだが、後から先輩達からは散々からかわれた。
 突然新入生が傘を持って(此の日は朝は雨だった。傘を持ってるのは当然でしょう?)、座って見ていて、何だあいつは思ったそうだ。
 音楽部(コーラス部)の悩みは常に男声が不足して居る事。当然先輩達は傘を持って座って居る不審な男にもオルグを開始する。男なら何でも良いって事。
 大体からして、歌声に魅せられたあたしはオルグに抵抗する謂れは無い。即入部したが、先輩達が呆れると同時に自分で悟った、あたしゃあ音が取れない、詰まり音痴。
 完璧な音痴は百人に一人、1%です。Kは其の1%、極珍しい存在なので大切にしよう。
 あたしはKとは違って完璧な音痴では無く、音が取れないだけで(殆ど音痴?)、それなら努力で補おうじゃないか! ピアニストには迷惑を掛けました。授業の始まる三十分前にあたしに付き合って音楽室でピアノを叩く。「此の音を出して」「あー」「違う、良く聞いて」「あー」「違う!」「あー」「馬鹿!」。
 流石に馬鹿と迄は言わなかったが、きっと思った事でしょう。で、やっとどうにか音が取れる様になりました。感謝してます、ピアニストMさん。
 美しく青きドナウにはお馴染みのSもどういう訳か動員されて参加しており(当時のSは決して歌が上手いとは言えなかった)、寸前音痴の二人ががなりたてるのだから、さぞやコンダクターは閉口しただろう。
 発表会は、地区大会だったか、文化祭だったか、忘れて仕舞った。遠い日の事。
 美しく青きドナウが終わって動員されたSは去り、残った男性一年生は三人だった。不足なので何かと臨時に人に頼み、結局五人となった筈だ。
 あたしゃあ音はある程度取れる様になったものの、センスが皆無で唯大声で怒鳴るしか出来ない(と人は見ていた。本人は微妙に違うつもだ……)ので、困ったちゃんで有る。
 やがて校舎が木造二階建から四階建に変り、音楽室は四階となって、本文の「出会い」に有る丹沢との対面となりました。
 音楽部が無ければ、丹沢との深い付き合いも無かったかも知れない、縁とは不思議なものです。

2009年4月26日日曜日

デートコースは雲の上 その二

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 Kにも弱点が有る。フッフッフッフッ……。口説き文句が、「おう、山に行こう」
 聞いた訳ではないので想像だが、そうらしい。片っ端から逃げられたでしょう。当たり前だ、何考えてんだ!
 へい、彼女、一緒に山に登ろうぜ、って言われて、良いわ、登りましょう、とか言うか、普通。だからKは幸せです。Kがサーファーだったら、我々男友達が唖然としていても、女の子がキャッキャと腕にぶら下がっている、のかなあ……???
 何でKの話になった?デートコースからだ。
 貴方が若ければ、意中の人を鍋割山稜へ誘うのは、止めた方が良いと思います。意中の人が山好きならば、勿論大賛成!小田急電鉄もうまい事を言う。“雲上のプロムナード”(小田急じゃなかったかな)。
 短いけど、味わいある山稜だ。ブナ林帯の気持ちの良い稜線で、其の上キツくないし。頂上からの展望は、塔とは少し違って、別のものだ。小屋は週末しか開いていない筈なので、気をつけて。
 鍋割から先は荒れていた。今はどうでしょうか?鍋割峠まではいいけど、雨山峠への道(カヤノキダナ山稜)は、花崗岩のザレザレで、鎖は設置されているが、基柱が抜けていたりして、ひどかったが、今度見て来ます。でも変に面白い一角では有る。丹沢は多様です。(見てきました。平成二十年現在では大丈夫、ちゃんとした道だった)
 鍋割から南に下る尾根も楽しい。後沢乗越へはご存知のコース。栗の木洞から中山峠へ今は道の記載がある。昔も道は有ったんだけど、地図には載っていなかった。
 栗の木洞から南西の尾根を下ったり(カヤトの尾根です)、後沢を登ろうとして、伐採した夥しい枝に阻まれて尾根に逃げたり、一ノ沢を登ったり、結構遊んだ。今は彼方此方にルートが記載されてるんでしょうね。
 実は最近の地図がない。地図なしでこれを書いている。ひどい、手抜き野郎、と言われるのも当然だと思う。
 私の売りは安物を使い切る事なのだ、えっへん!何を分かんない事を言ってるんだ?ふん、良い品物を持って、大切に長く使う(使える)のは当然だ。私は安物を長く使う名人だ。だから地図も古くて良いのだ。
 あ、取り消しです、実はそれが飛んでもない間違いなのだ!山は変わらないが、里が変わり、林道が変わる。だから里道で迷って苦労するのだ!はい、その通りでつ。よし、見てろよ、地図を買うぞ!(本当は力む処では無い)
 今私の使っているコッヘルは、二十年以上前に買った。最初に持って行ったのは、春の表銀座縦走のつもりが、思わぬ降雪の為諦めて、常念乗越から燕へ行き、そこで天幕を張ろうとしたが、先へ進めないパーティが全員集合状態で全く場所がなく、平らなとこの端っこに、やっと遠慮っぽく張れた、その山行の時だ。 (デートコースは雲の上 その三へ続く)

2009年4月25日土曜日

休題 その九

店 017

 

 あたしゃあ酒好きでツマミなんざ不要、唯々何時迄も飲み続けて呂律が回らなくなりヨロメクだけの弱い横好きおやじなので、其れ程は人にも家人にも害は無い筈だ。
 唯、年に一度位無闇と荒れて家人に迷惑を掛ける時が有る。今回は其の話。(又もや酔っ払いの話、失礼)
 何に荒れるかと言うと此れは毎回決まっている。此の飯は何だ!会社は馬鹿ばかりだ!あいつは気に食わん!うちのガキは何でアホばかりなんだ!どうして俺は貧乏なんだ!女房の面が気に食わん!残念でした、全部外れに決まっていて、そんな愚にも付かない事で荒れたらあたしの沽券に関わる。四十年以上も丹沢を這い擦り廻っていたのは伊達じゃあ御座いやせん。
 荒れた時の台詞は決まっている。
「アメリカの馬鹿野郎!てめえふざけるな!」
 其れを大声で怒鳴る。あたしゃあ地声が大きいのでさぞや迷惑この上なしと推測する。
「東京大空襲は何だ、組織的に計算づくで廻りを火で囲んで逃げ場を絶ち、民間人を十万人も焼き殺した奴が、良くも恥も知らずに東京裁判とやらをやりやがったな!!」
 そうです。前の戦を思い出して怒るのだ。(思い出すって変だ、生まれる前だから)
「原爆を落としやがって、しかもその為に敗戦となったのだから、本土決戦で何千万の日本人が死ぬより良かっただと?ふざけろ!!」
 此れが始まると家人は逃げ散る。誰もいないリビングで仁王立ちのあたしゃあ怒鳴り続ける。(馬鹿は死ななきゃ直らない、ですな)
「原爆を落とさなくたって日本が降服する事は判りきっていたのに、野郎二発も落としやがって、実験に決まってる!!」
 ご存知だろうけど一応説明すると、広島はウラン型、長崎はプルトニウム型で、異なるタイプを一つづつと言う事。
「若しもだ、原爆で屈服させるなら事前通告して海上に落とせば充分効果が有ったんだ!」
 しらふの時でも全くそう思う(一寸とは飲んでるけど)。
「人道に対する罪だと!其れは手前のこった!!大体商船を無警告でかたっぱしから沈めやがって、国際法違反だろがよ!!」
 日本が真珠湾を宣戦布告無しで(暗号の翻訳が間に合わなかった、送別会で飲んでいたので。当時の外務省の罪は万死に値する)攻撃したので、米国は報復に即商船を無警告撃沈の方針を決定した。
「戦犯だと!かたっぱから死刑にしやがって、民間人を殺しまくっていた卑怯なパイロットを殺したら戦犯???どっちが戦犯だよ!!」
 よっく考えれば、東京裁判とか言う裁判でも無いリンチ(法律を元に構成するのが裁判、元となる法律も無く自分の好きに裁くのがリンチ)を有難がって、未だに相手の思うなりになっている人間にも腹を立てているので、特に反米論者と言う訳では無いのです。
 米軍の残虐さと共に、相変わらずマッカーサーの走狗となってそれに気付く事も無く得と述べる文化人、マスコミ人を、一人で怒鳴りつけている部分も有るので、虚しくも情無い男で有ります(哀れ……)。

2009年4月23日木曜日

デートコースは雲の上 その一

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 さて、ご存知鍋割山。昔のガイドブックには、鍋割山稜と記載されている。昔のガイドブックは熱い、とても熱い、丹沢を愛しているとの、メッセージが熱く伝わって来る。
 昭和十七年、登山とスキー社版“丹沢山塊”、昭和三十八年、朋文社版”丹沢“。引用しようかなと思ったが、止めました、面倒なので。何故?と思う方は原文を見れば、多分同意されるでしょう。その熱さは凄い。丹沢をうたい上げている。その上、引用するには余りに古い字が多過ぎますので、失礼します。変換不可能です。
 今の案内書は、データー重視だ。それはそれで、勿論必要なんだけど、丸で案内書を読んでいるみたいで(おいおい、案内書だよ)詰まらない事夥しい。
 それが、データー抜きで丹沢を語る、こんなのも有って良いかな、と思って書き出した動機でもあります。迷惑だったかなと、不安は有るんだけど……。
 ちなみに、鍋割峠から雨山峠迄の短い区域をも、カヤノキダナ山稜と称しているのだ。その先、雨山から秦野峠迄は、桧岳山稜なのだ。雨の中を歩いたが、藪ばかりで無闇とガサガサさせられて、山稜という風情にはとてもじゃないけど、思えなかったのだが……。今は藪も無く、一寸と迷いやすい所も有るが、道になっているのでご心配なく。(平成二十年現在)
 でも凄い!その先輩方に言わせれば、私なんざ、丹沢を語る資格がない……。あ、失礼、間違いだ、誰に言わせても、私が語る資格なんざ無い。一寸と落ち込む。
 こうなりゃ開き直っちまおう。へ、へんだ、素人が丹沢を語って悪いか。え、悪いだと?どの法律の何条だ?最高裁まで争ってやろうか!(下品で済みません、飲んでるので)
 で、鍋割です。雲上のプロムナードというコピー文を覚えている。絶好のデートコースとも言われていた(?)。
 山がデートコースねー?じゃあKの話になってしまう。Kは決して色男ではないタイプに属する。(奥さん御免、でも同感でしょう?)でも、不思議と、昔は常に女性の影が有ったのだ。何で???
 Sも滅茶苦茶なNも、これには謎なのだ。Kの奥さんに聞いてみたい。奥さんも同じ高校の同期生だ。
 って事は何か?私が真面目に高校生活を送ってる時、SとKは女房を探していたのか、え、不真面目此処に極まる。市中引き回しの上、打ち首獄門!
 野暮は止しましょう。Kです。マメなんだと我々の意見が一致した。何ってたって、女性はマメな男には、一寸と甘くなる。私みたいな無精者は、論外の外で有る。論外の外という事は、論内?数学の授業ではないので、止めとこう。 (デートコースは雲の上 その二へ続く)

2009年4月22日水曜日

閑話 その二十

 その十九に続いて妻の山行の話。惚気(のFH010014
ろけ)てんじゃないので誤解の無き様に。
 妻を連れて山を行くと当然自然が呼ぶ。ネイチャーコールミーです。山言葉の女性版では「花を摘んで来る」と言う。ひょっとして死語?男の大の場合は「雉を撃つ」と言う。しゃがみ込む姿勢が雉を撃つ姿なのだ。
 妻は花を摘んで来るのが平気になった、と言おうかならざるを得なかったと言おうか、どちらにせよそう来なくっちゃ山なんぞ歩けないのだ。
 失礼、花を摘む話では無い。
 やがて本文に出て来る鹿に襲われた主脈縦走の時は塔に泊まったが、丁度秦野の花火大会の日で、足元で開く花火を見たのは初めて。結構面白いですよ、下で開く花火って。
 東野に下りたが、バスが来る迄時間が有るので食堂に入ったのだ。ま、威張る事じゃ無いんだけど。食堂に入って威張れるなら、日本中の人間が威張りまくっちまう。
 話したいのは其処に居て飲んでたおじさん達が何かと話し掛けて来て、採った山菜をくれた事で、人情は同じだなと思ったです。詰まりあたしだって、山菜を山ほど摘んで若い(当時です!)夫婦が来ればあげたくなるよ。
 妻は交通事故で尾骨を骨折してからは腰が弱くなり、山とは遠ざかってしまった。最近再開したのだ。
 それ以前は沢登りも良く行った。本文に有る通り妻は頭に難が有り高い所を怖がらない。結構困る。見ていてヒヤヒヤする。
 冷やし中華を食べた新茅の時、大滝を捲いたが、其の大滝に取っ付いて居る二人が居る。それが酷いの、一人は良い、もう一人はバイクブーツで身動きならず、ザイルで引き上げられて居る。そう言えばバイクが二台沢の入り口に止まって居た。引き上げる奴も偉い苦労だし、バイクブーツの奴を沢に入れるな!
 頂上で冷やし中華を食べて居たら其の二人がやっと辿り着いて、ベンチに横になって寝て仕舞った。疲れたんでしょうな二人共、ご苦労様。おいおい、馬鹿するなよ!
 つい此の間(平成二十一年三月)、蓑毛から三ノ塔を歩いたが、妻にはやっとの様で、リハビリには丁度良いだろう。大倉のO屋の一杯のお気に召した様だし。でも其れではあたしゃあ不服で此れからしごこうと思ってます。其れは絶対本人の為になるのだ!
 冬の那須はやがて本文にアップするが、妻には初めての冬山なので、「セブンイヤーズインチベットの世界だねえ」と感動して居る。死に掛けた事を知らない能天気!
 あたしも良い歳になっちまって、老後は妻と山を歩く楽しみを確保する必要が有る。利己主義だって?全然違うね、本人も山が好きなんだから!
 妻は花粉症に悩まされて居る。へへん、山を歩けば直ぐ治る。山里に花粉症の人は居ない。あたしゃあ妻を山に連れまくって花粉症を治そうと決心してるですよ。
 花粉症にお悩みの方は是非ご相談下さい。荒療治は覚悟しての上でですよ!

2009年4月19日日曜日

休題 その八

店 015

 

 織田信長は確かに偉大な革命家で有る。従来の常識や権威を平気で踏み躙る。人を無闇と殺すのは、好みでは無いけど。
 天下を取るべき人間は、運が良い。武田信玄が西上の軍を進める途次で死去した事。あの時武田と織田が全面衝突してたらどうなっただろう(ワクワク)。織田軍は信玄の策略に依り敵に囲まれており、全兵力の集中は不可能だったから、武田に押されると見る。同盟していた徳川家康は信玄に完膚無き迄叩かれて、脱糞して浜松に逃げ込んでいた。織田包囲網は勢いづく。歴史が変わっただろう。
 処で、信玄と言えば未だに甲府駅前の銅像の元になった恰幅の良い絵が出て来る。信玄の死因は結核、胃癌説が有る。どっちにしろ何であんなに太って脂ぎってる?理由は簡単で、あの絵は能登の畠山氏の姿だとは専門家の定説だ。でも一度通用した事柄は覆らない。
 南京で大虐殺が有ったと通用すれば、幾ら証拠を並べて覆そうとしても駄目。ダーウィンの進化論に異議を唱えても無駄。ダーウィンの件は章を改めよう。
 人間(特に日本人は)一度教わった事を良くも悪くも墨守するのですなあ。科学的では無い事夥しいと思って仕舞うあたしが変わってる?そうじゃ無いと確信が有るのだが、人はそう見ないのが悲しい。
 信長のラッキーのその二は、信玄の大敵上杉謙信が越後、上野、越中、能登、加賀に動員令を下し、関東に攻め込んでから軍を返し、京を目指そうとして、寿命が尽きた。
 其の報告を受けた信長はきっとへたり込んだ事だろう。謙信とは直にぶつかっては居ないが、部下の柴田勝家の軍勢が、あっと言う間に蹴散らされて手取川に追い落とされ大敗北を喫しているので、信長は信玄亡き後、唯一恐れる相手が謙信だった筈だ。しかも、あの怖い怖い(信長にとって)信玄相手に堂々戦い続けた上杉謙信、自らを毘沙門天(闘いの神)の生まれ変わりと豪語する武将なので、信長が其の実力を理解しなかった筈は無い!
 ド素人のあたしは此の二つが信長最大の危機で有り、二度共相手が勝手に死んでくれたのだから、信長こそ最大のラッキーボーイだと思っている。
 処が世の中とは面白いもので、結局天下を取って三百年の平和を齎したのは徳川の狸親父なのだが、彼は殆ど武田信玄の手法(闘い、民事共に)を踏襲したと言っても過言では無い。
 滅びた武田家の家臣を片っ端から召抱え井伊家に預け、井伊の赤備えとした話はご存知ですよね。八王子の千人同心も武田の遺臣だったのだが、此れは余り知る人がいない。千人同心は新撰組の母体と言っても良い。
 信玄は内政にも力を注いだ。信玄堤が有名だけど、民を豊かにする事が国力の増大と承知していた。家康はそれをも学んで実践した。
 あたしの様な信玄公フアンは、結局武田信玄が天下を取った様なものさ、と嘯いては美味い酒を飲むのです。

2009年4月18日土曜日

酒は飲め飲め、山で飲め その五

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 日本酒が悪酔いした時期は確かに有った。戦後二十年以上続いた。理由は戦時中、米が不足して酒造りに回せず、酒にアルコールと水を加えて量を増やし、味が落ちたのを砂糖を入れて誤魔化した。その習慣が尾を引いて日本酒は変に甘ったるく悪酔いした。その悪習も経済がまともになるに連れ、滅び去ったのはご同慶の至り。戦争の影響は思わぬ場所にも現れるもので有る。
 今の日本酒は大丈夫。たまに変なのが有るがやがて淘汰されるでしょう。
 下山して飲む酒は美味い。山頂で飲む酒(Sではないので、山頂泊まりの場合)は美味い。山小屋で飲む酒は美味い。天幕で飲む酒は美味い。あえて言えば、季節、シチュエーションを問わず、山で飲む酒は美味い!美味い酒を飲みたければ、山に行く事だ。これには絶対間違いありません。
 本当に美味しい酒を、一生に何度飲むのだろう?悲しい時や、悔しい時ではない筈だ。そういう時の酒は、苦くて辛くて偉く体には悪いと思われる。美味い酒とは気の合った友と飲む酒。それは勿論、基本中の基本だが、とても嬉しい時の酒が、特別に美味しいのは、皆さん異存は無いでしょう。
 でも、そういう時って、残念ながら、そうはざらに転がってはいない。やったー、俺もいよいよ代表取締役だ!とか(我ながらさもしい喩えでした)、子供が結婚するぞ、しかも孫までついて!とか、文化勲章を貰った、しかも二つも!とか(一寸と飛び過ぎ?)、孫が学習院初等科に合格して、学費はただ!とか、我が子が、某大手企業の幹部に登用され、親にも給料が内緒で振り込まれる!とか、賄賂を配りまくって町内会長選挙に当選したぞ!(嬉しいのかなあ?)とか、女房が男を造って逃げた、万歳!(これは嬉しい人多いでしょう)とか、等々です。
 もう充分でしょうか?済みません、本当に嬉しいと思われる瞬間は、これ以上は思い浮かべられません(酔ってるんで)。ご自分で想定して下さい。もし、もしも、そんな時に出会ったら、是非しみじみと飲んで下さい。
 でも、そんな稀な事で無く、日常で美味い酒を、……繰り返す野暮はすまい。

 一度雲海を足元にして、飲んで御覧なさい滝雲を見ながら飲んで御覧なさい

  山、万歳! 酒、万歳! 大自然、万歳!

   そして、人生、万歳!!

 そう思える私は、選りすぐりの幸せ者だと感謝しています。ま、見方によっては、単なる酒好きなんだけど、本当の事だから異議無し!

2009年4月15日水曜日

クソ面倒な話 その三

店 014

 

 B級映画では時々飛んでもないセリフにお目に掛かる。(字幕なので)
 あ、イラストはB級映画とは無関係で、A級映画スターウォーズです。
「超光速は相対性理論で禁じられています」
 此れなんざ横綱級だ、良くぞ申した!!!
 宇宙は(詰まり未だ解明されない全ては)相対性理論に従っている訳で、本末転倒と言うも愚か。光速を基準とした一理論に過ぎない相対性理論を絶対視すべきでは無いのでは?
 増してや、光速を越えれば(セリフの通り禁じられているけど)時間が逆戻りする?それは計算上マイナス時間となる事で(だから禁じられている)、時間が戻ると考えたい気持ちは分かるけど(特にSF作家は)、長さの平方根を取るとマイナスの解も得られると同じで、マイナスの長さなぞ存在しない。同じくマイナスの時間なぞも存在しないのだ!
 済みません、タイムマシンは諦めて下さい。身も蓋も無い?う~ん、そうですねえ。
 硬過ぎです(前回もやっちまった)。SFとはサイエンス・フィクションと言う意味と、Speculative Fantasy 詰まり、思索的幻想と言う意味も有ったのだ。だから何でも有りで、取りあえず納得しましょう。
 で、相対性理論ですよ(突然九州弁失礼)。絶対的理論だと世の中は思っているみたいだけど、飽く迄一仮説にすぎず、今の処其れを覆す理論が無いと言うだけの物だ。
 此のド素人が、何を分かって言ってるんだ、馬鹿か、気が違ってんのか!(後は以前書いたので略)
 相対性理論が多くの謎を説明出来るのは事実だろう。でも本当に光速を越える現象は無いのだろうか。光速はいかなる場合に於いても一定なのだろうか。
 異なる運動系座標が亜光速ですれ違う場合でも、相手の座標から発せられた光は秒速30kmに観測されるのだろうか。
 じゃあ何故宇宙の地平線が存在するのだろう。いらん説明でしょうけど、宇宙の地平線とは以前あたしが?を付けたビッグバン理論の元となった宇宙の膨張により、遠方程遠ざかる速さが増し、或る一線で相対的に光速を超える為、光は地球に届かなくなるに依って、其処が宇宙の地平線となる訳ですなあ。
 てえと何か、其の地平線の向こうの天体は地球を基準として超光速で運動してるんじゃんかさあ。あくまで素人の疑問だけど、違ってますか?(一般相対性理論では認めてました。不勉強で失礼!)
 専門家は上手く言いくるめるだろうけど、ふっふっふ、素人は理屈が分からないだけに騙されないんだよ。小難しい数式を幾ら並べても無意味、大体其れを理解出来ないもんね。
 相対性理論を真っ向否定なんてしてません。それが絶対正しいという風潮がおかしいと思っているだけで、あたしの死んだ頃に新しい理論が生まれる事でしょう。科学の歴史とは常にそういうものです。

2009年4月12日日曜日

酒は飲め飲め、山で飲め その四

 

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 何と珍しい、山菜ラーメン(?)があるのだ、滅法珍しい。そのくせ山菜蕎麦はメニューにない。一度山菜蕎麦を頼んで造って貰った。これはいけた。山菜ラーメンも食べた事があるが、矢張り蕎麦の方が山菜とは合う、と思えるのだが、O屋なりのオリジナルにこだわりが有るのでしょう。
 O屋で飲みながら見ていると、停車しているバスを見つけると、皆さん半狂乱に走り、乗ろうとする。家では誰がお待ちになっているんでしょうかね?
 一本遅らせ、一杯やって行きしょうよ。バスはどんどん出るんだから。ビールやチューハイを飲み干すと、本当に生き返りますぞ。D山荘も有りますから、お好みの店でどうぞ。
 正月の遠見尾根で幕営した時の事。丹沢から一寸と離れますが、飲兵衛の章なのでご容赦下さい。これからは、丹沢から離れ放題になっても、ご容赦。
 冷え込みました。うー、寒い……。一人で震えている時、友は酒です。アルミカップで湯を沸かし、どぼどぼとウィスキーを注いで飲む。唇が熱くて、あち、あち、と飲む。一服つけているうちにぬるくなる。と、見る見る冷たくなり、カップの中に、キラリと氷の粒が、幾つもできたのには驚いた。寒くて酔ってる間もない。ロシア人がウォッカをがぶ飲みするのも、無理からぬ事だと、しみじみ思います。
 正月の三伏峠で幕営した時、パックの日本酒に燗をつけるのに、アルミカップでじかにバーナーにかけた。温まって来たと思ったら、カップから青白い炎が立った。アルコールに引火したのだ。綺麗でした。この時も、あちあちから、冷てーに、あっという間になった。
 でも、冬山の日本酒は王者である。美味しいのです。もっとも里で飲んでも美味いのです。私は怖くて日本酒は飲まない。(たまには飲むけど)悪酔いするから?違う!
 昔は日本酒は悪酔いするという迷信を信じていた。日本酒は美味しいので量を過ごす、しかも極自然に。だからヘベレケになっちまうと、やっと分かりました。何年かかったのだろうか?
 最近は欧米で日本酒が売れる様になって来たそうだ。あらゆる料理に合うと認められたらしい。酒の味を円グラフで表すと、ワインは酸味が突出し、ウイスキーはどうたらとかなるって、全部いびつなのだが、日本酒は殆ど綺麗な円に近い線を描く。詰まり究極の酒と言っても過言では無い。
 私にも覚えが有る。ぐい飲みでワインを飲んだのだが、すっごーく不味く感じた。決して其のワインが不味かった訳では無い(安物なんだけど)。
 面白いもので、ぐい飲みを口に運ぶ時は日本酒を無意識に想定していて、不味いと感じたのはワインは日本酒より不味いという事?勿論、私の感覚なのだが、当たらずと言えども遠からず、でしょう?(ワイン好きの方、御免なさい)
(酒は飲め飲め、山で飲めその五へ続く)

2009年4月11日土曜日

閑話 その十九

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 家族続きで妻の話。あ、愚痴をこぼそうってんじゃないんで、誤解無きよう。
 妻と山に行った話は本文にも閑話にも出て来るが、妻と山に行くのは実は年ごとに一度か二度しか無い。理由は簡単で、妻が山に弱い(下りで股関節の痛みを訴える)事と、夫婦で留守に出来なかったからだ。両親と子供三人を抱えていれば至極当然の話でしょう?
 それでも何とか時間を捻出して極力妻を山に連れて行こうと思ったですよ。だって、登山以上の楽しみ(あたしの思い込みでしょうかね?)は無いし、本人も山は好きだから。(多分。本人がそう言ってるし)
 あたしも馬鹿じゃ無いから(誰だ異議を唱える奴は、打ち首だ!)、ミーハー路線に徹する。わー、何て素敵なの!と言わせたいし、言わせなければ連れて行った甲斐が無い。
 従って、婚約中のプレゼントはキャラバンシューズ、デートコースは冬の檜洞丸。凄く寒かったそうで気の毒でしたね。
 デートコースと言えば、東京タワーに行った。夜景が素晴らしいのはご承知の通り。それは良い、良く無いのはあたしが乗っていた車、会社のBシャッターの車で乗り付けて、警備員に「はい、業者はあっち」と言われ、「客なんだけど」と答えたお粗末。
 晩秋の北八に地下足袋で行った話しはした。この時は小海線に出たのだが、紅葉真っ盛り、車中で関西からのおばさん達が口々に「綺麗わー!」と叫んでいたのが印象的で、本文でも使わせて貰った。中アの宝剣も本文に有る。此れも全く、綺麗わー!の世界で有ったです。
 秋の爺ヶ岳は見事此の上無し。冷の小屋で泊まったのだが、紅葉と言うより黄葉で、山は勿論空気迄黄色く染まる感じ、妻もきっと綺麗わー!と思った事だろう。其の上小屋が丹沢とランク違い(あ、失礼しました丹沢の小屋さん、丹沢の良さは別物です!)、洒落ている。食事も良いのだが、あたし達は自炊なので関係無い。此の山行は(妻が喜んだという意味で)成功です。
 では失敗例を。皆さんも失敗例の方がお好きでしょうし。(違う?偽善者!)
 秋の赤岳を登った時の事。行者に泊まり、快晴の赤岳に立った迄は文句無しの出来だった。色づいた山々は見事の一言で、風は強かったものの風景を満喫。問題は下り道の選定を誤った事だ。
 阿弥陀に登り、犬クビリを経て美濃戸へ下る尾根だが、急で長くて妻はすっかり参ってて仕舞い、可哀そうにやっと下って行く。勿論膝も笑い放題で思う所に足を置けない惨状。
 尾根の末端は造成された別荘地へ入って行く。え、知らないよ!地図(古いんだけど)にも載ってないし。うろうろし、妻を待たせて道を探り、やっと方向を定めた。
私「戻るよ」
妻「えー、一生懸命下って来たのに……」
私「少しだけだよ」
 妻は半泣きで有った。あたしゃあ気の毒なのと自省の念で一杯でした。無事にバス停に着いたのだから、失敗にしては可愛い方です。

2009年4月10日金曜日

酒は飲め飲め、山で飲め その三

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 Sは特に飲兵衛である。SとSの奥さん(前にWと記した)、Kと滅茶苦茶なNと一緒に大倉尾根を登っていた。小屋が有るとその度、Sは入って、ビールを買って飲む。旨そうに飲む。それでよく歩けるな、Sよ。Sは頑強な男なのだ。昔は十字懸垂なんてやってたし。此れは閑話で説明済みで、Sは水分を常人より必要とするのだ。(詰まり異常人?)
 勿論、私もKもNも飲兵衛だが、強くない。我々は唯の酒好き、だらしなく飲みたいだけで、情無い。ところがSは強いのだ。悲しいかなご他聞にもれず、最近は酒量が落ちて来た感はある。お互い歳には勝てない。Sが飲めなくなったら終わりだぞ、頑張って飲んでくれ、Sよ!
 夏山のキャンプ場は賑やかだ。学生のパーティは、騒いでいても、すぐ寝静まる。何せ朝は三時には起きるのだから、見ていても大変だ。だから夜は早い。おじさんパーティは、遅く迄飲み続ける。場合によったら停滞しても良いってな、いい加減さなので、減迷惑千万.私には明日の予定があるんだぞ!
 と言う資格は、実は私には無い。前に書いたが、菰釣山の避難小屋の思わぬ宴会で、兵庫県の方々に迷惑をかけた時の事。
 言い訳です。大阪のおっつぁんがいけない。おっつぁんがひたすら酔っ払って、騒いだのだ。センスの良い、顎鬚の好中年(?)でさえ、しまいには怒って、貴方、うるさい、と叱りつけたが手遅れ。何せ大阪のおっつぁんはヘベレケなので、分からない。迷惑なYも一緒だった。Yは今だに、持って行った日本酒を、殆どおっつぁんに飲まれてしまった、と怒っている。酒の恨みは恐ろしい……。
 が、一番の被害者はYではなく、顎鬚の好中年(髭さんと呼んでいる)。髭さんがツェルトを持っていた、しかも新品。私達は二人だからと言い張り(全く理屈になっていない)、抵抗する髭さんからツェルトをもぎ取って、騒がしい小屋を出て、表に張って寝てしまったのだ。……ひどい、私達の人でなし。
 ま、お互い酔っ払いという事で、許してくれますか?
 天罰てきめん、大阪のおっつぁんは翌朝ひどい二日酔いで、御正体に何度目かの挑戦なのに、失敗した。髭さんがそう吐き捨てるように語っていた。御免なさい髭さん、本当に酔っていたので、あの振る舞いを(汗)……。
 でも、すっごーく楽しい夜でした。
 ここ何年来大倉へ降りて来ると、必ずO屋に入り、一杯やる。一人の時も、パーティの時も、である。

 

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 何が良いって、まず安い。缶チューハイも売値で飲める。昔場末にあった、立ち飲み酒屋のノリである。おばさんに、商売気がないのも良い。付近の主婦の集会所同様になっているようで、おばさんも嬉しそうに話し込んでいる。客が来ると、一寸と迷惑そうにする。注文なぞした日には、露骨に迷惑そうだ。其の癖漬物を、つまみに出してくれたりする。
 客は常連が殆どのようだ。山帰りに一杯の人々。まずベテラン揃いだ。たまに学生パーティもいる。
学生A「前から山菜ラーメンって、気になってたんですが、頼んで良いっすか」
学生B「おお、良いぞ」
学生A「山菜ラーメン大盛り下さい!」
(酒は飲め飲め、山で飲め その四へ続く)

2009年4月9日木曜日

休題 その七

店 013

 グルメの話。気が狂ったか!いえ、B級もB級、立ち食い蕎麦なので安心して下さい。
 以前務めていたのは浅草橋、知る人ぞ知る立ち食い蕎麦の激戦区で、あたしが何時も行っていたのはI。親父が朝蕎麦を打ち、三時には閉まってしまう。夜もやっていれば一杯やって行くのにと残念だった。
 Iが行列の時は彼方此方回って、最後はJRのAに入る羽目になるが、JR東日本は顧客を人間とは思っていない事がAを見て良く分かる。餌を与えれば良いと思っている!JR各駅には様々な駅蕎麦が有ったが、殆どAになってしまった。余程上納金が多いのだろう。その分味以前の物になっちまうのも当然だ。甲府の駅蕎麦桃中軒(常盤軒だったかなあ?)迄Aになったのには驚くと同時に、がっくり来た。酷いじゃなないのJRさん!
 話を戻すと、唯一Aの長所は、彼方此方回った挙句何処も混んでいて仕方なくAに行くと、空いている事。此れは助かる。皆さん不味い物は分かってますね!
 浅草橋にはI(意外と知らない人が多いが、お薦めです)の他にM、Oが有り、そこそこ上等な蕎麦だ。Hも有って、安い!その癖蕎麦は確りしている。
 これだけでも充分なのにSが有る。別格と言っても良いだろう。江戸時代は蕎麦にツユをほんの一寸と付けて食べたと聞くが、さも有りなんと納得させられる蕎麦とツユなんです。ツユは濃くて鹹い、蕎麦はそのツユをすっと吸い上げるので、とてもじゃ無いがたっぷりとなんざ付けられない!店が余りに狭いので、なかなか食べるチャンスが無かったのが惜しまれる。
 立ち食い蕎麦は、記憶違いで無ければKの出現でドラスティックに変わった。都心に出店を始めたKは従来の常識を破り、生蕎麦を茹でて客に出した。勿論蕎麦湯も有る。此れで茹で麺を湯通しして出す従来店は滅びた。Aや駅蕎麦を除いて。(Aも駅蕎麦だった)
 駅蕎麦と言っても、あたしは幸いに小田急沿線なのでHAは水準が高くて恵まれている。新百合のHAは生蕎麦を茹でる。町田は其処迄しないが矢張り美味い。が、店が狭くて困る。HAが一杯の時はFに行くが、後悔するのは毎度の事だ。う、拙かったかな、良いや、Fったって分からないさ。船橋屋かな?
 蕎麦が好きになったのは四十位からかなあ。其れ迄は蕎麦の味なんざ分からなかった。(今でもそうだって?違うね、男子三日会わざれば轄目して見るべし!)
 一寸と一般店にも踏み込むけど、有名店は確かに美味い(ま、そうは行ってないけど)。併しだ、高価過ぎる、量が少な過ぎる!ふざけろ馬鹿!!!
 失礼しました、B級グルメが限界なのに見っとも無くも我を忘れて興奮しました。でも。名の通った高級店に全く負けない蕎麦屋を、あたしゃ知ってしまったので、つい叫んでしまいました。噂を信じちゃいけないよ、って事です。

2009年4月5日日曜日

酒は飲め飲め、山で飲め その二

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 蛭のRさんの小屋を目指す時も、沢であろうと、変な尾根を登るのであろうと、途中で荷物を入れ替え、大きいリュックに重い物を詰めて私が背負い、小さいリュックに軽い物を詰めてYが背負った。普通ならば大きいリュックに軽い物小さいリュックに重い物だ。
 一度は、Yがすっかり参って(ちゃんとした道を行かないからだ、とYは言う)、リュックは大小二つとも私が背負った。Rさんの小屋に入ろうとすると、Yは遠くから、息も絶え絶えに叫ぶのだ。
Y「リュックを、返して……」
私「?」
 二つリュックを背負った私の後から、空身で小屋に入って行くのは、男の沽券に関わるという訳だ。最近になって、ようやくその気持ちが分かるようになった。Yよ、気の毒だったね。
 で、自分以外にその立場の人間が現れる事は、とても気持ちが救われるのだ。未だ説明不足かな?
 此処の読者なら、きっと覚えが有るでしょう。皆が辛い登りで喘いでいる時、誰か一人がバテると、外は皆急に大丈夫になり、しゃんとしてそいつを気遣いながら、登って行けるものなんです。これで説明OKですね。
 で、堀山の小屋迄と決まった。ん、説明通りとすると、YはAがバテて楽になった、って事は、Aがバテて、嬉しそうに?……もはや私には説明不能、説明を放棄します。

 

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 やっと小屋に着き、小屋でお汁粉や甘酒を買って飲み、外のベンチで宴会を始めた。と言ってもささやかに、持参した焼酎を飲む位の事だけど。それで下って行ったのだが、私が其れを見ていればきっと、何だあいつら?と、不思議な思いで見送っただろう。だから、一本松上の皆さんと同類です。いやー、楽しかったでしょうね、一本松上の皆さん。
 いつものS、Kと、新松田に降りて来た。飲み屋を探したら、田舎でもちゃんと有る。そこで飲み始めたのが、午後五時半頃だろう。結局十時前迄飲んでいたのだが、可愛いものでしょう。言いたいのは、新松田で飲むと不思議な錯覚に陥るという事なのだ。旅先で飲んでいるような感じ。
 新松田は、新宿から一時間半、近い所だ。それでも、山から降りて来ると旅先なんですね、これが。今日中に東京に帰れるのかと、不安を感じながら飲んでいて、それでも盛り上がって、ひたすら飲む、変な世界。分かりますか?是非お薦めです。 (酒は飲め飲め、山で飲め その三へ続く)

2009年4月4日土曜日

クソ面倒な話 その二

店 012

 

 SF系B級映画が好きなのだが、宇宙空間を除いて宇宙船内で無重力を表している作品は無い。2001年宇宙の旅とアポロ13だけだろうか?失礼、此の二作はB級では無い。
 エイリアンにしろ、イベントホライゾンにしろ、スクリーマーにしろ、スタートレックににしろ、スターウォーズにしろ、宇宙船内は当たり前の様に重力が有る。
 ドーナツ型の宇宙船で回転に依る遠心力を擬似重力としているなら分かるが、そう言う設定でも無い。尤も、回転で1Gに相当する遠心力を得る為には半径830mのドーナツを毎分1回転させる必要が有る。途轍もなく巨大だ。小さくても回転数を上げれば良いと思うでしょう?でも駄目なの。毎分1回転以上だと、乗員は回復不能な宇宙酔いに罹ると判明しているので、直径1660m!
 今の科学では(多分未来でも)他の方法で擬似重力を発生させる事は出来ないので、スルーしちまおうや、と言ったとこでしょう。大体無重力状態の撮影は手間と費用が掛かりそうだし、シナリオにも制約が出るだろうから、此処は仕方無く納得して置きます。
 何処にでも行ける魔法の力、ワープ航法。何だかなあ。共通した表現として星々がさーっと線になって流れ、ワープに入るのだが助走なのかな?ワープしちゃうと広大無限な宇宙と其の孤独感は吹っ飛んでしまって、滅茶苦茶になっちまうんだけどなあ。
 ワープしない事には目的の星に着くのに何世代も必要となるので、物語は全く展開しなくなって観客はゾロゾロ帰ってしまうだろうから、此れも仕方無く納得せざるを得ない。
 ターミネーターでもバックトゥザフィーチャーでもタイムマシン有っての話だが、過去を変えれば未来が変わる?ターミネーターを送り込んだ世界は一瞬にして消滅(もしタイムマシンが有ったとしたら)、別の世界に塗り替えられる訳?だったらパドラックスで、自分も仲間も皆消滅、詰まり死んでしまうと思うのだが……。
 複雑系で言うバタフライ効果で、都合良く特定の人物だけ消えて目出度しは無い!一つの変化は思いも依らない激烈な変化をもたらすものなのだ。
 パラレルに存在する別の未来に移るとは違うし、考えるとこんがらがる事夥しいので、思考を停止しましょう。
 しまった、B級映画を楽しもうと思ったのに、あれこれあげつらってしまった。
 色々な現実の問題を一切気にしないで自由に発想するのがSF系B級映画の魅力なのに、何トチ狂ったのか。(ペコリ)
 名作はそれなりに良いんだけど、あたしゃ頭と心が雑な質らしく、しっとりとした情愛や、微妙な心理の絡み合いはウザったくて、どうも我乍ら人間に難有りではないかと思えてしまえて情無いのです。
 あと残念なのは、SF物はどうしてもB級の造りになってしまう事だが、大体からしてSF自身が自らB級の要素其の物と言う事で、其れだけは文句無く納得です。

2009年4月1日水曜日

酒は飲め飲め、山で飲め その一

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 お酒が駄目な人には謝っておきます、御免なさい。この章は飛ばして下さい。

 おーい、お酒の嫌いな方、いますかー。

 シーン……。

 フッフッフ、返事がない。さて、邪魔者は去りました。山に酒はつきもの、酒なくて、何の山登りですか、何の人生ですか!
 夏の日、大倉尾根をピストンし、一本松上のベンチで休んでいると五人のおじさんパーティが登って来た(え、私もおじさんだって?まあね)。時間は午後一時前位。暑い日だった。
 がやがやと休んでいたパーティの一人が、クーラーボックスを開けてビールを取り出した。え、上でやるんだろう、と声が上がるがビールはどんどん配られて、乾杯、となった。あらら、此処で飲んじゃ、登れなくなっちゃうよ。
 すると一升瓶が、どんと置かれた。私はその場を後に下ったが、あのパーティはあそこで終った、もう登れないだろう。一升瓶が出ては終わりである。花立で宴会の予定だったのか、堀山予定だったのか、どっちにしろ一本松上になっちまった、下りが楽なだけ良いって訳だ、はっはっはっはっは……。
 人様を笑う資格は、実はない。迷惑なYと一緒に、Aを誘って塔を目指した事がある。Aは二十年も、山とは縁が切れていた。不幸にも、前夜徹夜で一睡もしなかったAと渋沢で落ち合い、登りにかかった。此のAとは、閑話で紹介したAで、此のブログの立ち上げから面倒迄見てくれている恩人Aです。(為念)
 Aはすぐバテた。無理も無い、運動不足と睡眠不足、おまけにやや(?)肥満体。三拍子揃えば怖いものはない、無敵だ!やっと着いた駒止めで、ぜーぜーいってるAに聞いた。
私「あの階段が見えるかい」
A「ぜーぜー」
私「あれを登れば花立だけど、どう、行けるかい」
A「ぜーぜー」
Y「(嬉しそうに)無理しない方が良いよ」
A「ぜーぜー」
 説明が必要だ。Yは迷惑(いびきがですよ)ではあるが、人間は無類に良い。嬉しそうというのは、Aがバテた事にではない。私と山を歩くと、常にYが、ぜーぜーの立場になる。 (酒は飲め飲め、山で飲め その二へ続く)