2016年5月31日火曜日

酒と山と飲んべ その三





 温泉から上って少々やれば、もう出来上がっちまうと言う可愛さ、多少の寂しさは感じざるを得ないが、“己の欲する処に従って則を越えず”、と孔子ものたもうて居る。めでたい、と言うべきだろう(淋)。
 “己の欲する処に従って則を越えず”とか偉そうに書いて居るけど、実際は年に一、二度(二、三度かな? 四度かなあ)は則を越えて、翌日偉く恥ずかしかったり、とても後悔したりは、相変わらずやって居る。其れは其れで、仕方無いこった。何、年中じゃ無いだけマシってもんさ。(涙)
 さて、日帰り登山で無ければどうなるだろう。千差万別なのは当たり前だが、小屋泊まりでも幕営でも、条件は(一部を除いて)同じだろう。
 一部を除いてって何だって?説明すれば、営業小屋なざ何処にも無いマイナーなルートの縦走では、どうしても酒を背負わざるを得ないが、営業小屋さえ有れば、酒は幾らでも(資金が有ればだけど)調達可能って事なのだ。うーん、楽ちんで良いなあ♪
此れは南極越冬隊が、全ての必需品を持ち込まなくても、基地の横のコンビニで買えば良いと言う程の快挙なのだ。(一寸とオーバーでした)
 小さな小屋でも、ビールと日本酒は絶対に有る。大きな小屋なら、其れにウイスキーや酎ハイも用意されて居る。場合に依ってはワインでもコニャックでも、ブランデーさえも手に入ろうって贅沢さだ。
 酒を背負う場合(詰まり、前に言った一部の場合)、昔々はウイスキーを少々持てば事足りた。アルコール漬けになんてなってなかった若者達だった訳だ。今は立派にアルコール漬け、酒なくて何の人生ですか、何の山登りですか! の世界に住もうて仕舞ったのじゃよ(又涙)。
 其処で困るのが、酒類の重さが水の重さと等しい事だ。詰まり、外の消耗品と比べればうんと重いって事なの。酒は飲みたい、重い荷物は担げない、其れが悩みの種じゃん♪

2016年5月28日土曜日

閑話 その百九十二




 取り敢えずの滑落の危機は脱した。だが油断ならぬ斜面は続く。救いは土が厚い事だ。これが岩に薄っすらと土が乗っているのなら、命懸けの四駆って騒ぎになる。
 土が厚いのでが蹴込み良く効く。当然登山靴が有利なのだ。手術前なら地下足袋で上手く登ったもんだが、今はとてもじゃ無いがそんな真似は出来ない。あれも結構体力を必要としたのだなあと分かる。
 従って、土に足を置きじわっと土を包み込む様にして登る。だって蹴込んだって、地下足袋だから、全然入らないのだ。
 手術前は内側を喰い込ませてガッツガッツ行った。今はそんな力は無い。ズリーズリーとノロノロしてるだけなの(涙)。
 傾斜が厳しくなると、Yが蹴込んだ跡を踏んで登るのだ。うん、これは楽だった。ずーっとそうすれば合理的だったんだなあ。でも、トップはあたしって習慣なんで、思い付きもしなかった。これからはそうしようっと。見栄も外聞も有るもんけえよ♪
 やがて植林帯に入った。もう危険は去ったのだが、傾斜と歩きにくさは残るのだ。若くは無いのですなあ。五年位前なら二人共どんどん行けたのにさあ。
 流石のYも蹴込みを続ければ参るのだろう、遅れる様になって来た。こっちは傾斜が緩むにつれ歩が進む。やがて尾根に出た。そこで懐かしい台詞を吐く。
私「夢泣くな」
 後で聞いたら、それを聞いて気が緩み、最後の登りを何度も滑って偉い苦労をしたそうだ。人間は気を緩めちゃ駄目ってこってす。
 我が目を疑った。20m程先に白い看板が有り、其の前を登山者が横切った。え、馬鹿尾根寸前に登り着いたのだ。やったぜ!
 続きます。

2016年5月25日水曜日

酒と山と飲んべ その二





 従って日帰りでは、下りて来てからが酒となる。麓か或いは近くの駅か、さもなくば東京に帰ってからか、いずれにせよ下山宴会に昔はなった。
 零細山岳会は、新宿で飲むのが常だった。今は無い、東口のキリンビアホールで有る。大ジョッキで、乾杯! なのだ。
 大ジョッキったって、今の大ジョッキでは無いの。少なくとも二回りは大きい!! べら棒にでかいので、取っ手では支え切れない重さだ。で、取っ手にて掌を通してジョッキを掴み、グーッとやったのだ。
 思い出しても豪快で有る。其の為(ビールの為です!)に、下りに掛かると水を飲むな、と互いに戒め合った。乾いた喉に冷たいビールを、と言う訳なのだ。
 若さで有る。今なら脱水症状で病院行きなのは、ほぼ間違い無い。良い子の皆さんは、絶対そんな真似はしないでね。
 でもですよ、そうは飲まなかった。思えばべろべろになるなんざ、中年になってからだ。グーッと飲んで、わっはっはと笑って、さっと帰る。さっぱりしたもんだった。
 尤も、当時は目一杯歩いたので(飲む)スタートが遅い。だもんで、直ぐに夜遅くになったと言う理由も有る。
 こじつけかな?何せ今は、飲む為になるべく早く下りて来るんだから。そして、べろんべろんになるのだ、はっはっはっは、あ、失礼ブッ転がしました.だ。つい、追憶の世界に嵌っちっまっただよ。
 最近は前に書いた様に、松田で(否応なく)旅情を味わい乍ら、遅く迄冷や冷やしつつ(東京に帰れるのかなあ?と)飲むとか、大山の下山口で豆腐を食し乍ら飲み続け、最終バスだと店に促され、ヨロヨロバス停に向かう様な事は無くなった。
 詰まり歳相応に、飲めなくなったって事なの。此れは良い事なのだ。爺さん(現に孫が居るし)が、中年と同じにべろべろになったら、ろくな結果は待ってないのが決まり事。

2016年5月22日日曜日

閑話 その百九十一




 去年の五月はYと一ノ沢に入って偉く消耗して、衰えを嫌と言う程感じたとは既述で有る。沢登りは登山道を行く十倍位の負担が掛かるのだ。
 今年も凝りもせずにYと一ノ沢に入った。二十一日(土)の渋沢はバスを待つ登山者が長蛇の列だ。五月なので当然では有る。臨時バスがどんどん出るので、思う程の事も無く大倉に着いた。
 一時間林道を歩き沢の入口に着いたが、今回は尾根を行き、林道から沢に入る事にした。だって、沢を行っても直ぐに急斜面を這い登って林道に出、又沢に戻るのだからだ。
 小さい沢だが滑や小滝が次々現れて中々面白い。極力本流を行ったつもりだが、見覚えが全く無い。ま、沢は様子を変えるからね。
 たかだか2m半位の小滝が現れたが、ホールドもスタンスも欲しい所に無い。空身になって地下足袋の底や腕迄岩に密着させて無理やり登って、サブザイルでYを引き上げた。
 此処までは上々だった。やがて現れた小滝が苔に覆われて逆送気味なのだ。一寸と試みて直ぐに駄目だと悟った。こんな滝に会った覚えは無い。本流を外れてるって事だ(恥)。
 文字通りのV字谷で左右共切り立っている。詰まり戻るしか手が無いのだ。一寸と戻ると左に何とか行けそうな所を見つけた。此処しかないべさ、と取り付くと土がズルズル落ちて行く塩梅。何時も乍ら嫌な局面だ。
 立木迄へずれば登れるだろうと清朝に崩れる土を踏んで居たらYがガッツガッツと靴を蹴り込んで物凄い勢いで直登を始めた。お、偉く元気だぞ。あたしは予定通り立木に着いてから登って行った。やや傾斜の緩んだ所でYに追い付いた。
私「いやあ、元気だね」
Y「じっとしてると足元が崩れちゃうんだよ」
 よーっく分かります。あたしが慎重にへずって居るうちにYの足元は崩れて行き、滑落寸前に追い込まれたってこったね。
 続きます。