2015年12月31日木曜日

閑話 その百七十六




 今年も今日で終わり。去年の今日は大騒ぎで、もう駄目だろうってな状況だったのが信じられない気持ちだ。
 去年の忘年山行は日帰りで、Y、Toと塔に登った。今年は通例の通りに、Yと堀山へ幕営具一式を担ぎ上げての忘年山行だった。
 二十六日、二十七日の土日なのでさぞや空いた山かと思いきや、結構入っている。勿論ひたすら抜かれる。外の諸君は若いし荷が小さい。こっちは歳で荷がでかい。当然だ。
 堀山迄二時間で充分だと踏んでいたが、甘かった。もう三十分を食っていた。どんだけ遅かったんだろうか。
 サブザックで花立迄は行くつもりだったが、春と同じく吉沢平で引き返した。花立から上には霧氷の花が咲いているのが見えるのだが仕方無い。
 それに霧氷は青空の元でこそ映える。其の日は曇天だった。そうすると唯白い物が有るだけなので詰まらない事夥しいのだ。従って写真は別の時のもので有る。
 テントを張り中が片付けば乾杯だ。今年はYがロング缶、あたしがレギュラー缶と逆転状況が続いている。こっちの体調は未だ60%位なので妥当だろう。
 夕食を済まして一眠りし、起き出して夜の宴会が始まるのは常の通り。結局十二時迄ワーワー騒いで飲むのも常の通り。常の通りにやれるとは幸せな事なのだなあと痛感する次第。一つ間違えれば管だらけで寝ているのだ。
 一時半、尿意に起こされる。歳ですなあ。暫く寝られずにいたがYはグーグー寝ている。何時でも何処でも熟睡できる幸せな男だ。
 ウトウトすると六時半になっていた。ゆっくり朝食、お茶もゆっくりと。矢張り日本茶は美味しい。第一さっぱりする。ヴィタミンCも豊富なのだ。
 下り始めると途切れなく登山者が登って来る。それも若か目の諸君中心だ。中高根パーティなぞ無い。年末だからだろうか?
 弘法の里湯に浸かり一杯やって帰った。おだやかな忘年山行で有る。普通に出来た事自体が喜びだ。
 皆様も良い歳を!

2015年12月27日日曜日

休題 その百五十七




 あっと言う間に暮れも押し迫って来た。明後日はあたしの手術記念日。救急車、緊急手術、大晦日の死にかけ騒動。あれから一年が経とうとしているんですなあ。
 あらゆるバイタルが下がって行き、家族を呼ぶ段階でも、全然苦しさは感じなかった。結構危なかった様だから、あのまま逝って仕舞ったかも知れない。
 だとしたら、あたしの場合の病気で死ぬのは容易な事だと思える。まあ、感覚も麻痺していたんだろけど。
 無事に生還したからそんな事を言えるんだとは分かっている。健康で有る事の有り難さは充分分かった。管だらけで寝ているだけってえのは、二度と御免だ。
 もし寝たきりになった時、枕元に十億円の札束が有っても、嬉しくとも何とも無い。今なら千円札でも嬉しいけど(さもしい?)。
 健康の為なら命もいらない、と言うギャグが有ったが、確かに健康で無ければ何も出来ない。酒も飲めなきゃ山にも登れない。
 発想が俗ですなあ。正直な処なのでご容赦。折角助かった命なので、無駄にしない様心がけて行きたいと思ってます。

2015年12月24日木曜日

閑話 その百七十五




 S、Kと三人で弘法山から鶴巻温泉へのお馴染みコースをやった。師走の快晴の日だった。岳ノ台から菩提へ下ろうと思っていたのだが、バスの時刻が合わなかったのだ。
 S、Kと行くのは二度目だ。Sは心臓手術で負担を掛けられない。Kは春山滑落の後遺症が年々ひどくなって砕いた方の足首が外に傾斜してしまった。あたしは病み上がり。
 てなボロボロパーティなので、リハビリの弘法山コース当たりが丁度良いのだ。温泉も有るし。
 雲一つ無い青空だった。ゆっくりゆっくり登る。途中で二度程休みも入れる。Sは登りが辛いのだ。
 見晴らし台の有る権現山に着けばあとは緩いアップダウンだから、何とでもなる。真っ白な富士山を楽しんで出発した。
 好天なのだが割と行き交う人が少ないのは、十二月の所為だろうか。そうなんで、十二月になると登山者・ハイカーは減る傾向が有る。年末になるとガラ空きとなる。
 突然元旦に初日の出を狙って大勢が押しかける。山小屋は暮れも正月も有ったもんじゃない。ま、掻き入れ時なので仕方ない。
 ゆっくり里山の稜線を行く。下りでKは歩きにくそうだ。時々滑って転ぶ。足をフラットに置けないので滑るのだ。道に積もって居る枯葉も滑るのだ。
 それでも昼前には弘法の里湯に着いた。ゆったりと湯に浸かっていると二人はさっさと上がって行く。おいおい、温泉だと騒いでいたのに何で速いんだよ。
 二時間券で入ったのだが、一人千円以上の飲食をすれば一時間延長になる。そう説明したが無用な事だった。徳利はゴロゴロ、つまみはずらーっと。一人三千円は軽く行って仕舞った。
 歩くのに不自由が有っても酒を飲むのに不自由は無いって事で、何よりでした。

2015年12月21日月曜日

柄でも無い事 その五十一




 先日コーラス部の同期生Niのコンサートに行った。成蹊大学OBグリーで有る。男性はEbとあたしの二人、女性は先輩二人と同期が五人(だったかな?)。
 中野zero小ホールはびっしり満員、伝統有る学校は違いますなあ。たっぷりと色々な歌を歌った。練習に二年は掛かるだろうと感心させられる。
メインは組曲富士山だ。草野新平の富士山二十六編の詩から五編を選んで、多田武彦が作曲したものだ。
 あたしは其の中の第弐拾壱に惚れ込んで居る。組曲としてはラストの曲だ。許しも得ずに詩を記そう。人もろくに居ない絶海の孤島なので、一つお目こぼしを。

 平野すれすれ
 雨雲屏風おもくとざし
 その絶端に
 いきなりガッと
 夕映えの
富士

降りそそぐそそぐ
翠藍ガラスの
大驟雨

長い間翠藍ガラスを摺り板ガラスだと思って居た。聞くとすいらんガラスと歌って居る。Ebは早稲田グリーで指揮者だったので聞いてみた。「すいらんガラスってきこえるど、何なんだい」「ああ、翠藍ガラス、青いガラスだよ」「え、摺り板ガラスだと思ったよ」。
 良い恥をかいたが今に始まった事ではないので良しとしよう。
 グリーの諸君はさぞや旨い酒を飲んだ事だろう。打ち上げの酒は最高なのだ。コーラスでも劇でも変わるまい。
 久方振りの旧友達とゆっくり話したかったが、ヤボ用の為に直ぐに皆とは別れなければならなかった。
 又成蹊OBがコンサートをやってくれれば、喜んで出かけましょう。コーラスは歌っ聞いても良い物ですな。