2024年2月28日水曜日

クソ面倒な話 その百四

 


 この章は過激な表現や不快な表現が含まれます。繊細な方にはスルーをお勧めします。

 今年の一月一日に飯山陽(あかり)氏がハマス本”を出した。情勢は一寸と変化し、G7の国々もイスラエル非難の論調が高まったが、本質には変わりがないので取り上げる。

 飯山氏の論調は明解である。去年の十月七日、ハマスがイスラエルを攻撃し主に民間人を千二百人以上も殺戮し、二百人以上の人質を取ってガザ地区に引き上げた。これはテロであると定義する。極めて当然でしょう。処がテロではないと主張するハマスの言い分を垂れ流すマスコミや「専門家」が多い。

 現場検証、ハマスの装着したボデイカメラの映像等数えきれない物証がハマスの無差別テロの凄惨さを証明している。

 赤ちゃんを丸焼きにし、子供の腕を切断して死ぬまで放置し、妊婦の腹を裂いて胎児を引き摺り出し、子供の見ている前で母親の乳房を切り取り父親の目をくりぬき、女児から老女まで骨が折れる程の強い力で凌辱して殺し、民家に放火してシェルターに退避している一家を蒸し焼きにし、老若男女を問わず斬首し、遺体に唾を吐きかけ、遺体を車で引き回して歓声を上げた。

 以上は飯山氏の文章の抜き書きである。そして飯山氏はマスコミと「専門家」の言動に怒る。「占領されて絶望した結果だ」イスラエルはガザ地区を占領してない、パレスチナ自治政府が統治している。「イスラエル軍は民間人に多くの犠牲を出している」ハマスは学校や病院や住宅地に軍事基地を造っている。その上避難の邪魔をする。「ガザ地区の人々は悲惨な暮らしを強いられている」ガザ地区にはおしゃれで綺麗なプールがあり、スポーツクラブの少年達がエルサレムに遠征に行く。ガザ地区は格差社会である。ハマスがパレスチナ人を支配し搾取し自分等の盾としている。ハマスのリーダーの資産は五十億ドルだ。(続)

2024年2月25日日曜日

閑話 その四百四十一

 


 一昨日、二十二日は町田でも震え上がった。雨はシトシト、良くぞ雪にならなかったものだ。全国的寒波の中、次女は黒百合平で幕営だ。小屋に泊まれば良いものを、まあ、あたしも若い頃はそんなもんだったかな。

 黒百合平とは、北八ヶ岳と南八ヶ岳の間の天狗岳へ登るに絶好の位置である。昨日は晴れるのだから、現地は雪だろうが構わず登ってテントを張ったのだろう。降雪の中のテント、あたしゃ嫌だよーん! だって、とても凄く寒いんだもん。

 冬の天狗岳も登ったが、黒百合ヒュッテ泊りだった。だらしない親父ですなあ。初冬に妻と登った時も黒百合ヒュッテ泊り。夏に天狗岳から小淵沢駅迄縦走した時も黒百合ヒュッテ通過からのスタートだった。あたしゃ黒百合平で幕営した事なかったんだ。

 冬の幕営は貴方、黒百合ヒュッテあたりでさえそりゃあキツいでっせ。好き者のやるもんで、まともな者はそんなバカはしない。次女はバカな親の地を引いたですな。え、さっきから冬の幕営なんて真っ平だって言ってるって? それは今のあたしで、若い頃は違ったの。尤も冬のテント場で張ったのは赤石鉱泉のみで、残りは尾根上だったけどね。

 昨日は予報通りに晴れ、次女と連れは無事に天狗に登って帰京した。上の写真がそれ。本当は上越に行きたかったんだそうだが、天候が悪いので天狗にした様だ。冬の上越は滅多に天気に恵まれない。それに雪が半端じゃないので正当な判断だった。

 上越や北アルプスに比べて、南アルプスや八ヶ岳は天候に恵まれ易い。あくまで比較しての話だが。冬に頑張って登って、アタック日にガスや吹雪って、情けない事この上なしで泣きたくなるもんね。

 次女は遅く山を始めた為か、急ピッチでの山行を続けている。数年であたしの六十年に追い付きそうな勢いだ。そういう登山者は遭難の危険も大だが、幸いな事に次女は臆病も遺伝してるので、大丈夫でしょう。

2024年2月22日木曜日

閑話番外 その百五十五

 


 どうにか記憶力の良さを誇っていられたのは六十代中半迄だったろうか。特に山に関してはパーフェクトだった。え、××岳?〇〇岳から入山して△岳へ抜けた、夏の二泊三日で、幕営だった。もう一度は何々からのピストンで春山さ。かように頭の中のノートは完璧に確りしていた。

 それが今じゃどうだい、え、××岳?うん登った登った、どこからだったかなあ、えーと、ピストンだったっけなあ。。。。 こんなんじゃあ話にもならん!

 この間Yと高取山を歩き乍ら「大倉高原から塔を目指して失敗したのは今年だったっけ」と言うと、Yは「違うよ、去年の秋の事で、忘年山行はゆっくるやろうって堀山だったんだ」と言う。そう言われれば思い出す。前後関係すら怪しくなって来た訳だ。

 あたしは山ノートをつけなかった。全部覚えていたから。ポジフイルムを使い出した平成元年から、どの山はいつ行ってポジフイルNoは幾つ、と記録する様になってついでに簡単に山行内容も入れた。今となってはそれ以前の、一番盛んに山へ行ってた頃の記録がない。同時に写真もない。正確に言うと写真はずっしりとあるのだがネガがない。記憶にあるから平気だい、って思っていたのが頭の中の消しゴムの働きでダメになった(涙)。

 いやはや、こんなざまになると分かってれば記録をつけていたものをねえ。丹沢にしたってそうで、あの沢この尾根、片っ端から歩いたがその記憶も曖昧になり掛けている。この枝尾根歩いた事あったっけなあ、とやがてなる事だろう。

 冒頭の、え、××岳?名前は知ってるがあたしゃ登った事あったっけなあ、となるのもそう遠い話でもないってか。

 自然現象でしょう。殆どの人に訪れる記憶力減少、あたしにも訪れてるだけです。強い印象は明白に残ってるのだからそれで良しとしましょう。