2012年10月31日水曜日

臆病者の痩せ我慢 その二




 残置ハーケンが有るなぞ、極めて珍しい。多くの場合は、人跡は絶えて無い。痕跡も無い。ひょっとすると、地球誕生以来始めて此処を通るのは、私なんじゃないかい?と思われる事が多い。
 ま、そんな筈は無いだろうけど、ひょっとすると、何度かはそうだったかも知れない、と思える有様なのだ。いや、実際に幾つかは初めて詰めたのだろう。何せ、本流以外の枝沢はやけに多いので、全部登られて居るとは、とても思えない。私がうっかり未踏の枝沢に入ったとしたら、其れは充分有り得る事だ。其の前に、変な沢には沢屋は入らない。
 でも、初詰めだったとしても、ちっとも自慢にはならない。俺は史上初めて、此の下水管の水で泳いだんだぞおおお!!!に、ほぼ近いからだ(涙)。
 私の立ち位置と別れて、沢屋の立場、或いは岩屋の立場に立って見よう。え、立てるのかって?こっちだって、想像力ってもんが有るのだ、おまけに、酷い所で死ぬ思いをした経験は豊富なんだから。じゃあ何かい、人を殺した経験が無けりゃ、殺人場面は描写出来ないってかい?そりゃああんた、全く酷い馬鹿なんじゃないのかい?
 済みません、誰にも喧嘩は売ってません!言葉の彩です(ペコリ)。岩屋や沢屋と私との実力の違いは、充分承知の上の話なんで、是非、笑ってやって下さい。
 最初から言ってる様に、丹沢のブログならば、沢を外す訳にはいかないので、嫌でも沢に入るしか無いでしょうが。あくまで此処を誠実なブログにしたければだ。
 で、誠実なブログにしたい私としては、無理でも嫌でも逃げたくても、沢に行くです!行くしか無いでよー。。。。。
 泣くのはやめよう笑ちゃおー、ヒョッコリヒョータン……、著作権に掛かるので止め!
 (臆病者の痩せ我慢 その三へ続く)

2012年10月27日土曜日

休題 その九十七




 あたしんちは町田だが、平成二十年の秋からで、其れ迄は世田谷に居た。同じ東京だが、所変われば品変わるで、結構違いが有る。軽いカルチャーショックを受けた位なので、幾つかお話しましょう。
 ゴミ袋が専用で、値段が高い。此れは一律で、スーパーもコンビニも一般商店も同価で、煙草と同じ扱いで有る。20リットル袋一枚三十六円だ。
 但し、資源ゴミ、詰まり瓶、缶、紙は無料回収だ。此れは善政だと思う。分別が正確になる。紙は紙で集める様になる。少しでも資源再生に役立ち、ゴミを減らす努力を自然とする様になるのだ。
 次は良く無い。市民税が無闇と高い(比世田谷)。その癖インフラが不備だ。うちは未だ良いが、街から一寸と離れると、夜は真っ暗だ。都市ガスの普及も遅れて居る。
 大きな自然公園は幾つも有って、充実して居るのだが、街中の公園が極めて少ない。おまけにトイレも水場も無いものが多い。外仕事の人間には、過酷な街で有ろう。
 あたしは世田谷で何年か外仕事をして居たので、トイレの有る公園は完全に把握して居た。同僚達も同じくだ。対象は彼方此方に有って、全く不自由は無かった。
 次もインフラの一種だろう。自然公園は完備して居るが、保養所が無い。一つも無い。世田谷時代は安く温泉に行けたので、今は亡き母も、彼方此方出掛けるのを楽しみにして居た。あたしには、其の楽しみは無縁だ。
 まあ、仕方が無い繰言だとは分かって居る。世田谷とは、税収に大きな違いが有るのだろう。だったら、不釣合いな程立派な新庁舎なんて建てないでさあ、住民に何とか還元出来ないの?高い住民税を払ってるんだからさあ。
 馬鹿な愚痴、失礼しました!

2012年10月25日木曜日

臆病者の痩せ我慢 その一




 私は本来からすれば、沢には絶対に入りたくない。だって、高所恐怖症の私としては、有名な沢でも無名な沢でも、結構危険な思いをさせられる。特に、無名な沢で危険な思いを(実は無名な沢、小さくて馬鹿みたいな沢の方が、危険な場合が多いのだ)してるなんざ、冗談にもなりゃあしない。
 併し、丹沢フアンとしては、丹沢の売りの沢をスルー出来ないのは非常に辛い処で、一応一通りの経験が無いと、此のブログもやって行けない訳なのだ、と勝手に思って居るのだ(殆んど誰も来ないのにねえ)。
 馬鹿ですなあ、苦手なら苦手で良いのにさあ、無理しちゃってさあ。まあね、男は痩せ我慢が命、フン、私もやせ我慢さ。
 前述だけど、名の有る沢は避けまくり、好んで変な沢行って、滝に出会えば巻く場所を必死に探すのだ。あのー、其れって酷く馬鹿なんじゃないの?
 それで良いのだ、分相応が私の本分。詰まり、訳の分からん沢で、必死こいてサバイバルを繰り広げるのが、とことん身に付いた私の本分なの(涙)。アホや。
 巻くと言っても、高所恐怖症の私には容易では無い。下手すっと、滝を直登した方が遥かに安全なのではないか、と常に痛感させられる。(でも、岩場が怖くて直登出来ないんだよねえ♪)
無名の沢の滝を巻いて居て、極くたまに残置ハーケンが有る。其れにカナビラを掛け、ザイルを通したのだろう。流石に、必要ポイントに打って有る。と言う事は、其処は結構ヤバイ訳なのだ。
 私はカナビラは持って行かない。其のハーケンの穴に指を通し、ビクビクと歩を進めるのだが、滑落した時には其のハーケンは、私の指を切り取る役を果たすのみで、私は一気に落ちて行くのだ。とても嬉しい。
 (臆病者の痩せ我慢 その二へ続く)

2012年10月22日月曜日

山の報告です その三十五






 景色を愛でつつゆっくりと下る。時間が有ろし、汗を僅かでもかきたく無い。一生懸命下ると汗をかくものなのだ。すると今夜も寒い思いをする、と言う下らない訳です。
 振り返る北岳は見事だ。そして周りの景色も。其れも稜線から外れて下り始める迄で、其れからは樹林帯に入るのだ。で、稜線との分岐で、最後の景色を楽しんで居たら、ドイツのカップルにバスを聞かれて困って居た青年が降りて来た。彼はあたしが御池小屋で幕営と知って居る。お先に、と抜いて行った。



 草スベリは結構急坂だ。焦らず下るにつれ、黄葉が鮮やかになって行く。体迄黄色く染まる様な黄葉の中で有る。やがて、遠くあたしのテントと小屋の屋根が見え、小屋に着く。



 ベンチでは、先程の青年が一服つけて居た。
青年「(テントに目をやり)あれですか」
私「そう、あれが私の家」
青年「良いなあ!!」
 フッフッフ、君も歳を取ったらやり給え、時間を気にしないで良くなったらね。
 其の彼も出発する。
青年「では行きます、有り難う御座いました」
 礼を言われる覚えは無いので、曖昧に返事をし、「気を付けて」と送る。くどいだろうけど、山は一期一会で有る。其の潔さが好きだ。
 此の夜は、予備下着の動員が効いて、硬かったが寒くはなかった。唯、何だか眠れず零時になった。こうなりゃ、一人で夜中の宴会だ!ウイスキーをラッパ飲み、煙草を吸っては又飲む。で、一時過ぎにシェラフに入った。
 ウトウトはするけど、寝た気がしない。四時を確認したらふと寝たらしい。気付けば日がさして居る。わーっ!!と飛び起きた。六時十五分だった。そんなに慌てる必要は無い。バスは十一時なのだ。北岳は朝日に輝いて居た。



 テントを担ぎ下ろし、バス停に着いたのが九時四十五分、一時間一寸と待つなと思ったら、バスは十二時だった。インターネットでも調べ、小屋でも確認したんだ、何で12時なんだよー!ったって仕方無い。今月から変更になったそうだ。情報は更新してよね、山梨交通さん。
 十一時に甲府からのバスが着いた。登山者も数人降りて来る。可哀そううに、今日から天気は下り坂だ。彼らも知って居て、「小屋迄降らないと良いんですがね」と言う。駄目だっただろう、きっと。町田に着いた時は、もう雨だった。其の前に、列車の中で、既に雨だった。
 と言う事は、山はとっくに降って居ると言う事だ。下手すると雪かも知れない。でも、彼等は覚悟の上だろうから、大丈夫に決まって居る(だろう)。
 あたしはひたすら待ってバスに乗り、甲府で蕎麦を食べて駅に着くと、梓が遅れて居て予定前の梓に乗れた、ラッキー!!
 久し振りの北岳、流石に第二位の山の貫禄だ。冬にはとても登れないと再確認しました。

2012年10月20日土曜日

山の報告です その三十四





 最後の一時間をヒーヒーと登り切ると、北岳山頂だ。此の頂は五度目だけど、雲一つ無いのは初めてで、こう言う景色だったんだ、と改めて感心する間抜けなあたし。
 頂上には、中年男性二人のパーティが居た。これからどんどん人が現れ、去って行くのだ。普通は此の侭広河原に下って、帰って行く。自慢じゃ無いけどあたしは普通じゃない。折角担ぎ上げたテントをばらして、慌てて帰るなんて勿体無い。だから、もう一泊するのだ。
 従って時間は充分過ぎる程有る。雄大な景色に囲まれて、山頂に一時間半は居ただろう。其の位の贅沢は、許される歳だと思う。
 中には歳なぞ関係無い人も居る。あたしより一寸と先輩が、元気に登って来た。八王子の人だった。
先輩「小屋の奴が広河原からのピストンはきついと言うんだ、歳を見たんだな」
 七十歳だそうだ。
先輩「仙丈に登って次は甲斐駒、夕べは広河原に幕営したんだ」
 三日(或いは四日)で三千座(甲斐駒は34m程不足)を三座だって!!凄い人も居るもんだ。と言うより超人的で、最早普通の範疇には入らない。従ってあたしなんざ、傍にも近づけない。



 若者が登って来る。中年男性が登って来る。何人もやって来るが、皆さん好天にニコニコで有る。何せ360度の大展望。そして、夫々の方向へ下って行く。



 若い外国人のカップルが登って来て、頂で抱擁と接吻を交わした。早速片言で、何処から来たと聞く人が居る。ジャーマニィとの答えに、ドイツだと皆さん(含むあたし)驚く。
 離れた岩の上で煙草を吸って居ると、青年がドイツのカップルに、何やら聞かれて困って居る様だ。あたしが行っても役には立つまいが、顔を突っ込んだ。
私「どうしたの」
青年「バスの時刻らしいんですがね」
 ドイツの男性が、時刻の乗ってるパンフを広げ「アシヤス」と言う。
私「芦安は通るけど、此の時刻で良いの?」
別の青年「良い様です、ほら」
 彼は自分のパンフを示す。
私「アシヤス、タイム、オーケー」
 不思議と、山で異国の人に会う時は、あたしは勿論、外の人も皆英語が駄目。此れは決まり事の様になって居る。
 其のドイツのカップルも下山して行く。あたしは「アウフ ヴィーターゼーン」と声を掛けた。男性は「アウフ ヴィーターゼーン」と微笑んで挨拶を返した。女性はサムアップして、笑顔で何やら言った。勿論あたしには分からない。洒落た言葉の一つも返せず、唯微笑むだけの東洋人になっちまった。
 ドイツ語は、今日は、有り難う、さようならしか知らないのだから、致し方無い。
 下りは草スベリルートだ。周りの人(四人程居た)に挨拶し、下山に掛かった。(続)

2012年10月18日木曜日

山の報告です その三十三





 天気が良さそうだと用事が有り、予定が無ければ天気が悪いで、とうとう十月半ばになって、北岳へ行って来ました。昨日帰京です。
 梓で甲府へ行き、バスで広河原へ二時間と言う何時もの入山。天気は上々、北岳も雪渓もはっきり見える。でも山は秋深し、バス停に降り立ったのは六人のみで有る。
 御池小屋の幕営地迄の三時間の登りを、テントを担ぎ上げねばならない。急登をゆっくりゆっくりと行く。二回目の休憩は第二ベンチで、「急登はあと20分で終わり。小屋迄1時間」と看板に書いて有る。
 其処へ三十代のカップルが降りて来て、看板を読んだ。
女性「急登はあと20分、嘘!」
私「え、嘘ですか!!」
女性「あ、いえいえ、私のペースです」
 思えば間抜けなやり取りだ。でも、本当に二十分で急登が終ったのは、嬉しかった。



 テントは二つのみ。小屋には十人程の客。早々に寝袋に入るが寒くて硬い。マットが見付からなかったので(良く探せば有るのだ)、銀マットを持って来たのだ。マットと言うより、緊急の保温用具だ。ボーン・レガシーの冒頭で、ジェレミー・レナが凍て付いた川から上がって、体に巻いて焚き火にあたったペラペラのあれで有る。従って地面が硬い。
 おまけに夏用のシェラフだった。従って寒い。夜が更けるにつれ寒さは増す。其れは良い事なので、明日の晴天を保証するのだ。現に夜中に出て見上げると満天の星だ。それも、すばる、牡牛座、オリオン、双子座、大犬座と冬のスターの競演で有る。
 良い事でも寒いので、明日は予備の下着も着込んでやるんだ、見てろよ、と変に力む。
 翌朝、雲一つ無い快晴。草やベンチには霜が下りて居る。寒い筈だ。北岳に朝日が当たり出した。出発を急ごう。アタックザックを背に歩き始める。あー、重荷が無いとは、何と幸せなんだろう!



 道は大樺沢へ出、雪渓に沿って登る。所々凍って居る。此の冬一番の氷で有る。沢も段々と狭まり、背後の観音岳と同高度になったら、梯子の連続が始まる。十年前には感じなかったけれど、今となっては結構きつい。
 やっと、連続する梯子から解放されたのは、八本歯ノコルに立った時だ。もうピーク迄は一時間の距離だ。空は見事に晴れ渡って居る。(続)

2012年10月14日日曜日

ハイクへのお誘い その二十





 さて、無事に路を見つけたとしよう。目出度い。此処から沢と別れ高度を稼ぎ始める。登ったり巻いたり、時々広がる風景を楽しみ乍ら行ける。もう危険は去ったのだ。鼻歌でも歌おう、余裕が有ればだけど。
 稜線に出る200m以上前から、新しく手入れがされて居る。手入れ用の杭も置いて有る。ひょっとすると神奈川県は、書策新道(新道?)を復活させる気なのかも知れない。だったら此の案内は茶番になっちまうが、あたし的には其れで結構だ。書策新道は、渋谷書策氏の遺作なのだから。
 稜線に出れば、展望が利いて風は通って、天国ごたある。尤も秋が始まって居たので、寒くは有ったけど。
 此れから先は一級国道なので、あたしが案内する迄も無いだろう。右に下れば、行者の鎖場を経て三ノ塔からヤビツ峠に至る。
 でも、今回が初めての人の居る確率は零では無いのだから、取り合えず塔ヶ岳へ向かおう。余計なこったって?念の為だよ!
 一登りで新大日だ。此処からは一寸と下る。登り返さねければならない下りは、余り嬉しく無い。小さなコブを二つ程越える。左は本谷の突き上げの大ガレだ。




 塔への最後の登りは、どの方向から来ても結構きつく感じる。年は取りたく無いもだ。塔に登り着けば、富士山が迎えてくれた。秋風と共に登山者も増えて居る。何時来ても、あー、やって来たぞ、と思える山頂で有る。




 大倉へ向けて下りだす。大蔵迄は7000mの道のりで、地図上で二時間二十分を要する。下り始めて十五分で、道は左に分かれる。真直ぐ行くと鍋割なので気を付けよう。確りした道標が有るので、間違え様も無い筈だが、運悪くもたまに間違える人が居る。
 此処からの下りで登りは二箇所、花立と堀山で有る。両方とも僅かな登りで有る。一本松近辺は、十年以上前にカエデの苗木を植えて紅葉の道を作ろうとして居た。其れが今では立派な木になった。さぞや見事だろう。シーズンに又来よーっと。




 下り飽きた頃、大倉に着く。あとはバスで渋沢へ帰れば宜しい。あたしは勿論O屋で一杯。さもなければ、とっととヤビツ峠へ下ってるって。
 此の章はどうするか迷った。結局アップしたが、くれぐれも気を付けて自信の有る方のみお出掛け下さい。そしてあくまで自己責任ですから、慎重に願います。

2012年10月12日金曜日

ハイクへのお誘い その十九






 本流に着いてからが、偉く分かり辛い。此の路が現役時代の、マーカーも標識も確りした頃でさえ、迷う人が多かった。今に至っては猶更で有る。あたしも二箇所でウロウロして仕舞った。へへへ。
 沢に着いた所は合流点だ。路は左股(仮称)に沿って少し登ると、右股沿いになる。やがて左手に赤いマーカーとロープが有る。



 其処を登って行くと、又沢に戻る。沢を登って行くと、正面にタオルが枝に吊るされ、右にはペットボトルがぶら下がって居る。



 路はペットの下を通って、ペット正面の枯沢の右入り口に登り口が有る。ペットが来年も有る保証は無い。無くなったらどうしよう。
 赤いマーカーとロープからは、せいぜい五分一寸との登りだ。沢に出たら右に注意払って進み、枯沢が合流して来たら、其の右手を注意する事。気を付ければ、路の上方にロープも見えるだろう。
 赤いマーカーとロープから十分を大分越えて登る様なら、引き返すべきだ。確信の持てる地点に戻って、やり直す。此れを怠ると、何せ沢の中なので、下手するととことん迷い、にっちもさっちも行かなくなって仕舞う。
 此れが、初心者だけでは入ってはいけないと言う理由で有る。するべきでは無いやばい案内をしたのかも知れない。安全策としては、此の路を通った経験者と一緒に行く事だ。
 何せ沢の部分だから、踏み跡もマークも簡単に消え果る。従ってあたしもウロウロした訳だ。それでも、三度程歩いて居るので、こっちだろうと勘が効いたが、若し初めてだったら大いに困った筈だ。
 良いですか、あくまで慎重に、取り付く路を探して下さい。きっと見つかるので。万々が一、どうしても不明だったら、引き返すの一手なので、結構きびしいのです。沢登りの経験者なら、セドノ沢を詰めても良いが、下手な枝沢に入って大苦労をした経験が有るので、余りお薦めは出来ない。
 取り付く路ははっきりして居るので、決して行き過ぎない様に。枯沢の入り口の右側斜面ですからね。くれぐれも見落とさない様に気を付けて下さい。(続)

2012年10月10日水曜日

ハイクへのお誘い その十八





 此の書策(かいさく)新道の章は、中級者以上向けで有る。若し山慣れない人が行かれるならば、必ず必ず、経験者と同行して下さい。
 大体からして新道では、最早無い。開拓者の渋谷書策氏が手入れを出来なくなってから、十年は経って居るのでは?F5nの上迄は、沢登りの諸君が利用するので、どうにか手が入って居るが、其の先は放っぽって有る。詰まり通行禁止道なのだ。
 そんな所を何故紹介するかと言うと、今なら未だ通行出来るからだ。先は分からない。今は生きて居るロープも落ちるかも知れない。路の崩壊も進むかも知れない。従って、あくまで行かれる人の自己責任を前提として、紹介しようと決めたのです。だもんで、経験者向きです。
 渋沢で下車、バスで大倉へ入る。大吊り橋(風の吊り橋)を渡り、左へ回り込んで下の林道へ下る。其れを右に、地図上で一時間三十五分の林道歩きだ。新茅沢を越すと傾斜が増し、作治小屋に着く。更に進むと東屋とトイレが有る。休憩には持って来いなのだ。
 あたしの歩いた日は、パトカーが五台も停まって居て、登山姿の警察官がザイルを肩に出発の用意中だ。あたしは物好きにも聞きに行った。
私「事故ですか?」
警察官「いえ、訓練です」
私「ご苦労様です」
 若い警察官だった。神奈川県警のレスキューだろう。お世話にならない様にしよーっと。
 東屋を出て進み鉄橋で本谷を渡る。一寸と登ると火の用心の看板が有る。其処から少しの距離で、右に沢へ降りる路が有る。堰堤下の向こう岸に階段が見えれば、当たりで有る。




 流れ(源次郎沢)を渡って階段を登り、進むと直ぐに看板が有る。




 此処を左に上ると尾根で、尾根を右へ登るのだ。其処はビニールテープが入るなと張って有る。跨いで入るのは、自己責任だ。真直ぐ下ると源次郎沢なので、降りない様に。後は暫く確りした路で有る。
 木橋を渡るが、手摺は当てにしない様に。グラグラで、何時迄もつやら。木橋の先で枯沢を渡るが、路はほんの一寸と上に有る。山慣れた人なら、造作無く見つけるだろう。
 其の先に嫌な所が二箇所程有るが、ロープは生きて居るので、今は大丈夫だ。




 やがて本谷へ下る。



 流れを越えると看板が有り、路はその前を通って斜面に取り付く。割と分かり易いだろう。登ったり巻いたり、路は続く。



 ほぼ落ちた桟道が有るが、高巻きがお薦めだ。上にもロープが張って有る。暫くで沢を渡る。セドノ沢の支流だ。其処から一息でセドノ沢本流に着く。(続)

2012年10月8日月曜日

閑話 その八十八






 鶴巻温泉駅から1.1Km登ると、吾妻山に至る。秦野から来ると、弘法山を経て来る低い稜線の、最後の小ピークになる。駅からの標高差は100m位だろう。
 写真通りの里山で有る。吾妻山の謂れは下の写真の通りだ。小さいだろうから、クリックして拡大すれば、読めるでしょう。




 十月始めにしては暑い日に、高取山から善波峠に出た。山に取り付く迄の里道で照らされて、びしょびしょになった。コスモスが咲いて居るってえのにさあ。
 あたしより一寸と先輩の女性が、何やら探して採って居る。
私「何を採ってます?」
女性「ドングリのハカマなの、ほら」
私「ほう、細工でもすんですか」
女性「ええ。此処いらのが一番形が良いの」
 で、実は小動物の為に採らずにおくそうだ。色々な人が、様々な目的、楽しみで山に来る。其れを聞いて喜ぶ、あたしが様な奴も居る。
 暑い日だったが、秋には違い無い。高取山では、一人か二人に会えば上等だったが、此の日は、善波峠迄で七人と出会った、新記録で有る。善波峠からはメインルートなので、人が一杯。皆さん、秋の軽ハイクを楽しんで居るのだ。実に良い趣味で有る。




  で、吾妻山。看板の説明通り、ヤマトタケルノミコトがオトタチバナノヒメを偲んで、「吾妻、はや(わが妻よ)」と三度嘆いた場所だ。確かに相模湾も見える。木がじゃましなければ、三浦半島も見えるだろう。
 処が、日本書紀では上信国境の鳥居峠が其の場所だとなって居る。福島にも吾妻山が有り、ヤマトタケルの地だと言う。外にも幾つか吾妻山や吾妻神社が有るらしい。現に神奈川県にも、二ノ宮に吾妻神社が有るのだ。
 あたしは何処でも良いと思う。大体、ヤマトタケル自体が、数人の業績を一人に凝縮して表現された、との説も有る程なのだ。
 古代の神話で有る。ヤマトタケルノミコトが、身代わりになられたお妃を偲ばれた所、と思うだけで、あたしは古代の大和に思いを馳せるのです。

2012年10月5日金曜日

山嫌いの製造法 その四





 古い山の知り合いにSN氏と言う二つ先輩が居る。三昔半前、コースを組んでくれと頼まれた。では行った事の無い所をと、奥多摩の御岳から三頭山への縦走を提案した。
 で、当日はSN氏のお仲間数人を加えての縦走となった。うーん、思ったより長い行程だ。でも、やってやれない事は無い。天気は上々だし、脚も揃って居る。
 と思ったが、SN氏が参って仕舞った。彼はしきりに辛がるので、目的地は放棄して下る事にした。其の頃にはSN氏はやっと下る状態、さぞや辛かったのだろう。私も早めに見極めるべきだったのだ。
 其れ以来SN氏と顔を合わすと、大塚君と山に行くと殺される、とからかわれる。でも、言い出しっぺはSN氏なんだし、無事に帰れたんだからもう勘弁して下さいよ(ペコリ)。
 妻が念願のイタリア旅行へ、次女と出掛けた。十年程前の事。知り合いのNK君の奥方も何処かへ出掛けるとの事で、置いてけぼりの男二人で何処か山でも行こうか、と話が決まった。
 よし、アルプス縦走五日間だ、ペッペッペ(つばを手に付ける音)。と張り切って計画を練って彼に提案した。NKは絶句した。
NK「そんな本格的なのじゃなくて、日帰りとか……」
私「え、日帰り!」
 思惑の違いで、此の話はお流れ。でも其れで良かったのだ。突如縦走なんぞさせられたら、メタボの気の有るNK君は、山嫌いになって居たやも知れない。
 割と空気が読めないですなあ、私は。其の結果私に良い運動をさせられた人が結構居るもので、そりゃあお気の毒では有るけれど、考えように依っては、極めて貴重な経験だったでしょう?(え、全然駄目?)

2012年10月3日水曜日

閑話 その八十七




 前に本文でポリタンについて触れた。其のポリタンだが、つい半年前迄は三本持って居た。古い2リットル二本と、比較的新しい1,5リットル一本で有る。
 2リットルの一本は、二十年以上も使って居ただろうか。或る時ヒビに気付き、押すとパリッと割れた。立派に役目を果たしての大往生で有った。
 1,5リットルは当初から問題が有った。でも、暫くは気付かなかった。相変わらず、余りにも好い加減で有る。
 ザックの中が何故か濡れる。あらゆる物はポリ袋に入れられて防水されて居るので、特に問題は無いのだが、何か気になる。(当たり前だ、犯人探しをしろ!)
 ある日、日帰りのリュックを網棚に載せたら、見る見る水染みが広がり、滴が落ち始めた、こりゃあいかん!即リュックを下ろして1,5リットルの蓋を見たが、完全に閉まって居る。
 家に帰ってから試した。どんなにきつく蓋をしても、逆さにして押すと水が流れる。勿論それじゃあポリタンの役が立たないし、現に2リットルは二本共、幾ら押しても水なんて一滴も垂れない。
 で、2リットルの蓋を1,5リットルに着けても、水は流れる。此れで本体の欠陥だと判明した。併し、購入以来二年以上経って居るので、山道具屋に交換も要求出来ない。馬鹿ですなあ、最初に気を付ければ良いものを。
 山道具屋には、此れ此れの製品が有ったので、エバニューの営業が来たら伝えて、と言っておいたが、伝わったかどうか。
 エバニューの不良品は初めてだ。エバニューはあたしに取って、信頼のブランドで有る。たった一本のポリタンの不良位で、其の信頼が揺らぎやあしない。
 唯、エバニューにもこんな事が有るんだなあ、中国工場かな?と思っただけだ。
 従って、今はポリタンは2リットルが一本のみ。当然幕営には不足するので、お茶のペットボトルで補って居る。日帰りには2リットルは大き過ぎるので、ペットで済ます。
 其のうち又、新しいポリタンを購入しよう。但し、即検査は致しましょう。