2012年7月31日火曜日

ハイクへのお誘い その十五




 大山へのご案内で有る。メジャー中のメジャーな山だが、入山ルートがマイナーなのでご紹介を、と思ったのです。写真は大山からの三ノ塔で、普通は其の上が富士山なのだが、此の日は雲の中でした。
 秦野からバスで蓑毛へ入る。普通はヤビツ峠へバスで行くか登るかして、イタツミ尾根で大山へ向かうが、其れは皆が行くルート、此処で取り上げる必要は無い。
 蓑毛越から大山、展望台を経て下社と言うルートだ。大山からは極めて当たり前のコースになるが、疲れたらケーブルカーにも逃げられるし、先ずはこんな処で如何でしょうか。
 地図上の行程で四時間十五分だが、思いの外に確りと歩かされた。梅雨明け初日の猛暑日だった所為も有るだろう。全身水を被った様な按配で、バスで座るのも気が引ける程だったのだ。電車は立って帰りました。
 蓑毛で降りる人は少ない。ヤビツ行きのバスは長蛇の列だったが、蓑毛に立ったのは二人のみ。中年の女性とあたしのみだ。
 さて、蓑毛からはバス停を背にして、川沿いの路をヤビツ峠に向かって登る。間違ってもバス通りを行ってはいけない。ま、行く筈無いか。



 五分も行くと石灯籠が有る。其処を右へ行く。道標は、蓑毛越、下社となって居る。
 沢を越すと林道を三回越える。道標は確りして居るので、直ぐ上り口は分かるだろう。唯、三回目は左に登る林道に入り、少々歩いて左の山道へ入るのだ。短い間なので、五分もスタスタ林道を歩いて居たら絶対に間違いだ。原点へ引き返そう。標識は直ぐ見つかる。
 林道を越えれば植林の中をひたすら登る。蓑毛から地図上で四十五分、左へ大山へのショートカット道が分かれる。あと十分で蓑毛越だが、此処で左へ登ろう。蓑毛越と言っても直ぐ近くに鉄塔が立ち、昔の面影は今は無い。それより、大山を目指そう。え、嫌?だったら蓑毛越を踏んで下さい。其れなりの雰囲気は保っては居ます。其処から左です。
 どっちにせよ、左へ地図上一時間近い登りを強いられる。仕方無いじゃんさあ、山登りなんだから。唯、あたしの登った日が猛暑だったのがいけなかった。



 そして着くのは追分、地図では十六丁地点。此処から表参道が合流し、メインルートとなる。石の長椅子と石塔が有る。其の長椅子に山女(やまじょ、或いはやまガール)が寝そべって居た。あ、山女って知らないでしょうね。若い(多くは三十凸凹)女性が山登りをするのを、そう称するのだ。
 今回出会った山女は十数人、若い男は三、四人。山女は四人パーティが一つ、男性とのカップルが一つ、後は皆単独だ。スパッツの上に膝迄のズボン、或いはスカート、色鮮やかなリュックに二本ストックと、完璧な装備で有る。汚いおじさんのあたしがウロウロするのを、遠慮したい程なのだ。(続)

2012年7月27日金曜日

休題 その九十三



 あたしの知り合いにLPレコードを売る程集め(其れも本人なりに厳選したもの)、音楽喫茶から手に入れた馬鹿でかいスピーカーとアンプでオーディオルームを構築し、クラシックを楽しむ男が居た。其の重低音も、別スピーカーの超高音も半端では無かった。
 突然の様に、CD全盛になった。大きさでも重さでも、CDはLPより遥かに有利だ。LPは聞くに従い劣化するが、CDは劣化しない。勝負有ったで有る。尤も、音自体は、LPの方が人の耳に感知不能な音迄再生するので、より本物に近い、とも言うけど。
 未だ針を作って居る会社も有るので、LPを持ち続けて居る人も居るんだと分かる。でも、どう考えてもLPの時代には戻らない。
 昔々の映像は8mmフイルムで撮った。映写機でスクリーンに映した。まあ、金持ちのみに許された道具、と言っても言い過ぎじゃあなかろう。
 今は8mmなんざ知る人も減っただろう。フイルムは残って居ても、映写機が壊れたら、新品は手に入るのだろうか。
 何時の間にかヴィデオの時代になり、其れもまた廃れた(すたれた)。流行りものは廃れものとは、此の事だ。一生懸命子供の運動会を撮ったヴィデオは、DVDに落とすか、宙に迷って彷徨うかのどちらかなのだろう。
 DVDも余命僅かとなった。多分ブルーレイに取って代わられる運命だ。其のブルーレイだってどうなる事やら。やがて3Dの何かになっちまう可能性は大だ。
 此れから先の世の中は、収集を許さない世の中なのかも知れない。幾ら収集しても、再生装置が消えるのだから、意味が無い。意味は違うが、シャープの書院で書いた文章をロッピーに格納して有るけど、取り出せないのに似て居る。あたしがそうで、間抜けにも困って居るのだ。
 ハードの変化するスピードは、確実に上がって居る。何と不自由な世の中になったもんだ(え、年寄り見たいだって?立派に年寄りなの!)。

2012年7月25日水曜日

笹と唐松の不思議な関係 その五





 うーん、昔の人間は確かに正直だった。面白けりゃ声を上げて笑った。悲しければ、泣いた。今もまあそうだが、びっこはびっこと言うし、めくらはめくらと言うし、つんぼはつんぼと呼んだ。かたわ(ほら、全て変換不能)を障害者なんて変な表現で、大切にしてる振りは、しなかった。
 誤解されただろうなあ。まあ良い、誤解は何時か解けるものです。私の言いたいのは、あくまで振りが嫌いだと言う事で、言い換えが振りに感じられてしまう事が、既に臍曲がりとは、こちとらとっくにご承知でえ、見損なっちゃあ、あ、あ、困るぜぃ!
力んで見栄を切る程の事でも無い。歳の所為だとして置きましょう(よ、大人)。あたしゃあ歳だもんで、古い事しか分からんでのお、お、お、お……。
 又もや話がどっかに行った、歳と酒の所為だぞ、気を付けろ!はい、気を付けますです。
 小屋戸沢は姫次に突き上げる。割と淡々とした沢だったそして、最後は笹を掻き分けて進むことになるのは同じで、最早風物詩の世界なのだ。で、くどいが、唐松の姫次に飛び出る喜びも同じ事。



 そうか、やけに唐松林に拘って居たのは、其の前の笹が余りに煩い為の反動で、一気に開放された喜びが、深く印象に刻まれて居たんだ。やっと分かった。前述だけど、物を書くとは自分と会話する事なんで、思わぬ自分を知るのです。
 詰まり、笹に苦しめられて辿り着く姫次の素晴らしさは、笹に苦しめられてこそ、一層はっきりと分かるのでした。

2012年7月23日月曜日

閑話 その八十四




 本文でも、最後近くなって出て来る話に、何故山に登るのかと言う章が有る。え、読みたくもないって?ふん、読まなきゃ良いのさ!
 で、本文と違う切り口で考えてみた。本文は、殆どが平成十八年に書かれたものなので、今現在の心境とは、微妙に異なる事も有るのだ。本文を書いた時の気持ちは生かしたいので、余分な事を書く訳なのだが、ひょっとすると同じかも知れない……。

○山で飲む酒は旨い!
 余りにも当たり前過ぎですか?分かっちゃ居たんですがつい、……済みません。

○山で食うものは旨い!
 済んまへん、アホなもんで同じ事言うてまんねん。確りせなあかんで!!

○山の水は旨い!
 ドアホ!!繰り返しはいらん!何も分かってへんな!一遍死んでみいや!!
 はいはい、では真面目に考えると、美味いとか不味いとかに関係無く、次の様になる。

○山は辛い
 全く意味不明でしょうね。でも、事実そうなんだから仕方無いの。次をどうぞ。

○日常では無い
 山だから当たり前過ぎるって?だって、本当にそうなんだよ!一切下界と縁を切って、山で暮らして居るんだから。
 万一携帯に仕事が飛び込んでも、山の中なんで、どうしようも有りゃあしないって。
 って事は、浮世の垢やしがらみを、否応無く落とさざるを得ないのが山なのだ。

○清清しい
 全くそりゃそうなんで、此れは誰にも理解して貰えるだろう(多分)。

○面白い
 人夫々だが、面白く楽しいので辛くても登るのだ。死ぬ思いが好きな奴も居れば(一寸と変だが、え、俺か?)、静かな山歩きが好きな人も居る。
 詰まり、山が好きだから登るってこってす。

2012年7月21日土曜日

笹と唐松の不思議な関係 その四




 其の時の私はどうだって?常の如く地下足袋にコットンズボンなんで、いやはや何とも、営林作業員と選ぶ処無し。ふん、良いのさ、これでも積雪期には、ちゃんとニッカになるもんねー。
 Yは新品のニッカホース(長靴下)を履いて来た。其れも西ドイツ製の高い奴を。残念な事にYの脚は太い、立派に太い。依って上品(詰まり薄い)なニッカホースは押し広げられメッシュ状と化して居て、笹に擦られ続けて二時間、あっと言う間も無くボロボロになって仕舞ったのは、気の毒千万で有った。
 でも、唐松林が迎えてくれたから、良しとしよう。可愛い笹ともお別れ出来た事だし。
 翌日は丹沢山から三ツ峰の本間ノ頭、其処から、登山道で早戸川へ下った。其の本間ノ頭での出来事だ。
 休んで居るとブヨが唸りを立てて、大群で我々を囲んだ。ヤバい、血を吸いに来やがったな。露出部は手と顔、そして首筋、引っ切り無しに手を振り回し、ブヨを追い払って、合間に水を飲み、煙草に火をつけて咥える。何とも忙しい休憩で有る。
 急にYは「あーっ!」と叫んで転がった。
私「どうした!」
Y「あ、脚が!」
 Yは脚を狂った様に叩いて居る。
私「あ、そうか……」
 詰まり、ボロボロになったメッシュ状のニッカホースも、ブヨから見れば露出部だった訳で、Yが顔をガードして居るうちに。脚に群がったと言う訳だ。はっはっはっは、盲点でしたなあ。
 結果、数十箇所喰われたYの脚は無残にも腫れ上がり、一週間は腫れが引かなかったと言うお粗末でした。はっはっはっは、あ、失礼、人の不幸を笑うなんて……、ぷー!(吹き出した音)駄目だ、良い子ぶりっ子は無理だ、だって面白いんだもん、頭隠して尻隠さずの一種なんだから。
 (笹と唐松の不思議な関係 その五へ続く)
 

2012年7月19日木曜日

クソ面倒な話 その四十九



 人類は、4万年位前にアフリカで誕生し、唯一人の女性のミトコンドリアを受け継いで居る事は、皆さん語存知の通り。
 1万年と言う説も有るが、其の頃には日本で、世界最初の土器が焼かれて居たので、アフリカからの拡散を考えれば有り得ないので、4万年位前としました。山勘です、へっへっへ。
 彼女は、mt(ミトコンドリア、マウントでは無い!)イヴと呼ばれて居る。
 何でそんな事を言い出したかと言うと、mtイヴが、人類の母だと思って居る人が多いと気付いたからなのだ。
 此処に来て居る僅かな人には分かりきって居る事だろうけど、其れは違うのだ。
 説明すれば、ミトコンドリアは細胞内の別組織で、エネルギーを作り出す重要な仕事をして居るが、母親のDNAからしか伝わらない。理由は簡単で、細胞液は卵子にしか無いからで、精子には細胞液を伝える情報は無い。
 人類は、唯一人のmtイヴのミトコンドリア(くどい表現ですなあ)を受け継いで居るが、彼女が人類の祖先と言うのでは無い。
 mtは確かに彼女由来だ。でもmtは単なるオルガメラ(細胞内小器官)なので、主なるものは細胞のDNAだ。
 此れは勿論mtイヴ由来では無い。考えて見れば分かる。親は二人、祖父祖母は四人、其の親は八人。指数級数的に増えて行くので、唯一人に収れんする事は、決して無い。
 子供を全て失った女性も居る。男の子しか産まなかった女性も居る。両者ともmtDNAは伝わらない。が、本義のDNAは立派に伝わって居る。
 あ、父親を忘れて貰っちゃあ困る。mtがどうで有ろうと、細胞(詰まり其の人)のDNAに、ちゃんと情報を残して居るのだ。
 尚、数学的に見れば、唯一人のmtDNAに収束するのは、どちらかと言うと当たり前の確率だそうです。暇な方は、計算して下さい。

2012年7月16日月曜日

笹と唐松の不思議な関係 その三



 話を戻そう。
 袖平のピークから登山道に出て、左に進むと二十分程で唐松の姫次だ。ま、お隣なので近くて当然です。
 尤も此の話の社宮司沢の時は、神ノ川へ戻るので、右へ行き風巻を通って下った。東海道自然歩道で有る。単独で良かった、Kが一緒だったら、きっと姫次へ行こうと騒ぎ出し、往復させられた事だろう。桑原桑原。
 処で袖平にも唐松が有る。実を言うと、丹沢の彼方此方にも唐松は有る。其の中で、立派な林になって居るのが姫次なのだ(袖平が其れに準ずる)。あとは数本ずつが点在して居る、と言う状態なので、姫次の唐松を強調するのだ。
 早戸川から尾根に取り付き、はんノ木丸(変換不可能)に登り、尾根通しに姫次へ登った事が有る。又もや迷惑なYと一緒だった。此の日は蛭泊まりの予定なので、其れなりの荷物がバッチリと背に有る。
 はんノ木丸へは結構登らされた。薮は薄いが、意外と急登が多く、立ち木を頼りに登り詰めた。登り詰めたら、疎林の気持ちの良いピークだった。此処からは急登は無い筈だ、と二人はホッとして休憩を楽しんだ。うーん、其の手の状況は、何時でも良いもんで有る。先が読めたって事だ。


 其の先は、確かに急登は無かった。その代り待って居たのは二時間に余る笹だ。と言っても、膝迄の可愛い奴(見ても可愛い)だが、ガサガサ切り無く続くので、可愛く無くなって、憎たらしくすらなって来るんだから、人間とは身勝手な生き物だ。(先を甘く読んだって事です)
 Yはお洒落なので、ニッカズボンと革靴のスタイルを堅持して居る、極めて貴重な人間なのだ。今や何日か山に入っても、其のスタイルには三人、多くても五人位しかお目に掛かれない。Yよ、ポリシーを貫くのだ、滅び行くオールドスタイルを守り給え!
 (笹と唐松の不思議な関係 その四へ続く)

2012年7月14日土曜日

休題 その九十二



 「グスコーブドリ」の伝記が映画になった。あたしの大好きな作品で有る。いそいそと観にいった。
 「銀鉄」のスタッフが横滑りなので、主人公のブドリは、例に依って青い猫だ。冒頭の自然描写は見事の一言で有る。水の描写も見逃さない様に。途中から描写のクオリティが落ちるのが一寸と残念だが、其れ程は気にはならない。
 「どんぐりと山猫」から山猫を引張って来て、絡ませる手法も、まあ成功して居る。冒頭近くで学校の先生が「雨にも負けず」を朗読するシーンは原作には無いが、効果は有りと此れを認む、だろう。
 唯一つ、致命的な間違いを犯した為に、原作の芳香を大部分失ってしまった。此れは、残念なぞでは片付かない。
 新聞の杉井監督インタビューを読んで居たので、悪い予感は有ったが、的中した。
 監督は言う。ブドリが何としてでも飢餓による悲劇を避けたい、何でもするという思い、結果として自己犠牲に表現するしか仕方がないけれど、別に主軸ではない。でも、描かずに観客を納得させるのは難しい。そこが一番じたばたしたかな。と。
 明らかに、作品把握を間違えて居る。杉井監督だけでなく、スタッフ一同そうなのだろう。確かに、自己犠牲が此の作品の主軸では無いが、主題だ。此の作品が書かれた意義だ。それを否定すれば、当然じたばたする。
 原作を知らない人も観に行くだろう。ラストが分かりにくく首を捻る人が多いだろう。主題と向き合わず、逃げを打って、何となくムードで収めて有るのだから。
 宮沢賢治への侮辱と言っても良い制作態度だ。少なくとも、原作の背骨は抜きました、位のテロップを流したら如何だろう。
 此のチームは此の作品を取り上げるべきでは無かった。外にも宮沢賢治には名作が多いのだから、手に負えるものを選べば良かったのだ。

2012年7月12日木曜日

柄でも無い事 その三十八



 夜行寝台は下の席が上席だが、あたしは一番上の寝台が好きだ。ま、馬鹿と何とかは高い所を好むの。
 やけに細長いシーツを敷き、同じく細長い毛布をセットして、此れは細長く無い、普通の浴衣を着て、通路に降り、壁に畳まれて居る椅子を引き出し、持参のウイスキーのポケット瓶を取り出し、一服つけ乍らチビチビやるのだ。古い話です。車内で一服なんて、夢んごたある話ったい!
 夕暮れの田舎を列車は走る。時折踏み切りを通過すると、東京とは違う警報音が聞こえる。ギョンギョンギョンと聞こえる。ご存知でしょう?
 とっぷり暮れて景色が見えなくなると、梯子を登ってベッドへ帰る。外に乗客は、えーと一車両に十人程だろうか。赤字運行なのは一目瞭然。
 だから車内販売も食堂も無くなったのだ。始めの頃は、未だ車内販売が有ったのに……。そして夜行寝台自体が無くなった。
 朝、上野なり東京なり終着駅が近づくと、毛布とシーツと浴衣を畳み、着替えて顔も洗って車内販売を待つのが楽しみだった。そう、大概横浜辺りだが(金沢からだと大宮辺り)、流れ去る朝の町を見乍らのモーニングコーヒーで有る。うーん、贅沢。其の楽しみも消え、缶コーヒーを飲む味気なさ。
 旅の王者(あくまであたしの感覚です)夜行寝台列車は絶滅(ほぼ)した。悲しいが赤字では仕方が無い。世の中は、もっと速くてもっと便利、を求めたのだ。あたしと求めるものが違ったのだ。

 「さくら」東京―長崎 「あさかぜ」東京―下関 「彗星」京都―南宮崎 「出雲」東京―出雲 「なは」新大阪―西鹿児島 「あかつき」東京―大阪 「はやぶさ」東京―熊本 「北陸」上野―金沢

 さようなら、夜行寝台。

2012年7月10日火曜日

笹と唐松の不思議な関係 その二




 兎に角唐松林の姫次は、私にとって丹沢の欠かせない風景なのだ。詰まり、私の好みなんだけど、姫次を知ってる人にとっては、殆ど好む山になるに違い無いと、勝手に思って居るのだ。
 社宮司沢へ入ったのは二昔前、夏だったか秋だったか、忘れてもうたわ。確かキャンプ場から入った筈だ(其の入り方は多いので、違うかも知れないが、其れすら忘れてもうたわ)。
 惚けてる頭をシャッキリさせて、思い出すと、前半は淡々とした沢歩きだった。悪場は殆ど無く、やがてザレに突入し、其処からが大変だった。ガラガラが無闇と続き、木の根や笹、篠竹を頼りにひたすら登る、まあ、お馴染みの奴だ。今更驚く迄も無い。
 さて、傾斜が緩むと今度は笹が続き、ザワザワと笹をこいで居るとピークに達して、三角点が有った。ぴったり袖平山だ。三角点から登山道はほんの僅かな距離で、しかも踏み跡が有る。律儀にも三角点を訪れる人が居る証拠で有る。
 ピークを巻く道でも、必ずピークを踏まないと気が済まない人が居る。Kは其のタイプに属する人間なのだ。私は余計なアルバイトは一切避けたがるグウタラ人間なのだが、Kは違う。前日ピークを踏んで、肩に有る小屋に泊まっても真っ暗なうちから騒ぎ出す。鶏より遙かに早い。此の時は南アの鳳凰小屋で有った。
K「おう、ご来光を見に行くぞ」
 Kよ、勝手に一人で行ってくれ。
K「早くしろ、間に合わないぞ!」
 急かされて渋々支度をし、一時間も登り返す。無精者の私には飛んでも無い迷惑だ。其の上早く着き過ぎて、三十分も日の出を待つ。寒くて歯の根が合わなくなる。Kの馬鹿、やけに寒いじゃないかよ!
 其れでも日の出となると荘厳で、無理やり連れ出されてかった、と思って仕舞う単純な私なのだ。
 (笹と唐松の不思議な関係 その三へ続く)

2012年7月7日土曜日

柄でも無い事 その三十七



 あたしに言わせりゃ、旅と言えば近い所。
 そりゃああんまりなんじゃない?そうです、歳を取ってからそうなったんで、そんな思想(?)は旅とは言えない!
 本来のあたしの理想の旅は、夜行寝台列車の旅。夜行寝台列車では海外に行けないって?昔は行けたの!朝鮮経由で満州からシベリア、ヨーロッパ迄行けた筈だ。
 尤も何週間も掛かるので、あたしゃあ真っ平御免蒙りやす。旅と言えば近い所(同じ書き方だが、冒頭と異なるのはスケール)。
 で、其の夜行寝台列車だが、ユーラシア大陸を横断しようってな壮大なもんじゃ無く、せいぜい北陸とか、山陰とか、九州とかの話で、せせっこましいですなあ。
 詰まり、あくまで好き好きって事なんで、海外旅行に何の興味も持てないあたしとしては、せせっこましい旅行を好むのは、自分に一番無理が無いからなのです。
 あたしに取って夢の夜行寝台列車も、時代の波と共に消え去った。もう会えないのだ。北陸にも、山陰にも、九州にも行けないのだ。飛行機か新幹線プラス特急しか無い。唯一残って居るのは北海道。
 あたしは、北海道行きの豪華夜行寝台列車も悪くは無いが、昔乍らの寝台列車、其れも「出雲」の様な三段寝台が好きなのだ。豪華なのは、いま一つ何だかかなあと思うのは貧乏暮らしの所為?(そうだ、と声が聞こえた)
 夜行寝台列車は、寝て居ると目的地に着く。凄い!寝られなくても、がっタンゴットンと揺られて居ると、ウトウトする。
 夜行バスは駄目だ、横になれない。シートは倒せるが、水平にはならない。あたしは、登山者の面汚し、枕が変わると眠れないタイプなので、テントの中で眠れず、焦り狂って夜中を過ぎる話は、多分前述だろう。
 従ってバスは論外で、最高なのが夜行寝台列車(くどい?)。続きます。

2012年7月5日木曜日

笹と唐松の不思議な関係 その一




 東海道自然歩道の章で、さらっと触れたが、矢張り姫次は章を立てる価値が有ると思って、立てました。
 唐松が有るとは前述。名前の謂れは其の唐松に、関係が有る様な無い様な、兎に角誰に聞いたか分からない程好い加減なもんだ。
 お姫様の次に綺麗だから、姫次と名付けたそうだ。え、本当かよ?何処のお姫様なんだよー?大体誰が判断しただよ?偉く信憑性の無い話じゃんかさー。
 全くです。自分で書いて居て汗が出ちまった。名前の謂れは不明って事で、此処は一つ忘れて下さい。
 原小屋平からの登りは、変にじめついた道で、湿地帯の植物が元気に育って居る変った場所だから、何時でも(除積雪期)此処も主脈かい?と思って仕舞うのだ。あの変な感じをご存知ですか?
 で、登り切ると、一気に主脈の雰囲気に戻る爽快さが、素晴らしい。其の上に唐松林が迎えてくれるのだ。
 暗く入って一転し、明るいシーンを造るとのセオリーを、自然が知って居るのかい?と思わされて仕舞う程だ。明暗、強弱、音楽でも映画でも何でも、変化の基本で有る。え、お前の愚ログは変化が無いって?ああ、そうだよ、悪いか!(最早、自棄ですなあ)
 姫次より振り返ると蛭ヶ岳が聳え、檜洞丸や大室山迄見渡せる。なかなか展望も宜しい。でも、東へは袖平から風巻への尾根、北へは主脈の八丁坂。どちらから来ても突然開けて姫次なのだ。ま、当たり前ですな。
 当たり前とは言っても、八丁坂を黙々と登り詰めて、突然姫次に立つのは、有る意味感動的だ。何せ、突然明るく開けるのだから。
 そして急登に耐えて風巻に登り、頑張って袖平を越えると明るく開ける姫次、ね、良いでしょうが。
 (笹と唐松の不思議な関係 その二へ続く)

2012年7月3日火曜日

クソ面倒な話 その四十八



 どうしても言わざるを得ないのだ。日本には核発電(原発の事)が当分は必要だと言う話なので、反対の人は絶対にスルーの一手です!!
 何で核発電と言うかは前に書いたから繰り返さない。
 核発電が全て止まった。喜ぶ人も居る。あたしも其れ程気が変では無いので、其の気持は分かる。核なんざ無いに越したこたあ無い。
 じゃあ、一番危険な核兵器を無くして下さい。え、出来ないって?そんな筈は無かろうって、平和利用の核を無くせる位なんだから、人類滅亡を引き起こす(其れも何回も)核兵器を無くせないなんて、ご冗談でしょう?
 勿論分かって言って居るので、核兵器は無くならない。持ってる国は放棄する気は微塵も無い。持って居ない国は、必死に開発を進めて居る。無くなりっこ無い。保証しよう。
 兵器(目的は敵を殺戮する事)は大手を振ってまかり通り、発電は危険だからと止めて仕舞う。あたしには倒錯した思考に思われる。
 核兵器には何重にも安全装置が付けられ、極力事故を防ぐべく努力がなされて居る。当たり前だ、うっかり飛び出たら、人類滅亡の引き金に成りかねないからだ。従って、最新技術の塊(そうで無い国も有る)の様だ。
 では、核発電もそうしよう。ほぼ其れに近い水準に(特に日本は)来て居るのだが、此れで核発電を否定すれば、其の技術も失われる。世界的な損失で有る。前述の通り、粗雑な核発電所が中国にずらーっと並ぶ事になる。事故れば偏西風に乗って、日本列島に放射能が降り注ぐ。悪夢で有る。
 さて、此の侭核発電を止めると、電気代が上がる。無理も無い。火力発電で補うには、新たに二兆円のオイルを輸入する必要が有る。壮大な無駄だ。財政困難な癖に。
 其の上、電力は不足する。良くて計画停電、悪くすれば突発停電だ。おまけにCO2は増加して、削減どころでは無くなるのだ。
 電力が高くて不安定、製造業は国外に逃げる以外に選択肢は無くなる。国内の産業の空洞化は加速し、失業者も増える。此れは知ってる人は皆知ってる事だ。
 核発電の放棄は、緩慢な集団自殺だと言われるのは、そう言う訳だ。エコ発電の幻想を振り撒いてどうする?何十年後に完成するの?今此の時に、賢明な判断が求められて居る。
 関西では核発電の再開が始まった。橋下市長は敗北宣言をしたが、其の場しのぎの、所謂「姑息」な手段で有って、根本的な思考がなされた訳では無い。未だ何一つ解決しては居ない。

2012年7月1日日曜日

ハイクへのお誘い その十四




 宮ヶ瀬湖の誕生が南山をメジャーにした事は、ほぼ確かだろう。絶好の見晴台になるから。でも、其の割に人造湖とは見栄えのしないものだ。え、黒四はどうだって?あれはダム湖を囲む山々が素晴らしいのだ。
 じゃあ、丹沢は素晴らしくないって事?一寸と拙い結論になりそうなので、高取山に急いで戻ろう。皆さん、戻りますよー!
 あたしも山頂で昼食とした。お茶一つ沸かさずに無精者の昼飯の見本で有る、エッヘン。霞っぽいとは言え、足元に広がる愛川町と、其の先の関東平野を見下ろし乍らの昼は、中々豪華なものなので有る。



 一服点けたら下山としよう。進行右寄りを道標は指して居る。愛川ふれあいの村方面へ下るのだ。地図上一時間十分の下り。道は整備されて居る。遥か昔の藪山と同じ山とはとても思えない。藪山が懐かしく感じられるのが面白い。
 とっとと下ると道は林道となる。すると、直ぐ右に登山道が有る。其処を行くと直ぐに林道だ。此処は横切ると登山道に入れる。道標は完備して居るので、ご心配無く。
 暫く下ると左に道を分ける。道標には、左バス停・ふれあいの村、直進バス停・宮沢橋、と有る。此処は直進する。ま、どっちへ行っても里に下れんだけどね。
 又暫くで、左にふれあいの村バス停方面の道が分かれる。今度は左に折れ其の道を行く。すると間も無く県道に出る。其処が宮沢大橋だ。右の階段を下って県道をくぐり、階段を登ると舗装道路で有る。其れは真直ぐ下る。本道は左にカーブするが、真直ぐ行く。
 すると斜めに道に合流し、其の侭進むと突き当たるので右へ行く。直ぐ国道の信号に出る。バス停はふれあいの村野外センター前で、国道を右へ10m程だ。但し本厚木方面は国道の向かい側となる。
 何だか偉く複雑そうだけれど、行けば自然と分かる地形です。ご心配無く。
 全く何も無いバス停なので、時間が余って困ったら、厚木方面へ一駅歩けば食堂が有る。何、五分位の距離なので訳も無い。勿論ビールも飲めし、ラーメンも有るのだ!



 今回のコースは、初心者には一寸と骨かも知れないが、辛いと思ったらエスケープルートはたっぷり有る、それも道標完備で。
 少し山らしい山の紹介でした。