夜行寝台は下の席が上席だが、あたしは一番上の寝台が好きだ。ま、馬鹿と何とかは高い所を好むの。
やけに細長いシーツを敷き、同じく細長い毛布をセットして、此れは細長く無い、普通の浴衣を着て、通路に降り、壁に畳まれて居る椅子を引き出し、持参のウイスキーのポケット瓶を取り出し、一服つけ乍らチビチビやるのだ。古い話です。車内で一服なんて、夢んごたある話ったい!
夕暮れの田舎を列車は走る。時折踏み切りを通過すると、東京とは違う警報音が聞こえる。ギョンギョンギョンと聞こえる。ご存知でしょう?
とっぷり暮れて景色が見えなくなると、梯子を登ってベッドへ帰る。外に乗客は、えーと一車両に十人程だろうか。赤字運行なのは一目瞭然。
だから車内販売も食堂も無くなったのだ。始めの頃は、未だ車内販売が有ったのに……。そして夜行寝台自体が無くなった。
朝、上野なり東京なり終着駅が近づくと、毛布とシーツと浴衣を畳み、着替えて顔も洗って車内販売を待つのが楽しみだった。そう、大概横浜辺りだが(金沢からだと大宮辺り)、流れ去る朝の町を見乍らのモーニングコーヒーで有る。うーん、贅沢。其の楽しみも消え、缶コーヒーを飲む味気なさ。
旅の王者(あくまであたしの感覚です)夜行寝台列車は絶滅(ほぼ)した。悲しいが赤字では仕方が無い。世の中は、もっと速くてもっと便利、を求めたのだ。あたしと求めるものが違ったのだ。
「さくら」東京―長崎 「あさかぜ」東京―下関 「彗星」京都―南宮崎 「出雲」東京―出雲 「なは」新大阪―西鹿児島 「あかつき」東京―大阪 「はやぶさ」東京―熊本 「北陸」上野―金沢
さようなら、夜行寝台。
2 件のコメント:
上高地に行く時の夜行電車は、独特の熱い雰囲気がありましたが、夜行寝台は、経験がありません。蚕だなのベッド、朝の洗面、コーヒーサービス、、、風流ですねー。良い時代でしたね。
オーストラリアを横断する列車は3泊4日で 食事やサービスは良いらしいのですが、景色が4日間とも、ずーっと赤土しか見えない砂漠の横断なので、ちょっと乗る気がしないです。
そうでした、あの夜行は独特の熱い空間でした。それに何時でも満員だし。
尤も、歌声喫茶に行っても、ビアホールに行っても、何処も熱い空間だった覚えが有ります。
4日間景色が変わらない、母から聞いた満州の鉄道と同じです。さすが大陸は違う!
でも、あたしも乗る気がしません。
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