東海道自然歩道の章で、さらっと触れたが、矢張り姫次は章を立てる価値が有ると思って、立てました。
唐松が有るとは前述。名前の謂れは其の唐松に、関係が有る様な無い様な、兎に角誰に聞いたか分からない程好い加減なもんだ。
お姫様の次に綺麗だから、姫次と名付けたそうだ。え、本当かよ?何処のお姫様なんだよー?大体誰が判断しただよ?偉く信憑性の無い話じゃんかさー。
全くです。自分で書いて居て汗が出ちまった。名前の謂れは不明って事で、此処は一つ忘れて下さい。
原小屋平からの登りは、変にじめついた道で、湿地帯の植物が元気に育って居る変った場所だから、何時でも(除積雪期)此処も主脈かい?と思って仕舞うのだ。あの変な感じをご存知ですか?
で、登り切ると、一気に主脈の雰囲気に戻る爽快さが、素晴らしい。其の上に唐松林が迎えてくれるのだ。
暗く入って一転し、明るいシーンを造るとのセオリーを、自然が知って居るのかい?と思わされて仕舞う程だ。明暗、強弱、音楽でも映画でも何でも、変化の基本で有る。え、お前の愚ログは変化が無いって?ああ、そうだよ、悪いか!(最早、自棄ですなあ)
姫次より振り返ると蛭ヶ岳が聳え、檜洞丸や大室山迄見渡せる。なかなか展望も宜しい。でも、東へは袖平から風巻への尾根、北へは主脈の八丁坂。どちらから来ても突然開けて姫次なのだ。ま、当たり前ですな。
当たり前とは言っても、八丁坂を黙々と登り詰めて、突然姫次に立つのは、有る意味感動的だ。何せ、突然明るく開けるのだから。
そして急登に耐えて風巻に登り、頑張って袖平を越えると明るく開ける姫次、ね、良いでしょうが。
(笹と唐松の不思議な関係 その二へ続く)
2 件のコメント:
なるほど姫次までの苦しい登りを耐えて、耐えた末に、急に開ける視界は、本当に「感動」でしょう。ちなみに姫とは、奥様のことです。山の殿は、みんな自分の姫を持って居るのですぞ!!!その次に心に滲みる感動を見せてくれるのが、その姫次なのです。
有り難う御座います、此れで五十年近い疑問が解けました。
確かに古い本で、お姫様の次に綺麗だから、姫次と名付けたとの文章に出会いました。
でも、何処のお姫様?北条?武田?綺麗なお姫様が居たって記録は無いし。。。
各人の奥方だったんですね!!
うちの場合は例外かなあ。あ、女房には内緒です。
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