2019年4月30日火曜日

山の報告です その九十



 下り約一時間の処へ行きつかず、半分で幕営になったと言うのに、二時間を費やしていた。単純計算で四倍の時間を掛けた訳だ。Yが如何に悪戦奮闘したか分かる。テントを張って中で落ち着いた時は十五時だった。
 幸い風は落ち着いた。主稜線からそう降りてないので、景色は素晴らしい。でもYはすっかりグロッキーである。処が夕飯となるとちゃんと食べられる。何時も通りにモリモリ食べる。本当にバテたのけえ?
 普通人なら飯が喉を通らない状態だ。そうです、Yは普通人ではないのです。寝るとグーグー良く寝付く。普通人なら疲労で眠れないものなのだ。実に羨ましい体質なのだ。
 この日は吹かれ続けたので、あたしはセーターの上に雨具を着込んで歩き通した。流石のYですら風除けに雨具を着込んだ。雪の中でもTシャツ一枚が普通なのに。
 稜線の東に降りた為か風はないが、寒さは厳しい。あたしはセーターに雨具の侭シェラフに入った。恒例の夜の宴会も、ささやかに行った。焼酎とウイスキーだけでは寂しいので、一合紙パックの日本酒を二つ出して、熱燗にして飲んだのがスペシャルだった。
 冷え込んだ夜をうとうとと過ごして四時、Yを起こして行動開始である。三日目も天気はバッチリ、良し、下るぞ。上手くすれば土樽十時四分の列車に乗れる。そうすれば越後湯沢で蕎麦を食べて温泉に入れる。
 アイゼンを効かせて下り出したのが五時五十五分、ゆっくりと下って行く。一晩ぐっすり寝たYはすっかり回復している。と思えたのは少々の間で、昨日のダメージが顕われて歩みはのろい。一ヶ所痩せた所を通過し、少々登ると矢場ノ頭だ。昨日は絶対に此処迄は来られなかった。あそこで本当に限界だった。
 ゆっくりと(Yはたまに踏み抜き乍ら)下って、やっと樹林帯に入ったのは一時間以上も経過してからだった。(続)

2019年4月28日日曜日

山の報告です その八十九




 遅れるYも気になるが、前方がストンと落ちて見える箇所が有って、それも偉く気になる。其処へ着くと少々急ではあるが、下れるのでほっとする。
 写真はその下った尾根。真ん中位のピークが矢場の頭です。
 Yは踏み抜いているうちに右膝を捻った様だ。彼は両膝共に古傷を抱えている。ひどく捻ったのだ。Yは無闇と丈夫だから軽い捻挫(!)で済んだが、普通人なら大怪我だっただろう。その古傷が痛み出したと言う。
 こりゃマズイ。とことんマズイ。もうYはふらふら、バランスも怪しくなっちまってる上に膝の痛み!
 悪い事は友達連れてやって来るってえけど、本当だ。尾根が痩せて来て、雪稜のアップダウン、雪庇のおまけつきって所にやって来てしまったのだ。うーん、嬉しぃ。。。。
私「Y、今日の核心部だ。注意して行くぞ」
Y「う、う」
私「俺が思いっ切り踏んで行くからその通りに来るんだ」
Y「う、う」
 こんなとこで変に踏み抜いたりバランスを崩したりしたら、一発でハイさようなら。雪山は掛け値なしで素晴らしいけど、こういうヤバイ一面も、否応なしの付物なのだ。
 一生懸命勢いをつけて雪を踏んで行きましたです。それでもYは二度程踏み抜いたのだから、17Kgの差とは大きいものですなあ。唯の踏み抜きだったから良いけどね。
 危険地帯は突破したがYには歩いて貰わねばならない。矢場ノ頭の手前の1683mピ―ク迄は頑張ってね。テントを張れるのはそこしかない。
 Yは可哀そうに呻き乍ら下っている。くたびれて辛いのと、膝が痛んで辛いのがゴッチャになったのだろう。ピークに着いた時のYは、荒い息で呻く有様。早速雪を蹴って幕営場所を整える。Yはフラフラして余り役に立たない。良いのだ、こんな時はあたしがやるから。思わぬ所で二泊目となった。(続)

2019年4月25日木曜日

山の報告です その八十八



 谷川岳迄はひたすら雪を行く。アイゼンが心地良く効く。肩の小屋を左手に見乍ら登り続けると、トマノ耳に着いた。普段の春なら岩を踏んで立つのだが、唯々雪である。隣のオキノ耳も真っ白だ。
 写真はその オキノ耳、左に一ノ倉岳となだらかに続く茂倉岳です。
 先ずは順調に来た。一旦下ってオキノ耳は寄らずに一ノ倉岳を目指す。何時もなら悩まされる藪は雪の下なので楽である。その代わりにトラバースが続くのだが、これは仕方無い。稜線の向こうはマチガ沢、一ノ倉沢なので壮絶な絶壁である。稜線なんぞ危なくて歩けやしない。雪庇が出てるに決まってるだで。
 Yはトラバースが嫌いだ。まあ、好きな人間は殆どいないと思うけどねw 歳と共に苦手意識も強まった様だ。このトラバースで大分消耗したらしい。
 鞍部で休憩してからの一ノ倉岳の登りで偉く苦労している。特に急な直登に悩む様子だ。勿論登山道とは全く無関係に雪を登るのだから、変則的な登り方にならざるを得ない。五月なら結構夏道も出ていて、或る程度拾い乍ら行けるのだが、今回はそれは全く無い。
 一ノ倉岳に登り着いた時のYは息も荒く、やっと着いたと言う感じ。それでも雄大な展望は素晴らしいの一語である。雄大過ぎてどれがどれやら分からなくなる始末。
 隣の茂倉岳へはなだらかな曲線で着ける筈だったが、矢張りYにはこたえちまったぜ。でも此処まで来りゃあ、今日の幕営予定地の矢場ノ頭は茂倉尾根の下の方に見えている。地図上で五十五分の下りさ、やったね♪
 処がどっこい、そうは問屋が卸さなかったですよ。雪を踏んで下って行けば良いだけの話だが、Yは体重があたしより17Kg多い。それに20Kg近い荷を背負っている。従って雪を踏み抜くのだ。あたしの五倍は踏み抜く。深い時は腿迄入る。下手すると両脚踏み抜く。引き抜くのがどりゃー苦労である。見る見る消耗しようとは、神ならぬ身の知るよしもなし、であった。(続)

2019年4月22日月曜日

山の報告です その八十七



 詰まり山頂の天候は回復し、下山禁止も解除されたのだろう。予想違わず、その後から二パーティが降りて来た。
 十七時には寝てしまった。何せ明日があるもんでね。Yはあっと言う間に寝付く。何時もの事だ。こっちは眠れずゴソゴソする。何時もの事だ。ただ、風は一級品だった。テントを潰す勢いなのだ。従ってあたしはテントに押され、叩かれる。時々物凄く押される。テント、大丈夫かなあ。
 うとうとして夜中に小用に出る。偉く面倒なんだが仕方ない。カッパを着込んで表に出ると、ペグはびくともしていない。プラのロングペグは凍った雪がバッチリ確保している。ロングペグも売ってる店が無く、Yが探し回って仕入れて来たのだ。実に役に立ってます。
 気分的にはその侭ずーっと起きて居た感じだが、合間にウトッとはしている筈だ。四時になったのでYを起こす。彼は殆ど寝ていたのだから見事だ。テントに(それも凄く)押されたのは知っていたから、たまには目を覚ましてはいたのだろう。
 バタバタとコーヒー、そして朝食を済ませ撤収に掛かる。風が弱まらないのでオーバーミトンを着けるつもりで、巻いたマットに差し込んでおいたのだが、Yの「手袋が飛んだ!」との叫びで見ると、西側の斜面にミトンが見える。ヒッゴー沢だ。アイゼン無しでは凍った雪の急斜面は下れない。慌ててアイゼンを着けた時には、もうミトンの姿は無かった。
 未練とは分かっていたが、大分降りて見たが、或る筈は無い。諦めて登り返した。選りに選って新品を持って来た。古いのが二組も有るのに、年末の赤岳で一回使っただけの物だ。使い勝手が良かったので持って来たのが仇になった。トホホ……。
 快晴なのは何よりだ。風の為、テントが風船の様にたなびいたが無事に収めて、風に煽られ乍ら出発。六時十五分だった。(続)