2018年12月31日月曜日

山の報告です その八十一



 平成十八年十二月二十九日三十日に八ヶ岳の赤岳を登ったのが最後の冬山だった。翌年に膀胱癌の手術をしてから、冬山から遠ざかった。数年前に登山靴を買ったが、“冬の赤岳に登れる靴“を(高いけど)買ったので、赤岳には登らなければ買った甲斐がないのです。
 思い立って赤岳に行って来た。十二年経った同じ二十九日三十日である。従って昨日帰って来たので、今は筋肉痛なのだ。写真は未だPCに取り込んでないので、失礼。
 行程は十二年前と同じ。一寸と不安はあったけどそれにした。梓一号で茅野へ行くが、今は八王子から乗れば良いので少し楽だ。八王子で梓を待っていると、隣の山姿の男性(五十才位)が何処へ行くかと聞く。赤岳だと答えると彼は燕岳だと言う。北アルプスは雪が降り易いので大変だろう。
 世の中は二十九日から休暇なので、梓は満員だった。デッキも押すな押すな状態。これも甲府迄の辛抱なのでどうって事はない。
 案の定甲府でどっと降りて座れる。茅野へはうつらうつらする間もなく着く。梓が十五分遅れたのでバスは出発の時間が過ぎているが、下車した登山者は皆バス停へ急ぐ。バスは出発を遅らせて待っていてくれた。
 八ヶ岳は雲に覆われている。明日晴れてくれれば良いのさ、と思いつつバスを降りて歩き出す。例に依って軍手の指が寒さで痛い。ストックを持ちかえては片手をポケットに突っこんで温める。
 美濃戸で一休みし、林道と別れて山道に入るが雪は殆どない。その癖石道は凍っていてたまに足が滑る。こりゃあ下りは林道迄アイゼンは着けた侭が良いかな。
 今日は行者小屋迄なので軽いもんだと思っていたが、途中で力が入らなくなった。ガス欠である。レーズンを半袋食べて済ましたが、それが間違いだった。息が切れて少し歩いてはストックに縋って息をつく情けなさ。小屋に着いた時はふらふらだった。(続)

2018年12月28日金曜日

休題 その二百三十九


 シルバー事務所からの動員で歳末防犯運動のボランティアに参加した。うちの班からは四人が参加したが、余り広く無い集合場所は人で一杯になった。
 町田市と相模原市南区のシルバー、警察官、両市役所職員、警察の協力団体、町会等々、ざっと百五十人以上の頭数だった。
 前に振り込め詐欺防止キャンペーンに参加した時もそうだったが、メインは写真撮影なのが笑えるの。勿論、メインは撮影なんて誰も言いっこない。見ていれば分かるのだ。
 両市長の挨拶や来賓の紹介が有って、撮影である。何が変なの? 変ではないなあ。唯、主催者たちの力が一番入るのだ。ピーポーちゃんを初めとした着ぐるみも集まり、役所、警察が大勢をバックに収まる。市の広報や警察の広報を見事に飾る写真が出来上るのです。
 何故相模原市長や相模原警察署及びシルバーが参加しているかってえと、町田駅南は一寸とで相模原市になるのだ。町田の繁華街は二市に跨っている訳なのだ。まあ、相模原市の方が面積は狭いんだけど、風俗店やホテルが多いので外せないのだろう。
 それから五班に分かれて行動する。町田シルバーはその相模原市を巡回する。もう一班が同ルートを逆走する。残り三班は防犯ティッシュ配りだ。
 巡回ったって、警官と役所の人を先頭にシルバーが続き、後を十人程の警官が締める。総勢で三十人以上、無言で歩く。一体何なんだ? 風俗街は未だ良い、人通りも少ないから。駅の南口に戻ると人が多い。そこへ逆コースの班が来て擦れ違う。もうヒッチャカメッチャカ、迷惑だろうなあ。 大体からしてグリーンのベストを着けた爺さん達がぞろぞろやって来て、文句をつけようにも後ろから警官が十人も付いているんだから、文句も言えない(笑)。
 誰が防犯運動だと思うんでしょうかね。

2018年12月24日月曜日

休題 その二百三十八



 閑話で平成三十年の山を総括し、高取山にはもう一度行く予定と書いたが、行って来ました。閑話じゃないので鶴巻温泉の弘法の里湯の事。
 風呂上りにハイボールを飲んで、さて帰ろうとするとチラシが目にとまった。蕎麦屋の鶴寿庵が今年一杯で廃業すると言う知らせだった。鶴寿庵は里湯の一階にあって、以前は里湯の外からも入れたが、最近は里湯からしか入れないので里湯専用施設なのだ。
 蕎麦はそこそこ美味しい。唯、一寸と高い。例えば天ぷらそば(勿論エビ天)が千八十円なので、あたしにはキツイ。え、そんなのお前だけだって? うんにゃ、そう思う人も結構いる筈だ。
 三度入った事がある。妻と友人たちと一回、S、K達と二回だ。矢張り普通の飲み屋よりは高くつく。蕎麦には文句は無いんだけどね。
 里湯には二階に広い食堂(?)がある。そこは料理を造る訳ではないので、出来合いの物を温めるか、皿に盛り直すかして客に出すだけだ。従って魅力あるものはない。夏のトコロテンは除こう。あれは結構いけます。
 唯一の料理と呼べるのが“蕎麦ピザ”だった。Yは蕎麦の載ったピザだと思っていたが、そんなバカなもんはない。生地が蕎麦粉のピザなのだ。
 これは見事な程美味しい! しかもボリュームもある。注文すると十分以上待たされるが、酒でも飲んでいればどうって事はない。勿論、食堂のバイト君が造るのではない。鶴寿庵が造っているのだ。
 昼時に鶴寿庵を覗いて見ると、ボチボチの入りである。たまには山帰りの諸君が十人位で宴会の事もある。其の時間以外はガランとしていた事だろう。そして廃業と決まったのだろう。
 又一件店が消える。入る事は殆どなかったが、蕎麦ピザも消える。さようなら鶴寿庵。

2018年12月21日金曜日

休題 その二百三十七



 今や社会現象と言われている“ボヘミアンラプソディ“をやっと観て来た。妻と次女が観に行って絶賛するのでその気になったのだ。
 一人で観に行ったのだが、出掛けに妻は「凄く良いと思わないで、まあ良いのかな位でね」と言う。ご尤もである。過度の期待をして観ると、良い物も大したものでなく感じる。
 平日の十時半、それも田舎の海老名だと言うのに三分の一強の入りだ。封切から一月以上経っているのに、これは確かに凄い。
 結露を言うと、あたしはボヘミアンラプソディと言う曲が好きなのであって、クイーンが好きな訳ではないと確認した、となる。外の曲はどうでも良かったのだ。
 そのボヘミアンラプソディは部分しか流れず、全曲は流れない。おいおい、それは無いんじゃないの。
 従って、涙涙(と言われている)のラスト二十分のライブ場面も、非常に見事な迫力で再現しているけれど、それだけ。うーん、あたしは実に詰まらない感性の持ち主なんですなあ。そういう奴なんで仕方無いです。
 クラス会の時Mr(テレビ局のプロジューサーだったのでプロだろう)と“七人の侍”の話になった。
私「あの作品の欠点は、前半を見終わるともう後半は良いやと思う処だな」
Mr「それは頭で観てるからだよ」
私「?」
 きっとそうなんでしょう。映画は頭で観ないで感性で観ろって事なんだろうね。“ボヘミアンラプソディ“も同じ事なんだろう。
 多分皆さんと違う感性が有るのかも知れない。クイーンが売り出して人気上昇中の頃の、全員が自信に満ち傲慢で、ボヘミアンラプソディを造る頃の動きには泣けた。あそこで泣いていたのは、殆どあたし一人だっただろう。
 クイーンフアンには堪らない映画だろう。クイーンフアンでなくても、見甲斐はある映画ですよ。