2018年12月21日金曜日

休題 その二百三十七



 今や社会現象と言われている“ボヘミアンラプソディ“をやっと観て来た。妻と次女が観に行って絶賛するのでその気になったのだ。
 一人で観に行ったのだが、出掛けに妻は「凄く良いと思わないで、まあ良いのかな位でね」と言う。ご尤もである。過度の期待をして観ると、良い物も大したものでなく感じる。
 平日の十時半、それも田舎の海老名だと言うのに三分の一強の入りだ。封切から一月以上経っているのに、これは確かに凄い。
 結露を言うと、あたしはボヘミアンラプソディと言う曲が好きなのであって、クイーンが好きな訳ではないと確認した、となる。外の曲はどうでも良かったのだ。
 そのボヘミアンラプソディは部分しか流れず、全曲は流れない。おいおい、それは無いんじゃないの。
 従って、涙涙(と言われている)のラスト二十分のライブ場面も、非常に見事な迫力で再現しているけれど、それだけ。うーん、あたしは実に詰まらない感性の持ち主なんですなあ。そういう奴なんで仕方無いです。
 クラス会の時Mr(テレビ局のプロジューサーだったのでプロだろう)と“七人の侍”の話になった。
私「あの作品の欠点は、前半を見終わるともう後半は良いやと思う処だな」
Mr「それは頭で観てるからだよ」
私「?」
 きっとそうなんでしょう。映画は頭で観ないで感性で観ろって事なんだろうね。“ボヘミアンラプソディ“も同じ事なんだろう。
 多分皆さんと違う感性が有るのかも知れない。クイーンが売り出して人気上昇中の頃の、全員が自信に満ち傲慢で、ボヘミアンラプソディを造る頃の動きには泣けた。あそこで泣いていたのは、殆どあたし一人だっただろう。
 クイーンフアンには堪らない映画だろう。クイーンフアンでなくても、見甲斐はある映画ですよ。

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