2010年2月28日日曜日

閑話 その四十四

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 イラストは既出で失礼。でも随分前だから、良しとしよう。
 低いけど辛い山一の写真だが、ぼやーっととした構図で、しかも何処にもピントが合って居ない。
 其の訳を述べよう。構図は仕方無い、腕とセンスの所為なので(汗)。
 高山裏小屋の三十分程手前に水場が有る。不精なあたしには又水を汲みに戻るなんて有得ない。ポリタンを二本取り出し、ザックは立て掛けて置いて水を汲んで居たら、どさっと音。見るとザックが転んで居た。
 其れは構わない。構うのは、無精者が口を閉めて居なかった為、カメラが飛び出し岩の上を落下して行く事だ。
 ヤバイ!と追いかけ、首尾良く拾ったが、レンズが歪んで無限遠が出なくなって仕舞った。しまった……。
 それでも一応写る事は写るので、半年程は使って居たが、やがてフイルムが巻き上がらなくなっちまった、とほほほほ。
 新宿のニコンへ持って行き修理をして貰ったのだが、ガタガタになって居たそうで、係員に呆れられて仕舞った。あんた、カメラは一応精密機械なんだよ、分かってんの?ってな目つきだった。ふん、あたしゃあどうせそう言う奴なのさ。そっちだってプロだろう?見りゃ一目で分かりそうなもんだ。
 じゃあ何かい、ちゃんと写らなくても、写りさえすりゃあ良いって事かい?そう聞かれれば、いえ、ちゃんと写る方が良いです、と答えざるを得ない。ただ、不精者(前に聞いた!)なんで、直しに行くのが面倒だし、そのお、命に関わる訳でも無いし。
 自分で思う、駄目だこりゃ。分数の計算が出来ない奴に微分を説く様なもんだ。徒労、無意味とは此の為の言葉だ。
 此の手の馬鹿(あたしの事)には何と言ったら分かり易いだろうか。こんなのはどうだろう。
「全身反吐塗れでも、命に関わらないからと、町を歩くのかね?」
「成る程、多分其れはしないと思う」
「分かってくれて良かったよ、お馬鹿さん」
 自作自演は此処迄としよう。此の年の冬山の写真も、ピンボケ大会、そりゃあ悲しい思いはしたけれど、其れ程の打撃では無かったのは、首尾良くピークを踏んで帰れたからで、山の成功の方が写真より桁違いに比重が大きいからだろう。
 あれから十年、又レンズが少し歪み始めた気がする。今のうちに直しておかないと、技術者が居なくなったら大変だ。ん、デジタルでもレンズは同じか。では、もう暫く様子を見るとしよう。命に関わる訳でも無いし(分かって無い!)。
 で、期せずして、其の時期の名残の一枚が載ったのです。
 でも、何でわざわざデーター化したのかは、我乍ら意味不明なのです。

2010年2月27日土曜日

閑話番外 その二十

 

 ブログの更新が一寸と滞ったのは、入院して居たからで、病名は膀胱癌、内視鏡で摘出なので簡単は簡単なのだけど、入院は好きではないのです。
 二年前の三月に初めての摘出を行い、再発するタイプだとは聞いては居たものの、二年は短いよお(涙)。
 でも、今日退院する時看護婦さん(矢張り看護士さんとは呼びたく無い)に「四日で退院は、最短ですね」と言われて、そう言うものか、と思った次第です。
 何が嬉しいかってえと、尿道のカテーテルが抜かれる事で、いそいそと点滴を引きずって喫煙所へ行き、一服つけるのです。医者に見つかれば怒鳴りつけられるかな?
 全身麻酔なので治療には何の苦労も無いのは助かるのだが、血管が細いので、点滴の下準備が手間取った。若いDrが針をセットするのだが、やけに痛い。う、い、痛いよ!
Dr「あ、漏れてます。やり直します」
 又もや、い、痛いよ!
Dr「あ、駄目です。又後でやります」
 彼は大きな絆創膏を二枚貼ったあたしを残して去った。呆然と絆創膏を見て居るあたしは、間抜けを絵に描いた様なものだ。
 直ぐに別のDrが来て、痛くも無く手際良くセットした。さっきの彼は何だったんだろう。ま、血管の細いあたしが悪いのさ。
 本来はMIXIに書こうとしたのだけれど、ブログとの共存は許されず、此処に書き込みました。あ、経過は良好です。

2010年2月24日水曜日

低いけど辛い山 その一

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 連想ゲームです。アヒル、水かき。歩く、足。コンビニ、おでん。地球、青い。遠い、故郷(ふるさと)。酒、友。丹沢、きつい。
 詰まらない枕で済みません。結局最期の、丹沢、きつい、を引き出したかっただけなんで、見え見えでしたでしょう(汗)。
 山仲間は口を揃えて言う。「アルプス縦走より、丹沢の方がきついぞ」。全く同感だ。標高は半分だが、縦走すりゃあ、あんなに細かいアップダウンに苦しめられる事は、アルプスでは、前述の船窪から烏帽子のコースを除いては、殆ど無いに等しい。
 アルプス縦走は一度稜線に立てば、後は雄大な稜線を歩くので、思いの外楽に進める(と思える)。特に、南アルプスは山が大きいので、山を一つ越えれば幕営地、位のスケールだ。本当に、気持ちが良くなる程の大きさなのだ。
 一方我が丹沢は、稜線に出ても、登ったり下ったり、樹林の中をひたすら進むのみで、たまに展望が利くと喜ぶ有様、夏だと暑いし冬なら寒いし(当たり前ですね)、雄大なスケールで山を越すなんざあ殆ど有り得ず、鬱陶しく樹林の登降を繰り返すので、アルプスより辛い、となる訳なのだ。
 あ、丹沢様、悪口じゃあ御座いやせん、そう言う山が大好きなんです!誤解無き様お願いするだよ!(汗)
 それでも山から山への縦走と思えるのは、蛭から檜洞丸、そして檜洞丸から大室山へのルートだろう。両コース共、大きな弛みの向こうに目的の山が、でんと構える構図なので、アルプスでお馴染みなのだが、とても楽しいし、とても大変(と言うのは私だけ?)だ。
 丹沢山のみやま山荘に泊まった時、十数人居た他の泊り客は、皆さん蛭から檜洞丸へ向かう。おー、大変だなあ、と思う私は三ツ峰を下りたくて来て居るので、お別れだ。皆さんは、北関東や、割と遠くから来て居る様で、目一杯歩きたいのだろうし、勿体無く思うのだろう。
 主脈の章で、蛭の小屋(旧の方)へ雪の中を来た北海道パーティに触れたが、彼等も勿論檜洞丸へ向かった。雪が40Cm程の深さだったので、蛭の下りは難渋した事だろう。でも北海道の人達だから、何て事は無いか。リーダーの青年が素晴らしい人だからと、私は判断して安心して居る(主脈の章を参照下さい)のです。
 県営蛭の小屋の喫煙場所は自炊室で有る。私に取っては好都合な話だ。でも、偉く寒い倉庫が自炊室なんだが、自炊する覚悟の人間には当然の事だ。
 で、あたしが一杯やりながら、一服つけて居た時も、何故か一面の雪景色だった、と思いなさい。
 中年の女性が一人煙草を吸いに来た。聞くと、新潟から来たパーティで、雪の無い山に登りたかったのだそうだ。あらあ、お気の毒に、こっちも雪山です。でも、越後の雪と比れば、可愛いもんでしょう?
  (低いけど辛い山 その二へ続く)

2010年2月21日日曜日

クソ面倒な話 その十五

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 其れがですよ、マグマには大量のイリジウムが含まれる、と判明したのだ。詰まり、火山の噴火で地表に大量のイリジウムが降り注ぐ事も有り得る。
 で、“隕石衝突しか有り得ない”から“隕石衝突では無い“と学説は変わったのだが、日本では相変わらず、恐竜は天体衝突の為絶滅したと、テレビも新聞も考えもせず言い続けて居る。一度刷り込まれた思い込みは、消し去る事が如何に至難かを、いみじくも照明して居る訳ですなあ。
 実際は大量絶滅は段階的に、時間を掛けて進行して居る。突発的事故とは思えない、と現在の学者の多くは分析して居る様だ。大量絶滅は天体にでは無く、地球其の物に原因を求めるべきなのだ、と。
 思えば、恐ろしい話で有る。地球が何度も大絶滅を引き起こしたって事だから。
 外核の液体化した金属は対流運動し、為に地球に磁場が生じるのはご承知の通り。
 対流運動を簡単に言えば、核で熱せられた流体は上昇しマントル層で冷やされて下降する。又核で熱せられ上昇する、と言う運動で有る。
 では熱せられたマントル層はどうなっちまうの?良くぞ聞いて下さった!マントル層基底部(Dツーダッシュと呼ぶ)は熱を溜め込んで流体化し、極限迄熱を溜め込むと、地表へ一斉に突き上げる。此の時点では、外核層とマントル層基底部の温度差は無くなって居るので対流は起こらず、磁場は消え去る。
 地上では数知れない大噴火どころなんざ当たり前、イリジウムは撒き散らされ、発生したであろう大火災の煤や灰が地表に降り注ぐ。
 此の騒ぎは五十万年に渡って続く。空は噴煙に覆われて日光は地表に届かない。火災だらけなんだから暖かいだろうって?極寒の焚き火、手を暖めるだけだ! 此れじゃあ恐竜も死に絶えるなあ。マントル層基底部に熱が蓄えられるのが原因だから、周期性も有る。
 大規模なマントル上昇が直撃すれば大陸プレート引き裂かれる。海洋プレートはマントルの吹き出し口より、強い力で広がって海底が拡大し、結果として海水が後退する。為に、海底に有った化石燃料が露出し、侵食(大気の)に依ってボロボロと大量に海に流れ込み、水中の遊離酸素を消費して無酸素状態を造り出す。
 此処んとこが、ちと分からないなあ。あ、言う迄も無く、色々な本からの受け売りですので、あたしも首を捻っちまう事も有るんで。元々海底に有ったものが海に入って無酸素?空気に晒され、モロの姿になって海に入る、と解釈してます。
 以上のマントル上昇説が、今一番真実に近いと言われる仮説だ。あと千万年位からが、危険時期で、前兆としては地磁気の消滅、確り見張って下さい。

2010年2月20日土曜日

閑話 その四十三

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 色付くダイヤモンドで、三十一歳の頃折立から入山した事に触れたが、思い出したので書いておきます。
 夜行で富山、地鉄とバスで折立。此の日は大きな大きな薬師岳を越えて、スゴ乗越小屋迄歩いたのだが、今思うと、本当かよ、良くもそんなに歩いたもんだな、となっちまうのは、歳の所為なのだ。今なら太郎平小屋に泊まって翌日薬師を越える、しか出来ない。
 薬師岳は見ても大きいが歩いても大きい。南アルプス並みのスケールだ。此処が愛知大学パーティ十三人が遭難した山か、と感慨は有りました。
 十三人全員死亡とは遭難史上稀な惨事だった。歴史的豪雪と、メンバーが一年生と二年生のみで構成されて居た事が原因だ。同日、別のパーティは、無事に登頂を終えて居る。
 山は経験が物を言う。何故三、四年生も参加させなかったのだと、相当批判を浴びたが当然で、リーダーが上級生かOBだったら、遭難は防げた筈だ。今更どうにもならない。
 翌日も晴れ。スゴ乗越から越中中岳、五色ヶ原を越える。ザラ峠あたりから高曇り、休んで居たらやけに冷えた覚えが有る。
 獅子岳、鬼岳、龍王岳と歩き、目出度くも一ノ越山荘に到着。
 うーん、良く歩いたなあ。流石にザラ峠からは、歩き疲れた様な記憶が有るが、バテたのとは違うので、キスリングを背にとっとと行ったのだろう。昔はあたしも若かったんで、ずーっと還暦おやじだった訳じゃないって事です。
 もしそうなら、其れは其れで面白いかも知れない。昔からずーっと還暦おやじ、矢張り面白くない……。
 今なら、断る迄も無く五色ヶ原小屋泊まりが限界だ。
 書いて居て、炊事の記憶が全く無い。勿論自炊だったのだが、ラーメンとアルファー米、それにパン、そんなとこだったのだろうか。記憶から完全に欠落して居るのだから、碌なもんは食べてなかった筈だ。哀れだ!
 でも、碌なもんしか食べられなくとも、歩けた方が良いなあ。バテないで山を行く、夢の様だなあ。
 さて翌朝、多少雲は有るものの、星が煌いて居る。懐中電気を掴んで小屋を飛び出す。雄山で日の出を迎えるのだ。ご同輩のライトがつづら折れの登山道に点々と続く。
 頂上に立った時は夜も白み、後立山の稜線が黒々と見える。あれは鹿島槍、あれは五竜、あれが白馬三山だ、と喜んで居るとご来光で有る。
 走る様に小屋へ戻り、ザックを担いで下る。ひたすら下って、黒部ダム迄降り、トロリーバスの客となった訳だ。
 大町で、美味しい美味しいと駅蕎麦を食べ、車中の人となってビールを開ける。文字通り走り抜ける様な山旅だったのです。

2010年2月17日水曜日

休題 その三十三

店 049

 

 いんぐりっしゅは全然駄目なのだが、ロードオブリングは間違いで、ザ・ロードオブ・ザ・リングが正しい位はかろうじて分かるのが、嬉しいのです(最低!)。
 日本では評価が高いとは聞いた事が無いけど、諸外国ではどうなんだろう。調べれば一発で分かる事だが、めんどっちいから調べないのだ、はっはっはっは。
 ま、少なくとも日本で受ける作品では無い事だけは分かる。一歩譲って、日本で制作されっこ無い作品で有る事は確かだ。
 とことん壮大な世界を構成しているが、流石の宮崎君も及ばない。宮崎フアンよ、良く見比べてから非難してよね。ケ、宮崎フアンどころか、誰も来てねえや!
 映画館で三本とも観たのだが、一本目は分らなかった(其の凄さが)。ゾロゾロ出て行く観客の一人の中年男が「紙芝居だな」と呟いて居たのが印象的だった。詰まり、あたしも同感だったのだ。
 済みません。二作、三作も、へーそうかい、としか思えず、三作に至っては、ラストがダラダラして、何とかなんないの?と非難を浴びせて居たのだ(恥)。あたしが非難しても、何の害も無いのが良かった。
 21世紀ですなあ。DVDで見直せるですよ。で、見直した。唸ってしまった、此れは世紀の名作だ、知らなかった(分からなかった)自分が恥ずかしい。
 キューブリックが映像化を試みたとは聞いた事が有るが、とてもじゃ無いが無理だと断念したそうだが、当然だ。オークの大軍や騎士団、砦をキューブリック流に克明に(CGは無いのだ)正確に現そうとしたら、予算は遥かにオーバー、プロジェクトは破綻し、彼は間違い無くホームレスだ。
 で、三作目なのだが、サム物語に近くなっちまったのは、指輪の威力の所為として、納得しよう。でもゴラムが居なければどうなって仕舞ったのだろう。フロドよ、確りしろ!
 映画館では、鷹に救われてからが、無闇とダラダラ、王位に着いたアラゴランが后となるアルウェンを伴って四人のホビットの前に来た時、頭を下げる四人に「友よ、頭を下げなくて良い」と声を掛け、王自らが跪き、周りの群集も四人に跪く、其処でエンドで良いんじゃんかさー、と思ったのだ。良いシーンで有る。
 浅はかでした。あのダラダラは唯のダラダラでは無かった。極めて重要なダラダラだった。命懸けの使命を成し遂げて、決して元の生活には戻れなくなったフロドの心を、確り描いて居るのだ。
 異常に厳しい体験に晒され、心の傷は癒えない。元に戻れるサム、ビビン、メリーは幸せだ。幸せで無い心情の持ち主を描いて、輝いた作品でした。

2010年2月16日火曜日

閑話番外 その十九

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 黒部五郎岳を辞して、次のピークの中ノ俣岳からの槍ヶ岳遠望です。
 たった二日弱歩いただけなのに、あんなに遠くなってしまった、との感慨は素敵なもので、縦走ならではの醍醐味でしょう。
 望遠で引き付けて居るので、本当はもっと遠くに感じられたのです。

2010年2月14日日曜日

色付くダイヤモンド その五

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 歩くったって、一、二時間掛かるんだから無理だろう。それに猪に襲われるかも知れないのだ。冗談です。怖いのは猪より人間で、人の乗った車は通るのだから、山道の方が安全な位だ。暴論?違うと思う。
 獣は無用な殺生はしない。獣に殺された記事なんざ、此の歳になる迄何度読んだだろうか。十幾つかだろう。人間が人間を殺した記事は、数え切れない。だから、本当に怖いのは人間なのだ。
 え、山道で悪い人間が子供を狙って待ち構えて居たらどうするって?うーん、在り得るが、其処迄心配したら、子供は学校に行けなくなる。困った、私が聞きたい、どうしよう?
 藤野から東野の路線も消えた。峠越えをしてのんびり行くバスだった。彼方此方の部落を結んで行くライフラインなので、どうにかはして居るのだろう。現に町営バスがやまなみ温泉迄は行く。其の先は何か有るのだ。そうしなけりゃ子供達が学……、繰り返しだ。
 大体調べもしないで書く事じゃ無い。分かっちゃ居るけど調べない、スイスイスダラダッタ♪著作権ギリギリなので止めよう。
 甲府から広河原へバスが行くのは凄い。二時間以上の行程だ。お陰で北岳が途轍も無く近くなった。夜叉神峠を越え、延々と走る。尤も冬は其の道を延々と歩く事になるのだが、其れは後の話としよう。
 前に北岳に倅と登った事を書いたが、其の時擦れ違ったバスが有る。勿論広河原から甲府へ向かうバスだ。其れが満員でぎっしりと人が立って居る。ゲ、どりゃー辛いでかんわ(名古屋弁、失礼)!こっちは悠々と座って居るが、立っていちゃあ苦しいだろうなあ、山登りも大変だなあ。何でそんな思い迄して山に行くんだろう?と、例の詰まらない冗談です。
 で、思い出したのは静岡から畑薙への三時間のバス。二昔半前、其のバスを静岡駅前で待って居たら、バスの始発駅は新静岡だと言う。え、何処だ?歩いて十分位だと言うが、こちとらキスリングを背負って行くから、十五分は必死に歩いて、汗まみれで着いたら、もう長蛇の列、ガックリです。
 で、立って三時間、トホホホ。と思ったら大間違い、はっはっは、キスリングは便利だ。置くだけで場所を取る造りなので、どうせ有る場所ならと、キスリングに腰を下ろして行けたのだ。普通のザックならそうは行くまい。
 三昔前の折立への三時間のバスも難行だった。其の時は座れました、はい、若かったのに座ってました(恥)。外にぎっしり立って居るのに。あ、待って、当時はバスの乗客は皆若かったのだ。私だけでは無い。ん、許そう。(良いでしょう、此の場合は)
 バス路線が無くなって困る話だった。長い路線の話では無い。丁度良い処(何処が?)なので、終わりと致します。

2010年2月13日土曜日

クソ面倒な話 その十四

店 048

 

 面倒十三で、恐竜絶滅の隕石衝突説に異議有り、と書いた。其の話です。
 恐竜絶滅は多くの説が有り、本もどっさり出て居て、常に人々の関心の高いテーマだ。当然だ、若し恐竜が絶滅しなければ、哺乳類は何時迄も日陰者で、ビクビクし乍らの夜間活動を余儀無くされ、人類も誕生出来なかった事になる。
 代わりに恐竜が進化を遂げ、新恐竜に依る文明が築かれたかな。そんなSFも有りましたね。
 背景絶滅と言うのは、環境変化の為其れ以前の環境に適応して居た種が滅びる事で、小規模で有り、何時でも起きて居る。モロに現在進行中の出来事。
 大量絶滅とは、生物の総入れ替えと言える程の規模で、大量に死に絶え大量に新種が登場する。オルドビス紀末、デボン紀後期、ベルム紀末、三畳紀後期、白亜紀末の五回が突出して居る。で、白亜紀末が恐竜絶滅なのだ。
 何と五回も大量絶滅が有ったのだ!突出して居ると言うのは、亜大量絶滅が外にも七回程有った事を指す。
 大量絶滅の共通現象として、前後数百万年に渡って環境が悪化した、らしい。
1 海水が後退し、大陸棚が干上がる。
2 地球の寒冷化と乾燥化。
3 無酸素海水が海の表面を覆う。
 大量絶滅にはおよそ二千六百万年の周期が認められる(らしい)。其れに着目して、何等かの天体現象に依って彗星の溜り場で有るオールト雲が刺激され、一億個の彗星が太陽系内へ飛び込んで来る、との仮説が出来た。巧い事に銀河系宇宙の回転周期は、計算の仕方に依っては、二千六百万年位になる。
 其の説が正しければ、空には無数の彗星が見えて、偉く壮観だろうが、たまに衝突して来るのがとても困る。
 隕石衝突はランダムで有る。従ってある程度の周期性の説明はつかない。彗星説なら、其の説明はつく。が、地層から検出されるイリジウムの説明がつかない。イリジウムは他天体からしか大量には供給されないのだから。
 此れは余りにもご存知の方が多いので、今更あたしが説明するのはなんだけど、一応触れておきましょう。
 白亜紀と次の第三紀を区切る地層が、世界中に存在し、K-T境界層と呼ぶ。厚さは1~2Cmだ。
 そこでイリジウムなのだが、原始太陽系では均等に分布したと考えられる。地球では、イリジウムは鉄と結合して、地球の核に沈み込み、地表には殆ど存在しない。
 K-T境界層には、何と三十倍以上、場所によっては、百六十倍、四百五十倍、と言う驚くべき値を示し、天体衝突以外には考えられなかったのだ。其の上大量の煤と灰も発見され、衝突に拠る大火災の証拠となった。
 クソ(失礼)面倒だけど、続きます。

2010年2月11日木曜日

色付くダイヤモンド その四

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 黒部五郎の山頂は此の世の天国。色付く北アルプスの山々が真っ青な空の下、見渡す限り展開して居るので、息を呑んで仕舞うのは私だけでは無い筈だが、残念乍ら其の景観に接したのは、其の日は私と九州の男性のみ。(本当はもう一人遠く姿を見かけたが、其れには最早触れない約束)
 尤も、外の日にこんな素晴らしい景観が有ったとは思えない。冷静に判断しても決して有り得ない。何せこっちは前線通過の翌日なんだもんねー(此処で意味無く威張るのが、ガキだとは知ってますけど、つい……)。
 山頂で男性と私は挨拶を交わして別れる。彼は三俣蓮華へ、私は太郎平へ向かう。前述だが、一期一会です。
 太郎平の小屋でビールを買って飲んで居たらチューハイが有った。げっ、チューハイにすれば良かった。ま、どうでも良い事。
 翌日も快晴。どんどん下りた。何せ一日一本のバスに乗らねばならない。せっせと頑張った結果、バスを一時間待つ羽目になっちまったが、文句を言ったらバチが当たる。其のバスのお陰で此のダイヤモンドコースをやれたのだから。
 其れがですよ、乗客は二人だけ。バスから降りた人は三人だったかな。シーズンから外れて居たからだろうけど、此の按配では否応も無く再び廃止路線となるんじゃないだろうか。あの時行っておいて良かった!
 三昔前に此処でバスを降りた時は満員だった。夏だったからかも知れないが、登山者の絶対数が多かったのだろう。
 太郎平へ登って居ると、黒カッターに黒ズボンの女性に抜かされた。歳は当時の私と同じ位(三十一歳だったかな)の彼女は颯爽と登り、グングン離された。キスリングの荷物がハンデだが、クソッ(失礼)、女に負けて堪るか、と頑張ったが、完敗で有る。当時は未だそんな意地を持って居たんですなあ。
 因みに、山では勝ち負けは無い。若かったので、そんな頓珍漢な思いを抱いたのだ。
 折立のバスに戻ろう。乗り込んで三時間、終点の無人駅で小一時間電車を待って、地鉄で富山へ着く。立ち食いの立山蕎麦(富山の定番で、美味しいですよ!)を食い、ビールを買って列車に乗り込む。下山してから始まる旅なのだ。良いもんでしょう、一仕事を終えた列車の旅。車で来てちゃあ味わえないのです。其の上、車だとビールも飲めない。此れは完全な致命傷で有る(くどいですか?)。
 バス路線の話だった。つい、入れ込んで仕舞ったのは、余りに素敵な山旅だったからなので、大目に見てやって下さい。(ペコリ)
 昔は橋本から東野へ直通でバスが行ったと記憶して居る。何時からか、三ヶ木で乗り換える様になって、其れも廃線になったのが数年前。日に何本かは有るけど、通学用時間帯なので、登山には不向きだ。此れまで無くしちゃあ子供達が学校へ通えなくなってしまう。
 (色付くダイヤモンド その五へ続く)

2010年2月9日火曜日

閑話 その四十二

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 モミソ沢は小さい小さい沢だ。水無川の支流だが、本谷は流石に広々とした所も多くて爽快だが、モミソは違う。
 実は一度も遡行に成功して居ない。何なんだろう。三度目に至っては、又もや“狐に摘まれた“話なのだ。
 三度目に至っては、と書く以上は三度失敗して居るってえのは、ご明察通り。
 初回、やがて本文でアップするKが渡渉に失敗した時で、冬だった。本文の通り、地下足袋を濡らすと冷たくて嫌なので、小滝群を越えた次の滝の前で、左の小沢に逃げ、凹地になった源流から無理やり登り、やがて鹿避けの柵に沿って登り続け、流石のSが音を上げた。
S「ストレッチもやり過ぎだよ!痛くなったぞ!」
 長い急斜面だった。あたしの我侭の為なので、御免なさい(ペコリ)。で、堀山のピークに立ったが冷たい風が強く、偉く寒かった。
 次は単独で、初夏。前回敬遠した滝を登り(濡れても冷たく無いので)、次も右から越えて行くと一寸と嫌なトラバースが有った。巻こうと思い巻いて居るうち、戻れなくなって、気が付いたら、例の柵に沿ってストレッチを続けて居た。トホホホ……。
 三度目の正直、妻と入った。平成二十一年春の事だ。念の為サブザイルも用意して万全を期す。
 前回の滝を右から巻きに掛かった迄は全く問題無い。其の通りに来た。処が嫌なトラバースが表れず、小さな流れを越しやがて尾根となった。
 兎に角モミソ沢に降りねばならない。どんどん下ると、広い河原が近い。明らかに水無川で、しかもモミソ沢取り付き点なのだ。
妻「ね、貴方、間違えたんじゃ無い」
私「……」
妻「あれ、さっきの川でしょう」
私「……そうみたいだ」
妻「大丈夫?貴方最近感覚が鈍ったわよ」
 妻よ、そうなんだけど、そうまで明け透けに言ってくれるなよ、本人が一番ショックなんだからさあ(涙)。
 そうか、あの小さな流れがモミソだったんだ。右から巻いて本流を越しちまったんだ。
妻「え、又今の所を登るの、折角降りたのに」
 嘆く妻を励まし、登って流れに出、沿って行くと程無く初回の凹地に出た。ガビーン!!
 どう言う事?右に巻いたのに、左に逃げた凹地に居る。何処でモミソを越えたの?一瞬のパニックだ。でも、間違い無く其の凹地。
 右に行ったのに左に着いた。妻に説明しても理解不能だろう。大体、其の意味が分からない筈だ。説明すら不能なんだから。
 結局、例の柵に沿って妻にストレッチをしてもらった。すっかり信用を失ったあたし。
 狐よ、覚えとけ、季節が良くなったら、きっと化けの皮を剥がしてやるからな!

2010年2月7日日曜日

色付くダイヤモンド その三

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 双六小屋に戻ろう。寒いので座る気も起きないので、唯突っ立って居る。雨と風のお陰でゆっくりと休める!
 良くしたもので、黒部五郎小屋に着いた時は天候は回復、薄日が差し始めて、目出度い。しかも水場は直ぐ其処、やったね。但し、シーズン外なので小屋は営業して居ず、冬季小屋を使用する。勿論こちとらご承知でい。だから夏用シェラフもシェラフカバーも確り担いで来て居るのだ。
 九州弁の六十位の男性と二人だけだった。以下男性と記す。
男性「良く降ったとですね」
私「寒くて、参りました」
男性「まっこと、凍えたですよ」
 書こうか書くまいかと、一寸と迷ったが、気持ちに引っ掛かって居るので書くけれど、余り良い話では無い。山では全てが綺麗事、では無いと言う意味です。
 男が一人やって来た。関西弁の中年入り口の男性だった。以下中年と記す。
中年「え、小屋はやってへん?難儀やなあ、どないしよ」
男性「自炊ばしよりますか?」
中年「小屋の食事でんねん」
 男性は自分の食料を分け与えた。私はシェラフカバーと、取って置きのお汁粉を(此処で食べるのを楽しみにして居た)渡した。相身互いで有る。今回は私と男性は小屋の閉鎖を知って居たが、次はどうだか分からない(勿論調べるけど)。
 此の夜は冷えた。悪い事では無いので、天候は完全に回復すると言う事なのだ。でも、ペラペラの夏用シェラフだけではきつかった。カバーの保温力とどっこいなのだから。と言う事は、中年氏にとってもカバーが無ければ、地獄の一夜となった訳だ。
 翌朝は弩急快晴、わーい!で、中年氏の所へカバーを回収に行くと無言で返す。何で無言なのかなと思いつつ朝飯を食べて居ると、男性が来た。
 あ、行った、とか来たとか、変ですね。冬季小屋と言っても大きいので、彼方此方に分宿して居たんで、それで無料なのは私にとっては、寒くたって天国です!
男性「あの方、黙って発ったとですよ」
私「え?」
男性「いや、早かね(笑)」
 九州人は偉い。四の五の言わないで笑って済ませる。何をだって?野暮天ですねえ、私に言わせなさんな。とか言い乍ら言っちゃう訳で、情無いったら有りゃしねえ。
 私は未だにあの中年(と言っても当時の私よりは若い人なのだ)の行動は、不思議の一言だ。何で食料をくれ、カバーを貸し、色々気を使ってくれた人達(其の人達も乏しい中から捻出してる)に礼も言わず、無言で去る事が出来るのだろうか?何が楽しくて山に登るのだろう。何が楽しくて人生を……、此の話しは止めましょう。本当に失礼をぶっこきました、未熟ですなあ。私は、九州の男性には死んでも及びません(汗)。

2010年2月6日土曜日

休題 その三十二

店 047

 

 ニューギニアの沖にビアクと言う小島が有って、日本軍が全滅して居る。勿論生き残った将兵は居るので、インタビューや残された手記、遺族の方々の思いを纏めた本が有る。
  明朝は攻撃、米軍の圧倒的火力の中に飛び込むのだから、生還は期し難い。其の夜話し合う将校の手記が載って居る。一人が問う。
「今迄で一番楽しかった事は何だい」
 相手が答える。
「妻と在りし日々」
 問うた将校も「同じだ」と答える。
 そうだろうなあ。其れ以外には思い浮かばない。
 妻が恋しいと言う意味では無いと思う(多少は有るかな)。失われた日常生活、其れが掛け替えの無く貴重な、幸せだったのだ。
 然様な極限の記述に接すると、何時でも、詰まり今の何気無く暮らして居る事が、本当の幸せなんだなあ、と思い知るのだが、凡人の悲しさ、直ぐ忘れる。
 戦闘機パイロットの手記にも有った。激戦地で、毎日の様に命の遣り取りをして居て、仲間が櫛の歯を引く様に戦死し、明日は俺の番かと言う暮らしで、思い掛けず内地帰還の命令、機上から富士山を見るだけで涙が零れ、もう何も要らない、帰って来れただけで望外の幸せだ、と神の様な心境に達するが、三日程で忘れてしまう、と。
 山本七平氏の本にも、捕虜生活を終え、帰還船の中で事務処理の使役をし、其の代償として特別食の支給を受ける話が有る。
 使役に出たのは十人位だったろうか。畳の上での事務仕事だ。畳に座るだけで、大感激だった様で、食事になったら白い飯と味噌汁だ。
 味噌汁の香りを嗅いだとたん、う、と胸が詰まり、涙が流れ出し止らない。恥ずかしいので、下を向いて堪えて居ても、嗚咽が漏れそうになり、橋を取るどころでは無い。
 「う、う」と声が聞こえた。見ると皆下を向き、拳を握って涙を流して居る。一人が声を出したら、堰を切った様に全員、おいおいと子供の様に泣き出した、と。
 あたしは其の白い飯と味噌汁を毎日、何気無く頂いて居る。感動は、特には無い。
 アフガン帰還兵の記録が有る。戦場の看護婦さんの話。
「皆、ママを呼ぶの。だから、ママよ、と嘘を吐いて手を握ってあげる。安心して死んで行くの」
 切り離させて始めて知る幸せ。幸せの青い鳥に囲まれて、其れに気付かず暮らして居るんですなあ。勿論あたしの事です。

2010年2月3日水曜日

閑話番外 その十八

 

FH010023

 

 雷鳥がバテたあたしを見て笑って居た、と書いたが、本当は笑っては居なかった。え、断る迄も無い?
 南岳に登りついた頃より曇り出し、気温も下がった。其の時岩の上に雷鳥が居たのだ。
 雷鳥には彼方此方でお目に掛かるが、子連れの時は特に可愛い。小さい奴等が母鳥の後をチョコチョコ付いて行く姿は、見飽きる事が無いのです。