2010年2月20日土曜日

閑話 その四十三

DH000052

 

 色付くダイヤモンドで、三十一歳の頃折立から入山した事に触れたが、思い出したので書いておきます。
 夜行で富山、地鉄とバスで折立。此の日は大きな大きな薬師岳を越えて、スゴ乗越小屋迄歩いたのだが、今思うと、本当かよ、良くもそんなに歩いたもんだな、となっちまうのは、歳の所為なのだ。今なら太郎平小屋に泊まって翌日薬師を越える、しか出来ない。
 薬師岳は見ても大きいが歩いても大きい。南アルプス並みのスケールだ。此処が愛知大学パーティ十三人が遭難した山か、と感慨は有りました。
 十三人全員死亡とは遭難史上稀な惨事だった。歴史的豪雪と、メンバーが一年生と二年生のみで構成されて居た事が原因だ。同日、別のパーティは、無事に登頂を終えて居る。
 山は経験が物を言う。何故三、四年生も参加させなかったのだと、相当批判を浴びたが当然で、リーダーが上級生かOBだったら、遭難は防げた筈だ。今更どうにもならない。
 翌日も晴れ。スゴ乗越から越中中岳、五色ヶ原を越える。ザラ峠あたりから高曇り、休んで居たらやけに冷えた覚えが有る。
 獅子岳、鬼岳、龍王岳と歩き、目出度くも一ノ越山荘に到着。
 うーん、良く歩いたなあ。流石にザラ峠からは、歩き疲れた様な記憶が有るが、バテたのとは違うので、キスリングを背にとっとと行ったのだろう。昔はあたしも若かったんで、ずーっと還暦おやじだった訳じゃないって事です。
 もしそうなら、其れは其れで面白いかも知れない。昔からずーっと還暦おやじ、矢張り面白くない……。
 今なら、断る迄も無く五色ヶ原小屋泊まりが限界だ。
 書いて居て、炊事の記憶が全く無い。勿論自炊だったのだが、ラーメンとアルファー米、それにパン、そんなとこだったのだろうか。記憶から完全に欠落して居るのだから、碌なもんは食べてなかった筈だ。哀れだ!
 でも、碌なもんしか食べられなくとも、歩けた方が良いなあ。バテないで山を行く、夢の様だなあ。
 さて翌朝、多少雲は有るものの、星が煌いて居る。懐中電気を掴んで小屋を飛び出す。雄山で日の出を迎えるのだ。ご同輩のライトがつづら折れの登山道に点々と続く。
 頂上に立った時は夜も白み、後立山の稜線が黒々と見える。あれは鹿島槍、あれは五竜、あれが白馬三山だ、と喜んで居るとご来光で有る。
 走る様に小屋へ戻り、ザックを担いで下る。ひたすら下って、黒部ダム迄降り、トロリーバスの客となった訳だ。
 大町で、美味しい美味しいと駅蕎麦を食べ、車中の人となってビールを開ける。文字通り走り抜ける様な山旅だったのです。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

さすが、ニコンF2。良い写真ですね。山に登っている人にしか撮れない写真なのですねー。望遠を使って、こんなにはっきりとした写真がとれるなんて!!! どうして手ぶれしないで撮れるんだろう、、、。鹿島槍と五竜岳が左ですか。

kenzaburou さんのコメント...

写真は薬師岳です。

確かに山に登らなければ撮れないです。
でも、天気次第なので、単にラッキーだっただけなんです。腕もカメラも関係ない、との証拠写真です(恥)。

手振れはしなくなりました。何十年もすれば、自然と馴れると言う事だと思います。