2010年2月6日土曜日

休題 その三十二

店 047

 

 ニューギニアの沖にビアクと言う小島が有って、日本軍が全滅して居る。勿論生き残った将兵は居るので、インタビューや残された手記、遺族の方々の思いを纏めた本が有る。
  明朝は攻撃、米軍の圧倒的火力の中に飛び込むのだから、生還は期し難い。其の夜話し合う将校の手記が載って居る。一人が問う。
「今迄で一番楽しかった事は何だい」
 相手が答える。
「妻と在りし日々」
 問うた将校も「同じだ」と答える。
 そうだろうなあ。其れ以外には思い浮かばない。
 妻が恋しいと言う意味では無いと思う(多少は有るかな)。失われた日常生活、其れが掛け替えの無く貴重な、幸せだったのだ。
 然様な極限の記述に接すると、何時でも、詰まり今の何気無く暮らして居る事が、本当の幸せなんだなあ、と思い知るのだが、凡人の悲しさ、直ぐ忘れる。
 戦闘機パイロットの手記にも有った。激戦地で、毎日の様に命の遣り取りをして居て、仲間が櫛の歯を引く様に戦死し、明日は俺の番かと言う暮らしで、思い掛けず内地帰還の命令、機上から富士山を見るだけで涙が零れ、もう何も要らない、帰って来れただけで望外の幸せだ、と神の様な心境に達するが、三日程で忘れてしまう、と。
 山本七平氏の本にも、捕虜生活を終え、帰還船の中で事務処理の使役をし、其の代償として特別食の支給を受ける話が有る。
 使役に出たのは十人位だったろうか。畳の上での事務仕事だ。畳に座るだけで、大感激だった様で、食事になったら白い飯と味噌汁だ。
 味噌汁の香りを嗅いだとたん、う、と胸が詰まり、涙が流れ出し止らない。恥ずかしいので、下を向いて堪えて居ても、嗚咽が漏れそうになり、橋を取るどころでは無い。
 「う、う」と声が聞こえた。見ると皆下を向き、拳を握って涙を流して居る。一人が声を出したら、堰を切った様に全員、おいおいと子供の様に泣き出した、と。
 あたしは其の白い飯と味噌汁を毎日、何気無く頂いて居る。感動は、特には無い。
 アフガン帰還兵の記録が有る。戦場の看護婦さんの話。
「皆、ママを呼ぶの。だから、ママよ、と嘘を吐いて手を握ってあげる。安心して死んで行くの」
 切り離させて始めて知る幸せ。幸せの青い鳥に囲まれて、其れに気付かず暮らして居るんですなあ。勿論あたしの事です。

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