2011年3月31日木曜日

ポリタンをご存知ですか その三


 白石峠が次のポイント。但し三十分は下るだろうから、実用的では無いかも知れない。登り返しを考えると、ウンザリする。試した事が無いので、物好きな方はお試しあれ。
 畦ヶ丸を越え、大滝峠上から下れば、十分
程で水に出会えるが、大滝峠上迄四十五分の下りなので、此れも一寸とどうかなあ。と言うより、全く使い物にならん!
 うーん、中々此れと言うのが無い。大口叩
いた限りは、何とかしなくちゃ、沽券に関わる(大した沽券でも無いって?そうなんですよね)。
 こうなりゃあ城ヶ尾峠を下ろう。南にでは
なく、北にですよ。うっかり南に下ると、一時間半近く尾根を下る事になってしまう。北なら十五分で水が有る筈だ。尤も此処まで来たら菰釣避難小屋はもう近い。
 意味の無い足掻きで有ったですなあ。あっ
さり、大野君にシャッポを脱ぎます。御免なさい。
 そう言う訳で、丹沢で泊まりの時は、ポリ
タンを二本担ぐ。それだけ有れば水は使い放題、お茶は飲む、コーヒーは飲む、炊事はする、味噌汁も飲む、ショーチューは割る。それでもたっぷり余るのだ。フッフッフ、人知れぬ贅沢。
 白馬岳から北に向かい、雪倉避難小屋に泊
まった、二昔半前。水場へ下ったが、ガラガラの岩屑の路で、いや、路とは言えない所で、此処いらかなと見ると、岩から水がほんのチョロチョロ流れて居て、ポリタンを上手く当てて、ひたすら待つ。満タンになるのに十分位掛かったのが、変に印象深く覚えて居る。
 ポリタンだが、今では殆ど見掛ける事が無
い。店で売っては居るのだから、愛好者は未だ存在はして居るのだろう。あの匂いが嫌だと良く聞くが、最初から使い続けて居る私にとっては、全く気にもならない。水ってえのは、飲めれば良いのさ。飲めない時の苦しみを思えば、匂い位何だい(え、野蛮人だって?差別用語だ!)。
 皆さんはアルミかステンを使用して居る様
だが、私は死ぬ迄ポリタン一筋です。とか言い乍ら、何せ古い品物なので、水を入れる時に異様な臭気が鼻をつく。げ、と思う。良く濯ぎ直して水を入れる。きっと、買い替え時なのでしょう。
 ポリタンの事を、高校生の頃はポリカンと
呼んで居た。詰まり間違えて居たのだ。ひょうきん者のUは聞き逃してはくれない。
U「え、ポリカン?缶なのかい?どうなのさ」

私「缶じゃあ無いよ」

U「じゃあ何でポリ缶なんだ」

私「……」

 と追求しきりで、閉口させられた。どうで
も良い事を全く、高校生とはそんなもんだ。
 ポリタンはタオルを巻くと良い枕になる。
水の残量は一目で分かる。それに軽いし。外には、えーと、残念な事に長所は無い。でも良いのだ、私には、離れ難く古い山仲間なんだから。
 (ポリタンをご存知ですか その四へ続く)

2011年3月29日火曜日

クソ面倒な話 その二十九


 リチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子を読み直した。誤ります。どうせエセ科学だろうと書いて居たけど、ちゃんとしてました。
 群淘汰を徹底的に否定して、個淘汰の結果として、群淘汰の様に振舞うと言う命題をゲームの理論を用いて説明をして居るのだ。
 あたしにとっては説得力が有り、問題なんか無い。同感です、と叫んで仕舞うかも知れない。
 但し、ダーウインの与太話を無条件に前提として居る人物なので、此れだけは残念至極で有り、確り思考せよ、と言いたい。
 遺伝子のプール(彼は種をそう捉えて居る)の中で、より生存に適した振る舞いをする遺伝子が、結果として増えて行く。利他的行為も、其の観点で説明をして居る。
 生物的進化論では無く、社会的進化論(?)と位置付けて構わないだろう。そして、其の発想には同意する。
 とか言ってるけど、あたしが同意しようが反対しようが、何の影響も無いのだから(其れもトコトン)、偉そうに「同意する」とか書くだけ恥曝しですなあ。
 尤も、そんなこたあ先刻ご承知で、確信犯的愚ログなのだ。人が寄って来ないのも道理と言うものだ。
 唯、此れだけは何度も言うけれど、突然異変の積み重ねで生物は進化したのでは無い。突然異変を幾ら繰り返しても、複雑な目だとか関節だとかは発生し得ない。
 何故なら、同時に多くの変化が必要で有り、突然異変が同時に沢山、一つの機能を構成する様に起きるとは、とてもじゃ無いが考えられない。そう思える人は、そう有るべきだと信じて居るのに過ぎない。最早、科学では無く信仰で有る。
 もう一つ。突然異変なら、長時間を掛けて変化するだろうが、実際は一気に種は形成され、後は長く安定して居るのだ。変でしょう?

2011年3月23日水曜日

ポリタンをご存知ですか その二


 不動ノ峰の東屋から水場が近いとは、主脈の章で触れた。水量は少ないが、近いのが最高、それに主脈のほぼ真ん中に有るのが有り難いのだ。
 原小屋平の水場も近い。左右どちらも良い
水だ。大体水の味も分からないとは、既述の通り。昔は小屋が有ったが、今は唯の寂しい平地で、昔の光今何処、です。
 あとは黍殻避難小屋かな。此処もすぐ其処
に水場が有る。従って何日でも過ごせる小屋で、二昔半前、何処かの外国人が住み着き(?)、通る登山者に食料や金銭の無心をして居た、と聞いたが、強奪する訳では無いので、目くじらを立てる必要も無かろう。
 主稜に入ると神ノ川乗越の水場が物を言う。
何を言うのかって?そんなの知らないよ!
 薮は被さるが確りとした路で、割と近い。
矢張り近いが一番、ま、外国より伊豆の温泉の方が良い、と同じ思想です。冗談です、旅行は遠近関係無い、行きたい所が良い所。其の考えすら変で、本来旅行とは遠い所であるのが本義なのは、実は朴念仁(認めたくないが)の私でさえ知っているので、詰まらない冗談の言い訳をせざるを得ないのは、残念至極で有ります。
 相変わらず訳が分からなくなってしまった。
水場は近い方が良いという、あったりめえの話でした。
 大昔、濃鳥の幕営地にテントを張って、水
を汲みに出掛た。ガラガラの急な路を、其れも大分下る。何せ大昔だから、ディロフォサウルスが走っているのを遠望した。
 勿論嘘です。ディロフォサウルスは南アル
プスにはいない。と言うより、六千五百万年前からいない。
 で、その下りで足を滑らせ滑落した。ザザ
ーと落ちて、ジグザグに続く路に引っ掛かって止まったが、こんな所で事故は起きるんだ、と思い知った最初で有る。繰り返すが、事故は何でも無い所で起きる事が多いのです。
 従って、水場は近いが一番。旅行も近いが
一番(くどい?)。
 話を戻すと、主稜線には菰釣避難小屋迄水
場は無い。其れはあんまりだ。渇いて行動不能になるのは理の当然。じゃあ何とか水を補給しよう。地図の指示(特に大野君の)に従って登山する義務は私には無いのだ、ふっふっふ。
 あれ、何時から私は大野君を敵対視してん
だ?飛んでも無い勘違いです、そう読めるだけで、尊敬してます。大体写真が凄い!
 あ、写真だけでなく、地図も見事に造った。
一寸と文句を付けると、書き過ぎ。心余りて其の様卑し、って古文に有ったけど、本当に其れだけですからね、誤解しない様お願いします。え、書き方に毒が有る?ばれたか……。
 前述だが、犬越路から左右どちらでも下れ
ば、水は有る。どれだけ下れば良いかは不明だ。季節と条件に依るけど、十五分下る覚悟をすれば、多分大丈夫だろう。昔々の冬には、十五分で流れに出会えた。でも、保証外です。
 (ポリタンをご存知ですか その三へ続く)

2011年3月21日月曜日

休題 その六十二

 突然ポリタンと水の話が始まって、しかも地震絡みだけど、前から書いて有った文章を順番に載せただけの、全くの偶然なのです。
 悪い偶然では有る。
 災害は、忘れた頃にやって来る。余りにも有名な言葉だが、真実で有った。
 尤も津波には触れて無いのは、町田に住んで居るから思い至らなかったので、あたしが三陸の住人だったら、水がどうのなんて能天気は言いっこ無いのだ。地震が来た瞬間、全力で逃げる。全てを棄ててだ。
 三陸津波の恐ろしさを知りたければ、吉村昭の「三陸海岸大津波」を読んで下さい。津波の恐ろしさが、嫌と言う程分かる。
 ま、テレビで見てれば分かるかも知れないけど、たまたま映せた絵とはスケールが違う筈だ。お薦めの一冊です。
 ヒアアフターの上映を自粛するそうだが、一寸と残念だ。冒頭の津波のシーンが強烈過ぎる為だろう。情緒の有る、良い作品だったのに。
 上の写真は文章と何の関係も無く(言われなくても分かるって?失礼しました)、何も無いのも寂しいので、閑話六十六の時のものを載せたのです。ま、枯れ木も山の賑わい、って事です。
 処で今は21世紀。キューブリック君の映画では月に基地が有り、有人観測船が木星へ向かう勢いだ。実際は遠く及ばなかったけど。
 それでも、科学(と言うより応用技術)の進歩は凄いの一言で、あたしなんざ、あれよあれよと戸惑うばかりなのだ。
 科学を疑う人はおるまい。下手をすると、科学には万能の力が有ると、多くの人は思っているかも知れない。
 科学は万能なぞと思い上がって居ても、地震の余地一つ出来ないのだ。人間は、大自然から見れば、結局儚い存在なのだと、改めて思い知らされました。

2011年3月20日日曜日

ポリタンをご存知ですか その一


 ひどい目大会で、水の無い尾根上の幕営を書いたが、そりゃあ酷い(ひどい)もんで、喰わなくても一週間、水無しなら三日が限度とされて居るが、さも有りなん!
 山の中で一番大切なものは何だと聞かれたら、唸って仕舞う。大切なものが余りに多過ぎる。
 では、積雪期を除いて答えよ、と言われれば、やっぱ水なのだ。尤も山の中に限らず、
大地震に見舞われた人も、多分同じ答えをするだろうと思う。東京だったらどうなるだろう。日本中の給水車を集めても、東京の人口には対抗出来まいって。
 関東大震災の頃と違うのは、井戸が無い。当時は彼方此方の家には井戸が有ったから、水に困った記述が無い。井戸に毒を入れたとデマが飛んで、無実の朝鮮人(使っちゃいけない言葉だって?当時の文献で使用してるのだ!)が大勢殺された。今なら其の悲劇は避けられるが、水の無い悲劇が手ぐすね引いて待って居る。
 トイレが水洗になったので、水が無ければ使えない。一回流10~15リットル、一家三人が一日飲み食い出来る(非常時で)量だ。思えば勿体ない話だ。仮説トイレで千二百万人をまかなえるなんて、誰も思って無い。ま、考えた事も無い、が正解だろうか。
 周りがクソ(失礼)だらけになるのは良い。死にゃあしない。水が無ければ自治体の配るアルファー米も食えない。人は緊張すると喉が渇く。大地震ならば、緊張の連続を強いられるだろうから、さぞや水を欲する事だろう。
 地震の話では無かった。詰まり、須らく人間の営みとは水とは切り離せないと言う詰まらない例なので、本題は水場なのだ。
 丹沢の稜線に水場は少ない。当たり前だ、稜線なんだから。丹沢に限らず、何処も同じ秋の夕暮れ、って事です。
 塔の水場は結構遠い。本当は遠く無いんだけど、近くは無い。尊仏山荘の諸君は其処に汲みに行く。苦労だなあ。バイトを確保するのに苦労するのは分かる。誰があんなとこへ水を汲みに行きたい?其の上昔違い、山好きの若者が減った。いや、激減した。昔は山小屋のバイトをしたがる人間は列をなした。今は、やっとこさっとこやって居るらしい。
 でも、ポンプで汲み上げにすると髭の番頭さんが言ってたから、OKです。小屋も楽になる。バイトの諸君も楽になる。
 ユーシンから塔へ登って来、水場に着くと、あー、やっと着いた、と思える。あと一息なのだから。わざわざ水を汲みに行くのと同じ距離なのだが、状況に依って全然違って来るものなのだ。
 昔は丹沢山に泊まると、裏の水場に水を汲みに行った。十分位下った場所だった(と思う)。今は小屋で水を買えるので、あの水場は幻の水場で有る。
 (ポリタンをご存知ですか その二へ続く)

2011年3月19日土曜日

閑話番外 その四十五



 余り自粛ばかりして居るのも何なので、詰まらない写真でも載せましょう。
 閑話六十六の時のもので、GEなのでこんなもんです。え、未だ使いこなせないのかって?そうなんですよ!!

2011年3月14日月曜日

閑話番外 その四十四


 未曾有のエネルギーを持った群発地震と津波に加え、原発事故、文字通りの国難となったので、愚ログは自粛してました。
 大惨事の最中に、能天気を書くのも何なのです。
 未だ不明な段階だけれど、相当数の方が亡くなられ、大勢の方が家を失って、多分幾つかの町や村は地図から消えるでしょう。
 犠牲になられた方に、心より哀悼の意を表します。
 原発の怖さを、改めて思い知らされました。併し、マグニチュード9.0と言う、誰にも想像出来なかった地震と、津波にも襲われてさえ未だ建物が残って居たのは、大したものだ、と感心して居るのです。これで、メルトダウンを見事押さえ込めば、賞賛に値すべき事、と一般の方やマスコミと(多分)異なる見解を持って居るのです。

2011年3月8日火曜日

閑話 その六十六


 六十三歳は六十三才だと思い知って仕舞ったのです。
 勿論、六十三才たって千差万別、同じに語
る事が既に間違いなので、正確に言い直そう。
 酒ばかり飲んでゴロゴロしてる親父が、塔
に登って、天神尾根を下ったら、膝が笑っちまって、笑っちゃったって話です(涙)。
 去年同じルートをやった時は、ヒョイヒョイとこなした。今回は(三月五日)膝が笑ってやっと下り切った訳で、我乍ら唖然とした、と言う事です。
 不摂生と加齢ですなあ。日々確実に衰えて
行くと言う事で、没法子です。
 勿論衰えを食い止められるし、現に頑張っ
て食い止めて居る人も多い中、自慢じゃ無いが、そんな苦労は死んでもするけえ、そんな事より酒だ酒だ、酒を持って来い!!と馬鹿生きして居るので、当たり前の結果、山で苦しむのだ。人生とは何処かでバランスが取れて居るんですなあ。
 でも山は晴れ上がり、足元は雪。良いでし
ょう。尤も、何日か前の雪なので、メインルートでは踏み固められ、氷と化して危ない事滑る事。特に下りで、皆さん難渋して居た。
 廃墟になった日の出小屋の横は風が当らない。
其処で行動食を食べ、一服つけて居たら、中年の男性が来て一服つける。
 主脈の状況を聞かれたので、説明して居たら
初老の男性が登って来た。
中年「ヤビツからですか」

初老「もっとマイナーな奴、札掛からだよ」

中年「どうでした」

初老「雪で、路が全然分からないんだ」

私・中年「はははは」

 長閑なもので有る。

 中年氏は小丸から二股へ下り、林道を大倉
迄歩くそうだ。此れで、空白になって居る馬の背から小丸迄と、二股から大倉へのルートが潰せると嬉しそうだった。
 其の気持ち、すっごーく分かります!

2011年3月6日日曜日

どう切り分けよう その五


 え、表、東西、中央が有って、何で裏が無いかって?裏丹沢を規定してる案内書も多いんだって?
 尤もな疑問だ。冒頭にお断りしたが、私は
稜線で山域を分ける。私には分かり易いからなんだけど、本来そう言うもんだと思って居るからなんです。
 北アルプスを例に取ろう。黒部川流域とか、
梓川流域とかに関係無く、稜線で区域を定める。後立とか表銀座とか、だ。其れと全く同じ発想だと思って下さい。
 丹沢に裏丹沢が設定されて有る(多くの案
内書にも有る)のは、沢登りをメインに考える観点からで、私が様な奴には無縁な事、一発で分かり易いのが一番大切なのだ、と思った次第。
 矢張り、一番人が入らないのは西で有る。
営業小屋は一つも無い。避難小屋は一つしか無い。中央は営業小屋、避難小屋、共に三件有る。東は、営業小屋が五件、避難小屋が一件、表は、営業小屋が三十件以上(!)、避難小屋は零。
 どうです、小屋の数で、人の入り方で分か
るでしょうが。
 多くの人は、丹沢と言えば、表、或いは東
を思い浮かべるのは無理からぬ事。
 でも丹沢には、中央、西と言う、しっぶー
い隠し玉が有るのですぞ。其処へ踏み込んで初めて、丹沢の素晴らしさが分かるのです。行った事の無い方が居れば、是非に、とお薦めしたいのです。
 まあどっちにしろ、どうでも良い話で、文
句をつける人(沢屋)は読んでっこ無いし、書くだけ無駄だったかな?私ははっきり決められたので、良かったけど、自己満足の章でしたなあ。失礼しました。

2011年3月5日土曜日

閑話 その六十五


 遙か前の本文で、丹沢に戻る為にアッチッコッチの山を登って、矢張り丹沢は最高だなあと言いたいと書いた。何処の山が素晴らしいと聞かれたって、丹沢の素晴らしさを説明が出来るから。外の山を知らなければ、説明不能で沈黙するしか無い。
 とか言い乍らそう遠くには行って無い、南北
中央アルプスと八ヶ岳、奥秩父、そして上越の山に絞られる。
 南北中央アルプスは良いだろう。皆さん納得
するだろう。八ヶ岳も奥秩父も、当然良いだろう。それでも、ミーハーだと文句を付けるのは、Nの奥さん位だろう。ふん、文句が有るんだったら、亭主に言いな!(分からない人は、雪山の喫茶店を参照して下さい)
 え、遠くの山のレベルが違うって?遠い山っ
てえのは、スイスとかネパールとかチリとか南極とかだって?勝手にしてよ。あたしは丹沢が基本なんだから!
 アンデスの山の良さを語る人や、ヒマラヤ
の良さを語る人や、ヨーロッパアルプスの良さを語る人や、南極の山の良さを語る人と出会う確率は、相当低い。
 でも、うっかり会っちまったら、丹沢の良
さで話が合うかも知れない。昔、本文で書いた通り、日本の誇る登山者、故長谷川氏は、チョモランマ(多分)のテントの中で、故郷の日光の藪山の地図を見て居たそうだから。
 で、何を言いたいのかってえと、あたしゃ
あ丹沢が好きなんで、此の愚ログをやってんだよ、って事なんで、本当にどうでも良いんだけれど、たまに原点に帰らないと、訳が分かんなくなる事は多いので、帰って見たのです。
 中級山岳が滅茶苦茶好きってえのも、思えば
一寸と変わっては居るけど、好き好きなので、人様には判断不能でも、本人は満足なのだ。
 丹沢を知らない人は、一度来て見れば、ひょ
っとすると、あたしの仲間になっちまうかも。
 低いけど、奥深い山なんですよ。

2011年3月1日火曜日

どう切り分けよう その四


 白壁の国宝姫路城に対する、黒い下見板の鳥取城、別名鵜城の様な、落ち着いた味わいの山域なのだ。其の癖、滅茶苦茶にヤバイ沢で周りを鎧って居るのだから、流石に見事で有る、としか言えない。
 勝手に私が名付けた中央丹沢こそ丹沢其の
もの、表や東の華やかさとは違った魅力を、秘めて居るのがとても良い。丹沢を好きな人は、絶対此の区域が好きな筈だ。まず間違い無いと自信が有る。お前の自信に意味有るのかって?残念だけど、無い……。
 いぶし銀の魅力、丹沢の中の丹沢、うーん、
良いじゃん、此れで行こう、中央丹沢は蛭からモロクボ沢の頭迄だ!是非此の案を広めて下さい。駄目?
 で、モロクボ沢の頭から先の事だ。結構範
囲は広い。ペッペッペ(アホな擬音の説明は省きます)。では、語りましょう。(此の時点でキーボードは唾塗れ、汚ねー)
 大界木で北に鳥の胸(とんのむね)への尾
根を分け、城ヶ尾峠から菰釣山(こもつるしやま。こもつりやまでは無い)へ到る。
 菰釣山から南には、尾根と言うより山稜と
呼ぶべき地帯を抱えて居る。大栂へ至り、其処から富士見峠と織戸峠へ尾根は分岐する。其れについては、其のうちに書きましょう(覚えて居たら)。
 菰釣山から北には高指へ向かう尾根が有る。
此の菰釣山こそ、の近辺のハイライトで有る。避難小屋が有るのも、此処で最後だ。
 避難小屋が有ろうと無かろうと、山は続く
ので、おまけに東海道自然歩道だ。従って昔とは偉く違って整備は良い。倒木をくぐったりまたいだり、藪に突入したりしないで良いので、ラッキー其のものなのだ。
 を超え、大棚ノ頭で北西に山伏峠へ
の路を分け、南東に西丸(前の西の丸と同名、別山)、東丸への尾根を分ける。更に進むと、高指山、鉄砲木ノ頭を経て三国山に登り着く。
 三国山から西に続く稜線は、篭坂峠に至っ
て、其処から先は富士山なので、丹沢の最西端は、篭坂峠って事です。
 さて、三国山から東へ向かい不老山に到る
稜線が、西丹沢のシメってこってす。
 そう、モロクボ沢の頭から先こそが西丹沢
なので、広いですよ。それでも、昔流の区分から見れば、遥かにまともだと思われる。再々だけど、私案ですからね、根拠不明、私の勝手な考えです。
 でも、同感してくれる人は多いんじゃない
のかなあ。甘い?ふん、甘くたって良いのさ。私の案なんだから、学会で発表する気も無いし。取り上げられ無いだろうし。
 此の山域は爽やかだ。入る人は本当に少な
いけど、駿河の平地を見乍ら歩くのだから、とても良いんです。おまけに、一寸と火山性の土だし。富士山の傍だから当然だけど。一寸と丹沢らしくない丹沢なのだ。
 此れで丹沢は五ブロックに分けられた。目
出度い。独自の案だが、一応其れなりにはなって居る。
 (どう切り分けよう その五へ続く)