ひどい目大会で、水の無い尾根上の幕営を書いたが、そりゃあ酷い(ひどい)もんで、喰わなくても一週間、水無しなら三日が限度とされて居るが、さも有りなん!
山の中で一番大切なものは何だと聞かれたら、唸って仕舞う。大切なものが余りに多過ぎる。
では、積雪期を除いて答えよ、と言われれば、やっぱ水なのだ。尤も山の中に限らず、大地震に見舞われた人も、多分同じ答えをするだろうと思う。東京だったらどうなるだろう。日本中の給水車を集めても、東京の人口には対抗出来まいって。
関東大震災の頃と違うのは、井戸が無い。当時は彼方此方の家には井戸が有ったから、水に困った記述が無い。井戸に毒を入れたとデマが飛んで、無実の朝鮮人(使っちゃいけない言葉だって?当時の文献で使用してるのだ!)が大勢殺された。今なら其の悲劇は避けられるが、水の無い悲劇が手ぐすね引いて待って居る。
トイレが水洗になったので、水が無ければ使えない。一回流10~15リットル、一家三人が一日飲み食い出来る(非常時で)量だ。思えば勿体ない話だ。仮説トイレで千二百万人をまかなえるなんて、誰も思って無い。ま、考えた事も無い、が正解だろうか。
周りがクソ(失礼)だらけになるのは良い。死にゃあしない。水が無ければ自治体の配るアルファー米も食えない。人は緊張すると喉が渇く。大地震ならば、緊張の連続を強いられるだろうから、さぞや水を欲する事だろう。
地震の話では無かった。詰まり、須らく人間の営みとは水とは切り離せないと言う詰まらない例なので、本題は水場なのだ。
丹沢の稜線に水場は少ない。当たり前だ、稜線なんだから。丹沢に限らず、何処も同じ秋の夕暮れ、って事です。
塔の水場は結構遠い。本当は遠く無いんだけど、近くは無い。尊仏山荘の諸君は其処に汲みに行く。苦労だなあ。バイトを確保するのに苦労するのは分かる。誰があんなとこへ水を汲みに行きたい?其の上昔違い、山好きの若者が減った。いや、激減した。昔は山小屋のバイトをしたがる人間は列をなした。今は、やっとこさっとこやって居るらしい。
でも、ポンプで汲み上げにすると髭の番頭さんが言ってたから、OKです。小屋も楽になる。バイトの諸君も楽になる。
ユーシンから塔へ登って来、水場に着くと、あー、やっと着いた、と思える。あと一息なのだから。わざわざ水を汲みに行くのと同じ距離なのだが、状況に依って全然違って来るものなのだ。
昔は丹沢山に泊まると、裏の水場に水を汲みに行った。十分位下った場所だった(と思う)。今は小屋で水を買えるので、あの水場は幻の水場で有る。
(ポリタンをご存知ですか その二へ続く)
2 件のコメント:
なるほど、水の大切さがわかりました。
水洗トイレに15リットルの飲料水!!!これは 犯罪的です。雨水をためるために すべての道路に傾斜をつけて溜め この水をトイレに使うべきですね。都市の構造を変えていかないと。
KENZABUROU家は、固形燃料もコッヘルも山の料理器具があるから、停電でも大丈夫、、と思っていましたが、水が無かったら どうしようもないですね。
全くそうなんです。
で、4リットル焼酎の空き瓶(ペットですが)に水を詰め、10本ほど置いて有りますので、当座は何とかなるでしょう。
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