2019年6月30日日曜日

柄でも無い事 その七十四


 残るは締めの曲。結局はアンコール専用曲(そんなジャンルはないのだがアンコールに多用される意)になってしまう。
○「いさ起て戦人よ」
藤井泰一郎日本語詞 ジェイムス某曲
 男性コーラスの定番中の定番。コンサートの時は歌える観客が多いので、一緒に歌わしたりする。大阪大学の浅井指揮者もそうで、観客の各パートが確りしていたらしく、観客に「ブラボー」と叫んでいた。これならあたしもベースを歌えます。
○「遥かな友に」
磯部淑(さんずいでなく人偏)詞・曲
 早稲田グリーの合宿の時に磯部氏が即興で造ったそうだ。場所は津久井渓谷とあるが、一体何処なんだ? 多分宮ケ瀬渓谷だろう。今はダムの底である。Nhが発表会のアンコールで、其の年に亡くした奥さんを思って、泣けて歌えなかった曲である。
 これで説明は終わりだが、PCで聞くので音が薄っぺらで物足りない。テレビに連動したら多少は良くなるが、面倒だ。ネットにPC外付けのスピーカーを買って付けた報告があった。6cm×7cm位の小さいのを二つ付けるのだ。
 高音と低音には難があるが中音域はまあまあだと。それが百均のダイソーで三百円だ。うん、三百円なら良いか、と買って来ました。何だい、結局安けりゃ良いってこっちゃないか、とのご指摘はご尤も、どうしてもみみっちい話になっちまうんで、柄通りの事です。
 本当に小さい。PCには二カ所射しこむだけ。早速「秋のピエロ」を聞いてみた。うん、PCの小さなスピーカーよりは大分大きいし、二つだから広がりがある。ステレオ効果はないけど音源が広がるから。
 続けて何曲か聞いたがいける。PCのみよりよっぽど良い。これで三百円なら大成功だと言う、情けない話になってしまいました。

2019年6月26日水曜日

柄でも無い事 その七十三



 さて、男性コーラスの部です。
○「富士山」
草野心平詞 多田武彦曲
作品第弐拾壱(弐と壱は古い字で変換不能)
 終曲のみ。関西学院のOB現役合同コンサートが我が家の定番である。四連(早稲田、慶應、同志社、関西学院の合同コンサート)合同曲で、作曲者の多田武彦氏が指揮してるのもあるが、素人にはあっさりし過ぎに感じられてどうも。作曲者自らがが振ってるんだから、それが本当なんだろうけど。
○「月光とピエロ」
堀口大学詞 清水脩曲
2、 秋のピエロ
 二番だけを聞いている。これも関西学院を聞く事が多い。四連もアンコール曲でアップされている。立命館OBのコンサートもなかなか良いですよ。
○「枯れ木と太陽の歌」
中田浩一郎詞 石井歓曲
4、 枯れ木は太陽に祈る
 これも終曲のみです。ユーチューブには早稲田グリーのOB演奏会しかアップされていない。余り演奏される事がないのだろう。大昔、早稲田グリー現役演奏会で聞いた時は、グランドピアノ二台を並べて全力で叩いて、やっとコーラスを支えたあの迫力を、今でもはっきりと覚えているのだ。
○「斎太郎節」(さいたらぶし)
宮城県民謡 竹花秀昭曲
 松島の 瑞巌寺ほどの 寺もないとおえ お馴染みの民謡を男性合唱曲に仕上げたものだ。何せ景気が良いので、アンコール曲の定番になっている様だ。関西学院、大阪大、北大、早稲田、etc,あたしが一番好きなのは、四連のロビーコール。ロビーで四校の諸君が、解放感と高揚感で酔っ払ってる勢いで歌うと言う奴だ。
 劇の打ち上げに通じるんです。(続)

2019年6月23日日曜日

柄でも無い事 その七十二



 最近と言ってもここ一月(ひとつき)程の事だが、夕食の時にコーラスを聞き乍ら、となった。聞くのはユーチューブにアップされた演奏会を探してなので、色々な合唱団を楽しんでいる。
妻と二人の夕食に彩りを添えてくれるのは以下の曲目である。その全てを聞く日もあれば、半分位の時もある。
○混声合唱曲「旅」
山之井慎・田中清光詞 佐藤眞曲 
 1、旅立つ日 7、行こうふたたび
高校の時歌った組曲で、特別の思い入れがある。歌える唯一の組曲って事もあるが、高校時代そのものと感じられる。一番と七番が力強く、特に好みなのだ。北海道や彦根の合唱団の演奏を良く聞く。
○混声合唱曲「蔵王」
尾崎佐永子詞 佐藤眞曲
1、蔵王讃歌 9、早春
 此れ又佐藤眞氏作曲である。この曲も最初と最後を聞いている。曲想が雄大で、昭和の名曲と言うべきだと思っている。京都エコー合唱団が非常に巧い。
○混声合唱曲「筑後川」
丸山豊詞 團伊久磨曲
5、河口
 聞くのは終曲のみである。「筑後平野の百万のおー」の部分はソプラノの諸君は死にそうになるだろうw この曲も京都エコー合唱団が一番良い。あ、あくまであたしの知ってる範囲の狭い世界の話ですので。
 混声合唱はこんなとこだろう。女性合唱曲の“秋はシャム猫のように”も聞きたいのだが、アップされていないので仕方ない。
 あとは男性合唱曲になる。そうすると大学のグリーの演奏が中心になる。たまに中学生や高校生の演奏も若々しくて初々しくて、声が上がり切ってなくとも、多少もたついても、喜んで聞いてます。(続)

2019年6月20日木曜日

閑話 その二百八十九



 階段を上り詰めて稜線に立った時は、フーフーハーハーと大騒ぎ。未だ終わりではない、頂上への最後の登りがある。普段なら何て事無く登るのだが、フーフーハーハーになっちまうと、その長く感じる事、上体迄左右に揺れる情けなさ。
 ふと人の気配を感じたら、右方を短パン半袖トレイルの女性(四十才位)が抜いて行く。
その女性「足袋、カッコ良いですね」
私「いやいや」
 何時もなら“豚もおだてりゃ木に登る”あたしは、フッフッフ、カッコ良いって言われちまったぜ、とご満悦なのだが、この日は違う。カッコ良くなぞない。やっとさっとこ、荒い息使いで上体を揺らして登ってるなんて端だ! ったって全くそうなんだから仕方ないですなあ。
 下りに掛かっても結構キツい。一生懸命歩いてるって感じである。バテてるなあって感じで、それでも歩度は落とさぬ様勤めてるんだけど、登りになると息が上がる。
 結局里湯には二時間五十分掛かって着いた。いやあ、掛かったもんですなあ。四十分を切ったなんて喜んでたのは幻の如しですよ。
入浴と相成った訳だけど、湯から上がると立ち眩みして膝を着いた。横倒しにならなかっただけ上々だ。退院後に弘法山へ初挑戦した頃を思い出したですよ。
 電車に乗って相模大野に着く迄目を閉じて座っていた。寝てはいなかったがだるいのでそうしていたのだ。相模大野だなあとぼんやりしていたら、なかなか町田に着かない。見ると緑の中を走っている。え、町田へは町続きじゃねえのけえ。
 そして新百合ヶ丘に着いた。町田に着いてもぼんやりしてて乗りっぱなしだったと言う事だ。全然ダメじゃんさあ。下りに乗り換えて戻るお粗末さ。
 決して急いじゃいかんです。トホホ……。