2017年10月31日火曜日

山の報告です その六十一




 写真はテント場から見た西穂高方面です。
 西穂山荘より下っているうちにクシャミが連続して、洟もズルズルと出始めた。上高地に着いた頃には、ハックションハックション洟ズーズー状態であった。
 風呂に入って暫くは良かったが気温が下がって来るのに従い、元の木阿弥だ。いや、前よりひどくなったのはクシャミの後に洟がダーッと垂れる事だ。ロールペーパーを常に横に置いておかなければならなくなったのだ。
 昨夜の寒さと朝の独標迄の寒さで風邪をひいたと言う事だろう。若い頃ならそんなヤワな事……、泣き言は止めよう。
 二日目の夜も偉く寒かった。標高が下がったので多少は暖かいかと思ったが、前夜と同じであった。そして三日目の朝も快晴だ。
 あたしは帰るのみなのでチラッと穂高を見て、撤収しバスセンターへ向かう。一番バスは流石にガラガラ、新島々で電車に乗り換える。途中で小学生がドッと乗り込んで来て、電車は満員となった。と言っても編成は二両だけなのだけどね。
 松本に着いたが、ホームに溢れる小学生で思う様に進めない。梓はあとちょっとの処で、行ってしまっただ。
 改札を出て、前有った立ち蕎麦屋へ行ったがもう無かった。ウロウロして探しても立ち蕎麦屋は無い。松本なのに、何でだよお。
 仕方なくモスバーガーを食べて缶チューハイを買い込み、スーパー梓に乗り込んだ。チビチビ飲み乍ら車窓の山々を眺める。心底ほっとする時間である事は、経験者なら皆さん同意するだろう。
 十一時九分の梓は空いている。此の時間に山から帰る人間は、そうはいない。あたしはその意外な時間が好みなのだ。
 長々と西穂高の顛末を書いたが、今回が最後の西穂高になると思うから。これから先の或る程度の山は皆、此の世での最後の別れになる筈なのだ。(此の章終わり)

2017年10月27日金曜日

山の報告です その六十




 写真は遥か遠くの富士山です。
 河童橋は登山者観光客が入り混じって大賑わいだ。“上高地ソフトクリーム”の幟が有って、何人も其れを食べている。高いばかりだとは分かっているが、自分に負けて食べた。
 妻と旅行に行く時、小田原を通ると必ず駅ビル内の伊藤園直営店のソフトクリームを食べる。息も帰りもである。二百六十円で量もたっぷりで美味しい。上高地は四百円で量もずっと少ない。でも、堪らなく欲しくなっちゃったので仕方ないですなあ。
 小梨平のキャンプ場は何度も通過したが、幕営は初めてだ。風呂も六百円で入れると言うので、テントを張ってからいそいそと出かけた。温泉じゃないのが残念だが、山から下っての入浴、悪い筈は無い。
 風呂上りにはすっかり里心がついて、食堂で一杯やってる諸君が羨ましい。前にも書いたと思うが、山から降りて来ると登山用食料は見たくもなくなる。極普通の食物を欲するのだ。其れも猛烈にだ。
 此処で負けてはいけない。ぐっと堪えて里心を押し殺し、テントへ戻るのです。一寸と哀れではあります。
 あたしのテントのお隣さんは一人用の小さい奴。お向いさんはツェルトにストックをポール代わりにして立てて暮している。同年代と見える男性が住民だ。
私「ツェルトだと軽くて良いですね」
男性「でも狭くてねえ」
 狭いだろうが、軽いに越した事は無い。お隣は南米からと見える若い女性が外に出て上着を着ていた。一人用テントは背が低いので、表で立って着込みたかったのだろう。
 どんどんと登山者がバスターミナルへ向かって行く。未だ東京へは充分帰れる時間なのだ。あたしも真っ直ぐにバスに乗れば、十九時頃には帰宅出来ていた筈だ。でも、折角テントを担いで上高地に下って来たのに、慌てて帰ると言う発想は無いのだ。続きます。

2017年10月24日火曜日

山の報告です その五十九





 写真の一番高いとこがジャンダルムです。
 西穂山荘に着いたのが十時半。地図時間通りだったのが、驚きやら嬉しいやら。空身は楽ってですよ。もっと掛かると思ってたので、ピストンしてもう一泊、そして翌早朝から上高地へ下って帰京との予定だったが早過ぎ。
 唯、これから幕営一式を背負って二時間以上を歩けるかな、と不安がよぎる。情んなかですたい、たった二時間一寸とだがにゃあ。 何せ荷物を背負うとゾンビになる経験がたっぷりあっだで、そんだら無理ねえだよ。
 決めた。先ず此処で一時間近く休む。そして、だらーっと歩けば宜しい。やる気有んのか?と聞かれる程だらーっと歩く。四十分歩いたら何処であろうと絶対休む。よし、此れだ! 非常に情無いけど……
 テント場にはあたしのテントがポツンと残っているだけだ。大テントも無いから焼岳に行ってから撤収したのだろう。外も、まあ色々の訳が有ってもういないのだ。
 荷物を纏めて撤収に掛かると、中年の単独男性が荷物を背負ってやって来た。
男性「どちらに行かれました」
私「西穂です」
男性「私は明日登るつもりなんです」
私「明日も晴天なら良いですね」
 撤収を終えて歩き出す時には其の男性はテントをせっせと張っていた。挨拶を交わして下り出す。だらーっとである。
 暫くすると外国語の話声が背後より近づいて来た。外国人のカップルが「こんにちは」と抜いて行く。あとは背後からのパーティは無く、数人と擦れ違う。「いやー、登らされますねえ」と嘆く男性もいた。気持ちはよーっく分かります。
 下り切ると突然観光地の一角だった。一寸と戸惑うが、上高地なので当然だろう。河童橋へ向かうにつれて人は増え、店も現れて大変な賑わいだ。小梨平のキャンプ場は河童橋を越えた先である。続きます。

2017年10月20日金曜日

山の報告です その五十八




 あたしより少々若いと見える男性が抜いて行く。後に続いて岩場を登ると西穂頂上だった。中年女性が一人いて、都合三人が頂上に立った。勿論相変わらずの快晴であった。
男性「こんなに見晴らせるのは珍しいですよ」
女性「この夏は散々でしたねえ」
男性「忍耐強くなりました」
 ひとしきり一望の山々が何処の山かで話が弾んだ。地図に照らし合わせて、最初に薬師と思った山は立山だとなった。
私「左奥が薬師ですね」
男性「野口五郎は其の左手前ですかね」
 私「そうでしょう。此れで決まりって事で」
 下の写真が薬師岳方面。


勝手に山を決めてワイワイやってる処へ、若者が奥穂方面から登って来た。
若者「奥穂から二時間半で着いたです」
私・男性「えー、二時間半!」
 飛んでもないカモシカ野郎だ。大体からしてあたしなら通行不可能なルートなんだからさあ。風の様にやって来たのだろう。
 下りが気がかりなので先に頂上を辞した。登って来れたのだから下れるのだけれど、慎重を期するので時間を喰うと思ったのだ。


 焼岳と乗鞍です。手前がこれから下って行く稜線。
 幾つめかの下りで、奥穂からの若者に抜かれた。彼は岩を背にして尻で滑る様に下って行く。こりゃあ速い訳だ。明らかに岩に慣れ親しんだ動きだ。真似は金輪際出来っこない。
 例の娘さん二人とも擦れ違った。どうにか登って行く。あの調子なら大丈夫だろう。あたしもどうにか大丈夫だ。二カ所巻きに鎖が掛かっていた。特にどうと言う事の無い所だ。唯、横がスㇳ―ンと切れている。多分、事故が有った場所なのだろう。落ちたら即「さようなら」な所なのでね。
 意外と早く独標に着いた。此処からは危険とはおさらば、気楽に下って行くとどんどん登って来る。其の前でズズーと滑った。若い衆に「大丈夫ですか」と声を掛けられて苦笑いしたのは情けなかった。続きます。