2015年4月28日火曜日

雪山賛歌 その九





☆フライミートゥーザムーン
 Fly me to the moon And let we play
☆ブルーシャトー
 森と泉に 囲まれて
☆ペチカ
 雪の降る夜は 楽しいペチカ ペチカ燃えろよ
☆北帰行
 窓は夜露にぬれて みやこすでに遠のく
☆星はなんでも知っている
 星はなんでも知っている ゆうべあの娘が泣いたのも
☆星娘
 好きなんだけど 離れてるのさ 遠くで星を 見るように
●民謡
☆フニクリフニクラ(イタリア)
 赤い火を吹くあの山へ 登ろう 登ろう
 (「誰でも登れる」の章は、此の歌が元)
☆ポーリュシカポーレ(ロシア)
 ポーリュシカポーレ ポリュシュ果てしなき 野をゆくひずめの音 
 (此の歌は、ロシア民謡の中でも勇壮重厚、優れものだと、私は(勝手に)思ってます)
●山の歌
☆箱根八里
 箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず
☆遥かな友に
 静かな夜更けに いつもいつも 思い出すのは
 (朋友のKJもコーラスの経験者だ。彼はテノール、私はバス。二人で此の歌をハモって歌った。ま、KJは覚えて無いだろうけどね。KJが馬鹿だから?違う、私と違って仕事の責任が重く、色々と大変だったからだ。するってえとNが馬鹿になるけど、違うのだ)
☆富士山
 頭を雲の上に出し 四方の山を見下ろして
 (小学唱歌だが、山で歌えば山の歌だ)
☆星かげさやかに
 星かげさやかに 静かにふけぬ 集いの喜
 (キャンプファイアーの定番でしたなあ)

◎「ま行」
●流行り歌
☆見上げてごらん夜の星を
 見上げてごらん夜の星を 小さな星の小さな光が
☆岬めぐり
 あなたがいつか話してくれた 岬を僕は訪ねて来た
☆無縁坂
 母がまだ若い頃 僕の手を引いて この坂を登る度 いつも溜め息をついた
☆また会う日まで
 また会う日まで 会える時まで 別れのその訳は 話したくない
 (雪山賛歌 その十へ続く)

2015年4月25日土曜日

閑話 その百五十四




 同じく二月、三ノ塔から烏尾へ行き、荷揚げ用のボサっぽい路を下った。本文でも触れたが、雨が零度以下の環境で降ったもんで、枝や葉に氷の被膜が出来る事になった。
 とても珍しい現象だ。あたしも此の時一度見たきり。地面には雪も霰も、痕跡すら無いのに、木々は氷の鞘に覆われているのだ。珍しい景色を見られて、とても嬉しい。
 嬉しくないのは、下りの荷揚げ路がボサが被って居た事だ。本文の通り、氷水を浴び続けて林道に降り立った時は、寒くて冷たくて、震えが止まらなかったと言うお粗末。
 三月、長者舎の近くから尾根に取り付き、固い雪を踏み乍ら大室山へ登った。犬越路から下って車に戻った。
 此の時は未明に出発したので、中央フリーウエイで夜明けを迎えたが、其れは荘厳だった。バックミラーで見たんだけどね。
 さて、同じく三月。又もや未明に出発、中央道から中津川林道に入って車を捨て、天王寺尾根を登って丹沢山へ、塔ヶ岳から長尾尾根を下って車に戻った、と有る。
 大室山で寒い雪道は堪能しただろうけど、又もや丹沢山へ出掛けた訳だ。四十歳とは、六十七歳とは違うってこってす。
 四月です。白石峠入口で車を捨てて、檜沢を詰めた。うーん、四月から沢に入っていたんだ。今なら、寒くてやだなあ、となる。若いとは素晴らしい事なんだ。
 此の沢も本文で触れた。詰め上げで苦労して、手を泥に突っ込んで足を蹴込んで、崩れ落ちる前にシャカシャカと登るのだ。説明は不能、やって見て、としか言えない。
 YやAに状況を一生懸命話しても、全く伝わったとは思えない。無理もない。やらなきゃ分からない話なんで。NやIなら分かるだろうけどね。(続)

2015年4月20日月曜日

雪山賛歌 その八




◎「な行」
●流行り歌
☆泣いてたまるか
 空が泣いたら雨になる 山が泣くときゃ水が出る
 (渥美清のTV主題歌。ご存じトラさんの原型です)
☆長崎の鐘
 こよなく晴れた青空を かなしと思う切なさよ
 (何かに書いたが、朋友のAnは、此の歌を歌うと、きっと泣き出す。此れも古関祐司)
☆なごり雪
 汽車を待つ君の横で 僕は時計を気にして
 (女々しい事此の上無しだが、好きな歌だ)
●民謡
 (該当無し)
●山の歌
☆夏の思い出
 夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 遠い空
 (中田喜直氏の、夏の歌。尾瀬と言えば此の歌)

◎「は行」
●流行り歌
☆花はどこへ行った
 野に咲く花は どこへ行く 野に咲く花は清らか
(PPM、一世を風靡したですなあ。パフもそう)
☆波浮の港
 磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
 (海の歌なのに、山で歌ったのだ。外にも幾つも有るけど、変?)
☆花嫁
 花嫁は夜汽車に乗って 嫁いでゆくの
☆バラが咲いた
 バラが咲いたバラが咲いた真っ赤なバラが
☆春なのに
 卒業だけが理由でしょうか 会えなくなるねと右手を出して
☆パフ
 Puff the magic dragon
 (高校の校舎が浮かんで来る。擦れ違う同窓生達も)
☆浜辺の歌
 あした浜辺をさまよえば 昔の事ぞ偲ばる
☆人を恋うる歌
 妻をめとらば 才たけて みめ麗しく 情ある
☆琵琶湖就航の歌
 われは湖(うみ)の子 さすらいの
☆故郷
 うさぎ追いしかの山 小鮒つりしかの川
 (え、此れの何処が流行り歌?やけに古い歌ばかり並んだもんだぜ)
 (雪山賛歌 その九へ続く)

2015年4月16日木曜日

閑話 その百五十三




 フイルムをポジにした為にノートを付け始め、其れは平成元年からだとは書いた。あたしが四十歳の時で有る。一体どんな山歩きをして居たんだろう?
 ノートが有るのを幸いに、追って見よう。え、何が幸いだ、どうでも良いって? そりゃそうだろうけど、二十七年前の話、一寸と覗いて見るとしましょう。
 此れも既述だが、正月は甲武信岳から金峰へ、珍しくも奥秩父縦走で有る。唯、未だネガフイルムだったので、欄外記録の為詳細では無い。思い出して見る。
 冬山で雨に降られた記憶が二回、其のうちの一回だ。入山は信濃川上から、前夜は小淵沢で寝た。
 川上村へバス、其処からは十国峠ではなく、沢沿いに千曲川源流へ登った。天下の千曲川も此処迄来れば、沢で有る。
 此の登りが小雨だった。雪を踏み乍ら冷たい雨に濡れる。最悪のパターンだ。本文でも触れた通り、ヤッケとオーバーズボンが凍って仕舞った。勿論下山する迄融けないの。。。。。
 甲武信から一時間位の稜線で幕営し、翌日は金峰頂上直下で幕営した。樹林帯で張れば良いのに、わざわざ頂上直下にしたのは、其の方が冬山らしいからだろう。確かに冬山らしく、凄く寒かった覚えが有る。ヤッケは凍ってるし、風は遠慮無く吹き付けるしぃ。
 例に依って、偉く寒い思いをした冬山だったって事で、そりゃあ良かったね、と言ってやりたい。
 次も欄外記録で、S夫婦、K、Nと二月の第一日曜に鍋割に行った。いやあ、Nが来たとは珍しい。彼は民間山岳会一本になっちゃって、仲々我々とは遊んでくれないのだ。
 花立よりは雪、思わぬ雪山散歩だと有る。当時は散歩だったのだろう。今ならどんな騒ぎになるか、目に浮かぶ。(続)