2015年4月7日火曜日

閑話 その百五十二




 さて、昭和の何年頃だろう。本文にも有るけれど、稜線を取り違えて支尾根を下り、不時露営となった時の事だ。
 結構な斜面にテントを張ったので、居住性は最悪だっただろうが、其れよりも自分の位置が不明瞭なのと、翌日の心配が大きくて、居住性なんぞ全く記憶にない。
 翌朝は、良くない天気の中稜線へ登り返し、一瞬のガスの切れ間で進む方向を決められたのはラッキーで有った。雪の上での地図と磁石も、完璧にはいかないもんで。
 磁石は真北を指すとは限らない。特にあたしの持つ安物はだ。身に着けた金物の影響を受ける。地質的に磁気が発生しているかも知れない。
 全く見通せないピークで、下りを十度違えただけで、飛んでもない所へ下ってしまう。現にそうだったし(涙)。
 其れが見渡せれば、何と言う事なく次のピークを目指せる。天国と地獄とはチトオーバーだが、そんな感じでは有る。山とは(特に雪山は)お天気商売なのだ。
 其の上詰まらない間違え迄しでかして、清水に着いたのは夜になって仕舞った。お蔭様で腹はペコペコ、バス停近くの民宿に飛び込んで山菜蕎麦を注文した。其の民宿が前章の電話を借りた店だったのだ。
 最終バス迄時間がない。民宿のおばさんは手早く蕎麦を出してくれた。「慌てなくて良いですよ。私がバスを止めておくから」、と道に立って居てくれた。
 何と優しいお言葉。熱い蕎麦を必死に啜り乍らあたしもバスを気にしていた。山菜がどっさり入った蕎麦だった。冷え切った体が生き返る蕎麦だった。
 無事にバスに間に合った訳だが、あの蕎麦は忘れられない。民宿のおばさんの親切も忘れられない。
 体が元通りになったら、又山から清水に下って、山菜蕎麦を食べるのです。

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