2015年4月16日木曜日

閑話 その百五十三




 フイルムをポジにした為にノートを付け始め、其れは平成元年からだとは書いた。あたしが四十歳の時で有る。一体どんな山歩きをして居たんだろう?
 ノートが有るのを幸いに、追って見よう。え、何が幸いだ、どうでも良いって? そりゃそうだろうけど、二十七年前の話、一寸と覗いて見るとしましょう。
 此れも既述だが、正月は甲武信岳から金峰へ、珍しくも奥秩父縦走で有る。唯、未だネガフイルムだったので、欄外記録の為詳細では無い。思い出して見る。
 冬山で雨に降られた記憶が二回、其のうちの一回だ。入山は信濃川上から、前夜は小淵沢で寝た。
 川上村へバス、其処からは十国峠ではなく、沢沿いに千曲川源流へ登った。天下の千曲川も此処迄来れば、沢で有る。
 此の登りが小雨だった。雪を踏み乍ら冷たい雨に濡れる。最悪のパターンだ。本文でも触れた通り、ヤッケとオーバーズボンが凍って仕舞った。勿論下山する迄融けないの。。。。。
 甲武信から一時間位の稜線で幕営し、翌日は金峰頂上直下で幕営した。樹林帯で張れば良いのに、わざわざ頂上直下にしたのは、其の方が冬山らしいからだろう。確かに冬山らしく、凄く寒かった覚えが有る。ヤッケは凍ってるし、風は遠慮無く吹き付けるしぃ。
 例に依って、偉く寒い思いをした冬山だったって事で、そりゃあ良かったね、と言ってやりたい。
 次も欄外記録で、S夫婦、K、Nと二月の第一日曜に鍋割に行った。いやあ、Nが来たとは珍しい。彼は民間山岳会一本になっちゃって、仲々我々とは遊んでくれないのだ。
 花立よりは雪、思わぬ雪山散歩だと有る。当時は散歩だったのだろう。今ならどんな騒ぎになるか、目に浮かぶ。(続)

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