2021年1月31日日曜日

閑話 その三百四十八

 


 伊勢原市は小振りな市である。北部は大山が占めていて、大山の玄関に当たる。大山登山の諸君は非常に多くが伊勢原から入る。次に多いのがヤビツ峠からだろう。

 大山登山者数は、最近だと年間六万人を超えている。ケーブルカーがあるので気楽な山と認識されているのだろうが、高尾山とはグレードが違う。街を歩く様なスタイルの登山者も結構多いらしいが、それは駄目でしょう。

 伊勢原署が纏めた遭難件数がある。最近三年間を紹介しよう。

○平成三十年

 遭難件数三十。人数四十七。死亡三。 病死が二人で男性である。持病が悪化した か心 臓或いは脳卒中だろうか。六十七歳の男性は屏風沢を登っていて滑落死している。屏風沢 は日向川の上流であたしは登った事はない。

○令和元年

 遭難件数二十七。人数二十八。死亡二。病死が一人で男性。七十二才女性が大山川を登っ て亡くなった。これで沢登り二人目の犠牲者である。

○令和二年

 遭難件数四十六。人数七十。死亡零。志望者がなかったのは良かった。

  事故は下りでの滑落や転倒が多い。中高年や山慣れない人が多いのだろう。登山道での出来事だ。次に多いのが道迷い。どうすれば迷えるのかと不思議に思うのだが、多い。

 蓑毛へ下る道はしょっちゅう林道と交差する。そこで違う道に引き込まれる可能性もある。大山町に下るのは完全舗装一級国道だが、外へ下るのは多少登山道っぽい。すると迷う事も不可能ではない訳だ。現に迷っているし。

 救助隊の方々の御苦労は大変なものだろう。一つ間違えれば人命に関わる。入山届があれば別だが、行方不明は探しようがない。

2021年1月27日水曜日

閑話番外 その百十五

 


 “己との闘い”のラベルで自分と闘わない(えない)話を二度も書いた。情けなくはあるが仕方ない。処が有る程度戦わざるを得なくなってしまったのは皮肉である。

 去年の前穂での転落(滑落ではない)の余りに残念な結果に、再度前穂をやらねば収まらなくなった為だ。要は前回の塔の下りで、Yがバネが駄目になって下れなくなったのと同じ図式だからだ。

 バネが効かなくなった為に、脳からの指令は実行されず膝はグネリと折れてしまい、結果頭から飛び込んだのだから、大腿四頭筋を鍛えなければ同じ事になる。運良く左の這い松に飛び込んだから生きているが、右の岩崖だったらとっくに葬式は終わっている訳だ。

 何せ膝が砕けての転落なので。あ。と言う間もない。嫌も応もなく転げるのだから始末に悪い。

 暫く山に行ってなかったからだと思っていたが、八月には二度塔に登っていた。九月の空白を置いて十月には転落である。

 思うに塔は整備完全で登り易い。階段を恨む人は多いが、階段は滅茶苦茶歩き易いのだ。従って一定の歩幅で登降できる。一峰穂高は岩稜に近い登降が多い。足も大きく上げたり横に出したりせざるを得ない。塔では使わないで済む筋肉を使わされるのですなあ。

 高取山で始めたが、なるべく歩幅を取る様に心掛けている。その方が筋肉に負担が掛かるからだ。塔にも登ろうと思うが、数回は政次郎尾根を登り天神尾根を下るコースをやろう。割と急な登り下りなので、多少は効果があるのではと思ってね。

 てな訳で自分との闘いを、極少々する必要ができちまった。確りやって前穂を終えなければ、穂高を卒業できない。それは心残りじゃないですか。転落して卒業は嫌だもんね。

 今年の秋、さてどうなりますや。又転落したら笑って下さい。笑い事だったら良いけど。

2021年1月24日日曜日

クソ面倒な話 その九十二

 

 随分前に地球滅亡の話を書いた。人類は地球滅亡の遥か前に滅び去る、太陽の温度が上がるからだと説明した。数億年は大丈夫です。でも、その数億年を人類が生き延びれるのだろうか。何だか無理な様な気がする。

 数億年続いた種はいない。バクテリア位なものだろう。人類だけが何故生き残れる? 太陽エネルギーの増加だけが脅威なのではない。逆バージョンの“スノーボールアース”と言う現象がある。氷河期なんて甘いもんではなく、1000mもの氷に地球全体が覆われて、一億年以上その状態が続くと言う。過去に三回あったと確認されている。

 これってダメでしょう。人類の一部すら生き残れないんじゃないのかな。大洞窟を掘って増殖型原発を備え、あらゆる準備をして数十万人を収容したとしよう。エネルギーはほぼ無限だから心配ない。食糧も人口光によって自給できるとしよう。

 でも、一億年以上も其処で人類が生きているだろうか。あたしは悲観的にしか見られない。違う何かに変化するに決まってる、と思ってしまう。違う何かでも人類だが、天然放射線に対する耐性は失ってるんじゃないかなあ。何せ全く日に当たらないし表にも出ないのだから。不必要な機能を失うのは自然の摂理なのだ。それが嫌なら原発から放射線を漏らして耐性を維持するしかない。

 大体からして、其処に入る人間をどう選ぶのかな。「博士の異常な愛情」ではないが、政治家、科学者、技術者、高能力者かな。女性はセクシーな魅了を要する訳だ。

 特別に選ばれて(許されれば)家族で穴倉に移住する。マトリックスのザイオンだが、こっちは外の人々は皆死ぬのだ。もぐら人間になって生きるより、人類皆で死のうと思うです。

2021年1月20日水曜日

閑話 その三百四十七

 


 昨日十九日、Yと塔へ登って来た。寒い日だったが快晴だ。Yは箱根蕎麦を食べて一本前のバスで行き、あたしが追うと言うパターンである。

 あたしの乗った八時四十分のバスに登山者は三人。え、こんなに良い天気なのにどうしたんだと驚く。歩き出して一人を抜くと後は誰もいない山。こんなに静かな馬鹿尾根は珍しい。見晴らし茶屋で中年夫婦が休んでいたのみ、多分一本前のバスだろう。もう擦れ違う人もない。

 吉沢平で荷揚げらしい男性を抜いた。塔には来なかったので、途中の小屋の荷物と思われる。そして大階段に掛かると、上によっこらと登るYの姿。「よもやよもや、大階段で追いつくとは」と後ろに着く。

 塔へはゆっくりと登り、一服後下りに掛かる。Yは七時四十五分、あたしは八時に歩き出したので十五分差だった訳だ。

 吉沢平の下りあたりからYのピッチがガクンと落ちた。膝のバネが効かなくなったと言う。前回は堀山の幕営地迄快調に下ったのに、今回は最早ダメになったのだ。

 それからはやっとの下りが続く。少ない登山者も、カタッパから我々を抜いて行く。Yは「皆さん速い、普通に歩いてる」なぞと情ない事を口走る。

 三叉路からのダラダラ道になっても歩度は上がる処か、遅くすらなる。本人は必死に歩いているのだが、バネがいかれてるのでね。

 大倉に三時十分、Yにしたら七時間二十五分掛けた訳だ。普通より二時間多い。バネったって膝に付いてる訳じゃない。大腿四頭筋の弱りって事だ。「塔が遠い山になったぞ。大 腿四頭筋を鍛えなくては、塔にも登れなくなっちまう」と言うと頷く。

 専業主夫になり、姑の面倒を見る日々なので足を使う機会もないのだろう。でも、実際問題として登山者Yの危機なのです。

2021年1月16日土曜日

休題 その三百四十五

 

 又もや緊急事態宣言が出された。とは言ってもあたしの暮らしは変わらない。旅行に行けなくなった位の変化だ。行っても良いのだが相手が嫌がるかも知れないので。

 何度も書くが、たかが武漢肺炎に騒ぎ過ぎだと思っている。高齢者や基礎疾患を持つ人に重大事なのは分かる。それらの人と接する仕事の人、家族の人には大変な事態だろう。併しその他の人々には風邪だと言って良い程度のものだ。うつらない(或いはうつさない)方法はインフルエンザと同じ。気を付けて暮せば従前の暮らしで構わない筈だ。

 それをマスコミが煽り立てるので皆萎縮する。すると経済が停滞する。企業も苦しくなる。真っ先に削るのは宣伝費だから、やがてテレビ局も収入減に悩む事になるだろう。自業自得だと言っておこう。

 つい愚痴っちまった。話はそうではなくSやKとのハイクの事だ。一昨年の秋に渋沢丘陵へ行って以来ハイクは無しである。Sは心臓に難有りなので当然であろう。うっかり感染すると命取りになりかねないのだから。去年は同期会も中止になった。従って、SやKと一地年以上も会っていない。全く武漢肺炎のバカ!と言いたくなる。

 毎年春秋に三人で、場合によっては外のメンバーも加えて山に登っていた。段々グレードが落ちて来て、低山専門になったのは散々書いて来た通りだ。

 それでも新緑の頃や紅葉の頃、たとえ低山でも古い山仲間と歩くのは良いものだ。山高きが故に尊からず(とうとからず、え、読めるって? 失礼!)って言うでしょうが。

 さて、負荷が少なくて良い所、何処にしようかと悩みつつもコースを決める。そうは無い。植林を歩くのは詰まらないしね。その悩みもこうなりゃ楽しみだったのですなあ。

 対策がどうこう以前に、冬になって疫病が盛り返した。世界的にそういう状態ですよ。