2021年1月27日水曜日

閑話番外 その百十五

 


 “己との闘い”のラベルで自分と闘わない(えない)話を二度も書いた。情けなくはあるが仕方ない。処が有る程度戦わざるを得なくなってしまったのは皮肉である。

 去年の前穂での転落(滑落ではない)の余りに残念な結果に、再度前穂をやらねば収まらなくなった為だ。要は前回の塔の下りで、Yがバネが駄目になって下れなくなったのと同じ図式だからだ。

 バネが効かなくなった為に、脳からの指令は実行されず膝はグネリと折れてしまい、結果頭から飛び込んだのだから、大腿四頭筋を鍛えなければ同じ事になる。運良く左の這い松に飛び込んだから生きているが、右の岩崖だったらとっくに葬式は終わっている訳だ。

 何せ膝が砕けての転落なので。あ。と言う間もない。嫌も応もなく転げるのだから始末に悪い。

 暫く山に行ってなかったからだと思っていたが、八月には二度塔に登っていた。九月の空白を置いて十月には転落である。

 思うに塔は整備完全で登り易い。階段を恨む人は多いが、階段は滅茶苦茶歩き易いのだ。従って一定の歩幅で登降できる。一峰穂高は岩稜に近い登降が多い。足も大きく上げたり横に出したりせざるを得ない。塔では使わないで済む筋肉を使わされるのですなあ。

 高取山で始めたが、なるべく歩幅を取る様に心掛けている。その方が筋肉に負担が掛かるからだ。塔にも登ろうと思うが、数回は政次郎尾根を登り天神尾根を下るコースをやろう。割と急な登り下りなので、多少は効果があるのではと思ってね。

 てな訳で自分との闘いを、極少々する必要ができちまった。確りやって前穂を終えなければ、穂高を卒業できない。それは心残りじゃないですか。転落して卒業は嫌だもんね。

 今年の秋、さてどうなりますや。又転落したら笑って下さい。笑い事だったら良いけど。

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